甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

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第二部六章 軍師

和与と攻城

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 八王子山に籠もっていた竹中半兵衛率いる斎藤軍が降った事で、木曽川に沿って西進して烏峰城に至った武田信繁隊と、岩村城で信繁隊と別れた後に美濃南東部の山地を越えながら西に進んできた馬場信春隊との合流を阻む障害は無くなった。
 先述したように、馬場信春隊は、数日前に烏峰城の南東に位置する久々利城を開城させており、まだそこかしこに斎藤方の兵が少数籠もる砦は残るものの、今や木曽川東岸における斎藤軍の主な拠点は烏峰城一城のみとなっており、残る烏峰城さえ落とせば、木曽川東岸より東側はほぼ武田の勢力圏となる。
 九月に甲斐躑躅ヶ崎館を発ってから一ヶ月以上にも及んだ此度の美濃攻略も、いよいよ大詰めに差し掛かっていた――。

 ◆ ◆ ◆ ◆

 それから数日後――。

「お久しゅうござる、典厩殿!」

 武田方の所属となった久々利城の差配を終えるや、自らの手勢三千を引き連れて信繁隊に合流した馬場美濃守信春が、豪快な声を上げながら烏峰城を囲む信繁隊の本陣に現れた。

「おう! お主の方こそ、息災で何よりだ、美濃よ!」

 満面の笑みを浮かべている信春の髭面を見て、床几に腰かけた信繁も相好を崩す。
 そんな彼に深々と頭を下げた信春は、彼が座る為の新しい床几を広げる昌幸に顔を向け、ニヤリと笑いかけた。

「おお、源五郎! お主も元気そうじゃな!」
「お陰様で……馬場さまもお変わりなく」

 信春から気さくに声をかけられた昌幸は、口元に微笑みを浮かべながら軽く会釈をする。

「久々利攻めをはじめとした数々の鮮やかな御手際、聞き及んでおります。流石は“鬼美濃”馬場様……」
「よせよせ! いつも小生意気な口ばかり叩きおるお主に褒められると、妙に落ち着かんわい!」

 昌幸の賛辞に軽口で返した信春だが、満更でもなさげに顔を綻ばせた。
 そして、用意された床几に腰を下ろしながら、昌幸に向かって言う。

「というか、そういうお主こそ大した働きぶりだったそうではないか! 聞いたぞ、苗木城の夜襲や、雨中での木曽川下りの件を!」
「あぁ……いやいや……」

 信春の飾り気のない褒め言葉に、昌幸は照れた様子で頭を掻いた。
 そんな彼の事を面白そうに眺めながら、信繁も頷く。

「いや、実際、目ざましき活躍だったぞ。もし昌幸が居らなかったら、此度の美濃攻めはこうも順調にはいかなかったに違いあるまい」
「て、典厩様まで……!」

 信繁の言葉に、昌幸は大いに恐縮した。
 主に褒めそやされた事がよっぽど嬉しかったのか、彼はパッと顔を上気させる。
 まるで処女おぼこのような彼の様子に思わず苦笑を浮かべた信春だったが、すぐに気を取り直すように表情を引き締めると、本陣の帷幕の向こうに見える小高い山に目を遣った。

「……残すは、この城だけですな」
「ああ……」

 信春の言葉に、信繁も小さく頷く。

「この烏峰城さえ落とせば、此度の美濃攻めの所期目的は遂げられる訳だが……どのように攻めるか、些か考えあぐねておってな」

 そう言うと、彼は難しい顔をして顎髭を撫でた。

「……無論、じっくりと時をかければ落城させる事は出来るだろうが……どうやら、そこまでの余裕は無いようなのだ」
「――ちょうど今日、今川家の援軍として三河に居られるお屋形様からのふみを携えた早馬が、に参りました」

 信繁に続いて、昌幸が口を開く。

「その文によると、どうやら遠江の方で大規模な一揆が発生した由。そのせいで、数日中に松平家康の本城である岡崎城を囲むところだった今川家は、急遽遠江に戻って一揆の鎮圧にあたらねばならなくなったようで……」

 そう言った昌幸が、悔しげに眉を顰める。

「……今は、松平との和与 (和睦)を進めている最中との事。早ければ、今頃はもう誓詞を交わしている頃やもしれませぬ」
「一揆……」

 昌幸の言葉を聞いた信春は、鋭い目で唸るように言った。

「それは、もしかすると……松平か織田が裏で――」
「恐らくな」

 信繁は、信春に小さく頷く。
 そして、小さく息を吐いてから言葉を継いだ。

「……いずれにせよ、和与が成れば、今川家の三河攻めは一先ず終わりだ。それはつまり、松平に助勢していた織田の軍の手が空くという事」
「成程……」

 信春は、信繁の言いたい事を悟って唸る。

「三河に出張っていた織田の兵の手が空けば、信長は我々の侵攻によって混乱の最中にある美濃に手を出そうとするに違いませぬな」
「そういう事だ」

 信繁は、顎に手を当てながら小さく頷いた。

「信長が動く前に、一日でも早く烏峰城を落として東濃の掌握を完全なものにし、守りを固めねばならぬ」
「……しかし、織田の目が西美濃斎藤家の方に向く可能性も御座いましょう」

 陣卓子の上に広げられた美濃周辺の地図を見下ろしながら、信春が言う。

「どちらかといえば、その可能性の方が濃厚でしょう。今の信長には、あえて斎藤と武田両方を相手取る理も余裕もありませぬ」
「うむ……」
「信長は、『舅である道三入道の仇』という大義名分を掲げ、既に斎藤家と何度も戦っております。対して、我が武田家との間にはそのような因縁は無く、まだ表向きには敵対まで到っておりませぬ」

 そう言うと、信春は信繁の顔をじっと見つめた。

「如何に信長が果敢といえども、同時に斎藤と武田を敵に回す事は避けましょう。まず一方を片付けてから、残る方に全力を注ごうと考えるに違いありませぬ。であれば、信長が先に噛みつくのは、既に明確な敵対関係にある斎藤の方かと……」
「はい。恐らく、馬場様のご推察通りになりましょう」

 今まで黙って聞いていた昌幸が、大きく頷く。

「だからこそ、この烏峰城を一日も早く落とさねばならぬのです」
「それは……何故に?」
「同時にふたつの敵を相手に取る不利は、斎藤も重々分かっておるはず。仇敵である織田が動けば、我らとは一先ず講和して、濃尾国境の守備を固めようとするでしょう」

 そう説きながら、昌幸は陣卓子の上の地図を指さした。

「……我らも、兵糧や弾薬に限りがあります故、これ以上西進するのは現実的ではありませぬ。ですから、ここで斎藤側から講和の打診が来るなら“渡りに船”といったところ。――ですが」
「その前に烏峰城を落とせねば、木曽川東岸に斎藤の大きな拠点を残す事になり、後々“目の上のたん瘤”になる……という事か」
「さすが馬場様。御明察に御座ります」

 馬場の言葉に、昌幸はニッコリ笑う。
 それに対し、「お主が言うと、些か小馬鹿にされたように聞こえるのう……」とボヤいて苦笑した信春は、おもむろに威儀を正し、

「――で、あれば」

 と、難しい顔をしている信繁に向けてニヤリと笑いかけた。

「本日、一緒に連れてきた者が、きっとお役に立つかと」
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