魔の女王

香穂

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終章

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 神託を受けた。

 いつの日か、王位継承権第三位の弟王子が王位を継ぐ。

 けれど王城に巣食う闇は深い。

 当代の王に仕える臣の中にも、不正や汚職に加担している者はいる。

 現に、父王も即位に際し、王位継承権を持つ血族の多くを屠り、歯向かう者は一族郎党まで根絶やしにしたと聞く。為政者になるということは、決して綺麗事では済まされないだろう。

 当時、弟王子の母はすでに王妃という地位にあり、その肩書きによる重責に憔悴していた。

 そんな彼女を奮い立たせていたのは、いずれは我が子が王位に就くかもしれないという、輝かしい未来だ。

 神託を聞いた彼女は喜び、同時に恐れた。

 王妃でありながら苦行の日々を送る己のように、王になった息子もまた、ただただつらいばかりの生涯を送るのではないかと。

 それまでは喉から手が出るほど欲していた玉座であったのに、手に入るとわかった途端に怖気づいたのだ。

 それならばわたくしが、と申し出たのは、どうしてなのか今でもよくわからない。



「義母上は三の弟君をまもってください。手をよごすようなことは、わたくしがいたしますから」



 闇を知るには、闇に溶け込むのが手っ取り早い。

 そうして闇の部分を掌握し、常夜の国へ道連れにしてしまえば、この地上に残るのは闇以外のものばかりになるはずだ。



 ――でも、月神女には、だれがなるの?



 次代の月神女はそなただと、父王にも言われている。

 事実そうなるであろう。

 しかしそうなった時、支えるべき王として隣に立っているのは、いずれの王子か。

 最も可能性があるのは第二王子だ。

 神託がどうであれ今現在、世継ぎと認められているのは彼なのだから、順当にいけば彼が次代の王となる。特段不服はない。

 問題は、神託に従い第三王子が即位した時だ。

 王の崩御によって月神女も代替わりを余儀なくされる。

 おそらく自分の跡目として新たに月神女として立つのは、一の姫である姉になる。

 あいにくと他にこれといった目ぼしい候補がいない。よもや父王が血族を減らしたことがこのような形で不利に働くとは。



 姉上が、月神女になる……?



 急激に不安になった。

 あの破天荒で、短慮な姉に、月神女が務まるだろうか。

 ――否、無理だ。

 あの優しさは政に向かない。

 きっと泣いて泣いて、心を弱らせてしまうだけだろう。

 せっかく西の神女に選ばれ王城を離れることができるのだ。西の城で生涯を終えることこそ、彼女の幸せだと思える。

 では、どうすればいいか。

 月神女になる資格があるのは王の姉妹だ。過去、あまり例はないが、姉妹がいない場合に関しては、王家に連なる血筋の中で、最も神女として優れた娘が選ばれたことがある。

 けれどそれには出来得る限り、第三王子が王位に就くのを遅れさせる必要がある。

 その間に姉より優れた神女を探さなくてはならない。

 腹立たしいことに姉は王家直系の一の姫で、血筋だけは申し分ない。けれど妹の自分が次代の月神女に選ばれたように、神女の能力さえ姉を上回れば、彼女以外の神女が選ばれる可能性はあるのだ。

 神女として優れた妹が産まれるまで、あるいは父王が城の外で産ませた娘を探す方が早いか。どちらでも良い。ともかく姉の代わりに月神女になることができる娘が現れるまで、少しでも父王には政権を維持してもらい、時間を稼ぐ必要があるだろう。





 だれか。守ってほしい。

 たすけてほしい。





 わたくしが、兄上の御代も、弟君の御代でも月神女になれたら、いいのだけど……。

 二代の王に仕えた月神女など聞いたことがない。前代未聞だ。もしも強行すれば弟の名に傷がつくし、姉も立場をなくして批判にさらされることだろう。

 ――妙案かもしれない。

 発想を逆転させれば良いのだ。王命に背き、月神女の座に居座り続ける自分と、悪政を正そうとする弟王と姉。議論するまでもない。民衆は弟王と姉を支持するはずだ。

 だがまだ足りない。それでは玉座の傍に潜む不届き者たちをあぶりだすことはできない。

 いっそ兄上がとっても悪い王様になってくれれば、兄上と一緒に悪さをする輩を皆とらえて、良い人たちしかいない、きれいになった城を三の弟君に渡すことができるのに。



 奇しくもその願いは時間が解決してくれた。

 第一王子が接触してきたのは、東の城へ移って数年後。母親の身分の低さゆえに王位継承権を剥奪されていた彼は、それを不服とし、王位簒奪を企てていた。

 協力者となるならば、望むものは何でも与えようと言う。

 魅力的な誘いだ。

 彼が謀反を起こせば、おのずと臣下を見極める機会も訪れよう。混乱に乗じて姉から月神女としての資格を奪うこともできるかもしれない。

 二つ返事をした。

 表立って支援することは叶わないが、第一王子が王位に就いた暁には、月神女としてこの身を捧げる、と。





 どうかお願い。

 姉の、太陽のような笑顔を。明るさを。





 姉上を守って。





 祈りが海の果てに届き、

 寄せては返す波間から神が現れた時、心から嬉しかった。

 これで姉上は大丈夫。

 そうして父王の病を治し、これ以上、時を稼ぐことはできないのだと知り、腹を決めた。





 時が来たのだ。

 国の行く末を望むものにするために、この命を賭すべき時が。





 マナ使いは神ではない。ならば神に仕立てるまで。

 娘が神に選ばれたと知れば、野心家の父王は黙っていない。案の定すぐに参内するように王命が下された。その性急さには、己の病状に対しての不安も多分に作用していたことだろう。

 はたして父王はどこまで感づいていたのか。

 そこからは思うよりも早く事が運んだ。

 時が来たと判じたのは第一王子も同じだったらしい。伯母にあたる当代の月神女に父王を呪殺させ、第二王子を殺した。伯母は、アガリエが自害に追い込んだ。第一王子は最初から伯母を捨て駒にするつもりだったのだ。

 悔いても仕方がない。神でさえ時を巻き戻すことはできないのだから。

 それでも幾度も思い返してしまう。

 あの時、第三王子の挙兵を防ぐことができていれば、ウミナイビが心の均衡を崩すことはなかったかもしれない。

 第三王子の母であり、心優しき王妃であったウミナイビ。

 彼女もまた転機を待ち望んでいたひとりだった。

「謀反人が王位に就くなど我慢なりません。それにオルが王となれば、継承権を持つ我が君を疎ましく思うに違いありませんもの。ですから先手を打ちましたの。我が君を守るのはわたくしの役目であると仰ったのはアガリエ様ですのに、何がそれほど不満なのでしょう? わたくしの真名はすでにお渡ししております。呪詛なさるのであれば、どうぞ好きになさって。わたくしが呪殺されれば、我が君も、イリ様も、とても悲しまれることでしょうけれど、わたくしとしても本望ですわ」

 第三王子の挙兵に伯母はひどく動揺していたが、実はアガリエにとっても寝耳に水の事態だった。

 これは後に知ったことだが、ウミナイビは第三王子の星読みで異変を察知し、方々に手を回していたらしい。

 失念していた。

 アガリエとウミナイビが別の人格である以上、望むものも違って然るべきだ。

 ウミナイビにイリを心配する義務はない。

 あれほど泣いて不安がっていた政や王を取り巻く環境に関しても、神がいれば怖くないと満足そうに微笑む。

 アガリエにしてみても、弟の御代が長く続けば続くほどイリが月神女になる可能性は低くなるので、当初の目的は達成されている。

 何より今更言っても詮無いことだ。すでに事は起こり、始まってしまったのだから、次の手を考えるより他にない。



 けれど事態は思わぬ方向へと突き進んでゆく。



 王母という不動の地位を得たウミナイビは、我慢するということを一切しなくなった。

 邪魔だと思うものは躊躇いなく切り捨て、人でも物でも――月神女の肩書きでさえ、欲望のままに手中に収めた。毎日のように宴を催し、気に入りの男を見つけては閨に侍らせ、ついには王を通じて政にまで口を挟むようになっていった。無論臣下は不満を募らせ、あるいは不正や賄賂で王母のご機嫌取りに躍起になった。

 口火を切ったのは弟王だった。

「母上をお諫めすることができる者は、いないのであろうな」

「ご明察です。当初の計画ではわたくしがすべきと定めていたことを、代わりに全てしてくださっているようにさえ思えます。このままでは稀代の悪女として、後世にまで語り継がれることでしょう」

「……母上を、討つのですか?」

「我が君、お言葉にお気をつけください。わたくしは臣下です」

「母を討つつもりか?」

「王がお望みであれば」

「今しばらく時間をくれ。母上を説得する時間を」

「では、わたくしがこれ以上は待てないと判断した際は、王位を譲っていただけますか?」

「王位を? 姉上が王となるとでも?」

「民はわかりやすい善悪の構図が好きであろうと、わたくしは考えているのですが。王は、英雄になる心づもりがおありですか?」

「私が英雄なら、討つべき悪女は母上か」

「母殺しは悲劇としては充分な要素ですが、母さえ諫めることができなかった弱腰の王という汚名はいただけません。ゆえに悪女はわたくしが仰せつかります。幸い、城の外では、此度の悪行はすべて月神女の仕業と言われているようです。義母上には心優しき王母のまま、常夜の国へ赴いていただきます」

「月神女に母を殺され、玉座を追われた王が再び王位に返り咲く、という筋書きか。だがそれでは遠からずイリ姉上が月神女になるのではないだろうか?」

「第三王女が夭折。第四王女は神女としての才覚がなく、第五王女はまだ幼子。天はイリが月神女になることをお望みなのでしょう。イリにはゼン様がついていてくださいます。きっとこれから先に起きるどのような苦難も乗り越えていけると、わたくしは信じています」

「ウタ姉上」

「はい、ユルムリカ」

「手を携えて、これからも共に国を守ってゆく道は、本当にないのでしょうか?」

 あったはずだ。

 だが全てをウミナイビに背負わせ、命まで奪うのは忍びなかった。

 自業自得だと言えばそれまでだが、十年来の共犯者である彼女が狂っていくのを、都合が良いからと傍観していたことは事実だ。すでに多くの臣下や民が死に追いやられている。引き返すことなど許されないであろう。

 だから差し出されたゼンの手を拒んだ。

 血濡れの姫、魔物の取り換え子と揶揄されてきた己のことを、マツリカの花のようだと言ってくれたゼン。

 いつだって真剣に心配してくれて、怒ってくれた。

 アガリエのマナ使い。

 これからは彼の隣に立つのは己ではなくイリなのだと思うと、なぜか、胸が少し痛んだが、その理由はよくわからない。





 星が語る。

 太陽が闇に覆われる日が近づいてきていると。





 国を、民心を揺るがせる一大事だ。うまく利用しない手はない。

 マヤーはまだ覚えているだろうか。

 華々しく、人々の記憶に残る死に様が良いので手を貸してほしいと乞うたことを。

 魔物の記憶力というものが如何程か、調べようがなかったため、守人クムイを使った他の手も講じているが、やはり魔物に喰い殺されるという最期は捨てがたい。覚えていてくれると良いのだが。



 かくして太陽に変異が起きた。





 きらきらと、太陽のようにまぶしい。





 ねえ、ゼン様。

 わたくしの眼ではもう、あなたの顔をはっきりと見ることができません。計画に十年の月日を費やしたにも関わらず、想定外の出来事が多くあり、そのたびにわたくしは次の手を打ってきたけれど、この眼が一番の誤算だったのかもしれません。

 だってこんなにもまぶしい。

 薄暗く、色さえ識別できないこの眼でも、あなたがわたくしの身を案じて泣いてくれていることだけは、はっきりとわかる。

 あなたがわたくしのためだけに流す涙は、どうしてこんなにもあたたかいのでしょうね。

 その涙が嬉しいだなんて言ったら、きっとあなたは怒るのでしょうけど、それでもやはりわたくしは嬉しいのです。





 弦楽器の音が聴こえる。

 ひどく不安定で、にも関わらず力強い。指を止めることは決してしない。間違えなど気にせずに、旋律を紡いでゆく。

 聞き覚えがある。

 ゼンが爪弾いているのだ。

 アガリエの唄に合わせるために、彼はいつしか弦楽器をたしなむようになっていた。どうしても手慰みの域を出ないのは、アガリエが歌いながら、その傍らで弾き方を教えたからだ。

 手本も楽譜もなく、アガリエの唄だけを頼りに、ゼンが弦を一本一本爪弾く。





 それだけのことが、ただ、しあわせだった。







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みんなの感想(1件)

higashino2020
2020.04.15 higashino2020

和風ファンタジー、好きです。
頑張って下さい

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