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第六章 Fighting Fate

黒曜石と紅玉

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 「ねぇ! 牢番! 返事しなさいよぉん!」
「……うるせえなあ、団長さんよぉ!」

 地下牢の格子の奥からの濁声に、牢番役に回された鍛冶屋のセサリアズは、苛立ちながら怒鳴り返す。

「今度は何だよ! クソなら、そこにある糞壺で済ませろって言っただろ!」
「違うわよぉん! 喉が渇いたから、謁見の間のワイン棚に置いてあるベクシードワインを取ってきてよぉん!」
「……おい、アンタ、今の自分の立場が分かってんのか?」
「何よぉん! アタシを誰だと思ってるのよぉん!」
「……クソ五月蠅うるさい捕虜」
「キイイイッ! アンタ、覚えてなさいよ! アタシの正体を知ったら、バルサ王も仰天して、アタシに頭を下げる事になるんだからねぇん!」
「あーハイハイ」

 セサリアズは、これ以上付き合ってられんと、まだ背中で喚き散らしまくっている傭兵団団長チャーを無視して、入り口の詰め所に戻る。

「まったく……今日はツイてねえ」

 詰め所の粗末な椅子に座り、すっかりぬるくなったバルを呷る。いくらカルティンに負けたからと言っても、こんなに注文の多い捕虜の見張りをするのは、割に合わない仕事だ。

「……ちっ! 切れちまった!」

 彼は、逆さにしても一滴のバルも吐き出さない瓶に毒づき、床に叩きつけた。耳障りな音を立てて、瓶が粉々に割れる。

「……ったく、ワインが欲しいのは、俺の方だっつーの!」
「――あら、ワインの方が良かったかしら?」
「へ――?」

 彼の独り言に対して、答えが返ってきた事に仰天する。――しかも、地下牢こんな所にまったくそぐわない、若い女の声だった事に、彼は戸惑う。
 立ち上がって周りを見回すと、地下牢の入り口の扉を開けて、片腕にバスケットを提げて、頭にはすっぽりフードを被った若い女が入ってきた。

「お、おい……アンタは?」
「――シレネよ。差し入れに来たわ」

 女はそう言うと、テーブルの上に、バスケットの中身を並べ始めた。バルの瓶に、チーズの切り身……!

「お! ありがてえ! 丁度切らしちまって、困ってたところなんだ!」

 セサリアズは、喜色を満面に浮かべると、舌なめずりをする。
 ウキウキとした様子で、椅子に腰掛け、震える手でグラスを手にする。

「――どうぞ」
「お……おう! すまねえ!」

 慣れた手つきで、シレネがグラスにバルを注ぐ。

「いやあ、今日はツイてねえと思ったけど、そんな事は無かったな! シレネ姐ちゃんの手酌で酒が飲めるとは……!」

 しかも、一対一サシで! セサリアズは、天にも昇る気分で、グラスを高く掲げる。

「じゃ、かんぱ――――」

 ――彼の上機嫌の乾杯の言葉は、途中で鈍い打撃音に遮られた。
 セサリアズは口を開けたまま、白目を剥いてテーブルの上に突っ伏した。

「ゴメンね……アナタ、やっぱり今日はツイてなかったわよ」

 セサリアズの後頭部を強かに打ったバルの瓶を、逆手に握ったままシレネは呟いた。

「本当は手荒な事しないで、お婆さんファミルデトンみたいに、目薬で眠らせてあげたかったんだけど……ちょっと時間が無いみたいだから……」

 気絶しているセサリアズの耳には、もはや届かない弁解をすると、踵を返し、ゆっくりと近づく――奥の牢舎へと。

「――ねえ! ちょっと、何かあったの? 凄い音がしたけど! おーい!」

 格子の奥からは、耳障りな濁声が聞こえてくる。シレネは、グッと奥歯を噛み締めた。

「……チャー……ね?」

 努めて平静な口調を心がけて発音したつもりだったが、声が震えてしまっているのが、自分でも分かった。
 ……落ち着け! シレネは、逸る心を必死で抑えつけて、ともすれば叫び出したくなる衝動を堪える。

「……違うわよん」
「――?」

 想定外の否定の言葉。シレネは驚き、思わず格子を掴んで、中の人物を凝視する。
 鎖で両手を拘束された、バル樽のように肥大した身体を持つ男は、憮然とした顔で、シレネを睨む。

「アタシは、チャーよぉん! 間違えてもらっちゃこまるわぁん! あと、様をつけなさいよ、このブスっ!」
「そ――そんな事はどうでもいいわよっ!」

 思わず声を荒げるシレネ。その紫の瞳は、興奮と憤怒で、ギラギラと光っている。

「……いえ! アナタはチャーなんて名前でも無い! そうでしょ? !」
「――ッ!」

 その名を聞かされて、牢舎の奥の男が、明らかに動揺したのが空気から分かった。

「……な、何故、その名を……?」
「分からないかしら? ――じゃあ、これなら分かる?」

 そう叫ぶと、シレネはフードをはね除け、茶色の頭髪を両手で掴み――
 背中まで届く茶髪の鬘を取り去った後には――肩に届く長さの、炎の様に紅い髪が現れた。
 ――そして、両目に指を入れて、瞳に入れていた。――青いレンズの下から現れたのは、ルビーのように真っ赤な、透き通った瞳――。
 そして最後に、彼女は手にした小瓶の中身を己の顔に振りかけ、取り出した布でゴシゴシと拭き取る。みるみる、彼女の化粧は落とされていく。
 化粧がすっかり落とされた彼女の顔は、それまでの彼女の顔よりも数段階は上であろうと断言できる、白亜の彫刻の如く整った美貌だった。――だが、その顔は、底知れぬ悲しみと怒りが浮かんでいる。
 と、彼女の顔を見たチャーが、激しく狼狽える。

「あ……ああ! キサマ……いや、アンタは……!」
「……ようやく分かった? じゃあ、私が今ここに居る理由も解るわね……!」
「え……ええ! もちろん!」

 チャーは、大きく頷いた――希望に目を輝かせて。

「アナタ、シュダの命令で、アタシを助けに来てくれたんでしょう! さすが、シュダ! やっぱり、アイツにはアタシが必要なのねぇん♪」
「は? ち――違う! 全然違う! 逆よっ!」

 脳天気にはしゃぐチャーの言葉を、金切り声で遮る彼女。
 彼女は、腰に提げた長鞭を握りしめ、

『……火を統べし―― フェイムの息吹 命の炎! 我が手に宿り 全てを燃やせッ!』

 聖句を唱える。長鞭は、たちまち彼女の髪の色と同じ真紅の炎に包まれる。

「ひ――! な、何をしようというの……アンタは!」
「……何って――決まってるでしょ!」

 激昂した彼女の渾身の一撃が、牢舎の格子に炸裂した。威力と熱で、格子は瞬く間に寸断され、真っ赤になって溶け落ちる。

「――よ!」
「ひ――! ひぃぃぃぃいいいいいっ!」

 チャーは、悲鳴を上げ、ズリズリと芋虫のように這いずりながら、牢舎の奥の壁へ身体を押し付ける。
 彼女は、燃え上がる鞭を引きずりながら、切り裂いた格子の隙間をくぐり抜け、ゆっくりとチャーへと近づいていく。

「か……仇討ちって……な、何の事よぉん!」
「……まだしらばっくれるの? 貴方が、10年前に……殺したっ――私の、姉様……ロゼリアの――仇よ!」

 彼女は、嗚咽を漏らしながら叫び、その目からは大粒の涙が次々と流れ落ちる。
 ――チャーは、それを聞き……ブルブル震えながら、必死で首を横に振る。

「し――知らないわよ! ロゼ……アンタの姉さんの事なんて、アタシ知らなぁいっ!」
「……この期に及んで、まだそんな事を――!」

 彼女は、砕けんばかりに奥歯を噛み締めると、手にした炎鞭フレイムウィップを振り上げる。

「もういいっ! このまま! そして、彼岸むこうで姉様に詫び――!」
「もう止めろ!」
「――!」

 彼女を止める第三者の声に、復讐に濁った彼女の瞳に光が戻る。
 ユラリと後ろを振り返る彼女の目に、肩で息をしながら立ちつくす、茶髪の青年の姿が映った。

「…………ジャス」
「……は止めるんだ、シレネ。――いや」

 ジャスミンは、一旦口を噤むと、輝く黒曜石の瞳で、彼女の紅玉ルビーの瞳を見つめ、

「――――……」
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