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第二部四章 衝突
縄と罠
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柵を越えて斎藤軍の陣内に押し入り、地面に仕込まれた罠にまんまと嵌った諏訪衆たちは、彼らを待ち構えるように展開した敵の鉄砲隊の斉射を浴びた。
「ヒヒ――ンッ!」
「うわああっ!」
「うごぉ……っ!」
「がああああああっ!」
百雷の如き銃声と共に馬の悲痛な鳴き声があちこちで上がり、それに続いて、地響きのような低音と男たちの悲鳴や呻き声が巻き起こる。
言うまでもなく、それは斎藤兵が撃った火縄銃の弾に身体を貫かれた馬たちが断末魔を上げながら地面に倒れる音と、それによって乗騎の背から投げ出された諏訪衆の騎馬武者たちが地面に転落する音と声だった。
そう――今の一斉射。斎藤軍の鉄砲兵は、敵の諏訪衆ではなく、彼らを乗せている馬の方を狙って発砲したのである。
疾駆している騎馬武者に火縄銃の弾を当てるのは至難の業だ。それを踏まえて、斎藤軍の軍師・竹中半兵衛は一計を案じ、昨夜のうちに総大将である安藤守就に伝えていた。
その一計とは、八百津から兼山へと続く平地の一番狭隘な箇所を塞ぐように一重の柵と空堀を築く事。そして、柵の一部分を、敢えて横木ではなく太縄を渡す形で築く事であった――。
――昨晩、
「……何故、太縄で柵を築く箇所を作るのだ? 武田の騎馬隊の突進を防ぐ為なら、全て横木にした方が良いのではないか? 太縄では、すぐに徒歩の兵によって切り落とされ、柵の役目を果たさなくなると思うが?」
村長の屋敷の一室で策の内容を聞かされた安藤守就は、当然の疑問を口にした。
そんな彼の問いに、策を伝えた竹中半兵衛は、穏やかな笑みを浮かべながら頷く。
「ええ、安藤様の仰る事は御尤も。武田方も、同じように考えましょう」
そう答えた半兵衛だったが、すぐに「……ですから」と言葉を継いだ。
「それを逆手に取ります」
「逆手に……だと?」
半兵衛の言葉を聞いた守就は、訝しげに眉を顰めながら訊き返した。
そんな彼に小さく頷いた半兵衛は、静かな声で言葉を継ぐ。
「当然ですが、横木を組んだ強固な柵があっては、騎馬での通過は困難です。かといって、柵の排除を待って馬の脚を止めてしまっては、騎馬隊の長所を活かせません。それどころか、柵の前で脚を止めていればいる程、当方が柵越しに放つ鉄砲と弓の良い的になるばかりです」
「うむ……」
守就は、半兵衛の言葉に、同意を示すように頷いた。
それを見て、僅かに口元を綻ばせた半兵衛は、おもむろに手元の碁笥から黒の碁石を数個取り出す。
「当然、武田軍もそれは解るでしょうから、迂闊にこちらへ攻め寄せては参らず、暫しの間睨み合う事になりましょう。……そうなっては、些か困るところがございまして」
そう意味深に言いながら、板床の上に黒の碁石を横一文字に並べた半兵衛は、今度は閉ざされた襖に目を遣った。
そして、建付けが悪くて僅かに開いた隙間から見える、雲のかかった夜空を一瞥してから、再び口を開く。
「――ですから、武田軍には早めに攻めかかって来てもらいたい。そう仕向ける為に、柵の一部にわざと隙を作るのです」
「柵の太縄の部分が、その“隙”だという事か」
「はい」
守就の言葉に頷いた半兵衛は、今度は白い碁石をひとつ手に取ると、横一列に並ぶ黒の碁石たちの真ん中の隙間に置いた。
「当方の思惑通り、太縄の柵を“隙”と見た武田軍は、その隙目がけて突進してくるはずです。まるで、地面に落ちた米粒に群がる蟻のように」
「……お前の言わんとしている事が、解った気がする」
そう呟いた守就は、腰に差していた扇子を抜くと、その先端で半兵衛の前に並んでいた城の碁石を弾く。
「こうやって、敢えて太縄の部分を破らせるのだな。そして、武田の騎馬衆が一塊となって我が方の陣の中へ侵入するように仕向け――その先に罠を仕掛けておく……」
「御明察」
半兵衛は、守就の言葉にニコリと微笑み、小さく頷いてみせた。
そして、横一列に並べた黒の碁石の手前側に、白の碁石を不規則に置く。
「このように、柵から侵入して五間 (約十メートル)ほどのところに、下草に隠れるくらいの高さに杭をいくつも打ち込み、その間に綱を張っておくのです。馬が脚を取られて転倒するように」
「そこに敵を誘い込む為の太縄か……」
「はい」
唸るように呟いた守就に、半兵衛は小さく頷いた。
「もちろん、柵の内に誘い込んだだけでは足りません。柵を破られて逃げ惑うように見せかけて、罠を張った場所まで武田軍を上手く誘導する必要がございます」
「その役目は、兵助 (猪子高就)に任せれば良かろう。まだ若いが、目端が利く奴だからな」
「私も、そう申し上げようと思っておりました」
守就の言葉に口元を緩めて同意を示した半兵衛は、不規則に並べた白の碁石を指さし、更に言葉を継ぐ。
「罠にかかって転倒した馬と武田兵たちは、そのまま後に続く兵たちへの障害となり、嵩にかかって陣内に侵入した武田衆は足止めを余儀なくされます。その機を逃さず、足が止まった馬たちに向けて一斉に鉄砲を放てば――」
「動いている敵を撃つよりも、ずっと容易く弾を中てる事が出来る……という訳だな」
半兵衛の説明に納得顔で頷いた守就だったが、ふと首を傾げた。
「……だが、乗っている武田兵ではなく、馬の方を撃つのか?」
「上に乗っている武者よりも、馬の方が的が大きいですから」
涼しい顔でそう答えた半兵衛は、傍らの木碗を手に取り、中の茶を一口啜って喉を潤す。
そして、懐紙で口元を拭い、形の良い口元に冷たい笑みを浮かべた。
「如何に一騎当千の武田の騎馬隊といえど、一度馬から落としてしまえば、徒歩武者と同じです。馬上の敵を火縄銃で仕留めるのも、地面に落ちた者を長槍で仕留めるのも、敵の命を奪う事には変わりありません。――でしたら、より確実で簡単な方を選ぶ方が効率的かと」
「ヒヒ――ンッ!」
「うわああっ!」
「うごぉ……っ!」
「がああああああっ!」
百雷の如き銃声と共に馬の悲痛な鳴き声があちこちで上がり、それに続いて、地響きのような低音と男たちの悲鳴や呻き声が巻き起こる。
言うまでもなく、それは斎藤兵が撃った火縄銃の弾に身体を貫かれた馬たちが断末魔を上げながら地面に倒れる音と、それによって乗騎の背から投げ出された諏訪衆の騎馬武者たちが地面に転落する音と声だった。
そう――今の一斉射。斎藤軍の鉄砲兵は、敵の諏訪衆ではなく、彼らを乗せている馬の方を狙って発砲したのである。
疾駆している騎馬武者に火縄銃の弾を当てるのは至難の業だ。それを踏まえて、斎藤軍の軍師・竹中半兵衛は一計を案じ、昨夜のうちに総大将である安藤守就に伝えていた。
その一計とは、八百津から兼山へと続く平地の一番狭隘な箇所を塞ぐように一重の柵と空堀を築く事。そして、柵の一部分を、敢えて横木ではなく太縄を渡す形で築く事であった――。
――昨晩、
「……何故、太縄で柵を築く箇所を作るのだ? 武田の騎馬隊の突進を防ぐ為なら、全て横木にした方が良いのではないか? 太縄では、すぐに徒歩の兵によって切り落とされ、柵の役目を果たさなくなると思うが?」
村長の屋敷の一室で策の内容を聞かされた安藤守就は、当然の疑問を口にした。
そんな彼の問いに、策を伝えた竹中半兵衛は、穏やかな笑みを浮かべながら頷く。
「ええ、安藤様の仰る事は御尤も。武田方も、同じように考えましょう」
そう答えた半兵衛だったが、すぐに「……ですから」と言葉を継いだ。
「それを逆手に取ります」
「逆手に……だと?」
半兵衛の言葉を聞いた守就は、訝しげに眉を顰めながら訊き返した。
そんな彼に小さく頷いた半兵衛は、静かな声で言葉を継ぐ。
「当然ですが、横木を組んだ強固な柵があっては、騎馬での通過は困難です。かといって、柵の排除を待って馬の脚を止めてしまっては、騎馬隊の長所を活かせません。それどころか、柵の前で脚を止めていればいる程、当方が柵越しに放つ鉄砲と弓の良い的になるばかりです」
「うむ……」
守就は、半兵衛の言葉に、同意を示すように頷いた。
それを見て、僅かに口元を綻ばせた半兵衛は、おもむろに手元の碁笥から黒の碁石を数個取り出す。
「当然、武田軍もそれは解るでしょうから、迂闊にこちらへ攻め寄せては参らず、暫しの間睨み合う事になりましょう。……そうなっては、些か困るところがございまして」
そう意味深に言いながら、板床の上に黒の碁石を横一文字に並べた半兵衛は、今度は閉ざされた襖に目を遣った。
そして、建付けが悪くて僅かに開いた隙間から見える、雲のかかった夜空を一瞥してから、再び口を開く。
「――ですから、武田軍には早めに攻めかかって来てもらいたい。そう仕向ける為に、柵の一部にわざと隙を作るのです」
「柵の太縄の部分が、その“隙”だという事か」
「はい」
守就の言葉に頷いた半兵衛は、今度は白い碁石をひとつ手に取ると、横一列に並ぶ黒の碁石たちの真ん中の隙間に置いた。
「当方の思惑通り、太縄の柵を“隙”と見た武田軍は、その隙目がけて突進してくるはずです。まるで、地面に落ちた米粒に群がる蟻のように」
「……お前の言わんとしている事が、解った気がする」
そう呟いた守就は、腰に差していた扇子を抜くと、その先端で半兵衛の前に並んでいた城の碁石を弾く。
「こうやって、敢えて太縄の部分を破らせるのだな。そして、武田の騎馬衆が一塊となって我が方の陣の中へ侵入するように仕向け――その先に罠を仕掛けておく……」
「御明察」
半兵衛は、守就の言葉にニコリと微笑み、小さく頷いてみせた。
そして、横一列に並べた黒の碁石の手前側に、白の碁石を不規則に置く。
「このように、柵から侵入して五間 (約十メートル)ほどのところに、下草に隠れるくらいの高さに杭をいくつも打ち込み、その間に綱を張っておくのです。馬が脚を取られて転倒するように」
「そこに敵を誘い込む為の太縄か……」
「はい」
唸るように呟いた守就に、半兵衛は小さく頷いた。
「もちろん、柵の内に誘い込んだだけでは足りません。柵を破られて逃げ惑うように見せかけて、罠を張った場所まで武田軍を上手く誘導する必要がございます」
「その役目は、兵助 (猪子高就)に任せれば良かろう。まだ若いが、目端が利く奴だからな」
「私も、そう申し上げようと思っておりました」
守就の言葉に口元を緩めて同意を示した半兵衛は、不規則に並べた白の碁石を指さし、更に言葉を継ぐ。
「罠にかかって転倒した馬と武田兵たちは、そのまま後に続く兵たちへの障害となり、嵩にかかって陣内に侵入した武田衆は足止めを余儀なくされます。その機を逃さず、足が止まった馬たちに向けて一斉に鉄砲を放てば――」
「動いている敵を撃つよりも、ずっと容易く弾を中てる事が出来る……という訳だな」
半兵衛の説明に納得顔で頷いた守就だったが、ふと首を傾げた。
「……だが、乗っている武田兵ではなく、馬の方を撃つのか?」
「上に乗っている武者よりも、馬の方が的が大きいですから」
涼しい顔でそう答えた半兵衛は、傍らの木碗を手に取り、中の茶を一口啜って喉を潤す。
そして、懐紙で口元を拭い、形の良い口元に冷たい笑みを浮かべた。
「如何に一騎当千の武田の騎馬隊といえど、一度馬から落としてしまえば、徒歩武者と同じです。馬上の敵を火縄銃で仕留めるのも、地面に落ちた者を長槍で仕留めるのも、敵の命を奪う事には変わりありません。――でしたら、より確実で簡単な方を選ぶ方が効率的かと」
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