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六章 シュエット・ミリーレデルの秘密

88 勘違い女①

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『シュエット・ミリーレデルを呪う不届き者を排除せよ』

 ピピから新たな試練を課されたエリオットは、その翌日、ヴォラティル魔導書院にいた。

 このままでは魔導書院が無事に引っ越せないと泣きついてきた、部下のメナートのせいである。

「あら、このご本をしまいますの? ではわたくし、お手伝いいたしますわ!」

「いや、頼むから触らないでくれ」

「なにをおっしゃいますの! わたくしとあなたの仲ではございませんか」

「あなたにはまだ名を名乗ってもいないのだが?」

「名乗らなくても、わたくしにはわかります。ええ、そうですとも。わたくしとあなたは、結ばれる運命なのですから!」

 泣きついてきた当の本人は、とある令嬢に言い寄られている。

「かわいそうに」とエリオットは他人事のように呟いた。

 それは一体、どちらへ向けて言った言葉なのか。

 頭が足りていなさそうな令嬢に対してなのか、勘違いで言い寄られて仕事を妨害されているメナートなのか、それとも、こんな場面を見せられている自分に対してなのか。

 必死に距離を置こうとしているメナートに、しかし令嬢はめげずに突進する勢いで距離を詰めてくる。

『たすけて、院長!』

 そんな視線を受けながら、エリオットは爽やかな笑顔でグッドラックと手を振った。

 あんな攻撃は、受けたくない。勘違いはさせておくに限るのだ。

 メナートがエリオットを呼び寄せるほどの緊急事態とは、令嬢のことだった。

 魔導書院には不似合いな、ピンクのフリフリドレス。一体どこの夜会へ行くのだと突っ込みたくなるゴテゴテしさだ。

 高いヒールの音が歩くたびに響き渡って、静かな書院内に騒音を撒き散らしている。タップダンスでも踊りたいのだろうか。

 顔を背けたくなるくらいの、えげつない香水の匂い。まるで魔導書院にマーキングしているみたいだ。一刻も早く追い出して、風の魔術で空気を一掃したい。

 早々に司書室へ逃げ込んだエリオットは、事前に渡されていた資料を開いた。

 その横からヒョコリと資料を覗き込んできたピピが、内容を読み上げる。

「グリーヴ・レヴィ。占星術を得意とする魔導師を多く輩出していた伯爵家の令嬢……ふむ。なんとも奇な巡り合わせじゃの」

「どういう意味だ?」

「この娘の母親は、以前、おまえの父に懸想しておったのじゃ。いや、懸想というか執着と言うべきか」

 当時はまだ王子だったエリオットの父は、まだ結婚も婚約もしていなかった。

 次期国王ともなれば、誰も彼もがさまざまな思惑を持って近づいてくる。

 そんな中、特に悪質だったのがレヴィ家の令嬢だったという。

「ことあるごとにすり寄ってきて、媚を売っていた。いつもゴテゴテと着飾って……ほれ、あの娘のようにな。相手にその気がないのは一目瞭然なのに、妙に自信過剰に迫ってきおる。その上、近寄ってくる他の令嬢に対して嫌がらせをするものだから、隣国の姫との婚約が発表されるまで、それはそれは大変だったのじゃ。ふむ……親娘そろってそっくりじゃな。歴史は繰り返すとはよく言うたものじゃ」

 ピピは呆れた顔でそう言って、最後にやれやれとため息を吐いた。

 扉の向こうでは、キャアキャアと魔導書院にふさわしくない黄色い声が響いている。

 メナートのことを、ここの院長だと思っているらしい。

 彼は「何度も違うと訴えているのに、ちっとも聞いてくれない」と嘆いていた。

『一刻も早く戻ってきて令嬢の誤解を解いてください! じゃないと、引っ越しなんてできませんよ! ほら、見てください。あの令嬢のせいで余計な仕事が増えるばかり! 俺はもう、過労死寸前ですよ……』

 たった一息でここまで訴えられるなら、まだまだ大丈夫だ。

 市場で買ってきたフレッシュジュースを差し入れしてごまかしつつ、エリオットはとりあえず様子見に徹した。
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