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六章

2、訊くのではなかった

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「どうして気づかなかったのでしょう。三王国の湖だというのに、サラーマ側からしか考えていませんでいた。だめですね、こんな偏った見方をしていては」
「は、はぁ」

 ヴェラは、アフタルに気圧されてしまっている。テーブルを拭いたが、またグラスに水を注いでいいかどうか……そればかりが気になっている様子だ。

 湖に近く、木々が多いパラティア地方は水がおいしい。さらに香りづけにライムをピッチャーに入れてあるのだが。アフタルがその味に気付くのは、まだ先になりそうだ。

 レンズ豆を煮こんだスープも冷めてしまったとばかりに、ヴェラはため息をついた。
 熱い方がおいしいのに。

「わたくし、国境を越えます」
「は?」
「なにゆえ、でございますか?」

 ヴェラとミーリャが、揃って首を傾げた。

「よい考えですね。私がお供いたします」

 庭に面したテラスから、食堂に入ってきたのはラウルだった。
 冷涼な朝の大気をまとわせたような立ち姿。彼が歩くだけで、食堂に涼風が吹く心地がする。

 ヴェラは、ぽうっとした様子でラウルを視線で追っている。
 だがすぐに首を振り、自分の頬を軽く叩いた。

「姫さま、あのロヴナという男を追い返してまいりました」
「ありがとう、ラウル。門の外に追い出してくれたのですか?」
「いえ、王都に戻しました」

 外の風で乱れたのか、さらりとした銀の髪を右手で直しながら、ラウルが答えた。
 左手には荒縄を持っている。
 まったくもって清々しくなかった。

「納得しなかったでしょう? フィラに会えなかったのですから」
「ええ。ですから有無を言わさず、王都行きの馬車に乗せました」

(な、なにをしたのでしょう)

「堕落と退廃的な遊びは、彼の心をくすぐるようです。私の存じ上げていた商人キラドは好人物でしたが。時を経ると、同じ血筋でもこうも成り下がるのかと思うと遺憾ですね」
「あの……具体的に言ってもらってもいいですか?」
「はい、姫さまがお望みならば」

 ラウルは礼儀正しく、頭を下げる。

「まず両手首と両足を縛り上げます。抵抗されましたが、構うことはございません。さらに布で目隠しをして、ちょうど通りかかった荷車に王都まで届けるよう頼みました。私はキラド邸の場所を知りませんので、さすがに猿ぐつわを噛ませるのは不憫であろうと、喋れるようにはしておきましたが」

 訊くのではなかった、とアフタルは肩を落とした。

「でも、ちょうど折よく王都行きの荷馬車がありましたね」
「なんでも途中でワインの樽を積むそうです。葡萄畑まで荷車が空というのももったいないので、魚の干物を運んでいました」
「そうですか」

 またワインだ。
 この間から、ワインのことが気にかかる。
 お父さまが運河を建設なさっていたら、それが広い運河ではなくとも、手漕ぎの小さな舟でワインを運搬していただろうに。

「姫さま。あの、お食事の前にまずはお召替えを」

 ヴェラに勧められて、アフタルは席を立たされた。
 気づけば、なぜかドレスのスカートの部分が湿っている。

「あら、不思議ですね。なぜ濡れているのでしょう」
「水がこぼれたんですよ」
「どうりで冷たいと思いました。いつ零れたのでしょうね」
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