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プロローグそのニ 夜明け前――DEATH of SILVER

道化師と老女

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 その、人を食ったような、それでいて人当たりのよい爽やかな声は、彼らの背後から聞こえた。

「こんばんは……いや、おはようございますですか? ワイマーレ閣下と、栄光あるバルサ王国最強のワイマーレ騎士団の皆々様」
 
 ワイマーレとバール、そして騎士達は、一斉に声の方向を見やる。
 そして、一斉に唖然とした。

「……何だ、こいつら?」

 誰かが思わず口に出した一言は、全ての騎士の心の内を代弁した一言だった。
 それだけ、その二つの人影の出で立ちはあまりにも、この場所から浮いていたからだ。
 一人は、分厚いローブを纏った女。
 フードで頭をすっかり覆い、顔立ちは判然としないが、曲がった腰、ローブの袖から見える皺だらけの右手から、彼女が相当な高齢だという事が窺い知れる。
 ただ、フードから零れ垂れている銀色の髪は、まるで、白銀を引き伸ばした極上の糸の様に、繊細で美しい光を放っている。
 ――そして、もう一つ目を引いた点は、彼女の左腕が無い事だった。ローブの左手の袖が、風を受けてひらひら力なく揺れている。
 それらが違和感として、騎士達の印象をより強くさせた。

 ――だが、それ以上に。
 隣に立つもう一人が、彼女よりも極め付けに異様だった。
 若い男。
 着ている物は、北方の民族衣装のような長い丈の上着にゆったりとした下穿き、革製らしきブーツ。その全てを純白で統一していた。
 その白と、逆立てた髪の赤銅色が相まって、彼に対して万人が抱く第一印象を限定していた。“どういった色彩感覚が、彼にこの様なコーディネートを選択させたのだろうか……”と。
 そして、その印象に拍車をかけずにはおられないのは、その面相だった。
 彼の顔面は、一面真っ白くメイクアップ――いや、塗りたくられていた。迂闊に笑うと顔面にヒビが入ってしまうのではないかと心配になる位、過剰に白塗りされている。
 唇には真っ青なルージュ、瞼には濃紫のアイシャドーを、下地に負けまいと張り合うように厚く厚く引き、アクセントを付けているが、それは彼の印象を更に不気味な方に傾ける添加剤として、存分に機能していた。

「いやいや、皆様、お初にお目にかかります」

 その、まるで道化師を彷彿とさせる不気味な顔に微笑を乗せて、男は言った。彼は、深々と慇懃に一礼する。

「私はシュダと申します。あなた方が今蹂躙なさっておられる――」

 そこで、顔を上げ、男は笑みを更に強めた。皮肉気に、口の端を歪めて。

「悪名高いダリア傭兵団の団長を務めさせて頂いております」

 その言葉に、騎士達は一瞬呆気に取られ――、一瞬後には、ある者は手に持つ得物を男に向けて隙無く身構え、ある者はワイマーレの前に躍り出、楯を掲げた。
 その様子を目の当たりにした男――シュダは、パチパチと手を叩いた。

「いやいや、素晴らしい反応ですね。流石、バルサ王国最強を謳われるワイマーレ騎士団! いたく感服いたしました!」
「……その賞賛、素直に受け取っておこうか」

 能天気に敵を褒め称える眼前の奇人に、冷ややかな視線を突き刺すワイマーレ。

「いやいや、感服したのは本心ですよ」
「ええい、そんな戯れ言はもうよい!」

 痺れを切らしたのはバールだった。彼は、抜き放った剣の切っ先をシュダに突きつけ、大音声で叫んだ。

「何しに来おった! 我らが陣中の真ん中に、堂々と!」
「……普通に考えれば、降伏だろうな」

 ワイマーレは呟いた。
 攻撃ではないだろう。こんなに堂々と、しかも自分が敵軍の総大将だと身分を明かしてくるのだ。完全重囲の騎士団の真ん中で、たった二人で奇襲でもなかろう。
 彼は、真っ直ぐ地面を指さし、居丈高に言った。

「おい、降伏ならば、取るべき態度があるだろう? もっとも、今更殊勝な態度を取った所で、貴様の処遇は変わらんがな。まあ、逆さ磔に処すところを、温情を以て斬首刑に減刑するくらいは考えてやらんでもないが……。とりあえず、そこに跪いて頭を地面に擦り付けておけ」

 その言葉に、シュダの皮肉に満ちた薄笑みが更に強くなった。

「……降伏? ええ、そうですね。では……皆さん、その場に跪いて地面に頭を擦り付けて下さい。――まあ、無駄ですけどね」
「……は?」

 シュダの言葉に、騎士達全員が唖然とした。
 その様子を見たシュダがにっこりと笑う。優しく、そして邪悪に。

「私の言っている意味が分からないという顔ですね。つまり、こういう事です」

 その刹那――。
 彼の横で、ずっと無言で佇んでいた老女のローブが、風に煽られた様に、大きく翻った。

「な――なんだ!」

 騎士達の間から驚愕の叫びが上がる。
 老女のローブの左袖から、黒い霧の奔流の様な何かが数筋、鎌首を擡げた大蛇のように飛び出した。
 黒い奔流は、彼女たちを取り巻いていた騎士達の身体を貫通しながらどんどん伸びていく。しかし、それは実体を伴わないものの様で、騎士達の身体にはなんら損傷は無かった。
 数十人の騎士の身体を一気に透過し、黒い奔流の動きはようやく止まる。

「な、なんだコレは?」
「逃げられない。クソ! どうすれば……」
「だ、団長殿! どうにかして下さい!」

 身体を貫かれた格好の騎士達は、驚愕と狼狽の声を挙げる。実体はないにもかかわらず、その黒い闇の奔流は、騎士たちの身体の自由を奪う能力を持っているようだった。
 その様子を、真っ白な顔を愉悦に歪めながら見つめる白い男。そして、左腕から黒い闇を生やしたまま、不気味な沈黙を続ける老女。

「フフフフ……、怖いですか、皆さん? 歴戦の最強の騎士ともあろうものが、怯えてらっしゃる? 滑稽ですねぇ。フフフフフフ……」
「き、貴様! これは何の真似じゃ!」

 バールの叫びに、シュダは酷薄な笑みを更に歪めながら答えた。

「何の真似? そんなの決まっているじゃないですかぁ」

 その瞬間、フードの下の老女の瞳が真赤に光った。

「彼女の、“食事”ですよ! クククク、ハハハハハハハ!」
「う、うぎゃああああああああ!」
「グオオオオァァァァ!」
「イギイイイイイィィィ!」

 シュダの洪笑とともに、黒い闇に貫かれていた騎士達の口から苦悶の叫びが漏れる。
 騎士達は目を剥き、口から泡を吹き、喉を掻き毟り、地面を転がり回って悶え苦しむ。
 全ての騎士の身体から、青い光、紅い光が、まるで吸い出されるように、黒い闇の奔流を伝いながら老女の方にと遡っていく。
 そして――、騎士達の身体は、光を吸い出されるのに反比例して、みるみる精気を失っていった。肌は張りを失い、皺を刻み、そして干乾びていく。そして、干し滓の様になったその身体は、塵となって、風に煽られ飛散した。

 ――そして、彼らはいなくなった。
 肉の一切れ、骨の一片も残せずに。
 主を無くしたアセテジュ鋼の甲冑が地面に転がる虚ろな音で、一瞬、辺りは騒々しくなった。

「……な、何だ……何だというのだ、これは!」

 ワイマーレは声が震えているのにも気づかず、叫んでいた。
 そして、その叫びは、周囲の騎士達の叫びそのものだった。
 そして、眼前の男は、その不気味な白面を更に醜悪に歪めた。

「だから、食事ですよ。彼女のね」

 彼は、辺りの騎士たちをぐるりと指さす。

「餌は――あなた方」

 老女の左腕から生えた闇の大蛇が、また鎌首を持ち上げた。

「彼女は見かけによらず大喰らいなのでね。メインディッシュはまだまだこれからですよ。さあ、皆さん、せいぜい悲鳴をあげて下さいね」
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