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第二章 サンクトルまで何ケイム?

副団長と財宝、そして哀れな部下

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 王都チュプリのエルード東大門から飛び出した、若い色事師と神官の二人が、コドンテ街道から、生還不能の『果無の樹海』に飛び込んだのと同じ頃――。

「ぐふぇぇへへへぇぇぇ~」

 サンクトルのギルド組合本部最奥部にある、地下の金庫室の中では、野豚の断末魔の様な不気味な声が響いていた。
 本来ならば固く閉ざされている筈の、金庫室の重く頑丈な扉は無様に凹み、歪み、へし曲げられ、部屋の前に転がされている。その代わりとして、外れた扉を繕った長い木の板を複数枚、入口に立てかけて『金庫室』としての体裁を整えている。
 もちろん、そのままでは、とても“金庫”としての役割を果たせない。が、扉の破損で著しく損なわれた『防御力』の補填は、きちんと行われている。
 その『防御力』は、巨大な身体で部屋の前で胡坐をかき、暇そうに無精髭を抜いていた。

「ぐふふふふぅぇぇぇへへぇぇ~」

 巨漢の傭兵は、背後の金庫室の中から時折響く声に顔を顰め、尖った耳をひくつかせるが、かといって、それ以上構う様子もなく、彼はひたすら無精髭の手入れに血道を上げている。
 ――と、

「よぉ、これはゲソス殿。宝の山へようこそ」

 突然彼は顔を上げ、地下室に現れた人影に声をかけた。

「ヒッ……ヒ、ヒースか……」

 人影――ダリア傭兵団参謀ゲソスは、地下室に反響した傭兵の大音声に驚き、飛び上がりかける。が、すんでのところで踏みとどまると、平静を装いつつ、居丈高に巨漢――ヒースに尋ねた。

「……あ――副団長殿はいらっしゃるか?」
「…………ぐふふふぇぇぇへへへへへへへへへへへへへ~ぇぇ」
「――

 ゲソスの問いかけに、ニヤリと笑ったヒースは、背後の金庫室を指した。

「副団長は、ただ今金庫室の中で水浴び……だ。なんか話があるなら、遠慮なく入ってくれや」

 ヒースはその巨体を脇にずらし、道を開けた。
 ゲソスは大きくため息を吐くと、立てかけられた木の板をずらし、巨大な金庫室の内部に入る。

「うぉっ、眩しッ!」

 金庫室の中に入った瞬間、ゲソスはうめき声を上げる。彼の眼が一瞬その機能を麻痺させたからだ。
 金庫室内部から放たれる光が、あまりに強すぎて、瞳孔が対応できない。
 正に、光の奔流。
 それは、広大な金庫室を埋め尽くした宝石・王冠・金の像・金の延べ棒・水晶石・美術品などの金銀財宝が放つ暴力的なまでの強烈な光だった。
 ゲソスは、しばしの間、惚けた様に目の前の信じられない光景を眺めていたが、ふと、そーっと右腕を傍らに転がっている金のブレスレットに伸ばし――

 ゴスウウウゥッ!
「ぐはああぁぁぁぁっ!」

 どこからか飛んできた金塊インゴットに、鼻を潰された。

「ちょっとぉ! 何やってんの、アンタぁ!」
「も――もぶしばげぼざいばぜん! ちゃ、チャー様!」

 涙と鼻血を滴らせながら、声のした方に頭を下げるゲソス。
 彼は、恐る恐る目を上げると――

「きゃっ! 何鼻血垂らしてんの? エッチ~!」
「オ……オヴェェェ~!」

 吐いた。
 彼の眼の前で、一糸纏わぬ霰もない姿の肉樽(♂)がくねくねと……否、ぶよぶよと品を作っていた。神話時代の怪物、巨大粘着性芋虫カリャピルアの求愛ダンスと見まごうばかりの、刺激的なチャーの姿は、一瞬にしてゲソスの心に恢復かいふく不能のトラウマを刻み付けた。

「チャ……チャー……様、だ――団長から……し、使者がきております……」

 ゲソスは、霧散しかけた正気を掻き集め、涙と鼻血と吐瀉物に塗れながら、必死で用件を切り出す。
 その言葉を聞いたチャーは、露骨に顔を顰めた。

「……ふーん……で、何て言ってきてんのよ、彼?」
「……は! 首領からは、サンクトルから『戦利品』を纏め、早急にダリア山へ帰還する様にと、重ねて指令が下されております。そろそろ撤収の準備をしてはいかがか……と」
「…………」

 ゲソスの言葉に、沈黙したまま、顰めた顔をますます歪めるチャー。野豚の顔を縦に押し潰した様な、壮絶な顔つきになってきた。もはや、人間の顔という範疇からも外れつつある。
 そんなこの世の物とも思えなくなってきた上司の顔から視線を逸らしながら、ゲソスは恐る恐る言葉を重ねる。

「サンクトルは陥としましたが、元より今回の襲撃は、ここの財宝が主目的です。首尾よく手に入れる事が出来ましたし、この財宝を土産として、ダリア山へ胸を張って戻り――」
「――戻る? ダリア山に? あの、硫黄臭いハゲ山に?」

 チャーは、興奮して周囲の宝石をぶちまける。

「――やめた!」
「……は?」

 副首領の口から飛び出した思いもかけない言葉に、ゲソスは呆気にとられる。
 まるで、小便を引っ掛けられた子鼠の様な顔をする部下にもお構いなく、小さな目を爛々と光らせながら、チャーは捲し立てた。

「もう、アタシ帰還かえらないわ! 大体、どうして、こんな先進都市を放り出して、あんな僻地に引っ込まなければいけないのよ! それだけじゃない……、せっかく苦労して手に入れた、この愛しい愛しい財宝ちゃん達まであの変態白面野郎に渡してやらなきゃいけないなんて……絶対にイヤ! アタシ……いや、アタシ達は、ココに残るわよ!」
「――! いえ! ちゃ、チャー様! これは団長からの命令です。そ、それに逆らおうというので……?」

 チャーの叫びに激しく狼狽しながら、ゲソスは異を唱えた。
 そんなゲソスを、眉間に深い皺を寄せながら、チャーは怒鳴りつける。

「何よ! アンタは、ココよりあの辛気くさい禿げ山の方がいいってわけ?」
「……い、いや……正直なところ、私もあまり戻りたくないなぁ~とは……いえ! やっぱりマズいですって! 団長に逆らうなんて……!」

 うっかり本音を言いかけたゲソスが慌てて首を振る。『団長に逆らう』――この意味する所を思い出したからだ。

「そ……そんな事をしたら、あの――ワイマーレ騎士団の様になってしまいますよ!  我々全員……『しろがねの死神』のエサにされてしまいます!」
「……ッ」

 『銀の死神』――その異名を聞いたチャーは、さすがに表情を凍らせて黙り込む。

「……」
「……」

 ゲソスは固唾を呑んで上司の様子を窺う。副団長が、今の思いつきをバカバカしいものと理解して、前言撤回してくれる事を祈りつつ――。
 が、残念ながら、彼の祈りは天に届かなかった。

「…………いー事考えたっ!」

 チャーが一変、満面の笑みを浮かべて踊り跳ねた。

「……へ?」
「何真っ白な顔して突っ立ってんのよ? 我ながら名案を思い付いたわ!」
「名……案?」
「そ! ――ダリア山にはこう言うの。『アタシ達が占領したこのサンクトルは地の利に恵まれた要衝の地。そ・こ・で、アタシ達はダリア傭兵団から独立した姉妹組織『チャー傭兵団』となって、ダリア傭兵団と連携し、勢力拡大に励みま~す』って!」
「……え? え? えええええええええぇぇぇ~!」
「別に裏切るとか逆らうとかじゃないのよ~。あくまで姉妹組織。ダリア傭兵団本隊のサポートがし易い様に分派しますって事! これなら、シュダも文句言えないでしょう? ま、もちろん、タダでとは言わないわ。ここのお宝ちゃんの十分の一…やっぱり五百分の一くらいはダリア山の方に譲ってあげる……いや~ん、アタシって太っ腹~!」
「……いやいや、ダメですって! そんな勝手な言い分……団長が承知する訳無いですよ……! どうかお考え直しを!」
「フフン、まあ、普通はダメでしょうね……でも、大丈夫よ、他ならぬ

 狼狽えるゲソスに、意味ありげにウインクしてみせるチャー。またトラウマものの不気味さだったが、今のゲソスには、それを不気味に思うほどの余裕も無かった。
 ――と、チャーはにんまりと笑みを浮かべると、ゲソスを指さして命じる。

「じゃ、ゲソスちゃん、ちょっと行ってきて!」
「……え? ど、どこへですか?」

 背後になんともうすら寒い悪寒を感じながら、ゲソスは恐る恐る尋ねる。

「も~、決まってんじゃない。ダリア山よ! いま言った事をシュダにズバァッと伝えてきて~」
「ええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇ――――!」


 そんなやり取りを背中で聞きながら、ヒースは25本目の無精髭を抜いた。

「――何ともまあ、面白い事になってきたねぇ」

 野卑溢れた顔を歪めて微笑う。

「つまり、上手くすれば、あの伝説の『銀の死神』と一戦交えられるって事だな。……ただの小遣い稼ぎのアルバイト暇つぶし程度に考えていたが、案外退屈しないで済みそうだな、こりゃ」
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