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第二部二章 駆引
命令と拒否
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客間の襖を開けて入ってきたのは、龍の声に違わず、彼女の母親である琴だった。
母親の声を耳にした龍は、驚きながらも嬉しそうに顔を綻ばせ、両手をついて深々と頭を下げる。
だが、
「母さ……ま……?」
伏せていた顔を上げて、鮮やかな色合いの打掛を身に纏った母を見た途端、彼女の表情は凍りついた。
いつもは本丸御殿に引き籠っていてる琴が、わざわざ客人に会う為だけに二の丸まで下りてきたのは珍しい事ではあったが、客人が自分の叔母であり義兄嫁でもあるつやならば、そんなに不自然な事ではない。
琴が表情を強張らせたのは、そのせいではなく、彼女の後ろに続いて無遠慮に侵入ってきた数人の甲冑を纏った武者の姿を見たからだった。
更に、そのうちのふたりが、甲冑が紅に染まるほどの夥しい返り血を浴びているのを見て、顔面を蒼白にする。
だが、龍は恐怖で唇を戦慄かせながらも、気丈な声を上げた。
「な、何なのですか、お前たちは! つや様のお部屋に、そのような物々しい格好で……っ! そ、それに、その返り血は――」
「――たつ」
「……ッ!」
武者たちへの詰問を、冷たい響きを湛えた声で遮られた龍は、当惑した表情で、自分の母に問いかける。
「か、母様……? な、何があったのですか? この者たちは……そ、それに……その血は、誰の――」
「貴女には関係の無い事です」
自分に向けられた龍の問いを、先ほどと同じ素っ気ない声で断ち切った琴は、目配せで退室を促した。
「さあ、たつ。貴女は本丸御殿へお戻りなさい」
「で、ですが……母さ――」
「戻りなさい」
食い下がる龍に向けて、氷のように冷え切った声で命じる琴。
その声に応じるように、甲冑を纏った家臣のひとりが、龍を力づくで退室させようと、彼女に向けて足を踏み出した。
「ひ――ッ!」
近づいた武者の面頬の間から覗く血走った目に、龍は一瞬恐怖で身を縮こまらせたものの、すぐにキッと眦を上げると、母親の怜悧な貌を真っ直ぐに見返す。
「も、戻りません! 母様がつや様に何をするつもりなのか、わたしには分かりかねまするが、そのような物騒な装いをした者どもを引き連れている以上、良い事だとは到底思えませぬ! それなのに、つや様ひとりを残したまま、本丸御殿に戻る事など、わたしには断じてできま――」
「……龍殿」
――声を上ずらせながらも、毅然とした態度で母親に抗する龍の肩にそっと手を置いたのは、つやだった。
彼女は、穏やかな微笑みを浮かべながら、龍に向けて軽く頭を振り、諭すように言葉を継ぐ。
「私の事を慮ってくれている貴女の気持ちは、とても嬉しいです。ですが、ここは琴殿――貴女の母上様の言葉に従うのです」
「で、ですが……つや様……」
つやの言葉を聞いた龍は、母の背後に立つ甲冑武者たちに怯えた目を向けながら、不安げな声を上げた。
そんな彼女に「大丈夫です」と言ったつやは、つと琴の方に目を向け、念を押すように尋ねかける。
「ですよね? 琴殿」
「ええ……もちろんです」
琴は、つやの鋭い眼差しを受けながらも、気圧される様子も無く、口元に酷薄な薄笑みさえ浮かべながら頷いた。
「私は、久しぶりにお会いした叔母上と愉しくお話をしたいだけです。それなのに、娘の貴女に信用されず、そのように警戒されるのは哀しいですわね」
「……愉しくお話をしたいだけなら、なぜおひとりで参られなかったのですか? そのような血腥い者どもを多数引き連れておきながら、信用されなくて哀しいとは――」
「龍殿」
母親に向かって気丈に言い返そうとする龍を、つやが再びやんわりと制止する。
その声に、龍は険しい表情を浮かべながら振り返るが、つやが無言で首を縦に振るのを見て、きゅっと唇を噛んだ。
「……かしこまりました、母様」
顔に不安と不満をありありと浮かべながらも、そう言って母に向けて首を垂れた龍は、最後にもう一度心配そうにつやを見てから、家臣に促されながら無言で退室していった。
「……さて」
龍が部屋を出て行ったのを横目で見ていた琴は、小さく息を吐いてそう呟くと、今度はつやを背中で守るようにぴったりと寄り添った侍女に目を向ける。
そして、見下しきった声で冷たく命じた。
「お前も出て行きなさい」
「……」
だが、侍女は、まるで琴の声が聞こえていないかのように押し黙ったまま、つやの傍らから微動だにしない。
そんな侍女の態度に、琴の顔が険しくなった。
「……聞こえなかったのですか? この部屋から出て行きなさい」
「……」
「出て行きなさいと言っている! 今すぐ!」
「……」
琴の怒声を浴びても、侍女は相変わらず動かない。
ただ、琴にその子猿のような顔を真っ直ぐ向けたまま、沈黙し続けていた。
その侍女の太々しい態度に目を吊り上げた琴は、真っ直ぐに伸ばした指を突きつけ、背後に立つ家臣たちに鋭い声で命じる。
「お前たち! このうつけ者を部屋から引きずり出しなさい! ……いいえ、いっそ、この場で斬り捨て――」
「琴殿!」
「ッ!」
琴の苛立ち混じりの絶叫を、凛とした声が鋭く遮った。
その声に、琴と家臣たちはびくりと身を震わせる。
傍らに置いた刀を握り、腰を浮かせたつやは、琴と家臣たちに油断の無い視線を向けながら、静かな声で言った。
「この者は、私の……いえ、岩村遠山に仕える者です。苗木遠山の者である貴女に指図されたり……ましてや斬り捨てられる謂れはありません!」
「う……」
「それとも――」
つやは、一瞬怯んだ琴を睨めつけると、低い声で更に言葉を続けた。
「苗木遠山は、本家である岩村遠山に弓を引こうというおつもりですか? それが……苗木遠山家の当主である勘太郎殿の意向であるという事なのですか?」
「ぐ……」
つやの鋭い問いかけに、琴は返事に窮するように言い淀む。
そして、悔しげに紅を引いた唇を固く噛みながら、侍女に突きつけていた指を下ろすと、隠しきれぬ敵意に満ちた目を向けて言った。
「……分かりました。では、その猿面女は、そのままでいいです。その代わり――」
そこで一旦口を閉じた琴は、背後に立つ甲冑姿の家臣たちを横目で示しながら言葉を継ぐ。
「私の方も、家臣たちをこのまま同席させる事とします。それで宜しいですね、叔母上?」
「……ええ、私はそれで構いません」
琴の念押しにあっさりと頷いたつやは、探るような目を向けながら尋ねた。
「――それでは、お伺いしましょう。貴女の“愉しいお話”とやらを」
母親の声を耳にした龍は、驚きながらも嬉しそうに顔を綻ばせ、両手をついて深々と頭を下げる。
だが、
「母さ……ま……?」
伏せていた顔を上げて、鮮やかな色合いの打掛を身に纏った母を見た途端、彼女の表情は凍りついた。
いつもは本丸御殿に引き籠っていてる琴が、わざわざ客人に会う為だけに二の丸まで下りてきたのは珍しい事ではあったが、客人が自分の叔母であり義兄嫁でもあるつやならば、そんなに不自然な事ではない。
琴が表情を強張らせたのは、そのせいではなく、彼女の後ろに続いて無遠慮に侵入ってきた数人の甲冑を纏った武者の姿を見たからだった。
更に、そのうちのふたりが、甲冑が紅に染まるほどの夥しい返り血を浴びているのを見て、顔面を蒼白にする。
だが、龍は恐怖で唇を戦慄かせながらも、気丈な声を上げた。
「な、何なのですか、お前たちは! つや様のお部屋に、そのような物々しい格好で……っ! そ、それに、その返り血は――」
「――たつ」
「……ッ!」
武者たちへの詰問を、冷たい響きを湛えた声で遮られた龍は、当惑した表情で、自分の母に問いかける。
「か、母様……? な、何があったのですか? この者たちは……そ、それに……その血は、誰の――」
「貴女には関係の無い事です」
自分に向けられた龍の問いを、先ほどと同じ素っ気ない声で断ち切った琴は、目配せで退室を促した。
「さあ、たつ。貴女は本丸御殿へお戻りなさい」
「で、ですが……母さ――」
「戻りなさい」
食い下がる龍に向けて、氷のように冷え切った声で命じる琴。
その声に応じるように、甲冑を纏った家臣のひとりが、龍を力づくで退室させようと、彼女に向けて足を踏み出した。
「ひ――ッ!」
近づいた武者の面頬の間から覗く血走った目に、龍は一瞬恐怖で身を縮こまらせたものの、すぐにキッと眦を上げると、母親の怜悧な貌を真っ直ぐに見返す。
「も、戻りません! 母様がつや様に何をするつもりなのか、わたしには分かりかねまするが、そのような物騒な装いをした者どもを引き連れている以上、良い事だとは到底思えませぬ! それなのに、つや様ひとりを残したまま、本丸御殿に戻る事など、わたしには断じてできま――」
「……龍殿」
――声を上ずらせながらも、毅然とした態度で母親に抗する龍の肩にそっと手を置いたのは、つやだった。
彼女は、穏やかな微笑みを浮かべながら、龍に向けて軽く頭を振り、諭すように言葉を継ぐ。
「私の事を慮ってくれている貴女の気持ちは、とても嬉しいです。ですが、ここは琴殿――貴女の母上様の言葉に従うのです」
「で、ですが……つや様……」
つやの言葉を聞いた龍は、母の背後に立つ甲冑武者たちに怯えた目を向けながら、不安げな声を上げた。
そんな彼女に「大丈夫です」と言ったつやは、つと琴の方に目を向け、念を押すように尋ねかける。
「ですよね? 琴殿」
「ええ……もちろんです」
琴は、つやの鋭い眼差しを受けながらも、気圧される様子も無く、口元に酷薄な薄笑みさえ浮かべながら頷いた。
「私は、久しぶりにお会いした叔母上と愉しくお話をしたいだけです。それなのに、娘の貴女に信用されず、そのように警戒されるのは哀しいですわね」
「……愉しくお話をしたいだけなら、なぜおひとりで参られなかったのですか? そのような血腥い者どもを多数引き連れておきながら、信用されなくて哀しいとは――」
「龍殿」
母親に向かって気丈に言い返そうとする龍を、つやが再びやんわりと制止する。
その声に、龍は険しい表情を浮かべながら振り返るが、つやが無言で首を縦に振るのを見て、きゅっと唇を噛んだ。
「……かしこまりました、母様」
顔に不安と不満をありありと浮かべながらも、そう言って母に向けて首を垂れた龍は、最後にもう一度心配そうにつやを見てから、家臣に促されながら無言で退室していった。
「……さて」
龍が部屋を出て行ったのを横目で見ていた琴は、小さく息を吐いてそう呟くと、今度はつやを背中で守るようにぴったりと寄り添った侍女に目を向ける。
そして、見下しきった声で冷たく命じた。
「お前も出て行きなさい」
「……」
だが、侍女は、まるで琴の声が聞こえていないかのように押し黙ったまま、つやの傍らから微動だにしない。
そんな侍女の態度に、琴の顔が険しくなった。
「……聞こえなかったのですか? この部屋から出て行きなさい」
「……」
「出て行きなさいと言っている! 今すぐ!」
「……」
琴の怒声を浴びても、侍女は相変わらず動かない。
ただ、琴にその子猿のような顔を真っ直ぐ向けたまま、沈黙し続けていた。
その侍女の太々しい態度に目を吊り上げた琴は、真っ直ぐに伸ばした指を突きつけ、背後に立つ家臣たちに鋭い声で命じる。
「お前たち! このうつけ者を部屋から引きずり出しなさい! ……いいえ、いっそ、この場で斬り捨て――」
「琴殿!」
「ッ!」
琴の苛立ち混じりの絶叫を、凛とした声が鋭く遮った。
その声に、琴と家臣たちはびくりと身を震わせる。
傍らに置いた刀を握り、腰を浮かせたつやは、琴と家臣たちに油断の無い視線を向けながら、静かな声で言った。
「この者は、私の……いえ、岩村遠山に仕える者です。苗木遠山の者である貴女に指図されたり……ましてや斬り捨てられる謂れはありません!」
「う……」
「それとも――」
つやは、一瞬怯んだ琴を睨めつけると、低い声で更に言葉を続けた。
「苗木遠山は、本家である岩村遠山に弓を引こうというおつもりですか? それが……苗木遠山家の当主である勘太郎殿の意向であるという事なのですか?」
「ぐ……」
つやの鋭い問いかけに、琴は返事に窮するように言い淀む。
そして、悔しげに紅を引いた唇を固く噛みながら、侍女に突きつけていた指を下ろすと、隠しきれぬ敵意に満ちた目を向けて言った。
「……分かりました。では、その猿面女は、そのままでいいです。その代わり――」
そこで一旦口を閉じた琴は、背後に立つ甲冑姿の家臣たちを横目で示しながら言葉を継ぐ。
「私の方も、家臣たちをこのまま同席させる事とします。それで宜しいですね、叔母上?」
「……ええ、私はそれで構いません」
琴の念押しにあっさりと頷いたつやは、探るような目を向けながら尋ねた。
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