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プロローグそのニ 夜明け前――DEATH of SILVER

騎士団長と死神

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 ――そして、東の空からの光が、ダリア山の荒れ果てた大地を黄金色に照らし出した時――。
 動く騎士達の姿は無く、ただ、がらんどうの鎧がそこかしこに転がっているだけだった。

「……バール! そんな……」
「か、閣下……。お逃げください……逃げっええええええぇうううぐうううううぅぅぅぅ――!」
「バ、バ――――ル……!」

 ワイマーレの初陣以来、常に傍らに控えていた歴戦の老騎士の身体は、呆気なく塵となった。
 傍らで呆然と佇むワイマーレ。
 その彼に、冷ややかな声がかけられた。

「ご馳走様」

 その忌々しい声が鼓膜を揺らした瞬間、ワイマーレは眦を決し、声がした方向に鋭い剣閃を放つ。だが、声の主は剣の届く範囲には居なかった。

「全滅してしまいましたね。栄光のワイマーレ騎士団」

 そう言って、シュダはニタニタと嘲笑う。

「貴様……」

 その白面を憎らしげに睨みつけ、歯噛みするワイマーレ。

「彼女もようやく満腹になったようです。あなた方には、お礼を言わなければなりませんかね?」

 ワイマーレはシュダの傍らのローブを纏った人影に目を移す。が、その眼は驚きで大きく目を見開かれた。
 ローブを纏った人物は、最早老女ではなかった。
 そこにあったのは、銀糸の如き美しい髪こそそのままだったが、きめの細かい瑞々しい肌と切れ長の目、ぷっくりとした唇、そして、ローブを羽織った上からでも窺い知れる、肉感的なボディーラインを持った、魅惑的なうら若い美女の姿だった。

「驚きましたか? 美しいでしょう、彼女?」

 全ての言動が、的確に怒りのツボを直撃するシュダの言葉だったが、その言葉だけにはワイマーレも激しく同意せざるを得ない。

「何せ、彼女は神話にも伝説にもなっている存在ですからね。この美貌と、力で。千年の昔から」
「せ、千年……? 何を言って――っ?」

 シュダに向けた怪訝な顔は、一瞬にして、恐怖一色に染められた。
 見開いた目を、無言で佇み続ける美女に向ける。
 美しい、蠱惑的な美貌……隻腕……そして、銀糸の様に美しいしろがねの長い髪……!

「……ま、まさ、か」

 “恐”愕で、一瞬にして乾ききった口中の舌を縺れさせながら、ワイマーレは恐ろしい己の想像を言葉にする。その推測が誤っているのを心から願いながら。

「き、貴様は……あ、あの、『│銀《しろがね》の……死神』――!」
「はい、ご名答です」

 彼の問いに答えたのは、女ではなく、白面を嘲笑に歪めた男だった。

「貴方はとても幸運ですよ。かの蒼月神レムと並び称される美貌を持つ、『│銀《しろがね》の死神』の姿を目にする事が出来たのですから。かく言う私も、この若い姿を見るのは初めてですからね。貴方も私も眼福でしたねぇ」

 そして、シュダは、右手で首を掻っ切る仕草をして見せた。

「では、その幸運を冥途の土産として、安らかに――」
「舐めるなあぁぁぁぁ!」

 シュダの声は、雄獅子の咆哮の如き叫びに掻き消された。
 ワイマーレは、弾かれた様に大地を蹴った。
 大剣を振りかざして、憎き白装束の男に踊りかかる。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 衝撃音。

「――――チィッ!」
「いやいや、驚きました! 流石、バルサ王国最強の騎士。この期に及んでも、まだ、牙は折れませんか」

 口調とは裏腹に、余裕たっぷりの表情のシュダ。
 ワイマーレの奮った渾身の一撃は、シュダには届かなかった。

「――どけぇっ! 死神!」

 寸前に、二人の間に割り込んだ銀髪の女――左腕の切断面から絶えず噴出している黒い霧の固まりが、歪で巨大な刃を形作り、ワイマーレの大剣をがっちりと受け止めている。
 ワイマーレは膂力に任せて押し込もうとするが、死神も負けていない。

「クッ!」

 ワイマーレは、一旦後ろに飛びのき、縮みきったばねの様に身体を縮みこませると、次の瞬間、その力を解放し、矢の様な速さで前方に突っ込んだ。
 死神は迫りくる騎士の大剣の切っ先を、その身体を回転させながら躱し、その反動を生かして、左腕の黒い刃を突き出す。
 ワイマーレは、咄嗟に頭を下げて刃を避け、大剣の柄で死神の鳩尾を狙い、死神はまたそれを紙一重で避ける。
 まるで剣舞の様な、一種美しいとさえ思える二人の動きに、唯一の観客となった白面の男は拍手をし、歓声を上げた。

「素晴らしい! 眼福ここに極まれり、といった所ですね。『銀(しろがね)の死神』と『王国最強の剣』の戦いを目の当たりにすることが出来るとは!」
「ふざけるなぁっ! 我々ワイマーレ騎士団に与えた屈辱! 貴様らの死を以って償え!」
「やれやれ……屈辱とは心外ですね。全滅したのは紛れも無い事実。単純にあなた方が弱かったって事ですよ。ククク……」
「それ以上言うなぁ!」

 ワイマーレはシュダの言葉に更に激昂し、眦が裂ける程目を見開き、大剣を大きく振りかぶる。

「死ねええええええ!」

 ワイマーレは、全ての憤怒と怨念と悲しみを込めて、大剣を振り下ろした。
その前に立ち塞がる死神は、左腕の刃を掲げる。

 ――衝撃音!

 全ての思いを込めた騎士の一撃は、死神の漆黒の刃を叩き折り、彼女の左肩から脊椎辺りまでを一気に断ち割った。

「――!」

 死神の眼が僅かに見開かれる。
 ――そして、悲鳴も上げず、地面に倒れ伏した。

「凄い凄い! 伝説の銀の死神を斬り伏せるとは! 感服いたしましたよ!」
「次は貴様だ! 覚悟せい!」

 ワイマーレは、死神の身体から大剣を引き抜くと、切っ先をまっすぐシュダに向けながら歩み寄る。

「今更貴様を斬った所で、バールは……、我が騎士団は元には戻らぬ……。しかし、私情と謗られようが構わぬ!」

 ワイマーレは、眦を決して叫んだ。

「私は、騎士団の誇りと名誉、斃れた騎士達の鎮魂の為に、貴様を斬る!」

 彼は再び大剣を頭上高く振り上げる。目の前には憎々しい薄笑みを湛えた白面の男。
 しかし、シュダは、自身の命の危機が目前に迫ろうとも、一向にうろたえる様子を見せない。
 それどころか、彼は両手を広げて言ってみせた。

「さあ! どうぞ、存分に復讐を遂げなさい!」

 そして、ニイと顔を歪めて笑ってみせた。

「……できるものならね」
「死ね――――っ!」

 シュダの態度に、更に怒りを倍増させ、その全てを込めて、ワイマーレは大剣を振り下ろす――事は、出来なかった。

「――――っガハァッ!」

 ワイマーレの口から、夥しい血が吹き出す。
 信じられないという顔で、彼は胸元に目をやる。
 ――彼の左胸から、鮮血に塗れた黒い刃が生えていた。

「…………そ、そんな……バ――馬鹿、な」

 ぎこちない動きで、首を回す。震えて焦点が定まらない眼が捉えたのは、銀色。
 そして、彼の意識は闇に包まれていった――。

 ――――――――

「ちょっと待ってください。まだ逝ってはいけませんよ」

 意識を失い、崩れ落ちようとするワイマーレの顔面を鷲掴みにしたのは、シュダの右手だった。

「ゼラ、│れ《・》は私が貰うよ、いいね?」

 シュダは、背後から刃をワイマーレの心臓に突き立てたままの死神に声をかけた。

「…………」

 彼女はその声で、何も言わずに左腕の黒い刃を抜いた。刃はうねうねと蠢き、やがて黒い左腕にその形を変える。

「ありがとう」

 シュダは彼女に微笑むと、右手に力を込める。

「ねえ、ワイマーレ将軍」

 シュダは、既に事切れているワイマーレの耳元で囁く。

「私は貴方が気に入ってしまいました。貴方を私のコレクションに加えさせて頂きます。拒否権は――ありません」

 既に眼に膜が張り始めたワイマーレにそう話しかけると、彼は、呟くように唱えた。

「我 命ズ ソノ魂 骸ニ留メ 我ガ 僕トナレ……<クロキヤミ スベテヲスベル ダレムノチ ムクロニヤドレ シキノタマシイ>」

 刹那――。
 ワイマーレの亡骸が痙攣したように身を震わせた。瞳孔が開いた眼をグルグルと動かし、口は鮮血と涎を垂れ流しながら大きく開かれる。
 ……やがて、痙攣が治まった。
 彼の左胸に空いた空洞はそのまま、ワイマーレの身体に力が戻り、自力で地面に立っている。
 しかし、その顔は死者のままだった。白目を剥き、弛緩した顔で、ただただ、佇み続ける。

「フフフフフ…………クハハハハハハハハハハハハハハ!」

そして、シュダは満足気に笑う。顔を歪めて。狂ったように。

「ハーッハハハハハハハハ――――」


 銀髪の死神は、そんな彼らの様子には一切の興味を持たず、東の空から昇った真赤な太陽を見つめていた。
 ワイマーレによって斬り裂かれた傷は、殆ど消えていた。僅かに残った傷も、受傷部の断面から出る黒い靄のようなもので、みるみる修復されていく。
 やがて、跡形も無くなった。

「…………ドコカ、ニ」

 彼女は、独り呟いた。言葉を発するのを久しく忘れていた、そんなぎこちない、嗄れた声で。

「……ドコカニ、居ルノ……か? ――私を、者は……」
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