魔獣の求恋〜美形の熊獣人は愛しの少女を腕の中で愛したい〜

森 湖春

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七章

86 エマの最期

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「だって、私があげられるものなんて、私自身しかないのよ。でも、そうね……どうしても嫌だというのなら、これだけでも、お願い」

 そう言って、胸元から取り出したのは、一本の鍵だった。

 懐かしい気配がするその鍵が何なのか、ヴィリカスにはすぐに分かった。

『ヴィリニュスの鍵、か』

「そうよ。トルトルニアを守る鍵であり、恐ろしい笛の一部でもある。私では、この鍵を壊すことが出来ない。これを壊すことができるのは、──の血を色濃く受け継ぐ者だけ。私の孫ならば、もしかしたら……でも、もう、無理ね。今の私じゃあ、ミハウのところまで持っていけないもの。だから、お願い、ヴィリカス。何のお礼も出来ないから、せめて私を食べてちょうだい。その見返りに、孫がこの鍵を取りに来るまで、預かっていて欲しいの」

 エマが鍵を差し出してくる。

 けれど、もう彼女は握ることさえも出来なくなったのか、手から鍵がポロリと落ちた。

 突き返そうと咥えて持って行ってやると、エマは「ありがとう」と泣いて笑った。

「でももう、持てないわ」

 縋るように、エマがヴィリカスの目を見つめる。

 いつも凛としていた目は、少しずつ光を失いつつあった。

『ふん。お前のような婆さんを食べても、腹の足しにもならん。だが、そうだな。同じ血が流れる仲間として、貴女の最後の願いを聞き入れてやる』

「ありがとう、ヴィリカス」

 エマの前で、ヴィリカスはゴクンと鍵を飲み込んだ。

『これで良いか?』

「ええ、ありがとう。それから……一つだけ、注意して欲しいの。マルゴーリスという人が来ても、決して鍵を渡してはいけない。渡して良いのは、ミハウという少年と、エディタという少女だけよ」

『承知した』

 ヴィリカスが深々と頷くと、エマは安堵の表情を浮かべた。

 それから彼女は、眠るように瞼を下ろしていく。

 エマの唇から、最期の息が漏れ出る。
 彼女の手から、矢と弓が零れ落ちた。

 それが、エマの最期だった。

『鍵をどうにかしなければ。その想いだけで、意地だけで、彼女は命をつなぎ止めていたのだろう。最期に彼女が、己を頼ってくれたことを、己は誇りに思う』

 そう言って、ヴィリカスは話を締め括った。

 それきり彼は何も喋らない。もう終わりだというように、彼は一本の鍵を吐き出した。

 鼻面で鍵を押し出し、エディを見る。
 ロキースに背を押され、エディは立ち上がった。

 ゆっくりと歩み寄り、鍵を手に取る。

 鍵がエディの手の内に収まるのを見届けて、ヴィリカスはどこか悲しげだった。

(もしかして、ヴィリカスさんは……)

 エマに、恋をしていたのだろうか。

 彼女の最期の願いを叶えて、彼女との繋がりがなくなってしまったような、そんな気持ちなのかもしれない。

 ヴィリカスは何も言わない。

 もうエディのことなんてどうでも良いみたいに、背を向ける。

 エディは、エマとヴィリカスの関係がどんなものなのか知らない。

 だけど少なくとも、言えることが一つある。

「おばあちゃんは、愛情深い人です。きっといつまでも、あなたを想っている」

 無責任な言葉だ。

 だけど、どうしても言いたかった。

 魔狼の尻尾が一振りされる。

 大きくブンと振られた尾は、礼を言っているように見えた。
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