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プロローグそのニ 夜明け前――DEATH of SILVER

騎士団と傭兵団

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 半面を闇に沈めた「蒼き月」が西の空に沈もうというこの時間、満足な生態系も構成できないほど荒れ果てたこのバルサ山麓一帯は、墓場の土の中もかくやというような、重い沈黙に包まれているはずだった。

 しかし、この日に限っては、叫び声と馬の嘶き、蹄が石ころだらけの地面を蹴りつける地響きのような音、そして、金属がぶつかり、擦り合わされる音……様々な喧騒の只中にあった。
 漆黒の甲冑に身を包んだ精悍な騎士たちが、抜き放った剣を頭上に振り上げながら、騎馬を駆る。
 その前に十人ほどの徒歩かちの者が立ち塞がる。彼らは騎士たちとは正反対に、いずれも粗末な身なりの者たちばかりだった。普段着の上に申し訳程度に胴丸を付けていれば良い方、中には半裸に近い男もいる。持っている得物も、錆が浮いた剣か刃毀れしたナイフだ。
 騎士たちは騎馬の速度を落とすことなく、徒歩の男たちの壁に突っ込んだ。
 徒歩かちの男たちが騎士に殺到する。
 が、たちまち騎士の振るう剣によって、その身を朱に染められ、地に伏した。
 ――そんな光景が、荒れ果てた灰色の大地のいたる所で繰り広げられていた。


 「モラン隊が痺れを切らして、突撃命令の督促をしてきましたぞ。ワイマーレ閣下」

 騎士団の本隊――その中枢で、白い顎鬚を蓄えた老騎士が苦笑交じりの顔で報告した。

「しょうがない奴だな……」

 報告を受けた男もやれやれという顔で肩を竦めてみせた。

「まあ、モランの気持ちも分からんでもありません。自分の鼻先で、同僚にああも好き勝手に暴れられては……。血潮が沸き立って頭から噴き出す思いでしょうな」
「フフフ……確かにな」

 老騎士の言葉に、男も微笑を浮かべながら頷いた。

「今回の戦で、モランには戦場の中で辛抱する事を覚えてもらいたかったのだがな。……まあ、今回はよく我慢した方か」
「左様ですな……。では」
「うむ」

 ワイマーレ騎士団団長ロイ・ワイマーレは、大きく頷き、剣を抜いた。

「ただ今より、我らワイマーレ騎士団はダリア傭兵団に総攻撃をかける! 者ども、国王陛下の御為ぞ、存分に働くがよい!」

 騎士達の間から地響きのような歓声が上がり、くびきを解かれた狼の群れのように、前方に向かって駆け出した。
 向かう先には、粗末な装備しか持たない無頼たち――ダリア傭兵団の陣があった。とはいえ、それは“陣”というよりは“群れ”としか形容できないような、雑多な集団に過ぎなかったが……。
 彼らは明らかに狼狽していた。おのおの手にした武器を構えてみせたが、土石流の様な勢いで迫りくる完全装備の騎馬の前で、そんなものがどれ程の力になるだろうか。
 騎士団との最初の接触で、いともたやすく傭兵団の張った戦線は瓦解した。


 ――バルサ王国軍ワイマーレ騎士団団長、ロイ・ワイマーレ。

 彼が「バルサの餓虎」と呼ばれ、敵国から恐れられたのはもう一昔前のことだが、今もその牙は少しも抜け落ちてはいない。齢五十を超えた今でも、白馬に跨り、己の騎士団の働きを見守るワイマーレの堂々たる体躯からは、周囲を圧倒する気迫が満ち溢れている。

「あっけないものだな、バール」

 ワイマーレは、口髭をなでつけながら、傍らに控える老騎士に言う。

「左様で」

 バールは、老いた目で前方の戦況を見つめながら、主人の言葉に頷く。

「まあ、些か傭兵団には同情を禁じえませぬ。最近めっきり力をつけたとはいえ、所詮は無頼の群れ。バルサ王国最強と謳われる、我々ワイマーレ騎士団にかかってはひとたまりもありますまい」
「寧ろ可哀相……か」
「はい」

 二人は顔を見合わせて笑った。
 談笑する彼らの乗騎の足元には、鮮血に塗れた屍骸が累々と横たわっている。まさに足の踏み場も無い。
 もちろん、転がっているのは、傭兵たちのみすぼらしい姿のみ。最硬を誇る、アセテジュ鋼の漆黒の鎧で武装した騎士の身体など、一体たりとも転がっていなかった。
 そんな足元の様子を冷めた眼で見下ろしながら、ワイマーレは呟いた。

「しかし、少々買いかぶりすぎたかな。もう少し歯応えがあるかと思ったのだが……。所詮は寄せ集めの烏合の衆だったという事か。それとも我らの練度の高さの賜物かの?」
「おそらくその両方でございましょう。……失礼いたします」

 バールは、伝令を呼び寄せた。

「クロウズ隊に伝えよ。『攻撃が甘い。もっと左右に広く展開し、一斉にかかれ。ワシの顔に泥を塗るな!』とな」
「ハッ!」

 バールの言葉を受けた伝令は早速馬に跨り、走り去る。

「息子にはずいぶんと厳しいな、良くやっているようだが」

 ワイマーレは苦笑しながら言った。

「いえいえ、まだまだです。これからあやつには、ワシの後継として、団最強の騎士として、閣下の力となってもらわないといけないのです。こんな所で遅れを取る事は許されませぬ」
「……お主も遂に隠居か。私としては少々残念だが……」
「誠にもったいないお言葉。そのお言葉だけで、閣下にお仕えした40年が報われました」

 老騎士は厳つい顔を綻ばせた。

「やはり年には敵いませぬ。ま、隠居した後はのんびり庭の花に水を遣りながら、お迎えを待ちますわ。実は、それが若い頃からの密かな夢でしたもので」
「いい夢だ。実は私も、そんな暮らしに憧れているよ。まあ、あと15年は先の事になるだろうがなぁ……。バールよ、私が隠居した後は、花の育て方を教えてくれよ」
「喜んで。しかしながら、閣下のご隠居までこの老骨の寿命が保てば、の話ですが」

 二人は顔を見合わせ、朗らかに笑いあう。二人の表情は、主従というより、気を許しきった親友のものだった。
 と、ワイマーレは顔を曇らせる。

「しかし、お主の最後の戦いが、こんな冴えない傭兵崩れの無頼共の掃討とは……。すまぬな」

 彼の鋭い眼は前線を鋭く見据える。漆黒の騎士達は縦横無尽に戦場を駆け回り、みすぼらしい傭兵たちを撫で斬りにしている。――最早、戦いではなく、狩りに近い様相を呈してきた。

「今回は、陛下も些か判断を誤られたようだ。こんな烏合の衆、わざわざ我らが出るまでも無かった。辺境騎士団でも良かったのではないか?」
「畏れながら。陛下には深いお考えがあったのでは、と愚考いたします」
「……というと?」
「ここは、我がバルサ王国の東端、ダリア山です。バルサ傭兵団の本拠地ですが、もう一つ、重要な事実がございます。――即ち」

 バールは、静かに言葉を継いだ。

「ダリア山を越えれば、クレオーメ公国が目の前……」
「……我らが、クレオーメ公国の目の前で、傭兵団を圧倒的な力で壊滅させる事が、公国に騎士団の実力を再認識させ、牽制する事になる――ということか?」
「左様で」
「……やれやれ」

 ワイマーレは肩を竦めると、首を振った。

「やはり、隠居は考え直してくれんか? 私には、まだまだお主の知恵が必要なようだ」
「ハッハッハ……、こんな薄呆けた老人の頭など、もうこの騎士団には必要ありますまい。これからは――」
「――これからなんて、ありませんよ。お気の毒ですがね」
「!! 何奴だ!」

 二人の会話に突然割り込んできた聞き慣れぬ声に、ワイマーレとバールは緊張し、剣の柄に手を掛けた。
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