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第十四話
しおりを挟む「そのような動きが見受けられるのは事実ですね。ただし誤解がないようにお願いしますね。わたくしはオル兄上に王位を望む一派とは、無関係です」
「そうなのか? でもお城へ来て謁見が終わった後、真っ先にオルに会いに行ってたじゃないか」
「あれは真実マヤーの解毒のためです。オル兄上は幼少の頃に王位継承権を放棄なさっていて、当然世継ぎとしても王子としても相応の勉学を積むことが許されませんでした。そのような状況下ですから、薬師であった母君の元で薬について詳しくなったのは、必然だったのでしょう。なにしろ他には畑を耕すことくらいしかできることも、学ぶこともなかったでしょうから」
オルの母は薬師として優秀だったために里を離れ、縁あって王の侍医のもとで勉学に励んでいたそうだ。
その姿が王の目に留まり、やがて側室となった。
それだけであれば幸せだったのかもしれない。だが彼女は王にとって初めての男児を授かり、産んだ。当時王位継承権第一位の王子だったオルは母共々、王城に渦巻く陰謀に巻き込まれていくことになる。
結果、オルは母を失い、王子でありながら政には一切関与せず、民草のように畑を耕し、薬を作るなどして、ひっそりと暮らしている。息を潜めるその様はまるで咎人であるかのようだ。
「とはいえ王子では医術師にも薬師にもなれませんし、心無い者たちはオル兄上の薬は毒だと陰口を叩きました。ですからオル兄上は、それならばと厩で馬の治療をすることにしたのだそうです。馬はとても重要な戦力であり、財産です。いつしか兄上に治療師としての才があることは父王もお認めになるところとなり、馬や家畜など、人以外のものを治療することを許されるようになりました」
オルならば適任だと言ったのは誰だったか。あれはオルがマヤーの治療をしたと知った第二王子ではなかったか。
納得しそうになり、ふとゼンは思い直した。
「それで? まだ何か隠しているんだろ?」
「……どうしてそう思われるのですか」
「アガリエはいつだって俺を騙すじゃないか」
「騙してなどおりません。ただゼン様にはお伝えしていないことがあっただけです」
「なんでだよ。全部言えばいいじゃないか」
「夫婦とて秘密のふたつやみっつ、あるものです。ゼン様とて、オル兄上に会ったことや、薬草に詳しいことを隠しておられたではないですか」
「隠してたわけじゃない。言いそびれただけだし、もう謝っただろ」
「わたくしも言いそびれていただけです。これからはゼン様の気分を害さないように気をつけます」
「嘘つけ。こんの小憎たらしい減らず口が、いい加減にしろよ!」
伏し目がちな目元が、殊勝な物言いが、なぜか無性に腹立たしかった。
ゼンはアガリエを抱きあげる。
そうして躊躇いなく泉に放り投げた。
さしものアガリエも今回ばかりは悲鳴をあげたかっただろうが、舞い上がる水音の方が大きく、驚愕も怒声もすべて水飛沫が消し去ってしまう。
この暑さだ。冷たい水はきっと肌に心地良いことだろう。ついでに頭も冷やせばいいのだ。
これでどうだ、とばかりに仁王立ちになっていたが、いつまでたってもアガリエが浮上してくる気配がない。それどころか薄紅の着物は水ににじみ、沈んでいくように思える。
様子がおかしい。
……あれ? まさか島国生まれなのに泳げないのか?
だとしたら一大事だ。
ゼンは腰紐を解いて着物を脱ぎ捨てると、慌てて水中に飛び込んだ。
水の中は抜群の透明度だ。波立つ湖面に邪魔をされていても、対岸までゆうに見渡すことができる。時折強い日射しが射し込み、きらきらと煌めいてとても美しい。
アガリエの姿はすぐに見つかった。背後からまわりこんで脇の下に手を入れ、引き上げる。何枚も重なる衣が水を含んで驚くほど重い。道理で浮かんでこないわけだ。
それでもなんとか湖畔へ辿り着き、アガリエを地面に押し上げた。
大量の水を吐き、息も絶え絶えになりながらアガリエは恨めし気にゼンを睨みつける。眦に浮かぶ涙を疑う余地は、さすがにない。
「おなごを投げるなんて、どういう了見ですか……」
「面目ない。その、気分転換になって、いいかなって。俺はうじうじ悩んでたら、鬱陶しいって言われて、よく庭の池に放り投げられてたから」
「目裏に常夜の国が垣間見えたような気がします」
常夜の国ニルヤネリヤとは、死した後に人の魂が向かう場所を差す言葉だ。あちらの世や、後の世などとも云われる。
肩で息をするアガリエの苦しそうな様子に、ゼンは縮こまる。やりすぎた。昼間イリに、女性は丁寧に扱うようにと忠告されたばかりなのに、とんでもない失態だ。
「ごめん。その、それは俺がほどいたら怒る?」
岸に腰かけた彼女の指は、帯の結び目をほどこうと苦心していた。どうやら水を含んで結びが固くなってしまっているらしい。
いくら常夏の島とはいえ、空には夕闇が忍び寄っている。冷静に考えれば、半裸で飛び込んだゼンはまだしも、彼女がずぶ濡れのまま夜風に吹かれて良いわけがない。
手伝いたいが、さすがにゼンでも女性の帯をほどくには合意がいることくらい知っている。許可を求める言葉はすんなりと出たものの、返事を待つ間がやけに長く感じられた。咽喉や背中――いやお腹の奥あたりがむずむずして居た堪れない。
思わず俯くと、アガリエはわずかに瞠目したようだったが、やがてこくりと頷いた。
「妻の帯をほどくのは夫の役目と決まっています。わたくしの許可を待つ必要などございません。ぜひともお願いいたします」
「……その一言は余計かな。聞かなかったことにする」
男物であれ女物であれ帯は帯。難なくほどけるであろうと思っていたのだが、彼女の帯に指を置くと、ふいに緊張が襲ってきた。
……あれ? なんでだろう。帯をほどくなんて毎日やってることだから、べつに緊張することなんてないのに。
自分の帯ではなくアガリエの帯だからといって、何か特別なものであるはずもないのに、なぜか指先が強張る。平静を装うとするほどうまく指が動かず、焦りが募った。おかしい。ほどけない。けれど早くほどかないと不審がられる。それはきっと、まずい。
おおおおおお帯の結び目ってどうやってほどくんだっけ?
頬に、冷たい指先が触れる。
「……っ、なに?」
「動揺されていますね。ついにわたくしが欲しくなりましたか?」
「欲しくない。よくわかんないけど、また投げ捨ててやりたくなってきた」
「まあ、ひどい」
かすかに笑うその口元が妙に艶やかで、よけいに苛立つ。
ふだん滅多なことでは笑顔を見せないくせに、どうしてこういう時に限ってうちとけた様子を見せるのか。それが素直に嬉しいと感じる反面、演技ではないかと疑ってしまう自分にも嫌気がさした。
腰元にある結び目は、ゼンを嘲笑うかのようにしばらくほどけなかった。
なんだよこれ! まじないでもかかってるのか?
本気でそう思い始めていたところだったので、ほどけた時には、まるで全力疾走をした後かのようにどっと疲れが押し寄せてきた。自分で蒔いた種とはいえ、もう二度と女物の帯なんてほどきたくない。
とはいえ現実は厳しい。
やらなければならないことは、まだ残っていた。
女物の衣装はゼンが思うよりも何枚も着物を重ねるものだったらしい。彼女が淡い紫の肌着姿になるまでに、ゼンは脱ぎ捨てられた着物についた土汚れを泉で洗い落とし、手頃な高さにある木の枝に干すという作業を、二度三度と繰り返さなければならなかった。重厚な仕立ての着物は、水を含んでいることもあり重く、なかなかの重労働で、突然水の中に落とすなど言語道断の所業だったのだと改めて反省する。
その間にアガリエは乱れた黒髪をほどき、手慣れた様子で一つにまとめあげた。かんざしを一本挿しているだけなのに崩れる様子もない。
うなじを伝う後れ毛がやたらと艶めかしいことは、内緒だ。
「……ごめんな。せっかく俺のために着飾ってくれてたのに台無しにして」
「そうですね。誘惑もできなかったようですし、女として不甲斐なく思います。ゼン様は女に興味がないのですか?」
妙に落ち着かない気持ちでいることは、なんだか後ろめたいので、黙っておこう。
「なんでそんな話になるのかな。それって重要?」
「もちろんです。わたくしはゼン様と契り、子を授かりたいのですから。そうすれば次代の月神女の座は絶対的なものになりますもの。ゼン様にはお分かりになられないかもしれませんが、我らにとってこれはとても重要なことなのです。王位継承権を争う戦がいつ始まるとも知れません。せめて月神女の座だけでも揺るぎないものにしておかなくては」
けれど彼女の叔母である当代の話では、アガリエは幼少のころから月神女候補とされており、その立場はゆるぎないものだということだった。ここまで固執する必要があるとは思えない。
きっとこの言葉は、――嘘だ。
「それがアガリエの本当の願い?」
「叶えたい願いのひとつではありますけれど、ゼン様の手を煩わせずとも、わたくしの手練手管で必ずや手籠めにしてみせますので、どうぞご心配なく」
「いや、もう本当に勘弁して。心配するなっていうか、手籠めになんかされたら困るんだけど」
「どうしてですか?」
「どうして? どうしてって……」
「殿方というものは、若くて身分の高い女なら誰でも良いものかと思っておりました」
顎がもげるかと思った。
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