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第二部五章 応酬
喚声と喊声
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「そうか……」
前線から遣わされてきた使番から報せを聞いた安藤守就は、僅かに眉を顰めた。
「しくじりおったか、あの杉谷何某めが……」
そう呟いた守就は、座っていた床几から腰を上げ、相変わらず激しい雨が降り続ける空を見上げる。
「近江では名の知れた鉄砲撃ちという触れ込みだったらしいが、この豪雨の中で狙いが狂うたか。さしもの半兵衛の眼力を以てしても、力量を見誤ったという事か……」
と低い声で独り言ちる守就だったが、その顔に焦燥や落胆の色は無かった。むしろ、気持ちが吹っ切れたかのように不敵な薄笑みを浮かべている。
彼は、傍らに控えていた供廻りの手から自分の手槍を受け取りながら、鋭い声で使番に問うた。
「――で、現在の戦況は如何様になっておるっ?」
「はっ!」
守就の問いかけに、使番は威儀を正しながら答える。
「敵の勢い盛んなれど、当方も負けじと踏みとどまり、一進一退といったところです。特に、猪子殿の御働きは目ざましく、攻めかかってきた敵を押し返し、逆にニ十間 (約二十メートル)ほども攻め返した由に御座ります!」
「うむ」
使番の報告に頷いた守就は、手にした手槍を肩に担いで帷幕を潜り、膝をついて控えていた郎従たちに向けて叫んだ。
「馬引け!」
「はっ!」
彼の命を聞いた口取りが、直ちに彼の乗騎である栗毛の馬の轡を引いて前に出る。
引き出された乗騎の鐙に足をかけ、馬上の人となった守就は、居並んだ中備の面々に向けて声を張り上げた。
「者ども、聞け! 今までは守りに徹していたが、これより全軍を挙げて武田軍に攻めかかる!」
「「「「「っ!」」」」」
彼の言葉に、整然と並んだ斎藤軍の将兵たちの表情が引き締まる。
そんな彼らの顔に鋭い目を向けながら、守就は降りしきる豪雨の雨音に負けまいと更に声を張り上げた。
「皆、手柄を挙げるまたとなき機会じゃ! 命を惜しむな、名をこそ惜しめ! 美濃武者の強さと恐ろしさを、身の程知らずな甲斐の山猿どもへ存分に知らしめてやるのじゃ、良いな!」
「「「「「応ッ!」」」」」
守就の檄に、斎藤軍の将兵たちも怒涛の如き喚声で応える。
そんな配下をもう一度見回しながら満足げに頷いた守就は、総掛かりの命を下さんと、馬上で手槍を高々と振り上げた。
「では、皆の衆、参るぞ! 前すす――」
――が、彼の号令は、やにわに起こった法螺貝の音と幾十幾百もの喊声によって妨げられた。
しかも――、
「……な、何事だッ!」
予想だにしなかった方向から上がった戦声に、守就は狼狽の声を上げる。
もちろん、ここは戦場のただ中である。戦の音がなるのは当然の事だ。
だが――
「な……なぜじゃっ? なぜ、武田軍と激しく戦っている陣の前面からではなく、未だ戦闘状態に入っていないはずの後備から争う音が上がったのだッ?」
思わず自分の耳を疑いながら、守就は声を荒げる。
――と、その時、
「伝令――! 火急の伝令に御座る!」
後備の方から、一騎の騎馬武者が全速力で本陣へ駆け入ってきた。
彼は、飛び降りるようにして馬から下りると、ぬかるんだ地面の泥に塗れるのを気にしてる余裕も無い様子で守就の前に膝をつく。
「あ、安藤様ッ! い……一大事に御座ります!」
「どうしたッ!」
ただならぬ騎馬武者の様子に言い知れぬ不安を覚えながら、守就は苛立たしげに言った。
「何事じゃ! 後備で何が起こったッ?」
「て……」
守就の問いかけに、騎馬武者は上がった息を落ち着かせる暇も惜しむようにしながら、必死の形相で捲し立てる。
「て……てき……敵襲に御座りますッ!」
「な……何だとッ?」
騎馬武者の言葉に、守就は大きく目を剥いた。
「馬鹿なッ? そんな事はあり得ぬ!」
激しく頭を振りながら、守就は上ずった声で怒鳴る。
「敵の侵攻は、今も先備が押しとどめていて、中備にも届いておらぬ! なのに、何故その更に後ろに配置している後備に敵が襲いかかる事が出来たのだっ?」
「わ……分かりませぬ! 分かりませぬが……」
動揺を隠せぬ様子の守就の問いかけに、騎馬武者も取り乱しながら叫んだ。
「た、確かなのは、五間 (約十メートル)先も見通せぬほどの豪雨の中から突如として現れた敵兵が、鬨の声を上げながら攻めかかってきて……後備の兵たちは訳も分からぬまま……」
「訳が分からぬのは、こちらの方じゃ!」
要領を得ぬ騎馬武者の報告に業を煮やしながら、守就は苛立たしげに声を荒げる。
「よもや……武田の兵たちが空でも飛んで我らの陣を越え、後備に襲いかかったとでもいうのか……?」
守就は、到底あり得ない想像を頭に過ぎらせながら、呆然と頭上を見上げた。
と、そこへ、
「で、伝令――! 伝令に御座る!」
新たな報を携えた伝令が、息せき切って駆け込んでくる。
馬を下りて、守就の前に跪きながら頭を垂れた伝令は、後備の将からの要請を伝えた。
「て、敵勢によって、後詰めは大混乱に陥っております! で、出来得るならば、中備から助勢を乞いたく……」
「……分かっておる!」
懇願に近い要請にギリリと奥歯を嚙み締めながら、守就は吐き捨てるように応える。
そして、頭の中で戦力の配分を考えながら、伝令に問いかけた。
「で……敵の数は如何程じゃッ?」
「そ、それが……」
守就の問いに、伝令は言葉を詰まらせる。
「な、何分、この大雨のせいで視界が遮られてしまい、敵がどれほど居るのか正確には推し量れず……」
そう、言いにくそうに答えた伝令は、「……ですが!」と言葉を続けた。
「雨霞の向こうにぼんやりと見える旗印の数や、聴こえてくる喚声の数から考えて……少なくとも、千は下らぬかと……!」
「千……!」
伝令の言葉を聞いた守就は思わず顔を顰める。
千――決して多勢ではないが、小荷駄隊や補助戦力のみで構成されている後備だけで迎え撃つには手に余る数だ。
ましてや、この豪雨で視界と聴覚を著しく妨げられた状況では――。
「……何者だ?」
落ち着きなく顎髭を弄りながら、守就は尋ねた。
「後方に現れた武田の軍勢……指揮しているのは何者か……分かるか?」
「……はっ!」
守就の問いかけに、伝令はコクンと頷き、その答えを口にする。
「――その旗印から、武田信繁付の足軽大将……武藤喜兵衛昌幸の隊に間違いないとの由に御座ります!」
前線から遣わされてきた使番から報せを聞いた安藤守就は、僅かに眉を顰めた。
「しくじりおったか、あの杉谷何某めが……」
そう呟いた守就は、座っていた床几から腰を上げ、相変わらず激しい雨が降り続ける空を見上げる。
「近江では名の知れた鉄砲撃ちという触れ込みだったらしいが、この豪雨の中で狙いが狂うたか。さしもの半兵衛の眼力を以てしても、力量を見誤ったという事か……」
と低い声で独り言ちる守就だったが、その顔に焦燥や落胆の色は無かった。むしろ、気持ちが吹っ切れたかのように不敵な薄笑みを浮かべている。
彼は、傍らに控えていた供廻りの手から自分の手槍を受け取りながら、鋭い声で使番に問うた。
「――で、現在の戦況は如何様になっておるっ?」
「はっ!」
守就の問いかけに、使番は威儀を正しながら答える。
「敵の勢い盛んなれど、当方も負けじと踏みとどまり、一進一退といったところです。特に、猪子殿の御働きは目ざましく、攻めかかってきた敵を押し返し、逆にニ十間 (約二十メートル)ほども攻め返した由に御座ります!」
「うむ」
使番の報告に頷いた守就は、手にした手槍を肩に担いで帷幕を潜り、膝をついて控えていた郎従たちに向けて叫んだ。
「馬引け!」
「はっ!」
彼の命を聞いた口取りが、直ちに彼の乗騎である栗毛の馬の轡を引いて前に出る。
引き出された乗騎の鐙に足をかけ、馬上の人となった守就は、居並んだ中備の面々に向けて声を張り上げた。
「者ども、聞け! 今までは守りに徹していたが、これより全軍を挙げて武田軍に攻めかかる!」
「「「「「っ!」」」」」
彼の言葉に、整然と並んだ斎藤軍の将兵たちの表情が引き締まる。
そんな彼らの顔に鋭い目を向けながら、守就は降りしきる豪雨の雨音に負けまいと更に声を張り上げた。
「皆、手柄を挙げるまたとなき機会じゃ! 命を惜しむな、名をこそ惜しめ! 美濃武者の強さと恐ろしさを、身の程知らずな甲斐の山猿どもへ存分に知らしめてやるのじゃ、良いな!」
「「「「「応ッ!」」」」」
守就の檄に、斎藤軍の将兵たちも怒涛の如き喚声で応える。
そんな配下をもう一度見回しながら満足げに頷いた守就は、総掛かりの命を下さんと、馬上で手槍を高々と振り上げた。
「では、皆の衆、参るぞ! 前すす――」
――が、彼の号令は、やにわに起こった法螺貝の音と幾十幾百もの喊声によって妨げられた。
しかも――、
「……な、何事だッ!」
予想だにしなかった方向から上がった戦声に、守就は狼狽の声を上げる。
もちろん、ここは戦場のただ中である。戦の音がなるのは当然の事だ。
だが――
「な……なぜじゃっ? なぜ、武田軍と激しく戦っている陣の前面からではなく、未だ戦闘状態に入っていないはずの後備から争う音が上がったのだッ?」
思わず自分の耳を疑いながら、守就は声を荒げる。
――と、その時、
「伝令――! 火急の伝令に御座る!」
後備の方から、一騎の騎馬武者が全速力で本陣へ駆け入ってきた。
彼は、飛び降りるようにして馬から下りると、ぬかるんだ地面の泥に塗れるのを気にしてる余裕も無い様子で守就の前に膝をつく。
「あ、安藤様ッ! い……一大事に御座ります!」
「どうしたッ!」
ただならぬ騎馬武者の様子に言い知れぬ不安を覚えながら、守就は苛立たしげに言った。
「何事じゃ! 後備で何が起こったッ?」
「て……」
守就の問いかけに、騎馬武者は上がった息を落ち着かせる暇も惜しむようにしながら、必死の形相で捲し立てる。
「て……てき……敵襲に御座りますッ!」
「な……何だとッ?」
騎馬武者の言葉に、守就は大きく目を剥いた。
「馬鹿なッ? そんな事はあり得ぬ!」
激しく頭を振りながら、守就は上ずった声で怒鳴る。
「敵の侵攻は、今も先備が押しとどめていて、中備にも届いておらぬ! なのに、何故その更に後ろに配置している後備に敵が襲いかかる事が出来たのだっ?」
「わ……分かりませぬ! 分かりませぬが……」
動揺を隠せぬ様子の守就の問いかけに、騎馬武者も取り乱しながら叫んだ。
「た、確かなのは、五間 (約十メートル)先も見通せぬほどの豪雨の中から突如として現れた敵兵が、鬨の声を上げながら攻めかかってきて……後備の兵たちは訳も分からぬまま……」
「訳が分からぬのは、こちらの方じゃ!」
要領を得ぬ騎馬武者の報告に業を煮やしながら、守就は苛立たしげに声を荒げる。
「よもや……武田の兵たちが空でも飛んで我らの陣を越え、後備に襲いかかったとでもいうのか……?」
守就は、到底あり得ない想像を頭に過ぎらせながら、呆然と頭上を見上げた。
と、そこへ、
「で、伝令――! 伝令に御座る!」
新たな報を携えた伝令が、息せき切って駆け込んでくる。
馬を下りて、守就の前に跪きながら頭を垂れた伝令は、後備の将からの要請を伝えた。
「て、敵勢によって、後詰めは大混乱に陥っております! で、出来得るならば、中備から助勢を乞いたく……」
「……分かっておる!」
懇願に近い要請にギリリと奥歯を嚙み締めながら、守就は吐き捨てるように応える。
そして、頭の中で戦力の配分を考えながら、伝令に問いかけた。
「で……敵の数は如何程じゃッ?」
「そ、それが……」
守就の問いに、伝令は言葉を詰まらせる。
「な、何分、この大雨のせいで視界が遮られてしまい、敵がどれほど居るのか正確には推し量れず……」
そう、言いにくそうに答えた伝令は、「……ですが!」と言葉を続けた。
「雨霞の向こうにぼんやりと見える旗印の数や、聴こえてくる喚声の数から考えて……少なくとも、千は下らぬかと……!」
「千……!」
伝令の言葉を聞いた守就は思わず顔を顰める。
千――決して多勢ではないが、小荷駄隊や補助戦力のみで構成されている後備だけで迎え撃つには手に余る数だ。
ましてや、この豪雨で視界と聴覚を著しく妨げられた状況では――。
「……何者だ?」
落ち着きなく顎髭を弄りながら、守就は尋ねた。
「後方に現れた武田の軍勢……指揮しているのは何者か……分かるか?」
「……はっ!」
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