魔の女王

香穂

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第一話

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 四方を海に囲まれた島国、リウ王国。
 太陽が昇る東の岬。その先端にあるのが東の神女アガリエが治める城だ。
 島のほとんどがなだらかな丘陵を描くこの国では珍しく、城がある岬は三方が断崖絶壁で、そのたもとでは荒波が岩肌にぶつかっては激しく水飛沫を上げている。風が凪いでいる今でさえそのような状態なのだから、嵐が来たらと考えるとぞっとする。
 城に近づくにつれて砂地が草地へ、やがて石畳へと変わっていった。素足で歩く自分を気遣って、神女のひとりが自らの草履を脱いで勧めてくれたが、有り難く辞退して、彼は前を歩くアガリエに近づいた。
 海で出会った時はあんなに溌剌としていたのに、以降の彼女は驚くほど静かで口数が少ない。
 凛とした横顔に感じるこの違和感は一体何だろうか。
「立派な城だな。ここがきみの城?」
「さようです」
 無言。
 おかしい。幼い頃からずっと思い描いていた理想と全然違う。
 予定では運命的な出会いを果たした暁には、かっこよく名乗りを上げ、かっこよく役目を果たすはずだったのに。まさか出鼻をくじかれるとは情けない。
 どうしたものか、と溜息をつくと、アガリエがこちらを横目で見たが、やはり何も言わず再び前を向いてしまう。愛想の欠片もない。
 前途多難だ。
 だが歩く限りどこかへは到達するらしい。
 朱塗りの門をいくつかくぐり、蛇行する石畳を進んでゆくと、ようやく長い階段の先に本宮が姿を現した。
 王城に比べればそれでもまだ小さいのだろうが、太陽信仰の篤さを示すかのように宮は雄々しく豪奢で、中は隅々まで手が行き届いていた。外壁には石が多用されていたが、防風林の内側には木製の建物も多い。螺鈿細工が煌びやかな朱色の柱がいくつも並んだ回廊などは圧巻の一言だった。精巧な紋様からはこの宮がどれほど芸術性に優れているかが見て取れる。
 こちらへ、と促された先は、水平線が見渡せる石造りの露台だった。
 周囲よりいくらか高くなっている場所は拝所だろうか。そこに神女たちは慌ただしく敷布を広げ、どこからともなく運び込まれた果物や飲み物を並べると、皆下がって行った。
 その場には自分と東の神女アガリエだけが残される。
 潮風が強い。
「神よ」
「俺は神じゃない。マナ使いだ」
「――神よ、ようこそ我が国にお越しくださいました。わたくしは東の神女アガリエと申します。王の娘であり、世継ぎの王子にとっては同腹の妹に、また月神女にとっては姪にあたります」
 どうあっても神と信じたいらしい。
 かわいい顔して頑固だな。
 しかし困ったことに嫌いじゃないのだ、そういう娘は。
「俺は、ゼン」
「ゼン様。どうか我らをお救いください」
「そういえばさっきも言ってたな。なに? 戦?」
「いいえ。王が……不治の病なのです。月神女がどれほど祈りを捧げようと、侍医が手を尽くそうとも回復の兆しはなく。先日は南の果てにあると伝わる神の島へ向けて、王の知己が旅立ったと聞き及んでおります。なんでも、その島には不老不死の妙薬があるのだとか」
 ゼンは風になびく前髪をかきあげ、こっそりと溜息を吐いた。
 不老不死の妙薬が海の向こうの島にある、とは古くからある伝承だが、その真偽のほどはマナ使いであるゼンにもわからない。
「悪いけど、いくら俺でも命を永らえさせるのは無理かな」
「……では、いずれの神なら」
「さあ。王にまだ命運があるのなら、お告げなり使者なり何か吉兆があるだろ。俺には与り知らないところでね」
 アガリエは何かを言おうとして逡巡し、口をつぐんだ。
 期待を裏切って申し訳ないとは思う。だがマナ使いとて全知全能ではないし、得手不得手もある。
 それになによりゼンが呼ばれたのは王にではない。
「それで? きみの本当の願いは?」
「え?」
「――アガリエ様!」
 張りのある声が空気を貫いた。
 見ると、小太りの男がこちらへ小走りに駆けてくる。
「旦那様」
「……え? だんなさま?」
「おお、神よ。このような姿で面目ない。久方ぶりに港に戻ってみたら、驚くことに我が妻が神を城にお招きしていると言うではないですか。慌てて馳せ参じた次第にございます」
「妻?」
 神女と男は夫婦なのか。俄かには信じられない。
 アガリエは王の娘であると言っていた。しかもここは東を守護する城だ。太陽を崇拝する信仰が根強いこの国で、太陽が昇る東は重要な意味を持つ。その東を任されるほどの神女である彼女の、夫なのか、この男が。
 父娘って言われたほうが納得いくな。人の世って不思議……。
 男は人懐っこい笑みを浮かべ、ゼンの傍らに膝をついて恭しく頭を垂れた。
 リウ王国は長く――それこそ建国の昔から、この世に在るのは己が島だけだと信じて疑わなかった。だから海の彼方に人が住む島があると認め、貿易をするようになったのは、ほんの数十年前からの話だ。
 男はジンブンと名乗った。
 貿易で財を成した船乗りなのだそうだ。
 ふくよかな腹や斬新で煌びやかな着物からは想像できないが、アガリエまでもがそう言うのだから、そうなのだろう。富は力だ。王の娘を下賜されたとしてもおかしくはない。たとえ十代半ばだろうアガリエとは、二十ほどは年が離れているように思えても。
「今宵は宴といたしましょう」
 ジンブンは嬉々としてそう提案した。
 結局、アガリエとはそれきり、二人で話をすることはできなかった。


   *


 宴は盛大に行われた。なにしろ神――どうしてもその誤解は解けなかった――を招く宴だ。ジンブンの船団が港に戻ったということもあり、豪勢な料理が山のように並び、色鮮やかな衣装をまとった踊り子や楽の音色が宴に華を添えた。
 話題の中心はジンブンだった。
 今回の旅で訪れた島のこと、そこで出会った人々、珍しい鳥や動物、美しい反物のこと。身振り手振りを加えてジンブンは話す。
 ゼンを神と信じる者たちは、ゼンを前にするとどうしても気後れしてしまうようだが、ジンブンは元々物怖じしない性分らしい。もっとも神を恐れるくらいなら、荒波を超えて未開の海を越えていくことなどできなかっただろう。
 そして彼はことあるごとに妻を称賛した。
「いやはや、それにしても我が妻は本当に素晴らしい。神にまで目をかけていただくとは」
「目をかけたっていうか、初対面なんだけどね」
「なんと! 見初められたと?」
「うん。それは語弊がある。これ以上誤解を招くようなことは」
「さすがは我が妻!」
 誤解を招くようなことは言ってくれるなと伝えたいのに、ジンブンは聞く耳を持たない。
 けれど不思議と腹立たしい気持ちにならないのは、彼の持つ愛嬌ゆえだろう。ははは、と豪快に笑って酒を注がれると、まぁいいか、という気持ちになってしまうのだ。
 そんなジンブンの隣で、アガリエはおとなしく座っている。
 相槌を打つだけで自ら会話に入ってくることはないが、仲睦まじい様子ではある。やはり夫婦というよりは父と娘のようであったが。
「ジンブンとアガリエはいつ夫婦になったんだ?」
「もう五年になりますか。王からもそろそろ孫の顔が見たいとせがまれているのですが、私も仕事柄、一度海へ出るとなかなか戻って来ませんのでね、いやなかなか。ああでも、こうして神にお会いすることができたのですから、そろそろ子宝にも恵まれるのかもしれませんね。有り難い」
「いや俺は子宝を授ける神では」
「して、神はいつまでこちらに?」
「……さあ、どうかな。それこそ神のみぞ知るってところだ。ジンブンは? しばらくは城にいるのか?」
「いいえ。三日ほど船員を休ませたら、荷造り出来次第、王都へ向かう予定です。王への献上品もありますし、実は我が船団の本拠地は王都にありまして。しばらくあちらにも帰っていないので、仕事が山積みになっていることでしょうからねえ、あまりこちらに長居はできんのですよ」
「大変だな。アガリエも行くのか?」
「我が妻は神女としてのお役目がございますからなあ」
 ジンブンは悩ましげな様子で顎髭を撫で、隣に座す妻を見やる。
「妻よ、王のご様子も心配でしょうし、久方ぶりに共に王都へ参りますか?」
「お心遣い痛み入ります。ですがわたくしは神のお傍を離れるわけにはまいりません」
 アガリエの声に迷いはなかった。それが本心なのか、体裁を取り繕っているのか、ゼンには判断がつかない。
 ただ一つわかるのは、父王の病を治してほしいと望んだ彼女の言葉が嘘だということだ。
 なんとなくおかしいんだよな、この娘。
 どのあたりがどうおかしいのかと問われると、答えるのは難しいのだが。
 酒が進み、ジンブンの酔いが回る頃、宴はお開きとなった。
 ゼンに割り当てられたのは、この城で最も広く豪華な部屋だった。王族が来訪した際に使用する特別な客室らしい。
 世話を申し出る女官をなんとか言いくるめて下がらせると、ゼンは部屋の中を歩き回った。二間続きで、手前は板張りだが奥の部屋には畳が敷きつめられ、寝床が用意されている。それは良いとしても、戸口の外に控えているであろう護衛が邪魔だ。散歩に出るだけだと言って、はたして素直に見逃してくれるか。着替えの手伝いを断るのにだって苦労したのに。
 ただ一つだけある窓に目をやる。
 木戸の鍵を外して押すと、上部に押し上がった。やけに重いが、周囲を見渡しても間に挟めるような道具は何もない。
 しかたなく自分で抑えたまま外に顔を出すと、眼下には切り立った岸壁と、宵闇にたゆたう海が広がっていた。まさに断崖絶壁。王族の仮寝所らしく侵入者の可能性を絶対的に排除した造りだ。これなら人の侵入はできないだろう。
 人ならば。
 ゼンは窓枠に足をかけ、そこから身を乗り出した。外側に大きく開いた木戸がぎしぎしと悲鳴をあげている。
 親指と人差し指で作った輪をくわえ、息を吹く。
 宵闇に向けて甲高い音が鳴り響いた。
 静寂。波音だけがただ響く。
 もしかしてまだ来ていないのだろうか。
 しばらくそうしていると、波音に溜息が混ざった。


「……きみは、どうしてそうすぐに迷子になるんでしょうね」
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