98 / 110
八章 シュエット・ミリーレデルの失恋
107 傾いた天秤②
しおりを挟むシュエットが地に沈みそうなくらい深いため息を吐くと、目の前にスッと手を差し出された。
白い手袋をはめた、男の人の手だ。
エナメルの靴に、ミッドナイトブルーのジャケットも目に映る。
見上げれば、焦りを顔ににじませたエリオットが、シュエットを見下ろしていた。
「ごめん、シュエット」
綺麗なアーチ型の眉が、申し訳なさそうにヘニャリとしている。
走ってきたのだろう。エリオットの息は乱れ、呼吸するたびに肩が上下していた。
「エリオット」
「待たせて、ごめん。でも、あの……」
差し出された手が、わずかに下がる。
シュエットを待たせてしまったから、もうダンスに誘う資格なんてないと思っていそうだ。
(むしろ、私の方にその資格がないというのにね)
エリオットの頭上に、ションボリと下がった猫耳が見えるようだ。
今日の彼の髪は、いつもと違ってちゃんとセットされているのに。
言い淀むエリオットに、気づけばシュエットは「怒っていないから」と返していた。
(駄目なのに。ここはちゃんとお断りして、帰らなきゃいけない場面なのに)
シュエットがそんなことを考えているとも知らず、エリオットの表情がパッと明るくなる。
下げかけて宙に浮いていた手が、再びシュエットへ差し出された。
「一曲お相手いただけますか?」
シュエットが拒絶するとは微塵も思っていない。
とろけるほどに甘く微笑みながら見つめてくるエリオットに、
(……その顔は、ずるい)
真正面から偽りなく愛情を向けられて、拒否できるほどシュエットは大人じゃない。
相手のためとか、自分のためとか、いろんな考えをすべてを放り出す。
ただ、本能のままに。
(エリオットがほしい。エリオットと一緒にいたい。たとえつかの間の夢でも良いから……!)
これで、最後にするから。
エリオットにする、最後のわがままにするから。
そう、言い聞かせて。
「……ええ、喜んで」
じわりと涙が滲む。
嬉しくて泣いているのだと勘違いしてくれたら良い。
別れを惜しんで泣いているのだと、今は知られたくない。
シュエットは笑顔で、差し出されていた手のひらに自分の指を乗せた。
確かめるように握られた手は、まるで大事に守られているようで余計にたまらなくなる。
思わずヒュッと息を飲むシュエットの腰を、エリオットが支えた。
「緊張している?」
「大丈夫。エリオットがリードしてくれるのでしょう?」
「もちろん。今日はお姫様みたいな気分にさせてあげるから」
「それは楽しみね」
迫り上がってくる涙を振り切るように、シュエットはエリオットに体を寄せる。
鼻の奥がツンと痛んだが、彼女は気づかないふりをした。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
89
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる