7 / 176
第一章 サンクトルは燃えているか?
下働きと新米神官
しおりを挟む
「ジャスミンさ――ん、どこですかー?」
バルサ王国の首都、チュプリの西街区にある、ラバッテリア教の総本山『ガデッサ神殿』に、甲高い声が響く。
「ジャスミンさーん! いませんか~?」
初夏の陽射しが燦燦と降り注ぐ神殿の回廊を、キョロキョロ辺りを見回しながら歩く小柄な少年。
クシャクシャの金髪と分厚い黒縁メガネ、額にはまだ真新しい『聖眼』が刻まれており、少年が纏う、神官の中でも見習いに当たる『神僕』である事を表す若葉色の神官服と共に、彼がまだ神官となって日が浅い事を表している。
「もう、トイレ掃除もやらないで、どこ行っちゃったんだろ……?」
ブツブツと呟きながら、物陰を覗きながら歩き回る。
すれ違う神官達は、そんな少年の姿に訝しげな視線を送り、そして少年に声をかけられる。
「あ、すみません。ここら辺で、茶髪で背の高い、だらしない格好の人見ませんでしたか?」
「……いや、見てないよ」
「……そうですか、すみません、ありがとうございます!」
そんな調子で、方々で通りすがりの人間に聞き回っているのだが、探し人は見つからない。
やがて、彼は回廊を抜け、神殿の裏側に回る。
神殿の裏側は、鬱蒼と草木が生い茂っていた。特に用事が無ければ、立ち入る事など無い場所だが、他の場所は隈なく探して居なかったのだから、もうここぐらいしか考えられない。
彼に限っては、神殿の外に行く可能性はゼロだ。
「ジャスミンさ~ん、いらっしゃいますか?返事してくださいよー」
通路の体をほぼ為していない小路を、草を踏みならし藪を掻き分けながら、少年は尋ね人を探す。
そして、彼の耳に、微かな笑い声が飛び込んできた。
「……いた」
彼はキッと眉を吊り上げると、笑い声のする方へと歩みを速めた。
「…………ジャスミンさん!見つけました……よ……?」
「キャッ!」
突然声を張り上げた少年の動きは、目の前の状況を認識した途端、金縛りにあった様に止まる。
彼の目の前には、もつれ合うように草の上に寝転がった二人の男女がいた。悲鳴は、下の女から発せられたものだった。
「あ……あの、――えっと……その――」
「い、いやあああああああああああぁ!」
目を白黒させる少年が未だ事態を呑み込めないまま、女は、上に覆いかぶさっている男をはねのけ、乱れた女神官服を掻き集めて、
「ゴメンナサイ、ごめんなさぁぁぁい!」
と、矢の様な速さで走り去っていった。
「…………えーと」
逃げ去る女の後姿を、なす術も無く見送るしかなかった少年は、頭を抱えながら、後に取り残された、足元にだらしなく横たわっている男に声をかけた。
「――警備の人を呼ぶ前に、話だけはお伺いしましょう。取り敢えず説明して頂けますか、ジャスミンさん……」
「何を? ……って、おい、違うぞ! 同意の上だよ? いや、まだ何もしてないけど! 無理矢理な訳ないだろ? この『天下無敵の色事師』に限ってそんなさもしい……だから、そんな目で俺を見るなよ!」
「…………貴方って人は、この神聖な地で……そんな破廉恥な犯罪行為を――」
「だーかーらー、同意の上だって言ってるだろーが! それに、まだヤッてないっつーの!」
「まだって事は……これから――その」
「――――ま、ね(笑)」
「(笑)じゃありません!」
色々な意味で、顔を真赤にして怒る少年。その様子を、どこか楽しげに観察している青年を一言で言い表すならば、「美青年」だと言えた。
明るい茶色に染めた髪に黒曜石の様にきらきらと輝く瞳。鼻筋の通った面立ち。すましていれば、古美術品の彫像もかくやという程の眉目秀麗なルックスだったのだが……顔に浮かぶヘラヘラとした締まりの無い表情が、その素材の良さを幾分か損ねてしまっている。
一応、茶色い神官服の御仕着せを着ているが、上着のボタンを2つ開けて胸元を露にしていたり、袖を捲ったりと、大分着崩している。
一向に反省した様子が無い青年を前に、少年は諦め顔で大きなため息をついた。
「……もういいです。この件は僕から大教主様に報告を――」
「あー、それはちょっと勘弁してほしいな、頼むよ、パーム君」
パームと呼ばれた少年は、相変わらずヘラヘラしている青年をキッと睨みつけると、
「勘弁しません! ジャスミンさん! 貴方って人は、いつもいつもいい加減な事ばっかりして! 今日もトイレ掃除の途中でいつの間にいなくなったと思ったら……こんな所で、こ、こんな事を!」
声を張り上げて叫んだ。
「ここをどこだと思っているんですか! 偉大なる太陽神アッザムの住まう地、ラバッテリア教の大本山ですよ! 貴方のしている事は、神々への冒瀆に他ならない! ラバッテリア教の神官として、貴方の行為は到底看過できません!」
「いやいや、ごめんよ~。反省するからさぁ。今日の事は見逃してよ」
と、お茶らけた様子で手を合わせるジャスミン。
「見逃しません! ジャスミンさん! 僕は貴方を告発します!」
言葉とは裏腹に、反省のはの字も見えない彼の態度に、更に怒りを露にするパーム。
ジャスミンはそんな彼の様子に肩を竦めてみせた。
「頭が固いなぁ。大目に見てよ。そんな事じゃモテないよ~」
「モテなくて結構です! 僕は、ラバッテリア教の神官です! 女性にモテる事などに興味はありません! ――今から大教主様に報告してきますからね!」
「――――ふーん。あっそ、じゃあ、いいや」
「……へ?」
あっさりと、実にあっさりと引き下がったジャスミンの反応に、逆に戸惑うパーム。
ジャスミンは、服に付いた木の葉を払うと立ち上がった。
「じゃ、行こうか? 大教主のジイさんの所に」
そのままスタスタと歩き出すジャスミン。その背中に、少年神官の狼狽した声がかけられる。
「――あ、あの、その、いいんですか? あ、あの、怒ったのなら……その、すみません」
なぜか謝る。その声にジャスミンは振り返った。その顔は――微笑っていた。実に爽やかに。
「いいんだよ、パームの言った事は確かに正しいんだから。うん、実に正論だ」
「……えと、す、すみません……でも、そうですね」
「そうだな、確かにこの聖なる神殿で逢引はマズイよなぁ。うん、ホントにお前の言う通りだよ。俺が悪いね。弁解の余地もない。追放も仕方ないわなぁ」
「…………」
「でも……さ」
と、ジャスミンは微笑を翳らせる。
「あの娘には悪い事したな……」
「――え?」
「だって、そうだろ?」
彼は、苦悶の表情を浮かべ、頭を抱える。
「俺があの娘に声をかけてしまった事で、彼女も同罪で神殿から追放だろ? 不憫だな~と思ってさ……。悪いのは俺なのにねぇ」
「え……そ、それは……」
「でも、しょうがないよ。この俺『天下無敵の色事師』があまりに魅力的だったせいで、フラフラとよろめいてしまったとしても。それは、神官だ何だという以前の、生物としての本能に逆らえなかっただけなんだから」
「…………」
「……とは言っても、彼女も追放されてしまうんだろうね。可哀相に――。知ってる?」
上目遣いでパームを見やる。
「彼女、ジュートの片田舎からわざわざ来たんだって。女神官になるのを小さい頃からずっと夢見てたんだって。折角夢が叶って、親兄弟にも喜ばれたって嬉しそうに話してたなあ……。それなのに、俺なんかに惹かれてしまった為に、その夢が全て水の泡――可哀相としか言えなくね?」
「…………そうですね」
顔を曇らせるパーム。と、ジャスミンが口調を変えて言う。
「――ま、そこら辺も踏まえてだ」
ジャスミンは笑った。今度は先程の微笑みとは違う――まるで、東方にあるという島国に君臨する小悪党『ア・クダ・イカン』もかくや、という邪悪な笑みだった。
パームは嫌な予感がし、それは的中する。
「見逃してよ~。俺だけじゃなくて、彼女も助けると思って、さ」
「………………はぁ」
予想通りの言葉に、パームはがっくりと肩を落とす。
そして、諦めた様に言った。
「……分かりましたよ。貴方の為ではなく、あくまであの方の将来の為です、今回は――」
「サンキュー! さすが、パーム様! お心が広い! よっ、大神官様!」
パームの言葉も最後まで聞かずに、満面の笑みで彼の肩をバシバシと叩きまくるジャスミン。呵呵大笑しながら、浮かれた足取りで歩き出す。
「じゃ、そうと決まれば、仕事に戻ろーか!」
「…………」
ジャスミンの豹変に唖然としつつ、パームは呟いた。
「……やっぱり、告発した方が……」
バルサ王国の首都、チュプリの西街区にある、ラバッテリア教の総本山『ガデッサ神殿』に、甲高い声が響く。
「ジャスミンさーん! いませんか~?」
初夏の陽射しが燦燦と降り注ぐ神殿の回廊を、キョロキョロ辺りを見回しながら歩く小柄な少年。
クシャクシャの金髪と分厚い黒縁メガネ、額にはまだ真新しい『聖眼』が刻まれており、少年が纏う、神官の中でも見習いに当たる『神僕』である事を表す若葉色の神官服と共に、彼がまだ神官となって日が浅い事を表している。
「もう、トイレ掃除もやらないで、どこ行っちゃったんだろ……?」
ブツブツと呟きながら、物陰を覗きながら歩き回る。
すれ違う神官達は、そんな少年の姿に訝しげな視線を送り、そして少年に声をかけられる。
「あ、すみません。ここら辺で、茶髪で背の高い、だらしない格好の人見ませんでしたか?」
「……いや、見てないよ」
「……そうですか、すみません、ありがとうございます!」
そんな調子で、方々で通りすがりの人間に聞き回っているのだが、探し人は見つからない。
やがて、彼は回廊を抜け、神殿の裏側に回る。
神殿の裏側は、鬱蒼と草木が生い茂っていた。特に用事が無ければ、立ち入る事など無い場所だが、他の場所は隈なく探して居なかったのだから、もうここぐらいしか考えられない。
彼に限っては、神殿の外に行く可能性はゼロだ。
「ジャスミンさ~ん、いらっしゃいますか?返事してくださいよー」
通路の体をほぼ為していない小路を、草を踏みならし藪を掻き分けながら、少年は尋ね人を探す。
そして、彼の耳に、微かな笑い声が飛び込んできた。
「……いた」
彼はキッと眉を吊り上げると、笑い声のする方へと歩みを速めた。
「…………ジャスミンさん!見つけました……よ……?」
「キャッ!」
突然声を張り上げた少年の動きは、目の前の状況を認識した途端、金縛りにあった様に止まる。
彼の目の前には、もつれ合うように草の上に寝転がった二人の男女がいた。悲鳴は、下の女から発せられたものだった。
「あ……あの、――えっと……その――」
「い、いやあああああああああああぁ!」
目を白黒させる少年が未だ事態を呑み込めないまま、女は、上に覆いかぶさっている男をはねのけ、乱れた女神官服を掻き集めて、
「ゴメンナサイ、ごめんなさぁぁぁい!」
と、矢の様な速さで走り去っていった。
「…………えーと」
逃げ去る女の後姿を、なす術も無く見送るしかなかった少年は、頭を抱えながら、後に取り残された、足元にだらしなく横たわっている男に声をかけた。
「――警備の人を呼ぶ前に、話だけはお伺いしましょう。取り敢えず説明して頂けますか、ジャスミンさん……」
「何を? ……って、おい、違うぞ! 同意の上だよ? いや、まだ何もしてないけど! 無理矢理な訳ないだろ? この『天下無敵の色事師』に限ってそんなさもしい……だから、そんな目で俺を見るなよ!」
「…………貴方って人は、この神聖な地で……そんな破廉恥な犯罪行為を――」
「だーかーらー、同意の上だって言ってるだろーが! それに、まだヤッてないっつーの!」
「まだって事は……これから――その」
「――――ま、ね(笑)」
「(笑)じゃありません!」
色々な意味で、顔を真赤にして怒る少年。その様子を、どこか楽しげに観察している青年を一言で言い表すならば、「美青年」だと言えた。
明るい茶色に染めた髪に黒曜石の様にきらきらと輝く瞳。鼻筋の通った面立ち。すましていれば、古美術品の彫像もかくやという程の眉目秀麗なルックスだったのだが……顔に浮かぶヘラヘラとした締まりの無い表情が、その素材の良さを幾分か損ねてしまっている。
一応、茶色い神官服の御仕着せを着ているが、上着のボタンを2つ開けて胸元を露にしていたり、袖を捲ったりと、大分着崩している。
一向に反省した様子が無い青年を前に、少年は諦め顔で大きなため息をついた。
「……もういいです。この件は僕から大教主様に報告を――」
「あー、それはちょっと勘弁してほしいな、頼むよ、パーム君」
パームと呼ばれた少年は、相変わらずヘラヘラしている青年をキッと睨みつけると、
「勘弁しません! ジャスミンさん! 貴方って人は、いつもいつもいい加減な事ばっかりして! 今日もトイレ掃除の途中でいつの間にいなくなったと思ったら……こんな所で、こ、こんな事を!」
声を張り上げて叫んだ。
「ここをどこだと思っているんですか! 偉大なる太陽神アッザムの住まう地、ラバッテリア教の大本山ですよ! 貴方のしている事は、神々への冒瀆に他ならない! ラバッテリア教の神官として、貴方の行為は到底看過できません!」
「いやいや、ごめんよ~。反省するからさぁ。今日の事は見逃してよ」
と、お茶らけた様子で手を合わせるジャスミン。
「見逃しません! ジャスミンさん! 僕は貴方を告発します!」
言葉とは裏腹に、反省のはの字も見えない彼の態度に、更に怒りを露にするパーム。
ジャスミンはそんな彼の様子に肩を竦めてみせた。
「頭が固いなぁ。大目に見てよ。そんな事じゃモテないよ~」
「モテなくて結構です! 僕は、ラバッテリア教の神官です! 女性にモテる事などに興味はありません! ――今から大教主様に報告してきますからね!」
「――――ふーん。あっそ、じゃあ、いいや」
「……へ?」
あっさりと、実にあっさりと引き下がったジャスミンの反応に、逆に戸惑うパーム。
ジャスミンは、服に付いた木の葉を払うと立ち上がった。
「じゃ、行こうか? 大教主のジイさんの所に」
そのままスタスタと歩き出すジャスミン。その背中に、少年神官の狼狽した声がかけられる。
「――あ、あの、その、いいんですか? あ、あの、怒ったのなら……その、すみません」
なぜか謝る。その声にジャスミンは振り返った。その顔は――微笑っていた。実に爽やかに。
「いいんだよ、パームの言った事は確かに正しいんだから。うん、実に正論だ」
「……えと、す、すみません……でも、そうですね」
「そうだな、確かにこの聖なる神殿で逢引はマズイよなぁ。うん、ホントにお前の言う通りだよ。俺が悪いね。弁解の余地もない。追放も仕方ないわなぁ」
「…………」
「でも……さ」
と、ジャスミンは微笑を翳らせる。
「あの娘には悪い事したな……」
「――え?」
「だって、そうだろ?」
彼は、苦悶の表情を浮かべ、頭を抱える。
「俺があの娘に声をかけてしまった事で、彼女も同罪で神殿から追放だろ? 不憫だな~と思ってさ……。悪いのは俺なのにねぇ」
「え……そ、それは……」
「でも、しょうがないよ。この俺『天下無敵の色事師』があまりに魅力的だったせいで、フラフラとよろめいてしまったとしても。それは、神官だ何だという以前の、生物としての本能に逆らえなかっただけなんだから」
「…………」
「……とは言っても、彼女も追放されてしまうんだろうね。可哀相に――。知ってる?」
上目遣いでパームを見やる。
「彼女、ジュートの片田舎からわざわざ来たんだって。女神官になるのを小さい頃からずっと夢見てたんだって。折角夢が叶って、親兄弟にも喜ばれたって嬉しそうに話してたなあ……。それなのに、俺なんかに惹かれてしまった為に、その夢が全て水の泡――可哀相としか言えなくね?」
「…………そうですね」
顔を曇らせるパーム。と、ジャスミンが口調を変えて言う。
「――ま、そこら辺も踏まえてだ」
ジャスミンは笑った。今度は先程の微笑みとは違う――まるで、東方にあるという島国に君臨する小悪党『ア・クダ・イカン』もかくや、という邪悪な笑みだった。
パームは嫌な予感がし、それは的中する。
「見逃してよ~。俺だけじゃなくて、彼女も助けると思って、さ」
「………………はぁ」
予想通りの言葉に、パームはがっくりと肩を落とす。
そして、諦めた様に言った。
「……分かりましたよ。貴方の為ではなく、あくまであの方の将来の為です、今回は――」
「サンキュー! さすが、パーム様! お心が広い! よっ、大神官様!」
パームの言葉も最後まで聞かずに、満面の笑みで彼の肩をバシバシと叩きまくるジャスミン。呵呵大笑しながら、浮かれた足取りで歩き出す。
「じゃ、そうと決まれば、仕事に戻ろーか!」
「…………」
ジャスミンの豹変に唖然としつつ、パームは呟いた。
「……やっぱり、告発した方が……」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
20
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる