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第二部四章 衝突
城と湊
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苗木城を出た武田軍は、木曽川沿いに街道を進み、途中に点在する斎藤方の砦を次々と落としていった。
順調に西進する彼らが目指していたのは、可児郡兼山 (現在の岐阜県可児市)に築かれた山城・烏峰城だった。
烏峰城は、天文六年 (西暦1537年)に、斎藤道三の養子である斎藤正義が築いた、主郭・二の丸・三の丸を備えた山城である。
木曽川の南岸に聳える古城山の山頂に築かれた烏峰城は、築城者である斎藤正義の居城だったが、天文十七年(西暦1548年)に、城から一里 (約4キロメートル)ほど離れた距離にある久々利城の城主・土岐悪五郎こと久々利頼興によって正義が討たれた後は、土岐十郎左衛門が留守代を務めていた。
中美濃に広がる濃尾平野の東端に位置している烏峰城は、東美濃から攻め込む際に立ち塞がる最初の障壁であると同時に、ここを掌握すれば斎藤家の本拠である稲葉山城 (現在の岐阜県岐阜市)に侵攻する際の足掛かりになるという戦略上重要な拠点で、美濃全土の掌握を目指す武田家としては是が非でも手に入れたい地である。
――だが、武田家がこの地を欲する理由は、それだけでは無かった。
烏峰城の北を流れる木曽川。その川岸で大いに栄えているのが、兼山湊だった。
兼山湊は、鎌倉時代頃から存在していた川湊だったが、烏峰城築城の際に、資材搬入拠点として整備されて以来目覚ましい発展を続け、今では木曽川上流域で唯一の商用河湊として大いに栄えていた。
湊が栄えるという事は、多くの物資や人が集まるという事である。
交易の商人が集まれば、市が立ち、市が上げる利益の一部を徴税し、また、入ってくる物資に関税を掛ける事で、湊を掌握した領主は莫大な利益を得る事が出来る。
――つまり、戦略的見地だけに留まらず、経済的見地から見ても、兼山湊を懐に抱える烏峰城は武田家にとって手に入れる価値が大いにある地だったのである。
――無論、それは烏峰城を現有している斎藤家にとっても同じ事だった。
その為、武田信繁が率いる武田軍が、苗木城を出て烏峰城に向かうと知った斎藤家当主・斎藤龍興は、領内から兵を掻き集めると、故あって謹慎していた家臣・安藤伊賀守守就を呼び戻して総大将に任じ、兼山の地の防衛を命じた。
命を受けた安藤守就は、龍興の祖父である斎藤道三の時代から仕え、稲葉良通・氏家直元と並んで“西美濃三人衆”と称された股肱の臣である。
だが、龍興との仲は険悪で、先年の永禄七年 (西暦1564年)には、娘婿と共に一計を案じて龍興の居城である稲葉山城を乗っ取った。
だが、この行動は、龍興に対する謀反ではなく、あくまで主君を諫める為に起こしたものであり、守就は半年ほど城を占拠した後に主君へ城を無傷で返還し、その後は出家して自主的に謹慎していたのである。
もちろん、龍興としては、謀反まがいの真似をした守就を、武田軍迎撃の総大将として復帰させる事に内心抵抗があった。
だが、良通や直元は南の織田や西の浅井への備えとして各所に配置している為に動かせず、他に武田軍を撃退する大役を任せるに足る実績を持つ将もいなかった為、謹慎中の守就を召し出さざるを得なかったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
謹慎先の寺から、僧衣のままで稲葉山城の本丸御殿まで呼び出され、仏頂面の龍興から兼山防衛の任を命じられた守就は、眉ひとつ動かさず、「畏まり申した」と、淡々と応諾した。
そして、龍興の小姓から渡された将兵の目録を一読した彼は、やにわに威儀を正すと、
「――畏れながら」
と、主に向かって切り出した。
そんな彼の顔をジロリと睨んだ龍興は、
「なんだ、六千では不服か?」
と、苛立ち混じりの声を上げ、手にした扇で床を打つ。
「致し方ないであろう? これでも、出来得る限りの兵を掻き集めたのだ。これ以上は一兵たりとも出せぬぞ。この稲葉山を守る兵が手薄になってしまう。それに……」
――『お主に大軍を任せて、また去年のように城へと攻め込まれてはかなわぬからな』――そう皮肉を言いかけた龍興だったが、さすがに言葉が過ぎると自重した。
「いえ……」
そんな主君の本音を薄々察しながらも、守就は気付かぬ顔をして静かに頭を振る。
「兵は、これだけで充分で御座る。ただ――」
「ただ……何じゃ?」
意味深げな守就の言葉に焦れながら、龍興は語気荒く訊き返した。
そんな、怒気を帯びる主君の顔をじっと見据えながら、守就は目録を指さして言う。
「願わくば、この者たちの中に、もう一名を加えとう御座ります」
「もう一名……?」
守就の言葉に、龍興は訝しげに眉を顰め、乱暴に首を横に振った。
「ならぬ。先ほども言うたであろう? これ以上は、ただの一人たりとも割けぬとな」
「割く必要は御座らん」
「……何?」
龍興は、守就の答えに当惑し、思わず首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「……拙者が此度の軍に加えたいと申したのは――」
守就は、主君の顔を挑みかかるように見ながら、ゆっくりと言葉を継いだ。
「我が娘婿殿――」
「なっ……!」
龍興の顔が、守就の答えを聞いた瞬間、激しい感情で大きく歪む。
そして、怒気と狼狽が入り混じって赤黒くなった顔で、激しく声を荒げた。
「ならぬっ! 絶対にならぬぞ! あの男を軍に加える事など、断じて罷りならぬッ! そもそも、あの男は――!」
「殿ッ!」
怒りで取り乱す龍興を、守就は鋭い声で一喝する。
そして、その声に気圧されて体を硬直させた主君に向け、諭すように言った。
「此度の敵――武田左馬助信繁は、猛者ぞろいの武田家中の中でも指折りの戦巧者との話に御座ります。無論、単純に正面きってぶつかるだけであれば、我が軍が武田の兵に後れを取る事などありませぬが、それでは当方にも少なからぬ損害が生じましょう」
そう言った守就は、還暦を超えてすっかり白くなった顎髭を指で撫で、それから更に言葉を継ぐ。
「ですが――あの男の智略を以てすれば、より少ない損害で武田軍を撃退する事が可能かと存じまする。……もちろん、殿の御怒りは尤もな事かと存じまするが、ここはひとつ御寛恕を――」
「ならぬ!」
守就の説得にも、龍興は頑なに首を左右に振った。
「あの女面男に頼るなど、死んでも御免だ!」
「……なれば」
龍興の癇癪声にそう答えた守就は、静かに両手に拳をつくと、深々と頭を下げる。
「大変申し訳御座らぬが、此度の御命は受けかね申す。何卒、他の者に御命じ頂きたい」
「ぐ……伊賀……おのれ……!」
平伏する守就の剃髪した頭を憎々しげに睨みつけながら、龍興は悔しげに臍を噛むのだった。
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――だが、武田家がこの地を欲する理由は、それだけでは無かった。
烏峰城の北を流れる木曽川。その川岸で大いに栄えているのが、兼山湊だった。
兼山湊は、鎌倉時代頃から存在していた川湊だったが、烏峰城築城の際に、資材搬入拠点として整備されて以来目覚ましい発展を続け、今では木曽川上流域で唯一の商用河湊として大いに栄えていた。
湊が栄えるという事は、多くの物資や人が集まるという事である。
交易の商人が集まれば、市が立ち、市が上げる利益の一部を徴税し、また、入ってくる物資に関税を掛ける事で、湊を掌握した領主は莫大な利益を得る事が出来る。
――つまり、戦略的見地だけに留まらず、経済的見地から見ても、兼山湊を懐に抱える烏峰城は武田家にとって手に入れる価値が大いにある地だったのである。
――無論、それは烏峰城を現有している斎藤家にとっても同じ事だった。
その為、武田信繁が率いる武田軍が、苗木城を出て烏峰城に向かうと知った斎藤家当主・斎藤龍興は、領内から兵を掻き集めると、故あって謹慎していた家臣・安藤伊賀守守就を呼び戻して総大将に任じ、兼山の地の防衛を命じた。
命を受けた安藤守就は、龍興の祖父である斎藤道三の時代から仕え、稲葉良通・氏家直元と並んで“西美濃三人衆”と称された股肱の臣である。
だが、龍興との仲は険悪で、先年の永禄七年 (西暦1564年)には、娘婿と共に一計を案じて龍興の居城である稲葉山城を乗っ取った。
だが、この行動は、龍興に対する謀反ではなく、あくまで主君を諫める為に起こしたものであり、守就は半年ほど城を占拠した後に主君へ城を無傷で返還し、その後は出家して自主的に謹慎していたのである。
もちろん、龍興としては、謀反まがいの真似をした守就を、武田軍迎撃の総大将として復帰させる事に内心抵抗があった。
だが、良通や直元は南の織田や西の浅井への備えとして各所に配置している為に動かせず、他に武田軍を撃退する大役を任せるに足る実績を持つ将もいなかった為、謹慎中の守就を召し出さざるを得なかったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
謹慎先の寺から、僧衣のままで稲葉山城の本丸御殿まで呼び出され、仏頂面の龍興から兼山防衛の任を命じられた守就は、眉ひとつ動かさず、「畏まり申した」と、淡々と応諾した。
そして、龍興の小姓から渡された将兵の目録を一読した彼は、やにわに威儀を正すと、
「――畏れながら」
と、主に向かって切り出した。
そんな彼の顔をジロリと睨んだ龍興は、
「なんだ、六千では不服か?」
と、苛立ち混じりの声を上げ、手にした扇で床を打つ。
「致し方ないであろう? これでも、出来得る限りの兵を掻き集めたのだ。これ以上は一兵たりとも出せぬぞ。この稲葉山を守る兵が手薄になってしまう。それに……」
――『お主に大軍を任せて、また去年のように城へと攻め込まれてはかなわぬからな』――そう皮肉を言いかけた龍興だったが、さすがに言葉が過ぎると自重した。
「いえ……」
そんな主君の本音を薄々察しながらも、守就は気付かぬ顔をして静かに頭を振る。
「兵は、これだけで充分で御座る。ただ――」
「ただ……何じゃ?」
意味深げな守就の言葉に焦れながら、龍興は語気荒く訊き返した。
そんな、怒気を帯びる主君の顔をじっと見据えながら、守就は目録を指さして言う。
「願わくば、この者たちの中に、もう一名を加えとう御座ります」
「もう一名……?」
守就の言葉に、龍興は訝しげに眉を顰め、乱暴に首を横に振った。
「ならぬ。先ほども言うたであろう? これ以上は、ただの一人たりとも割けぬとな」
「割く必要は御座らん」
「……何?」
龍興は、守就の答えに当惑し、思わず首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「……拙者が此度の軍に加えたいと申したのは――」
守就は、主君の顔を挑みかかるように見ながら、ゆっくりと言葉を継いだ。
「我が娘婿殿――」
「なっ……!」
龍興の顔が、守就の答えを聞いた瞬間、激しい感情で大きく歪む。
そして、怒気と狼狽が入り混じって赤黒くなった顔で、激しく声を荒げた。
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「殿ッ!」
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「ならぬ!」
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「あの女面男に頼るなど、死んでも御免だ!」
「……なれば」
龍興の癇癪声にそう答えた守就は、静かに両手に拳をつくと、深々と頭を下げる。
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