宵待ちカフェ開店です

真風月花

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17、これって不眠症?

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 椿もまじえた夕食は賑やかだったけど。わたしは気もそぞろで、食べた物の味がよく分からなかった。

 今日は和食で、鮎の塩焼きに茄子の煮びたし、しらすと青じその混ぜご飯と、大人っぽいメニューだったのにな。
 デザートはクランベリーと牛乳が二層になったゼリー。
 
 ああ、ちゃんと味わいたかった。

 油で揚げた茄子が、お出汁をたっぷりと含んで。しかも、香り高くてあっさりとした鮎。焼き目のついた皮が、またおいしいのに。
 もったいなかったなー。


 お風呂上がりに、わたしは部屋の前で足を止めた。
 先生の部屋の扉は開いている。この家は風がよく通るから、ほとんどエアコンを使わない。
 チリン、チリンと涼し気な風鈴の音が、一階から聞こえる。

「沙雪か」
「う、うん。なんでわかったの?」
「そりゃあ、足音が止まったからな。入っていいぞ」

 促されて、伊吹先生の部屋に入る。
 どうやらデータの整理をしていたみたいで、たくさんの資料とパソコンを床に置いている。

「沙雪。アルバイトしないか? データ入力、一文字0、三八円」
「十文字で、三、八円。千文字打って、ようやく三百八十円じゃない。安いよ」
「そうか? 相場だろ? うーん、大学生でも雇うかな。学生課に募集をかけてもらうか」
「大学生って、女子学生?」

 思わずわたしは身を乗りだした。そのせいで、大事な資料に手をついちゃった。

「男子でも女子でも、気にしないが。まぁ現地調査に連れていくなら、男子限定だな。女子学生なんか連れて行って、面倒なことになったら困る」

 カタカタと静かにキーボードを打つ音。その音が、急に止まった。

「沙雪。何を気にしているんだ?」
「え?」
「夕食のとき、注意力が散漫だったろ。ゼリーに蓼酢をかけようとしたり、鮎に、わざわざ冷蔵庫から出したマヨネーズをかけようとしたり」
「そうだったっけ」

 覚えてない。

「悩みがあるなら相談に乗るぞ。進路のことか? それとも椿くんみたいに、塾に通いたいのか?」

 ふるふると、わたしは首をふった。
 ホストクラブみたいで、女子が愛憎劇を繰り広げる塾には通いたくない。
 それに塾には秋山のお姉さんがいる。

(宣戦布告って……)

 わたしなんてただの冴えない高校生だから、敵でもなんでもないのに、と思ったけど。
 そう思ったことが、自分自身の心を刺している。

 先生のことは、前から好きだよ。なのに、今まではこんな風な気持ちになったことはない。
 どうしてなのかな。椿なら、説明してくれるのかな。

 なかなか返事しないわたしに、しびれを切らしたのか、先生に顔を覗きこまれた。

 いつもだったら驚いて「ぎゃー!」って叫ぶところなのに。
 今日は悲鳴を飲みこんでしまった。それくらい、驚いたの。

「変だ」

 先生は角度を変えて、わたしの顔を凝視する。
 お願い、そんなに見ないで。

 最近、変なの。これまでなら伊吹先生のこと大好きって、普通に思ってたのに。
 この頃は、そう考えるだけでも切なくなる。先生の瞳に映るわたしは、みっともなくないかな、変じゃないかなって……そんなことが頭をよぎるの。

 以前は、夜もよく眠れてたんだよ。なのに、今は隣の部屋に先生がいると思うと、わたしは寝返りばかりをうって、なかなか寝付くことができない。

 不眠症になっちゃったのかな。

「秋山という奴に、何か言われたのか?」
「え?」

 核心を突いた問いに、思わず口ごもってしまった。

「なるほど。年頃だからな。で、断ったのか?」
「断ったけど……どうしても気になって」

 なんで伊吹先生が、秋山の話を知ってるんだろ。

「気になるのか」
「うん」
「食事に集中できないくらい……か」

 先生の声は低い。落ち着いているっていうよりも、機嫌が悪そうに思えるほどだ。

「断ったのなら、忘れたらいいのではないか」
「そうなんだけど。なんで、わたしなんだろうって」
「誰でもいいというわけには、いかんだろう。沙雪だから、だろ?」

 先生は、わたしに背中を向けてしまった。カチカチとキーボードをたたく音。

 沈黙が怖いよ。

 ねぇ、言わなくていいよね。秋山のお姉さんのこと。断ったんだもん。 
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