6 / 58
第1章
4・琥珀の瞳の騎士
しおりを挟む数日後。
教会の中庭には、柔らかな陽の光が差し込んでいた。
さわさわと静かな風が花壇の花を揺らしている。
いつも通りの穏やかな昼下がりだった。
「はいこれ、こないだの依頼への返信よ」
前回セリナから手紙を受け取ったあと、依頼へ向かう予定を調整した。今日は、セリナにその返信を渡す日だ。
「うん、確かに預かったわ」
来月の依頼へ向かう日にちを記した手紙の束をセリナに手渡す。
「今日も聖女様は不在?」
「当然でしょ」
今日も今日とて、聖女ミレシアは恋人とデートである。
朝からご丁寧に「ごめんなさい、お姉様。今日もアレクシス様とデートなの」と報告しに現れ、軽やかな足取りで出かけていった。
(しっかし、毎日毎日飽きもせずにデートとは……。本当にいいご身分ね……)
こちらは聖女の代わりとして、教会に住み込みで休みなく祈りを捧げているというのに。
一応聖女宛の依頼であることからミレシアにスケジュールの話をしようとしたものの、連日ものの見事に話をそらされた。一瞬も祈らないくせに毎日教会には顔を出す。周囲には、ミレシアは毎日教会へ足を運ぶ献身的な聖女として映っているに違いない。
挙句の果てには「わかんないからお姉様にぜんぶ任せるわ!」と笑顔で言い残して、元気に恋人とデートへ向かう始末。
(わかんないんじゃなくて、そもそも興味が無いんでしょ……。私には、あの子は手に負えないわ……)
ここまでくると、もはや諦めの境地だ。
「やってらんないわねー。あんた、無理しちゃだめよ?」
しかしその瞬間、セリナの視線がふと遠くへ向かい……。そして一瞬のうちに表情が凍りついた。
「……げえ!」
「ちょっとセリナ……げえって……」
淑女らしからぬ叫びをあげたセリナに、つい眉をひそめてしまう。
彼女はこれでも子爵家の三女のはずだ。
「ししし、仕方ないでしょ!? だってほら! この間話したの覚えてる!? 新しい聖騎士団長が決まったって話!!」
「お、覚えてるけど……」
セリナは私の腕をがしりとつかむと、ヘーゼルの瞳を見開いて囁くように言った。
「あの人よ! 新しい聖騎士団長!! 私、怖いから帰るね!」
セリナは私から受け取った封筒を大慌てで懐にしまうと、脱兎のごとく走り去って行った。
「え? あ、ちょっと!」
残された私は、セリナの視線の先にいた人物へと視線を向ける。
そこには、白い騎士服に身を包んだ、鋭い眼差しの男性が立っていた。
襟足長めの黒髪は陽光を吸いこんだかのように艶やかで、かたく張り詰めたその表情には一切の隙がない。鋭い琥珀の瞳は、真っ直ぐにこちらを射抜いていた。
「……ああ。やっと……ここまで来れた」
男性は、掠れた声でぽつりとこぼした。
言葉のもつ意味は、私には分からない。
ただ分かるのは、男性が真剣な瞳で教会と私を見つめていたことだ。
(この人が、聖騎士団長――?)
こつこつと石畳を叩く靴音が、中庭に固く響く。
男はゆっくりと、しかし確かな足取りでこちらへ向かってきていた。
彼が一歩一歩こちらへ歩みを進める度に、中庭の空気が張り詰めたものへと変わっていく。
「……あなたは、俺を覚えているか」
「え? あの、私は――」
(覚えている……? なんの話?)
彼の琥珀の瞳には既視感があった。
3年前のあの夜。祭壇の間のキャンドルの明かりに照らされた琥珀の瞳を見た。
全身が血にまみれ、生死の境をさまよっていた騎士が、ようやく瞳を開いた時にみせたその輝きを彷彿とさせる。
でも、あの時の騎士の顔を思い出せないのだ。名前も、声も、何も知らない。
「……覚えては、いないのだろうな。それでいい」
呟いた男性の声は、どこか寂しげで諦めにも似た響きを含んでいた。
彼は私の目の前まで進み出ると、静かに片膝をついた。
白い騎士服の裾が、石畳の上に触れる。
その姿はまるで、絵画の中から抜け出してきたような――主に忠誠を誓う騎士そのものだ。
……いや、正真正銘、彼は騎士なのだけれど。
「俺は、本日付けでセレノレア王国聖騎士団団長に任命された、クラウス・グレイフォードだ。本日は挨拶のためにうかがった。以後、よろしく頼む。聖女殿」
「え、あ、はい……!」
反射的に返事をしたものの、私の頭の中はすっかり混乱しきっていた。
先程から、クラウス様の言葉の意味を上手く掴むことが出来ないせいもあるだろう。
それに加えて、クラウス様は私のことを『聖女』だと思っている様子。
けれど、私は聖女ではない。ただの聖女補佐官だ。
(て、訂正しなきゃ……!)
「あの……!」
意を決して口を開いたものの、クラウス様は既に立ち上がり背を向けてしまっていた。
呼び止める間もなく、白い騎士服は陽光に溶けるようにして、静かに鉄扉の方へと向かっていく。
(……行っちゃった)
言いそびれた言葉が喉の奥に残る。
次にクラウス様と会った時には、私は聖女ではなく聖女補佐官なのだと、きちんと訂正しなければいけない。
(でも、どうして私が聖女だなんて思ったの?)
教会にいたのが私だけだったから、そう思ったのだろうか。
だから私を聖女だと勘違いした?
(それに……)
なぜだろう。
彼のあの琥珀の瞳を思い出すだけで、心の奥がざわめく。
彼が、セリナの言っていた「血も涙もない冷血な悪魔」な人なのだろうか。
私にはそうは思えなかった。
クラウス様の瞳は確かに鋭く、引き結ばれた口元からは冷たく硬質な印象を受ける。だけれど、それ以上に、どこか寂しげだった。
中庭に風がふきぬける。
さわさわと花が揺れる音だけが響いていた。
58
あなたにおすすめの小説
冷徹公爵閣下は、書庫の片隅で私に求婚なさった ~理由不明の政略結婚のはずが、なぜか溺愛されています~
白桃
恋愛
「お前を私の妻にする」――王宮書庫で働く地味な子爵令嬢エレノアは、ある日突然、<氷龍公爵>と恐れられる冷徹なヴァレリウス公爵から理由も告げられず求婚された。政略結婚だと割り切り、孤独と不安を抱えて嫁いだ先は、まるで氷の城のような公爵邸。しかし、彼女が唯一安らぎを見出したのは、埃まみれの広大な書庫だった。ひたすら書物と向き合う彼女の姿が、感情がないはずの公爵の心を少しずつ溶かし始め…?
全7話です。
恐怖侯爵の後妻になったら、「君を愛することはない」と言われまして。
長岡更紗
恋愛
落ちぶれ子爵令嬢の私、レディアが後妻として嫁いだのは──まさかの恐怖侯爵様!
しかも初夜にいきなり「君を愛することはない」なんて言われちゃいましたが?
だけど、あれ? 娘のシャロットは、なんだかすごく懐いてくれるんですけど!
義理の娘と仲良くなった私、侯爵様のこともちょっと気になりはじめて……
もしかして、愛されるチャンスあるかも? なんて思ってたのに。
「前妻は雲隠れした」って噂と、「死んだのよ」って娘の言葉。
しかも使用人たちは全員、口をつぐんでばかり。
ねえ、どうして? 前妻さんに何があったの?
そして、地下から聞こえてくる叫び声は、一体!?
恐怖侯爵の『本当の顔』を知った時。
私の心は、思ってもみなかった方向へ動き出す。
*他サイトにも公開しています
お堅い公爵様に求婚されたら、溺愛生活が始まりました
群青みどり
恋愛
国に死ぬまで搾取される聖女になるのが嫌で実力を隠していたアイリスは、周囲から無能だと虐げられてきた。
どれだけ酷い目に遭おうが強い精神力で乗り越えてきたアイリスの安らぎの時間は、若き公爵のセピアが神殿に訪れた時だった。
そんなある日、セピアが敵と対峙した時にたまたま近くにいたアイリスは巻き込まれて怪我を負い、気絶してしまう。目が覚めると、顔に傷痕が残ってしまったということで、セピアと婚約を結ばれていた!
「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」
こんな怪我、聖女の力ですぐ治せるけれど……本物の聖女だとバレたくない!
このまま正体バレして国に搾取される人生を送るか、他の方法を探して婚約破棄をするか。
婚約破棄に向けて悩むアイリスだったが、罪悪感から求婚してきたはずのセピアの溺愛っぷりがすごくて⁉︎
「ずっと、どうやってこの神殿から君を攫おうかと考えていた」
麗しの公爵様は、今日も聖女にしか見せない笑顔を浮かべる──
※タイトル変更しました
『完璧すぎる令嬢は婚約破棄を歓迎します ~白い結婚のはずが、冷徹公爵に溺愛されるなんて聞いてません~』
鷹 綾
恋愛
「君は完璧すぎる」
その一言で、王太子アルトゥーラから婚約を破棄された令嬢エミーラ。
有能であるがゆえに疎まれ、努力も忠誠も正当に評価されなかった彼女は、
王都を離れ、辺境アンクレイブ公爵領へと向かう。
冷静沈着で冷徹と噂される公爵ゼファーとの関係は、
利害一致による“白い契約結婚”から始まったはずだった。
しかし――
役割を果たし、淡々と成果を積み重ねるエミーラは、
いつしか領政の中枢を支え、領民からも絶大な信頼を得ていく。
一方、
「可愛げ」を求めて彼女を切り捨てた元婚約者と、
癒しだけを与えられた王太子妃候補は、
王宮という現実の中で静かに行き詰まっていき……。
ざまぁは声高に叫ばれない。
復讐も、断罪もない。
あるのは、選ばなかった者が取り残され、
選び続けた者が自然と選ばれていく現実。
これは、
誰かに選ばれることで価値を証明する物語ではない。
自分の居場所を自分で選び、
その先で静かに幸福を掴んだ令嬢の物語。
「完璧すぎる」と捨てられた彼女は、
やがて――
“選ばれ続ける存在”になる。
この婚約は白い結婚に繋がっていたはずですが? 〜深窓の令嬢は赤獅子騎士団長に溺愛される〜
氷雨そら
恋愛
婚約相手のいない婚約式。
通常であれば、この上なく惨めであろうその場所に、辺境伯令嬢ルナシェは、美しいベールをなびかせて、毅然とした姿で立っていた。
ベールから、こぼれ落ちるような髪は白銀にも見える。プラチナブロンドが、日差しに輝いて神々しい。
さすがは、白薔薇姫との呼び名高い辺境伯令嬢だという周囲の感嘆。
けれど、ルナシェの内心は、実はそれどころではなかった。
(まさかのやり直し……?)
先ほど確かに、ルナシェは断頭台に露と消えたのだ。しかし、この場所は確かに、あの日経験した、たった一人の婚約式だった。
ルナシェは、人生を変えるため、婚約式に現れなかった婚約者に、婚約破棄を告げるため、激戦の地へと足を向けるのだった。
小説家になろう様にも投稿しています。
天才すぎて追放された薬師令嬢は、番のお薬を作っちゃったようです――運命、上書きしちゃいましょ!
灯息めてら
恋愛
令嬢ミーニェの趣味は魔法薬調合。しかし、その才能に嫉妬した妹に魔法薬が危険だと摘発され、国外追放されてしまう。行き場を失ったミーニェは隣国騎士団長シュレツと出会う。妹の運命の番になることを拒否したいと言う彼に、ミーニェは告げる。――『番』上書きのお薬ですか? 作れますよ?
天才薬師ミーニェは、騎士団長シュレツと番になる薬を用意し、妹との運命を上書きする。シュレツは彼女の才能に惚れ込み、薬師かつ番として、彼女を連れ帰るのだが――待っていたのは波乱万丈、破天荒な日々!?
罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~
上下左右
恋愛
「貴様のような疫病神との婚約は破棄させてもらう!」
触れた魔道具を壊す体質のせいで、三度の婚約破棄を経験した公爵令嬢エリス。家族からも見限られ、罰として鬼将軍クラウス辺境伯への嫁入りを命じられてしまう。
しかしエリスは周囲の評価など意にも介さない。
「顔なんて目と鼻と口がついていれば十分」だと縁談を受け入れる。
だが実際に嫁いでみると、鬼将軍の顔は認識阻害の魔術によって醜くなっていただけで、魔術無力化の特性を持つエリスは、彼が本当は美しい青年だと見抜いていた。
一方、エリスの特異な体質に、元婚約者の伯爵が気づく。それは伝説の聖女と同じ力で、領地の繁栄を約束するものだった。
伯爵は自分から婚約を破棄したにも関わらず、その決定を覆すために復縁するための画策を始めるのだが・・・後悔してももう遅いと、ざまぁな展開に発展していくのだった
本作は不遇だった令嬢が、最恐将軍に溺愛されて、幸せになるまでのハッピーエンドの物語である
※※小説家になろうでも連載中※※
数多の令嬢を弄んだ公爵令息が夫となりましたが、溺愛することにいたしました
鈴元 香奈
恋愛
伯爵家の一人娘エルナは第三王子の婚約者だったが、王子の病気療養を理由に婚約解消となった。そして、次の婚約者に選ばれたのは公爵家長男のリクハルド。何人もの女性を誑かせ弄び、ぼろ布のように捨てた女性の一人に背中を刺され殺されそうになった。そんな醜聞にまみれた男だった。
エルナが最も軽蔑する男。それでも、夫となったリクハルドを妻として支えていく決意をしたエルナだったが。
小説家になろうさんにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる