作家につかれた作家の話

朽縄咲良

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作家につかれた作家の話

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 その男は作家だった。
 ペンネームは、川江春輝。だが、その名前を知る人は、彼が原稿の持ち込みをする出版社の編集者以外には殆どいない。
 一言で言えば、『無名作家』だ。
 もちろん、その惨めな立場から脱却する為、彼は様々な努力をした。原稿の持ち込みは勿論、公募の文学賞には片っ端から応募し、ウェブのネット小説にも、著作をアップした。
 しかし、彼の涙ぐましい努力も、実を結ばなかった。如何に精力的な活動を行ったところで、肝心の彼の作品が、世間一般に対して、魅力あるものではなかったからだ。
 気がつけば、彼は四十路を超えていた。
 彼は、深く絶望し、衝動的にホームセンターで七輪と練炭とガムテープを買い求めた。
 家に帰った彼は、窓や扉をキッチリとガムテープで目張りし、練炭を入れた七輪を部屋の中心に置く。
 マッチを手にしたが、擦る勇気がどうしても出ない。散々逡巡した挙げ句、彼は遂にマッチを擦り――
 震える手で、タバコに火を点けた。
 紫煙を燻らせながら、彼は再び自裁への勇気を練り上げようとする……と、

『おいおい、早まりなさんな。死んだ所であの世むこうには何もないぞ』
「へ――?」

 誰も居ない筈の部屋の中から、突然話しかけられ、男は仰天した。
 目を凝らすと、紫煙の向こう側で、顎髭を蓄えた和装の老人が立っていた――半透明で。
 目張りした筈の部屋に音も無く侵入して、目の前に現れた半透明の老人――導き出される結論は、一つだ。

「――ゆ、幽霊……!」

 男は舌をもつらせながら、かすれた声でそう言うのが精一杯だった。

『なんじゃアンタ。作家の割には語彙が貧困じゃの』

 老人は、呆れ顔で言った。
 男は、その言葉に、頭に血が登った。

「ああ、そうだよ! これでも俺は作家だよ! 残念ながら売れない、な!」

 男は、堰を切った感情に任せて、老人に殴りかかる……が、その拳は、手応え無く、半透明の老人の身体を摺り抜ける。

「畜生!」

 吠える男は、マッチに手を伸ばす。

「ちょっと待ってろ! 今そっち側・・・・に行って、ぶん殴ってやるからな!」
『まあまあ、待ちなされ。ワシはお前にとって良い話を持ってきてやったんじゃぞ』

 自棄を起こして、練炭に火を点けようとする男を、老人は穏やかに制止する。

「……良い話……だと?」

 老人の話に、興味をそそられた男は、マッチを置き、ソファに腰を下ろす。
 老人は、口を開く。

『さて……ところでお前さん、ワシの顔に見覚えは無いかの?』
「…………さあ……」
『……お前さん、本当に作家の端くれか? 芥山あくたやま 石木せきぼくという名前に聞き覚えは無いか?』
「爺さん、俺をバカにしてるのか? ノーベル文学賞受賞作家の名前くらいは、小学生のガキでも知って……て……ま、まさか!」

 男は、やっと気が付いた。

「じ、爺さん……アンタ……いや、あなたは!」
『やれやれ、やっと気が付いたか』

 老人は、溜息をつくと、

『いかにも、ワシが芥山石木じゃ。……お前さんとある取引がしたくて、出てきた次第じゃ』

 と言った。

「取引……? あれか? 『願いを3つ叶える代わりに、お前の魂を寄越せ』とかいう……」
『ワシは悪魔ではないわい。……もっと簡単な事じゃ』
「簡単な事?」

 男の言葉に頷き、老人は言葉を続けた。

『知っとると思うが、ワシは事故で死んだ』
「確か、線路に落ちて轢かれたんだっけ?」
『左様。……ちょうどその時は、新作の構想を練っておる最中……しかも、その作品は、恐らく世に出れば、芥山石木の代表作となり得るに違いない傑作での』

 老人は、その時の事を思い出したのか、フルフルと首を振る。

『死んでしもうた後も、何とかこの頭の中の傑作を世に出したい……その一念で、成仏もできずに、この世を彷徨っておったのじゃ』
「……何となく話が見えてきたぞ」

 男は、頷き、その考えを口に出した。

「アンタは、傑作の構想を持っているが、ペンを握る実体が無い。俺は、生きていてペンを握れるが、傑作を生み出す発想が無い……」

 老人は、ニコリと笑って頷く。

「だから、アンタの構想を、俺が原稿にして発表する……そういう関係・・・・・・を構築したい……て事だろ?」
『作家の才能は薄そうだが、頭は悪くなさそうじゃの』

 老人は、愉快そうに顎髭をしごきながら言った。

『して……この話、お前さんは乗るかの?』

 男にその申し出を断る理由は無かった。


 一年後、『川江春輝』は、『第56回芥山賞受賞者』の名前として、広く世間に周知される事になる。
 審査員は、彼の受賞作を、言葉を尽くして絶賛した。
 曰く『どことなく古さを感じさせる文章だが、構成が秀逸』『かの芥山石木を彷彿とさせる、流麗な言葉回し』『今石木が、流星の如く現れた!』などなど……。
 男は一躍時の人となった。
 その後も、川江春輝の発表する作品は、その全てが絶賛の言葉と共に大ヒットした。
 10年経ち、川江春輝は、日本文壇の重鎮として押しも押されぬ存在になったのだった――。


 そんな飛ぶ鳥を落とす、川江の勢いに影が射したのは、『第66回芥山賞』の審査員長として参加したパーティーの後、彼が泊まるスイートルームでの出来事からだった。

「……おいおい! 冗談だろ? 石木さん……」

 川江は、老人の言葉に耳を疑った。

『冗談じゃないわい』

 老人は、力無く言う。

「……そろそろ成仏する、だと? そんな事、許す訳ねえだろ!」
『そう言われてものぉ……』

 老人は、困った顔で言う。

『お前さんのお陰で、ワシが生前温めておった作品の構想は、全て形となった。もう、この世に留まる理由が無くなってしもうたのじゃ。……未練が無くなれば、成仏する。……そこにワシの意思は関係ないんじゃ……』
「……そ、そんな……」

 川江は、へなへなと座り込んでしまった。
 と、老人の半透明の身体が、一段と薄くなる。

『うむ……いよいよお迎えが来たようじゃ』
「ま、待ってくれ、石木さん! アンタが居なくなったら、俺は……!」

 川江は、老人にすがり付こうとするが、最初に遭った時と同じく、腕は老人の半透明の身体をすり抜けてしまう。

『もう、ワシは居らんが……頑張るんじゃぞ。お主の書く文章も、荒削りじゃが、まあ悪くは無かったし、ワシとここまで一緒にやって来た経験がある……。ワシが居なくとも、きっと――』

 と、そこで、老人の身体は完全に消え失せた。
 川江は、誰も居なくなった部屋の中で、いつまでも嗚咽していた。

 その後の彼の人生は、悲惨だった。
 彼が自力で書いた作品は、今までとは似ても似つかぬ駄作ばかりで、文壇やマスコミから散々に叩かれまくった。
 曰く、『陳腐な昼ドラ』『大河小説の出来損ない』『目が滑る文章』『突飛な設定』『矛盾した心理描写』……。
 『第66回芥山賞授賞式』以前と以後の、あまりの作風の差から、遂には『ゴーストライター』疑惑まで飛び出す始末。
 尤も、ゴシップ誌や週刊誌が執拗に彼の周りを嗅ぎ回っても、ゴーストライターらしきの影や証拠は出てこなかった。
 ……流石のマスコミも、『本物の幽霊がゴーストライターをしていた』という事実は、想像だにできなかった。

 やがて、『川江春輝』という作家の存在自体が、文壇全体にとってアンタッチャブルなものとなり、彼の姿は表舞台から消え去ったのだった……。


 次に、彼の名が世間の話題になったのは、『芥山賞作家だった川江春輝が、自宅のアパートで孤独死した』という、小さなニュースだった。
 川江春輝の死に紐付く話題は、過去の傑作の事でも、「死の直前まで、原稿を書き続けた」という事実でも無く、過去のワイドショーの話題を総なめにした事実無根のゴーストライター疑惑の方だった……。

 川江の葬儀は、密やか……実に密やかに行われた。結婚もせず、子も成さなかった川江の葬儀に参列したのは、遠い親戚と、彼がかつて売れっ子だった頃に付いていた担当編集数名だけだった。

「……これが、川江さんの遺した最後の原稿……遺稿ですか……」

 葬儀後の精進落しの席で、遠縁の遺族によって持ち込まれた分厚い原稿用紙の束を前に、元担当編集達は苦笑いしていた。

「懐かしいですな。この下手く……個性的な文字。解読・・にえらく時間を取られたものです……」
「結局、この段落のクセは、最期まで直らなかった様ですね……」

 と、当時を懐かしみながら、軽い気持ちで、原稿の回し読みを始めた元担当編集達は――やがて、喋る事も忘れて原稿の文字を追う事に没頭し――読み終わる頃には、全員がその目から滂沱の如く流れる涙を抑えられなかった。

 その原稿は、元担当編集達の激しい争奪戦の後、直ぐに書籍化され――、これまで全ての作家の著作を遙かに上回る、史上最大のヒット作となったのだった。
 決して、芥山賞を受賞した頃の、流れるような美しい文章だった訳でも、秀逸なプロットを組み上げていた訳でもなく、素晴らしい結末で締められていた訳でも無い。
 寧ろ、その頃とは似ても似つかない、無骨な文章で稚拙な表現、そして救いの無い結末だったのだが……、文字の一つ一つから血を噴き出しそうな、気迫と執念と……怨念すら感じさせる文章が、読む人の心の奥底に深く深く食い込み、深いプリミティブな感動を与えるのだった。


 やがて、『川江春輝』という名は、時代を代表する文豪として、教科書に載る事になる。

 ――もちろん、彼の代表作は、芥山賞受賞から10年間に発表されたどの作品でもなく――、

 ――彼が最期に書き上げた、あの作品だった。
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