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五章 シュエット・ミリーレデルの悩み

75 ミリーレデル夫妻④

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 シュエットがエリオットを連れてきたその日の夕方、パングワンはいつものように執務室にいた。

 午後は読書か刺繍の時間と決めているはずのシーニュつまは、ひかえめにドアをノックしながら「あなた、お話があります」とかたい声で話しかける。

「シーニュか。構わない、入りなさい」

 緑色を基調とした落ち着いた雰囲気の執務室。一番奥にある執務机に、パングワンはいた。

 机の上には帳簿が広げられているが、彼は仕事をしていたわけではないらしい。

 帳簿の上に腕組みをして、深く考え込んでいるような姿勢をとっていた。

「話がありますの」

「そうだろうね」

「シュエットのことですわ」

「そうだろうね」

 難しい顔をして、パングワンは開きっぱなしだった帳簿を閉じた。

 パタン、と帳簿を閉じる音が、やけに耳に響く。

「シーニュ。どうして、とめた?」

 エリオットのことを、シュエットがどこまで知っているのか。

 それを問うための質問を邪魔したことを、彼は言っているのだろう。

 パングワンの問いに、シーニュはすぐには答えず、窓のそばへ歩み寄った。

 遠くの空を、黒い雲が覆っている。もうすぐ、あの雲はこちらへ流れてくるだろう。そうしたら、この辺りも黒い雲が空を覆って、今にも泣き出しそうな色になるはずだ。

「もうすぐ、嵐がくるわ」

「それは、」

「天気のことじゃないわ。シュエットのことよ」

「また、使ったのか」

「ええ、使いました。だって、大事な娘のことですから」

 シーニュはしれっと答えた。

 シーニュ・ミリーレデル。旧姓、レヴィ。
 ミリーレデル商會しょうかいの社長夫人にして、占星術を扱う魔導師でもある。

 シーニュの生家であるレヴィ家は、占星術に長けた一族だ。その精度は凄まじく、占星術というより予言に近いと言われている。

 とはいえ、ここ百年ほどはその能力に恵まれた人物はおらず、結果を出せずに没落の一途いっとをたどったわけだが。

 シーニュ自身も、能力に恵まれているわけではない。倒れるほどに魔力を使ってようやく、あいまいな言葉を聞くことができる程度である。

 彼女の健康とその他諸々を検討した結果、パングワンはシーニュが占星術を使うことを禁止していた。

「倒れたのか?」

「ちょっとフラついただけですわ。ほら、この通り、ちゃんと立っているでしょう?」

 苦笑いを浮かべて優雅にお辞儀してみせるシーニュに、パングワンは「仕方のない人だな」と苦笑いを返した。

「もうすぐ嵐がくる、というのが結果なのか?」

「ええ、そうです。シュエットは今後、嵐に巻き込まれる。いえ、もしかしたらもう、巻き込まれているのかもしれません。情けないですわ。母親のくせに、これくらいしか占えないなんて」

「そう言うな。心構えくらいは、できるだろう?」
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