オネおじと俺の華麗なる日常

純鈍

文字の大きさ
上 下
12 / 50

12.ある日『ひょんな日常』

しおりを挟む
 とある日曜日の朝のことだ。

「アタシ、どうしてもケーキバイキングに行きたいのよ」

 あつ子が真顔で言った。
 
「へぇ、行ってらっしゃい」

 いつも通り、興味のない話題は適当に流す。この乗り物は急旋回、急上昇、急降下、急停止しない大人しいアトラクションとなっております。つまり、今日の俺は静かに休日を過ごしたいということだ。

「やこぉ、一緒に行ってよぉ、アタシみたいなのが行ったら浮いちゃうじゃないのぉ」
「俺が行っても浮くだろうがよ? 周り、皆女ばっかりなんだぞ?」

 俺には分かっている。あつ子の言っているケーキバイキングとはホテルのやつではなく、女子高生とかが行く可愛らしくて派手なやつのことだ。

 全てのケーキに使われている生クリームが軽めなやつで、不思議と沢山食えてしまう。そんな恐ろしい食い物の溜まり場……。

「じゃあ、女装しましょ?」
「は? 嫌に決まってんだろうが!」
「だって、周りから浮かなきゃ良いんでしょ? あんた言ったじゃないの」

 屁理屈言うな、微妙に揚げ足取んな。真顔やめろ、スンッて顔すな。

「ふざけんな、ケーキ食うために女装なんてするわけ――」
「……アタシ、やこの前だけでは自分で居られるけど、いつも一人なのよ……っ」

 はぁああ、ズリぃぃぃいい! 俺の善良な心に語りかける攻撃ぃぃぃいいい! 泣きのあつ子ズリぃいぃいいい! 分かっているのに無碍にできねぇええ!(※一種の洗脳が成功している例である。その名も『したくはないがお世話になっているので仕方なくします、やこの恩返し』)

「ふ、服装によっては……着て……やらんこと……も……」

 ない。

「じゃあ、やこ、これ着てね」

 切り替え早ぇな、おい! なにソファの後ろのクローゼットからアリスの水色ドレス取り出してんだよ? んなもん、外に着て行けるわけねぇじゃんか!

「それ、外に着て行ける服じゃねぇだろ? やり直し」

 シュビッっと手でやり直しを指示すると、オネおじは一瞬悩んだ顔をした後、すぐに閃いた顔をして自分の部屋に消えていった。

 今、悩んだフリしただろ?

「えー、じゃあ、この黄色の春色ロングスカートと肩幅もカバーできるフレアブラウスで良い?」

 光の早さで戻って来た奴の手には清楚系な服が存在していた。

「さ、最初っから、そういう大人しいのにしろよ……」

 少し……、ほんの少しだけ自分がそれを着た時のことを想像して期待してしまった。もしかしたら、そこらの女子より自分の方が可愛らしくなれるんじゃないかと思ってしまう。それが、男子高校生の悪いところだと、この時の俺はまだ知らなかった。

「じゃあ、裾と袖、めくって」
「へ?」

 ◆ ◆ ◆

「な、なんかスースーするんだけど?」

 清楚系ファッションに着替える前に風呂場に連行されて、腕の毛と臑の毛、そして髭を剃られた俺だ。どんな風に言うかは知らんが、恐らく、あつ子の長年磨いてきたメイクアップスキル? によって俺は驚くほど“綺麗”に仕上がった。

 スカートの裾があまり動かないように手で押さえる。あつ子に無駄な抵抗だと言われた。ちなみに、既に写真をすげぇ撮られた後である。

「さて、外に行くわよ?」

 リビングで無駄にスタイルの良いポージングを繰り返しながら、あつ子が言った。歳の離れた仲の良い姉妹でも演じようと思ったのか、奴は俺と雰囲気の似た服装をしている。女の服の名前なんざ分からねぇからピンク色した清楚系の花柄のスカートとしか言えねぇ。

「ほんとに行くのかよ?」
「大丈夫、今日行くところは徒歩で行けるところだから」

 つまり、逆に言うと、ミッションに途中で失敗した場合、知り合いに俺とあつ子が女装していたことがバレるかもしれないってことだよな?

 急に壮大なスパイ映画みたいなBGMが頭の中に流れ出した。

「あんたが玄関の扉を開けなさい」
「鬼かよ?」

 そうは言うが、玄関の扉の前に立ってノブに手を掛けると、頭の中に掛かっている曲とミスマッチな心臓のリズムが俺を占拠してくる。

 ドクン、ドクンと鳴るその音を扉の前で何度聞いただろうか、痺れを切らしたのか、あつ子がふいに俺の手に自分の手を添えて扉を開けた。

 少し冷たいような、温かいような、そんな空気が扉の隙間から入り込んでくる。やわらかな光は春特有のものだろうか?

「ガニ股で歩いたら直ぐにバレるわよ? 変な目で見られるから気をつけなさい」
「脅すなよ」

 マンションを出たところから俺の試練はスタートした。あつ子は注意する度に俺に耳打ちするが、この格好で怪しまれるなという方が難しい。声でぜってぇバレるからな、誰かが通る時は無言を決め込むことに決めた。

 ケーキバイキングの店までは徒歩で二十分ほど……、黙って、ガニ股に気を付ければ大丈夫……って俺は一体、何をやらされているんだ?

 そう思った瞬間だった。

 緊急事態発生!!!! 前方から見知ったやつが接近!!!!

 車の少ない通りの横断歩道をこちらに向かって渡って来る人物、それはあつ子の後輩である"あのサイコパス"だった。何も考えてないような顔で歩いているように見えるが頭の中では何を再生しているか分からない。

 ――こ、こんな格好見られたら……! 

 あつ子に進行方向を変えるように声を掛けようと思ったが、今声を掛ければ逆に後輩の気を引いてしまうことになる。緊張のあまり噎せそうになるのを必死に押さえながら、ただ只管にあつ子の後ろを真っ直ぐに見つめながら歩く。

 ――おい、後輩見てねぇか?

 あつ子は何も言わず、颯爽と俺の前を歩いているが、俺の視界の端で擦れ違っていく後輩はこちらを向いている気がした。だが、念仏のように「俺は知らない人、俺は知らない人」と心の中で唱えていると、いつの間にか後輩は居なくなっていた。

 ――危なかったぜ……。

 悪霊退散した気になった。

「なあ、今さっき、後輩居なかったか?」

 後輩が居なくなり、周囲に誰も居なくなったのを確認してあつ子に話し掛けた。

「え、嘘? 気が付かなかった」
「なんで気付いてねぇんだよ?」

 おめぇの目は節穴か? そんな毛虫みてぇな睫付けやがって、前見えてねぇんじゃねぇのか?

「窓に映った自分の姿を見てて……」

 おい、後輩への愛はそんなもんなんか? 可哀想だな、おい。(※必殺、“おい”挟みである)

「ちゃんと前見て歩けよ。電柱とこんにちはすっぞ?」

 あと、ショーウィンドウじゃなくて、人んちのデカい窓でファッションチェックすんのやめろ。あ、家猫ちゃん、こんにちは、じゃねぇんだわ。勝手に人んちの猫に挨拶すな。俺の話を聞け。

「道に人があんまり居なくて良かったわね。――ということで、ここがアタシたちのお店なんだけど……」
「いや、おめぇの店でも、俺の店でもねぇわ……、って……」

 あつ子が足を止めたところで横を見てみると、赤いサンルーフのある店のガラス扉に貼り紙がしてあるのを発見した。

「改装中じゃねぇか!!」

 思わず叫ぶ。貼り紙をちゃんと読んでみると、一ヶ月後にオープンしますとのことだった。俺は、何のためにこんな格好を?

「良いじゃない、楽しかったでしょ? やこ、理由がないと女装なんてしてくれないじゃない?」
「まさか、おめぇ、改装中ってこと知って――」
「何のことかしら……?」

 おいおい、下衆い笑みになってんぞ? 口元を手で隠してっけど、隠し切れてねぇぞ?

「俺に女装させたかっただけだろ!」

 なんでサイズが合うんだ? って思ったんだよな。怪しんでたんだよな。準備万端過ぎてよぉ!

「また女装しましょうね?」
「二度とご免だ! 馬鹿!」

 こうして、人生初のケーキバイキングは店に入ることなく終わった。

 終わってから気付いたが、俺、明日の体育、やべぇんじゃねぇ? と思った。女装のために腕と足の毛を剃られたからだ。あつ子に文句を言ったら「大丈夫よぉ、誰もあんたのことなんて見てないわよぉ」と言われた。次の日、確かに誰も俺のことは“認識”していなかった。ただ、誰か分からないが足の綺麗なやつが居ると噂になった。

 その後、新しい毛が生え揃うまで、すげぇチクチクした。

 全世界の俺と架空のティーパーティーの参加者が泣いた。
しおりを挟む

処理中です...