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第三章 酒と泪と色事師と女将
居酒屋と酒蔵
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サンクトルの街を、とっぷりと暗い夜闇が覆う。
以前は、バルサ王国東部最大の都市に相応しい盛況を誇っていたサンクトルだが、ダリア傭兵団改め、チャー傭兵団に占領されてしまった今では、その様子は見る影もない。
人々は、粗暴な傭兵たちに怯え、店は固く扉を閉じ、恐れて誰も夜の街を歩こうとしない。
今のサンクトルの夜の顔は、瀕死のそれだった。
ただ一角を除いては……。
「お――――い! 女将! コッチにジョッキ5杯頼む!」
「オレは、赤ワイン……いや、やっぱりロゼ! ボトルでくれ!」
「枝豆追加よろ~!」
『飛竜の泪亭』の狭い店内に、野卑な胴間声がアチコチから掛けられる。
「あー、はいはい! 順番に出すから、ちょっと待っててね!」
カウンターの中で、忙しげに動きながら、『飛竜の泪亭』の女将であるシレネは笑顔で応対する。
「はいッ! ジョッキ! お待ちぃ!」
「お! すまねえ!」
両手に持ったジョッキ5つを、ドンッと音を立ててテーブルに置く。
「シレネは、良く働くよなぁ~……どうだ? オレんとこに嫁に来ないか?」
そのテーブルに座る、頬にキズのある傭兵が、惚れ惚れしながら言う。
「ちょ、お前! 何勝手にシレネさんを口説きにかかってるんだよ!」
「テメエ、表に出ろ! シレネちゃんは、皆のシレネちゃんなんだぞ! 抜け駆けしようとするんじゃねえ!」
「残念だがな。シレネは俺がもう予約済みなんだよ!」
「オイこら待てやぁ!」
たちまち、居合わせた傭兵達の間に、剣呑な空気が満ちる。
と、
「はいはーい! そこまでよ~!」
パンパンと手を叩いて場を収めたのは、シレネだった。
「ウチの店で暴れないでよっ! この店が無くなったら、困るのはアナタ達でしょ? お酒飲む所、無くなっちゃうわよ!」
「……お、おう……それを言われてしまうと……」
「ココは、楽しくお酒を呑む所よ。喧嘩する人は、出禁だよ!」
「「「スミマセンでした!」」」
一斉にひれ伏す傭兵たち……。
シレネは、その中央でニッコリと破笑った。
「いい子ね! さあ、みんな! じゃんじゃん呑んで! ……楽しくね!」
「ああ……楽しそうだなぁ……」
ワイン蔵の明かり取りの窓にしがみついて外を見ながら、ジャスミンは羨ましげに呟いた。
居酒屋の建物からは、乾杯の音頭や、グラスが鳴る音、音程の外れた下手くそな歌声が漏れ聴こえてくる。
「……こっちは、こんな薄暗くて黴臭いワイン蔵の中で、黒パンを齧りながら息を潜めてるっていうのによぉ……」
「……しょうがないじゃないですか。もし、傭兵達に見つかりでもしたら、僕たちはどうされるか分からないんですから……」
固い黒パンを千切り、ミルクに浸して食べながら、パームは言った。
「それに、この黒パンだって、味は悪くないですよ。少なくとも、神殿のパンよりは柔らかくて美味し……」
「あ! お前も、やっぱりあの堅パンが美味くないって思ってたんだな! 俺に、美味しい美味しいって薦めてきたくせに!」
「い……いえ! あの堅パンは堅パンで、独特の風味があって……」
痛い所をつかれ、しどろもどろになるパーム。
ジャスミンは、ジト目で彼を見やると、小窓から離れ、棚のボトルのラベルを物色する。
「いや……ホントにヴィンテージワインの山だぜ、この蔵……。年代だけ古いワインだけじゃなくて、特に評価の高い年のワインを取り揃えてる」
ジャスミンは、棚からボトルを1本取り出して、ラベルを指さす。
「例えばコレ……シュツナルベリの65年物……まだ年数は浅いけど、この年は稀に見る凶作の年で、質の高いワインがほとんど出来なかった。だから、ラベルに三ツ星入ったこのボトルは、より貴重な最高級ワインなんだ」
「へ、へえ~」
「――で、こっちは、ナイサックでしか採れない、ライネルアカブドウの果実――しかも、生きた人間だけを喰わせて育てた、特別な果実を貴腐ワインに仕立てた逸品、通称『ナイサック人の血』! 俺も現物は初めて見たぜ……」
「うえぇ……ネーミング、そのまんまじゃないですかぁ……」
つらつらと棚のワインの解説を始めるジャスミンに、うんざりした顔のパーム。
……と、ジャスミンは、ボトルを1本手に取って、呟いた。
「……1本くらい、良いよな?」
それを聞きつけたパームは、慌てて彼を止める。
「いや! ダメに決まってるでしょ! 泥棒です、それは!」
「いや、ちょっと味見するだけ! ちょっと! グラス4杯だけ……」
「それ全然ちょっとじゃないですよね! ……いや、量の問題じゃなくって!」
「何だよ、いいコぶりやがって! 俺が、もう何日酒を呑んでないと思ってるんだ? 目の前に酒が並んでるのに、手を出せないとか、拷問だよ、拷問!」
そう言いながら、ジャスミンは素早くナイフを取り出して、彼を止めようとむしゃぶりついてくるパームから身を躱しつつ、コルク栓を――抜いた。
「あ――――!」
「いた、だき、まーっす!」
ジャスミンは瓶に直接口をつけ、ラッパ飲みをした。
ごく、ごく、と音を立てて、彼の喉が上下し、
「ぷ、はあ~ッ! 美味い、美味すぎる! もう一杯ッ!」
瓶から口を離すと、大声で叫んだ。
「あ――――ッ! 本当に呑んじゃった……!」
愕然とするパーム。血相を変えて、ジャスミンに詰め寄る。
「な……何をしてるんですか、あなた! シレネさんにバレたらどうするんですか? 追い出されちゃいますよ、僕たち!」
「……うるさいなぁ……1本くらい、黙ってればバレねーよ」
「黙ってれば……て、神に使える身として黙ってられません!」
「……頭が固いよ~。ココは宜しく忖度しといてくれよ~」
そう言ってヘラヘラと笑うジャスミンに、毅然と指を突きつけながら、パームは言う。
「忖度なんてしません! 僕は正直にシレネさんにお話しして、何とかお赦しを頂き――」
「あ! いい事考えた♪」
ジャスミンは、そう呟くと、おもむろにパームの襟元を掴んで引き寄せた。
「……へ? え?」
突然の早業に、なすすべもなく囚われるパーム。
ジャスミンは、そんな彼の口にワインボトルを突っ込む。
「お前も――共犯にしちゃえば、告げ口なんて出来ないよな!」
「ン――――ッ!」
抵抗するパームを押さえつけて、瓶を傾ける。
「ンーッ! ゴボッゴボッ……」
抗うパームの努力も虚しく、瓶の中身が、彼の喉を通過していく。
「! ……! ………………」
パームは目を白黒させていたが、急に力が抜けて、床で大の字になってノビてしまった。
「……あ、ヤベ……やり過ぎたか?」
空になってしまったワインボトルを手に、流石に少し焦るジャスミン。
白目を剥いてノビているパームの傍らにしゃがみ、恐る恐る身体を揺すってみる。
「……あのー、パーム……? 起きて~」
反応は無い。
「もしもーし……パームさーん……生きてますか~……」
反応無し。
「おーい! パーム~ッ! 戻ってこ~い!」
ジャスミンが、焦って、一際激しくパームの身体を揺すった……
次の瞬間、
「!」
パームの目がクワッと見開かれた――!
以前は、バルサ王国東部最大の都市に相応しい盛況を誇っていたサンクトルだが、ダリア傭兵団改め、チャー傭兵団に占領されてしまった今では、その様子は見る影もない。
人々は、粗暴な傭兵たちに怯え、店は固く扉を閉じ、恐れて誰も夜の街を歩こうとしない。
今のサンクトルの夜の顔は、瀕死のそれだった。
ただ一角を除いては……。
「お――――い! 女将! コッチにジョッキ5杯頼む!」
「オレは、赤ワイン……いや、やっぱりロゼ! ボトルでくれ!」
「枝豆追加よろ~!」
『飛竜の泪亭』の狭い店内に、野卑な胴間声がアチコチから掛けられる。
「あー、はいはい! 順番に出すから、ちょっと待っててね!」
カウンターの中で、忙しげに動きながら、『飛竜の泪亭』の女将であるシレネは笑顔で応対する。
「はいッ! ジョッキ! お待ちぃ!」
「お! すまねえ!」
両手に持ったジョッキ5つを、ドンッと音を立ててテーブルに置く。
「シレネは、良く働くよなぁ~……どうだ? オレんとこに嫁に来ないか?」
そのテーブルに座る、頬にキズのある傭兵が、惚れ惚れしながら言う。
「ちょ、お前! 何勝手にシレネさんを口説きにかかってるんだよ!」
「テメエ、表に出ろ! シレネちゃんは、皆のシレネちゃんなんだぞ! 抜け駆けしようとするんじゃねえ!」
「残念だがな。シレネは俺がもう予約済みなんだよ!」
「オイこら待てやぁ!」
たちまち、居合わせた傭兵達の間に、剣呑な空気が満ちる。
と、
「はいはーい! そこまでよ~!」
パンパンと手を叩いて場を収めたのは、シレネだった。
「ウチの店で暴れないでよっ! この店が無くなったら、困るのはアナタ達でしょ? お酒飲む所、無くなっちゃうわよ!」
「……お、おう……それを言われてしまうと……」
「ココは、楽しくお酒を呑む所よ。喧嘩する人は、出禁だよ!」
「「「スミマセンでした!」」」
一斉にひれ伏す傭兵たち……。
シレネは、その中央でニッコリと破笑った。
「いい子ね! さあ、みんな! じゃんじゃん呑んで! ……楽しくね!」
「ああ……楽しそうだなぁ……」
ワイン蔵の明かり取りの窓にしがみついて外を見ながら、ジャスミンは羨ましげに呟いた。
居酒屋の建物からは、乾杯の音頭や、グラスが鳴る音、音程の外れた下手くそな歌声が漏れ聴こえてくる。
「……こっちは、こんな薄暗くて黴臭いワイン蔵の中で、黒パンを齧りながら息を潜めてるっていうのによぉ……」
「……しょうがないじゃないですか。もし、傭兵達に見つかりでもしたら、僕たちはどうされるか分からないんですから……」
固い黒パンを千切り、ミルクに浸して食べながら、パームは言った。
「それに、この黒パンだって、味は悪くないですよ。少なくとも、神殿のパンよりは柔らかくて美味し……」
「あ! お前も、やっぱりあの堅パンが美味くないって思ってたんだな! 俺に、美味しい美味しいって薦めてきたくせに!」
「い……いえ! あの堅パンは堅パンで、独特の風味があって……」
痛い所をつかれ、しどろもどろになるパーム。
ジャスミンは、ジト目で彼を見やると、小窓から離れ、棚のボトルのラベルを物色する。
「いや……ホントにヴィンテージワインの山だぜ、この蔵……。年代だけ古いワインだけじゃなくて、特に評価の高い年のワインを取り揃えてる」
ジャスミンは、棚からボトルを1本取り出して、ラベルを指さす。
「例えばコレ……シュツナルベリの65年物……まだ年数は浅いけど、この年は稀に見る凶作の年で、質の高いワインがほとんど出来なかった。だから、ラベルに三ツ星入ったこのボトルは、より貴重な最高級ワインなんだ」
「へ、へえ~」
「――で、こっちは、ナイサックでしか採れない、ライネルアカブドウの果実――しかも、生きた人間だけを喰わせて育てた、特別な果実を貴腐ワインに仕立てた逸品、通称『ナイサック人の血』! 俺も現物は初めて見たぜ……」
「うえぇ……ネーミング、そのまんまじゃないですかぁ……」
つらつらと棚のワインの解説を始めるジャスミンに、うんざりした顔のパーム。
……と、ジャスミンは、ボトルを1本手に取って、呟いた。
「……1本くらい、良いよな?」
それを聞きつけたパームは、慌てて彼を止める。
「いや! ダメに決まってるでしょ! 泥棒です、それは!」
「いや、ちょっと味見するだけ! ちょっと! グラス4杯だけ……」
「それ全然ちょっとじゃないですよね! ……いや、量の問題じゃなくって!」
「何だよ、いいコぶりやがって! 俺が、もう何日酒を呑んでないと思ってるんだ? 目の前に酒が並んでるのに、手を出せないとか、拷問だよ、拷問!」
そう言いながら、ジャスミンは素早くナイフを取り出して、彼を止めようとむしゃぶりついてくるパームから身を躱しつつ、コルク栓を――抜いた。
「あ――――!」
「いた、だき、まーっす!」
ジャスミンは瓶に直接口をつけ、ラッパ飲みをした。
ごく、ごく、と音を立てて、彼の喉が上下し、
「ぷ、はあ~ッ! 美味い、美味すぎる! もう一杯ッ!」
瓶から口を離すと、大声で叫んだ。
「あ――――ッ! 本当に呑んじゃった……!」
愕然とするパーム。血相を変えて、ジャスミンに詰め寄る。
「な……何をしてるんですか、あなた! シレネさんにバレたらどうするんですか? 追い出されちゃいますよ、僕たち!」
「……うるさいなぁ……1本くらい、黙ってればバレねーよ」
「黙ってれば……て、神に使える身として黙ってられません!」
「……頭が固いよ~。ココは宜しく忖度しといてくれよ~」
そう言ってヘラヘラと笑うジャスミンに、毅然と指を突きつけながら、パームは言う。
「忖度なんてしません! 僕は正直にシレネさんにお話しして、何とかお赦しを頂き――」
「あ! いい事考えた♪」
ジャスミンは、そう呟くと、おもむろにパームの襟元を掴んで引き寄せた。
「……へ? え?」
突然の早業に、なすすべもなく囚われるパーム。
ジャスミンは、そんな彼の口にワインボトルを突っ込む。
「お前も――共犯にしちゃえば、告げ口なんて出来ないよな!」
「ン――――ッ!」
抵抗するパームを押さえつけて、瓶を傾ける。
「ンーッ! ゴボッゴボッ……」
抗うパームの努力も虚しく、瓶の中身が、彼の喉を通過していく。
「! ……! ………………」
パームは目を白黒させていたが、急に力が抜けて、床で大の字になってノビてしまった。
「……あ、ヤベ……やり過ぎたか?」
空になってしまったワインボトルを手に、流石に少し焦るジャスミン。
白目を剥いてノビているパームの傍らにしゃがみ、恐る恐る身体を揺すってみる。
「……あのー、パーム……? 起きて~」
反応は無い。
「もしもーし……パームさーん……生きてますか~……」
反応無し。
「おーい! パーム~ッ! 戻ってこ~い!」
ジャスミンが、焦って、一際激しくパームの身体を揺すった……
次の瞬間、
「!」
パームの目がクワッと見開かれた――!
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