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第3章
36・あの夜が重なる
しおりを挟む「……何を言っている?」
クラウス様は私の言葉に、怪訝そうな様子で眉を寄せた。
「妹とは、瞳の色が違いますが……。背格好と、髪の色は似ています。ミレシアと私を、勘違いされてはいませんか……?」
腹違いとはいえ姉妹であるはずなのに、ミレシアと私の顔立ちはまるで違う。私もミレシアも、それぞれお互いの母親似なのだろう。
ミレシアの瞳は澄んだエメラルド。対して私はくすんだブルーグレー。
似ているといえばせいぜい髪の色くらいだが、それでも、輝くようなミレシアの金髪には勝てない。
ミレシアは、両親や貴族の男性から愛を向けられても当然のような、可愛らしい見た目をしている。
だから、クラウス様がミレシアを私を取り違えていて、本当はミレシアを愛していると言われても、悲しいが納得してしまうのだ。
「あなたの妹君に会ったことがないからよく分からないが……。俺が想いを向けているのは、あなただけだ」
しかしクラウス様は、私の卑屈な感情をあっさりと一蹴するように言葉を重ねた。
「教会に挨拶へ向かったあの日、一目見たときにわかった。あなたがあの日の聖女で間違いないと」
その言葉に、胸の奥がきゅっとなったような気がした。
クラウス様の瞳は、まるで過去を確かめるように私を見つめている。
「……三年前、俺は前線で命にかかわるほどの大怪我を負った。死を覚悟するほどのものだ」
(……三年前?)
クラウス様の口から静かに放たれた、三年前という言葉に、どうしても反応してしまった。
三年前は、私にとっても転機だ。
大怪我を負った琥珀の瞳の騎士を治癒したはずなのにその記録はなく、代わりとでもいうように「騎士の命を救ったのは聖女ミレシアの奇跡」と記録された。
私とミレシアの運命が変わった夜。
(ん……? あれ? 琥珀の瞳の騎士……?)
「だが、俺は死ななかった。……あなたが助けてくれたからだ。あの夜のことは忘れもしない」
引っかかるものを感じて、私は過去を語るクラウス様の瞳をじっと見つめた。
目の前にあるのも、琥珀の瞳だ。
……三年前の夜に教会で見た、真っ直ぐな琥珀の瞳と同じ。
「教会に運び込まれ……意識が朦朧とする中、俺を癒すあなたの祈りの声を聞いた。目を開けて、揺れるキャンドルの光の中で、照らされるあなたの――美しいブルーグレーの瞳を見た。これが間違いであるものか」
三年前。夜。教会。
まるでばらばらだったパズルのピースがはまっていくような心地だった。
(もしかしてこの人は……あの夜の、琥珀の瞳の騎士?)
名前も知らなかった。暗がりと疲れのせいで顔もおぼろげだ。
それでも不思議と、あの夜の騎士がクラウス様だったのだという事実は、ストンと私の中に収まったのだ。
「……覚えられていなくてもいい。あの夜に、俺は誓った。あなたを守るためだけの騎士になると」
「…………覚えて、います」
私の心からこぼれ落ちるように言葉が溢れた。
どうして気づかなかったのだろう。
「治癒の力を強く使ったのは、あの夜が初めてだったんです。……忘れるわけがありません」
「……そうか」
クラウス様のその返答からは、どことなくほっとしているように感じられた。
(どうしよう)
目頭がなんだか熱い。
前を見ていられなくて、私は足元へ視線を向けた。
「すぐに気づけなくて……ごめんなさい」
「……謝らなくていい。別に覚えていなくても不思議じゃない」
クラウス様はそう言ってくれるけれど、申し訳なさはそう簡単に消えるものではない。
クラウス様が見ていたのは、ミレシアではなくずっと私だった。
すぐに私が気づかなかったせいだった。
嬉しいはずなのに、どこか悲しくて、少し苦しいのはなぜなのだろう。
(ああそうか)
考えて、すぐにわかった。
引き離される未来が目に見えているからだ。
だから喜びと同じだけ、苦さがあるのだ。
ミレシアが見つかったら、私たちは終わりだ。
いくら想いあっていようと、あの親には関係ない。私なんかよりもミレシアの将来の方が大事に決まっている。
(……このまま、ミレシアが戻ってこなかったら……)
人の不幸なんて願いたくないのに、その時ほんの少しだけ、頭を掠めてしまった。
このままずっとミレシアが見つからなければ、クラウス様のそばにずっといられるかもしれない。
それならばいっそ、戻ってこなければいいのに、と。
(嫌だ……。なんて私は醜いんだろう)
姉としても、聖女の血を引く人間としても、きっと失格だ。
思考がぐちゃぐちゃで、黙り込んでしまった私に、クラウス様はふうと息を吐いた。
そこにはただ、私を見守る優しさが込められていた。
「……もし、俺の想いが迷惑でないのなら、これを受け取って欲しい。あなたのために選んだものだ」
クラウス様は語りかけるようにそう言うと、懐から小さな箱を出した。
箱を開いて、そっと中身を差し出す。
中には、小さな宝石のついたネックレスがあった。
「こんな、素敵なもの……」
受け取れない、と反射的に言葉にしそうになって、口をつぐむ。
ここで受け取らないのは、クラウス様の想いを拒否することと同義だと気づいたのだ。
「……これ、つけていただいてもいいですか?」
その代わりに勇気をだして、小声で尋ねてみた。
私がそう言うとは思ってもいなかったのか、クラウス様は少しだけ目を見開いた。
「……俺がか? 人にアクセサリーをつけたことなどないんだが……」
クラウス様はしばらく迷う素振りを見せていたが、やがて立ち上がって私の後ろへと回った。
クラウス様の気配が、すぐ背後に感じられる。
風が止んだ湖畔はあまりにも静かで、鼓動の音さえ聞こえてしまいそうだった。
私はそっと髪をかき上げて、首元を見せるようにうつむいた。
私の後ろで、クラウス様が慎重にネックレスの留め具を扱っているのがわかる。
自分からつけて欲しいとお願いしたとはいえ、時間が経つごとに気恥ずかしさが増していくような気がした。
「……少し、動かないでくれ」
低く落ち着いた声が、耳元で静かに響く。
やがてカチリと小さな音がして、ネックレスが留められた。
「……痛くはないか?」
私は首にかかるチェーンをなぞり、それからそっと宝石に触れた。
「……はい。ありがとうございます」
きっとこの思い出があれば、クラウス様と別れることになっても私は生きていける。今はただ、そう思い込むしかできなかった。
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