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27.ある日『俺のスマホが無ぇ』
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明日から学校だ、という日曜日のことだ。俺が昼に起きてきたらリビングのテーブルに手紙が置いてあった。
『急遽お仕事が入っちゃったから行ってくるわね? 冷蔵庫の中に色々入れておいたから、ご飯、食べなさいよ? あと宿題、もちろん終わってるのよね? 終わってなかったら夕飯抜きだから、しっかりしなさいよ? 最後に、危ないことはせず、大人しく留守番してなさいね? あつ子』
過保護かよ? 長ぇし。俺をいくつの餓鬼だと思ってやがるんだ? 俺は宿題なんざ先に終わらせるタイプだっての。
「あれ?」
飯食ってからは何すっかな? と思いながらキッチンに向かおうとして気が付く。
昨日、リビングに置きっぱなしにしてた俺のスマホが無ぇ。
いつも自分のベッドまで持って行くのは目覚ましに使っているからだ。今日は必要無ぇと思ってリビングに置いていったのがいけなかったのか? 俺は別に友達も居ねぇし、スマホに執着するような人間じゃないんだが、無いとなんだか落ち着かない。
もしかして、捨てられてねぇよな?
と、まあ、まずは飯を食ってから……、そう思って冷蔵庫を開けると何故かキャラ弁が入っていた。あいつ、朝から何してんだ?
クマさんのおにぎりとか、タコさんのウインナーとか、ヒヨコさんのゆで卵とか、ほんと食いづらいんだが、食った。サラダも置いてあった。三種類くらい豆が乗ってた。別にご飯なんて適当で良いのによ。
「冷蔵庫には入ってないか」
弁当箱を片付けながら、一応もう一度冷蔵庫を開けて中を確認してみたが、俺のスマホは入っていなかった。よく布巾を入れちゃう奴が居るって聞いたことがあるが、うちのあつ子は、まあ入れないだろうな。
紛失物はソファの隙間に落ちてるイメージがあって、そこも見てみたが俺のスマホはなかった。何故か、五百円玉を見つけた。ラッキーだと思った。
いや、そうじゃねぇや。ほんとにマジで見つからねぇ。
その後も自分の部屋を見返したりとか、あつ子の部屋をこっそり見たりとか、洗濯機の中を見たりしたがスマホは行方不明のままだった。家電が無ぇから自分のスマホに電話を掛けることも出来ねぇ。
スマホを無くしたことが、あつ子にバレたら……確実に怒られる! 夕飯抜きとか、夜のベランダで虫に襲われる刑とかに処される!
「そっか、公衆電話から掛ければ良いんじゃねぇか」
今、俺の手には五百円玉がある。これで公衆電話から掛ければ……ん? 公衆電話って五百円玉使えんのか? ま、駄目だったらコンビニで崩せば良いか。
心の中で右往左往しながら俺は服装を適当に整えて、玄関の扉を開けた。
「どうしたの?」
「ひっ!」
外に出た瞬間に隣から声を掛けられて、思わず変な声が出た。隣の部屋の扉の隙間からアツコを抱いた後輩がこちらを覗いていた。
「サ……」
心の中でいつもサイコパスと呼んでいるからか、誤ってサイコパスと言いそうになった。聞き耳でも立ててやがったのか? どんなタイミングで扉開けてやがんだ?
「な、なんもない、ですけど?」
中に戻って開けた扉を閉めたいが、どの言葉を言って閉めれば良いのかが分からない。
「今日、先輩、仕事入っちゃったんだってね」
いつものニコニコ顔が嬉しそうに言う。俺が一人なの知って……。
「そうっすね。だから、何――」
「俺さ、実は……先輩の秘密、知っちゃったんだよね。これ、先輩に言ったらどうなるかな?」
爽やかな笑みが意地の悪い笑みに変わった。
「秘密?」
「そう」
いや、大丈夫。大丈夫だ。この人はいつも的外れなことを言ってくる。俺が予想してるのはあつ子がオネエだってことが後輩にバレたってことだが、きっと、違う……よな?
でも、ほんとにバレてて、あつ子がそれを知ったら、あいつ悲しむ……かも。ぜってぇ嫌われるから、オネエだってバレたくねぇって言ってたもんな、前に。好きな奴に嫌われるって……、ツラい……、もんな。知られてることを知ったら、あつ子の恋愛はそこで終わる。多分、後輩から離れる。それならそれで俺は良いが、あいつは……。
「ねえ、俺の部屋に来て、ゆっくり話そうよ。君が俺と話してくれるなら、知ってしまった秘密のこと、先輩に言うのやめようかな」
扉の隙間から後輩がアツコの手を持って、手招きするように振る。アツコは嫌がることなく、にゃーん、と可愛く鳴いた。可愛い、もふもふを撫でたい。
「言い方を変えようか。やこくんが俺と“遊んで”くれたら、先輩には言わないことにするよ」
なんで今、遊ぶって強調した?
『危ないことはせず、大人しく留守番してなさいね?』
唐突にあつ子の手紙の一文を思い出した。スマホも無い。あつ子も居ない。これは、危ないこと、か?
「ほら、うちのアツコもおいでって言ってるよ?」
後輩がチラッと俺を見てからアツコのお腹に顔を埋める。
――俺も、それ、やりたい!
「そんな顔してないで、おいで」
無意識にぐぬぬという顔をしてしまっていたらしい。慌てて、眉間に寄った皺を解放する。
「い……、行きます」
これはあつ子のためだ。
玄関に入ると、後ろで扉が静かに閉まった。廊下を上機嫌で走って行く白猫。目の前に立った後輩は俺を見つけて……
「……っ」
俺越しに鍵を閉めた。息を呑んでしまったことを後悔する。
「襲われると思った?」
目を細めた後輩が俺の顔を覗き込んできた。わざとらしいことしやがって、ムカつく。何か言ったら負けな気がして、俺は首だけを強く左右に振って否定した。
「そういうのは君が高校を卒業してからじゃないとね」
なんだ、分かってんじゃねぇか、ホッとし……ん? いや、よく考えてみたら、それって高校卒業してたら襲ってたってことか!?
「君は本当に面白いよね。先輩が可愛がってるのも分かる。――さ、どうぞ」
またしても、俺は心の中の感情を顔に出してしまっていたらしい。爽やかに笑いながら後輩が廊下を歩いていく。
そろそろと後を追ってリビングに入るとクーラーが効いていて、うわ、涼しい、と思った。
「好きなクッションに座って」
後輩の部屋にはモチモチとしたクッションが数個置いてある。俺は黒いローテーブルの前の黒いクッションに座った。というか、後輩の部屋の物は大体黒い。
「それで、遊ぶって、なんですか?」
飲み物でも用意するためか、キッチンに向かった後輩に尋ねる。早く用事を済ませて帰りてぇ。
「そうだなぁ、お互いの好きなものを当てるゲーム、とか?」
――なぁあああ! ぶち込んで来やがった! これはマズい。なんでこの人、いつもこういうこと思い付くんだよ?
エアコンの効いた密室。出された林檎ジュースは濃いめの高級な味がした。
「さて、じゃあ、どちらからいこうか?」
何故か隣に座って、向き合うことになった。外したら罰ゲームとか無ぇよな? 変にドキドキするぜ、クソ。まるでお互いの命が掛かってるみてぇだ。
「そちらから、どうぞ」
まずは、どんな感じなのか手本を見る必要がある。本当に正直に当ててくるのか、それとも、ふざけるのか、またいつもみたいにおかしなテクニックを使ってくるのか。(※後輩の必殺技『目的語隠し』)
「良いよ。やこくんの好きなもの、ね。うーん……」
あつ子、とか、俺(後輩)、とか言ったら何がなんでも嘘吐くぞ、俺。
「食べ物全般と顔が整ってる人、あと楽しいこと、それとアツコ」
ぐっ、その最後の“あつこ”って、猫の方のアツコだよな? 騙されるな、俺。この人は俺に揺さぶりを掛けているだけだ。確かに後輩んちの白猫はほんとに可愛い。好きだ。
いや、そこじゃねぇ、なんか俺が面食いみたいになってんの、やめてくれねぇかな? 単にあつ子とあんたが顔整ってるだけだろうが。
「正解?」
「ま、まあ、大体合ってますね。いやぁ、勝てる気がしないなぁ」
こんなん真面目にやってられっか。もうそれで合ってるってことで良いよ。というか、ちょっと当てに来てんのが怖ぇな。さすがサイコパスだぜ。
「イケメンが好きなんだね」
――ぐふっ!! 俺の心臓に矢が!! 誰彼構わず顔の整った男が好きみたいになってるじゃんかよ!!
「い、嫌だな、美女もあり得ますよ?」
可能性、そう可能性の話だ。たまたま気になったのが男なだけで、俺は別に……だよな?
「美女……か」
後輩が俯いてぼそりと言ったのが聞こえた。
な、なんか怪しんでないか? もしかして、後輩はあつ子の秘密を知ってるから、あいつが女装したら美女の類に入るよね? とか思ってないよな? 間違っちゃいないが。
「つまらないな、このゲームやめよう」
「え?」
ゲームの終焉は突然だった。なんだ、俺には解答権くれないのかよ、と思ったが後輩の真顔が怖い。
「正直に自分から言うよ。もう分かってると思うけど、俺……」
は? そ、そそ、そんな急に自分の好きなもの自分から打ち明けちまうのかよ? まだ俺の心の準備が……!
「先輩のことが好きなんだ」
「え……」
――俺……じゃねぇの?
俺たちの会話なんて自分には全く関係無いみたいに、部屋の隅でアツコ・テサインクロスが玩具に戯れて遊んでいる。
「先輩カッコいいし、なんでも完璧だし、厳しいところもあるけど基本優しいし、たまに何かを隠してる感じがするのも好きなんだよね」
キラキラと輝く笑みを浮かべた後輩があつ子について語っている。それが本当のことだって言ってるみたいだ。
後輩が好きだったのって、あつ子だったのか。じゃあ、あつ子と後輩、両想いじゃねぇか……。
あれ? あつ子に対してショック受けるのは分かるが、なんで、俺、後輩に対して、ちょっと虚しい気持ちになってるんだ? この人のこと、す、きになる要素なんて一個も無ぇのに。
「君は本当に顔に出るねぇ」
「はい?」
後輩が俺にグイッと近付いてきた。その顔はもうキラキラしてなくて……
「今、どんな気持ち?」
少しずつ表情が変わってくる。キラキラがまた真顔になった。
「どん、な?」
また後輩の言っている言葉の意味が分からなかった。どんな気持ちってなんだ?
「俺が先輩のこと好きだって言った時、君はどんな気持ちになった?」
真顔が今度はニヤリと笑う。
「あんた悪い人だな」
この人は本当に悪い人だ。俺の心を掻き回したくて、嘘を吐いたのか? あつ子のことは好きじゃねぇのか?
「俺は君のことも好きだよ?」
分かんねぇよ、どっちが好きなんだ? 選べねぇってか? でも、最初からあんたにあつ子を渡す気はねぇよ。だから、あんたはずっと俺を好きでいれば良いんだ。あんたの気持ちが本当のものなのか確かめてやる。
「はあ、どんなところが?」
イライラを隠せなくて、口調に出てしまっているかもしれない。俺を揶揄うなら、それくらい言えるよな? 言えなかったら、ぶっ飛ばしてやる。
「たくさんあるから、何個かに絞るね。まずは、この犯罪者みたいな目付き」
スッと伸びてきた右手に顎を固定されて、間近でジッと瞳を見つめられる。
「見てるとゾクゾクするし、泣かせたら面白いだろうなって思うんだ」
ーーやっぱり、ただの変態じゃねぇかぁぁあああ! Mか!? ドMなのか!?
「俺、ドSだからさ」
息するみたいに心を読むな、サイコパス!
「離せ」
後輩の腕を掴んで外そうとしたが、馬鹿力で剥がれない。もう、こんな人に敬語なんて勿体ねぇからタメ口で良いやと思った。
「良いから、このまま聞いててよ」
刃物を持たせたら完全なるサイコパスの完成みたいな顔してやがる。言われなくても、あんたの手が外れないのは分かったから何も出来ねぇよ。
「……」
黙って睨み付けることしか出来ないが、そんなことをしたら後輩を喜ばせるだけだ。頑張って真顔になろうとしたが、失敗して困っている顔になっちまった。結果、後輩が嬉しそうに笑った。そんで、奴が満足そうに続ける。
「君の性格も好きだな。特に猫みたいに素直じゃなくて、犬みたいに先輩に従順なところ。先輩は君のこと、可愛くて仕方がないんだろうなぁ。一度に二種類の動物の癒しが体験できるなんて羨ましいよ」
動物だ? ふざけんな、おめぇが動物からやり直しやがれ。
「俺は動物じゃねぇ。目腐ってんのか、あんた」
「そんなに怒らないでよ。君が可愛いっていう話をしているんじゃないか」
「俺に可愛さを求めんな。もう終わりか? 少ねぇな」
イライラを前面に出して反論すると、今度は後輩が困ったような顔をした。よしよし、押されてるぞ。これは勝てるかもしれねぇ。(※いつの間にか、何かの戦いになっている)
あれ? でも、なんか俺、愛に貪欲な奴みてぇになってねぇか?
そういえば、多いから絞るって言ってたじゃねぇか! 自分からさらに求めてどうする! 俺!
「そうだね、あとは……」
「いや、もう良――」
「俺みたいな人間にも普通で居てくれるところ」
いつもの爽やかな顔で後輩がニコッと笑った。何故か、その顔が少し寂しそうに見えて……。
「俺の本性を知ってるのは君だけなんだよね」
「俺……だけ……」
ふと、あつ子のことが脳裏を過った。“普通”という言葉が何度も頭の中で再生される。この人もあいつと一緒なのか……?(※『なんか分かんねぇけど、あつ子と同じ』に弱いやこ)
「さっき言った通り、急に襲ったりはしないから、俺と一緒に居てよ、やこくん」
「一緒って?」
「ゲームしよう」
「また?」
「いや、今度は普通にゲーム」
呆れてたら、後輩が急にローテーブルの下から最新のテレビゲームの本体を取り出して来て、なんか拍子抜けした。
マジで遊びかよ? 今までの何だったんだ? なんか本気で戦って損したな、疲れたから休憩しよう。後輩の手から顎も解放されたしな。
「トイレ行って良いですか?」
クーラーがよく効いてるからか、さっきからずっと便所に行きたかったんだよ。
「良いよ。その敬語とタメ語が混ざるとこも好きだな」
また新たに好きなところを見つけてしまったみたいな言い方すな。もう無視だ、無視。
後輩の言葉に何の反応もせず、俺は便所へと向かった。マジで変に疲れて大きな欠伸が出た。便所の水を流す時に、なんか玄関の鍵がガチャリと解錠される音が聞こえた気がした。
見てねぇから、多分だが、宅配とかか?
「これ協力プレイ系のゲームなんだよね。一人と機械じゃ、どうも上手く行かなくて」
俺がリビングに戻ると後輩がテレビとゲームを接続しているところだった。
「銃撃ちまくってモンスター倒すやつ?」
テレビが見えるように席を移動して胡座をかくとアツコ・テサインクロスが俺の膝に乗ってきた。くっそ可愛い、と思って動けなくなる。そっと触れたら、ふっわふわで俺の周りに花が咲いた。
「そう。壊れたハシゴを登るところが機械じゃ呼んでも来てくれないんだ」
コンピューターでよくあるやつだな。仕方なく、やる気を見せて黒いコントローラーを手に持ってやる。
「俺、サポートしかしねぇから」
あと、自分で頑張れよ? ……って、え?
「ちょ、は? あんた、何してんだよ?」
こっち来たな、と思ったら、なに俺の真後ろに座ってんだよ? う、後ろからハグされてるみてぇじゃんか。
「そのまま、そのまま、アツコが逃げちゃうよ?」
「……っ」
ふわっふわの猫が逃げてしまう。そう言われて、俺は当然のように動けなくなった。まあ、さっきから動けていないが。
「で、なんすか? これ」
コントローラーを持った俺の両手の下に後輩の両手がある。俺の肩に奴の顎が乗っていて、距離が近い。ま、まるで、彼氏彼女みてぇじゃんか! な、んか、ドキドキする。
「弟とさ、こうやって仲良くゲームしたかったんだよね」
「あー、小さい頃の願望? 的な?」
お互いがまだ小学生と高校生の時に本当は仲良くしたかったけど、歳が離れ過ぎてて可愛がってあげられなかった、とかか?
まあ、高校生って餓鬼とどう接したら良いか分からないような感じするもんな。俺は誰とでもそんな感じだけどな。
「ううん、最近の話」
「それは無理」
そりゃ、無理だ、もっと反抗されるわ。多分、この人、弟が小さい頃も弟の方に拒否られてたタイプのお兄ちゃんだ。
「なんか……」
そのままの状態でゲームをスタートさせながら後輩がぼそりと呟いた。
「やっぱり癒されるなぁ」
心の底から落ち着く、みたいな声が耳元で聞こえた。この人の声、意外と好……いやいや、一瞬、何か良くないことを考えたな、俺! ゲームに現実逃避、現実逃避!
「問題の場所ってスタート地点じゃないっすか!」
思わず大声を出してしまった。スタートしてから数分で、その問題の赤く錆びたハシゴが見えてきたのだ。
「そうなんだよね」
あはは、と後輩が笑っている間に協力プレイでその地点は突破出来た。つまり、別に躓く場所でも無かったわけだ。後輩と機械の相性、悪過ぎだろ?
「一個質問しても良い?」
「何ですか?」
画面に集中して銃で敵を倒しながら答える。
「外に何しに行こうと思ってたの?」
「ん? あー、部屋でスマホが無くなっちゃって、公衆電話から電話したら場所分かるかなって思って」
そういえば、スマホ探してたんだよな。まあ、ゲームが楽しいからいっか。
「ねえ、やこくん」
「はい?」
「それ、部屋の中で着信音確認する人が居ないと意味無いんじゃないかな?」
「はっ……」
――俺の馬鹿ぁぁあああ! す、すげぇ恥ずかしいじゃねぇか! なんで今まで気が付かなかったんだ? 誤魔化せ、俺!
「そ、そういえば、知ったって言ってた、うちのおじさんの秘密って何なんですか?」
後輩にサラッと正論を言われて、俺は必死に話を変えようとした。
あー、聞いちまった。知りたいような知りたくないような……。果たして、後輩はあつ子がオネエだということに気が付いているのか?
「ああ、それね……」
なんで直ぐに言わねぇんだ? 大人の配慮ってやつか?
「何?」
またタメ口が出た。タメ口なのか敬語なのか、というのに俺の脳味噌が上手く適応出来ていない。
ピンポーン
突然のインターホンの音、後輩の言葉は俺への返事ではなく、「開いてます、どうぞ」という外への大きめな返事だった。
「え?」
コントローラーを持ちながら狼狽える俺。ガチャリと扉が開く音がする。アツコが音に反応して俺の膝から軽やかに去って行ってしまった。
「あ……」
伸ばした俺の手はふわふわに届かず。俺の耳元で後輩が静かに口を開く。
「俺が知った秘密は、先輩が君のことを好きだってことだよ。それも恋愛対象としてね」
「は?」
耳を疑って、後輩の顔を見ようと左を向いた。すると「お邪魔します」と言って玄関に入って来たあつ子の姿が視界に飛び込んできた。
「な、んで……?」
「やこくんがここに居ること、俺が言っておいたんだ、君が一瞬席を外した時に」
俺からしか見えない後輩の顔が、この後の展開を期待しているのが分かる。
「おい、高校生に何してんだ?」
何気なく玄関で靴を脱いで顔を上げたあつ子が、顔色を変えてこっちに歩いて来た。そのまま俺の腕を掴んで立ち上がらせて、自分の方に引き寄せる。あまりに突然過ぎてバランスを崩した俺は奴に抱き着くみてぇな格好になっちまった。
「先輩、なに勘違いしてるんですか? 一緒にゲームをしていただけですよ?」
見えないが、この言い方、後輩はまた爽やかに笑ってるんだろうな。
「へ?」
近くから呆気に取られたあつ子の声が聞こえた。
「もしかして、俺とやこくんがいけないことしてると思いました?」
ほんとに悪い人だな。カタカタという音は後輩があつ子に見せるためにゲームのコントローラーを横に振っている音だろう。
「い、いや、すまない……」
パッと俺から手が離れていく。身体を離して奴の顔を見たら、見たことないくらいに目が泳いでいた。あつ子をこんなに戸惑わせるなんて、やっぱり後輩は恐ろしい。
「いえ」
後輩は「許しましょう」って顔で立ち上がってニコって笑ったけど、話終わっちまって変な間が出来ちまってるじゃねぇか。ここは俺が話題を変えねぇと。
「あ、敦彦さん、俺のスマホ知らない?」
今日一番のミステリーだ。そもそも、俺はこの謎を解明したかっただけなんだよ。なんでこうなった?
「ん? あー、俺が間違って持って行ってたんだ。ごめんな」
随分、照れ臭そうにあつ子が仕事用の鞄からスッと俺のスマホを取り出した。
「良いけどさ」
手渡された瞬間に何かメールが来てないか確認する。残念ながら他人からは何も来ていなかった。そう“他人”からは。
「これ……」
新着メール、時間はちょうど俺が部屋を出た時、あつ子から『やこのスマホ持ってます』ってメール来てたけど、おめぇが持ってたら意味無ぇじゃんか。
「あんたからのメールだけど、あんたが持ってたら意味無くね?」
スマホの画面を見せながら俺が言うと
「やこくん、なんか似てるね」
と後輩がクスクスと笑い出した。
自分のスマホを見つけるために公衆電話作戦を思い付いた俺と、俺のスマホを持って来てしまったことを伝えようとしてそのスマホにメールを送ってしまったあつ子、確かに抜けているとこは似ている。だが、俺のミスのことは言うな後輩。
「そのことは言わないでください。おじが来たので、もう帰ります。ありがとうございました」
コントローラーをそっとテーブルに置いて、後輩に礼を言った。
「もう帰っちゃうの?」
「っ、帰ります」
後輩の言葉と同時にアツコがスリスリと俺の足にすり寄って来て、危うく心ごと引き留められそうになった。
「ねえ、やこくん、俺に何か言いたいことはないかな?」
俺と後輩の会話を静かにあつ子が聞いている。奴が何も言わないのは、今日、ヘマばかりしているからか? これ以上、下手にミスを増やさないためか?
そんで後輩は何を言ってやがるんだ? あんたに礼は言っただろう? じゃあ、後は……
「……今度、さっきの話、詳しく聞かせてください」
おずおずと後輩の前に立って言う。これだ。これしかない。あつ子のことに違いない。
「うん、またお話ししようね」
キラキラの笑顔が「正解」とでも言っているようだ。そんな顔して、腹の中ではどんな感情が渦巻いてるか分からねぇ。中身、マジでサイコパスだな。あんたはドSじゃなくて、ドサイコパスだ。
「またいつでも遊びにきてね」
玄関でアツコを抱っこしながら後輩が俺とあつ子を見送る。
「お邪魔しました」
誰よりも早く扉を開けると、扉の隙間から蒸し暑い空気が流れ込んできた。もう夏も終わるのか、と思う。
「連絡ありがとうな」
「いえ、先輩の顔が見られて良かったです」
「俺もだよ」
ーーああああああ!! イチャイチャすな!! あつ子、その人、天然なんかじゃなくてサイコパスなんだよ!!
ここはあつ子の腕を掴んで無理矢理にでも引き離すべきか? いや、冷気逃げるし、蚊が入るから俺は帰ることにする。そうだ、それが理由だ。別に他に深く考えてたりはしねぇ。
暑い空気の中を数歩歩いて、俺は部屋に帰った。暫く放置していた空間には熱が溜まっていて、すぐに冷房を点けた。生温い空気が部屋の中で動いていくのが分かる。
――分かんねぇな。俺はあつ子と後輩の仲を応援してぇのか、引き裂きてぇのか……。
床に直に座ると頭の中に色んなことが溢れてきた。
「ただいま」
ガチャリと玄関の扉が開いて、あつ子が帰って来ても俺は「おかえり」なんて言ってやらねぇ。ただ只管に頭の中で考え事を繰り返す。
「なんか、いつの間にか後輩くんと凄く仲良くなってない?」
「……」
俺が、どれだけ……
「ねぇ」
「……」
どれだけ、あんたのことを……
「後輩くんと何話してたの?」
「うっせぇ!!」
あんたのことを大事にしてるか、あんたは分かってない!
「もー、スマホのことはさっき謝ったじゃないのよぅ」
――俺の頭は今、パンク寸前なんだ、話掛けるんじゃねぇ!
心の中で叫んだ。そんで、ぶつぶつ言うオネおじの横を通り過ぎて俺は風呂場に逃げ込んだ。
「やこ? ねぇ、やこ、大丈夫?」
脱衣所の扉がコンコンと叩かれる。俺の異変に気付くなよ、くそったれ。
「頭冷やすんだよ! 邪魔すんな!」
そう言って出したシャワーの水は夏の暑さの所為でやけに温かった。
――後輩の馬鹿、あつ子の顔が見れなくなるじゃねぇか……。ぜってぇ嘘のくせに。
この後、あつ子に素直に謝った。俺のことを心配したのか、夜は一人で寝かしてくれなかった。構ってほしいやつみてぇだったなって自分でも思った。
結局、後輩はあつ子と俺、どっちが好きなんだ? 俺はあつ子と後輩、どっちが好きなんだ? あつ子は……後輩と俺、どっちが好きなんだ?
全世界の悩める子羊と俺が泣いた。
『急遽お仕事が入っちゃったから行ってくるわね? 冷蔵庫の中に色々入れておいたから、ご飯、食べなさいよ? あと宿題、もちろん終わってるのよね? 終わってなかったら夕飯抜きだから、しっかりしなさいよ? 最後に、危ないことはせず、大人しく留守番してなさいね? あつ子』
過保護かよ? 長ぇし。俺をいくつの餓鬼だと思ってやがるんだ? 俺は宿題なんざ先に終わらせるタイプだっての。
「あれ?」
飯食ってからは何すっかな? と思いながらキッチンに向かおうとして気が付く。
昨日、リビングに置きっぱなしにしてた俺のスマホが無ぇ。
いつも自分のベッドまで持って行くのは目覚ましに使っているからだ。今日は必要無ぇと思ってリビングに置いていったのがいけなかったのか? 俺は別に友達も居ねぇし、スマホに執着するような人間じゃないんだが、無いとなんだか落ち着かない。
もしかして、捨てられてねぇよな?
と、まあ、まずは飯を食ってから……、そう思って冷蔵庫を開けると何故かキャラ弁が入っていた。あいつ、朝から何してんだ?
クマさんのおにぎりとか、タコさんのウインナーとか、ヒヨコさんのゆで卵とか、ほんと食いづらいんだが、食った。サラダも置いてあった。三種類くらい豆が乗ってた。別にご飯なんて適当で良いのによ。
「冷蔵庫には入ってないか」
弁当箱を片付けながら、一応もう一度冷蔵庫を開けて中を確認してみたが、俺のスマホは入っていなかった。よく布巾を入れちゃう奴が居るって聞いたことがあるが、うちのあつ子は、まあ入れないだろうな。
紛失物はソファの隙間に落ちてるイメージがあって、そこも見てみたが俺のスマホはなかった。何故か、五百円玉を見つけた。ラッキーだと思った。
いや、そうじゃねぇや。ほんとにマジで見つからねぇ。
その後も自分の部屋を見返したりとか、あつ子の部屋をこっそり見たりとか、洗濯機の中を見たりしたがスマホは行方不明のままだった。家電が無ぇから自分のスマホに電話を掛けることも出来ねぇ。
スマホを無くしたことが、あつ子にバレたら……確実に怒られる! 夕飯抜きとか、夜のベランダで虫に襲われる刑とかに処される!
「そっか、公衆電話から掛ければ良いんじゃねぇか」
今、俺の手には五百円玉がある。これで公衆電話から掛ければ……ん? 公衆電話って五百円玉使えんのか? ま、駄目だったらコンビニで崩せば良いか。
心の中で右往左往しながら俺は服装を適当に整えて、玄関の扉を開けた。
「どうしたの?」
「ひっ!」
外に出た瞬間に隣から声を掛けられて、思わず変な声が出た。隣の部屋の扉の隙間からアツコを抱いた後輩がこちらを覗いていた。
「サ……」
心の中でいつもサイコパスと呼んでいるからか、誤ってサイコパスと言いそうになった。聞き耳でも立ててやがったのか? どんなタイミングで扉開けてやがんだ?
「な、なんもない、ですけど?」
中に戻って開けた扉を閉めたいが、どの言葉を言って閉めれば良いのかが分からない。
「今日、先輩、仕事入っちゃったんだってね」
いつものニコニコ顔が嬉しそうに言う。俺が一人なの知って……。
「そうっすね。だから、何――」
「俺さ、実は……先輩の秘密、知っちゃったんだよね。これ、先輩に言ったらどうなるかな?」
爽やかな笑みが意地の悪い笑みに変わった。
「秘密?」
「そう」
いや、大丈夫。大丈夫だ。この人はいつも的外れなことを言ってくる。俺が予想してるのはあつ子がオネエだってことが後輩にバレたってことだが、きっと、違う……よな?
でも、ほんとにバレてて、あつ子がそれを知ったら、あいつ悲しむ……かも。ぜってぇ嫌われるから、オネエだってバレたくねぇって言ってたもんな、前に。好きな奴に嫌われるって……、ツラい……、もんな。知られてることを知ったら、あつ子の恋愛はそこで終わる。多分、後輩から離れる。それならそれで俺は良いが、あいつは……。
「ねえ、俺の部屋に来て、ゆっくり話そうよ。君が俺と話してくれるなら、知ってしまった秘密のこと、先輩に言うのやめようかな」
扉の隙間から後輩がアツコの手を持って、手招きするように振る。アツコは嫌がることなく、にゃーん、と可愛く鳴いた。可愛い、もふもふを撫でたい。
「言い方を変えようか。やこくんが俺と“遊んで”くれたら、先輩には言わないことにするよ」
なんで今、遊ぶって強調した?
『危ないことはせず、大人しく留守番してなさいね?』
唐突にあつ子の手紙の一文を思い出した。スマホも無い。あつ子も居ない。これは、危ないこと、か?
「ほら、うちのアツコもおいでって言ってるよ?」
後輩がチラッと俺を見てからアツコのお腹に顔を埋める。
――俺も、それ、やりたい!
「そんな顔してないで、おいで」
無意識にぐぬぬという顔をしてしまっていたらしい。慌てて、眉間に寄った皺を解放する。
「い……、行きます」
これはあつ子のためだ。
玄関に入ると、後ろで扉が静かに閉まった。廊下を上機嫌で走って行く白猫。目の前に立った後輩は俺を見つけて……
「……っ」
俺越しに鍵を閉めた。息を呑んでしまったことを後悔する。
「襲われると思った?」
目を細めた後輩が俺の顔を覗き込んできた。わざとらしいことしやがって、ムカつく。何か言ったら負けな気がして、俺は首だけを強く左右に振って否定した。
「そういうのは君が高校を卒業してからじゃないとね」
なんだ、分かってんじゃねぇか、ホッとし……ん? いや、よく考えてみたら、それって高校卒業してたら襲ってたってことか!?
「君は本当に面白いよね。先輩が可愛がってるのも分かる。――さ、どうぞ」
またしても、俺は心の中の感情を顔に出してしまっていたらしい。爽やかに笑いながら後輩が廊下を歩いていく。
そろそろと後を追ってリビングに入るとクーラーが効いていて、うわ、涼しい、と思った。
「好きなクッションに座って」
後輩の部屋にはモチモチとしたクッションが数個置いてある。俺は黒いローテーブルの前の黒いクッションに座った。というか、後輩の部屋の物は大体黒い。
「それで、遊ぶって、なんですか?」
飲み物でも用意するためか、キッチンに向かった後輩に尋ねる。早く用事を済ませて帰りてぇ。
「そうだなぁ、お互いの好きなものを当てるゲーム、とか?」
――なぁあああ! ぶち込んで来やがった! これはマズい。なんでこの人、いつもこういうこと思い付くんだよ?
エアコンの効いた密室。出された林檎ジュースは濃いめの高級な味がした。
「さて、じゃあ、どちらからいこうか?」
何故か隣に座って、向き合うことになった。外したら罰ゲームとか無ぇよな? 変にドキドキするぜ、クソ。まるでお互いの命が掛かってるみてぇだ。
「そちらから、どうぞ」
まずは、どんな感じなのか手本を見る必要がある。本当に正直に当ててくるのか、それとも、ふざけるのか、またいつもみたいにおかしなテクニックを使ってくるのか。(※後輩の必殺技『目的語隠し』)
「良いよ。やこくんの好きなもの、ね。うーん……」
あつ子、とか、俺(後輩)、とか言ったら何がなんでも嘘吐くぞ、俺。
「食べ物全般と顔が整ってる人、あと楽しいこと、それとアツコ」
ぐっ、その最後の“あつこ”って、猫の方のアツコだよな? 騙されるな、俺。この人は俺に揺さぶりを掛けているだけだ。確かに後輩んちの白猫はほんとに可愛い。好きだ。
いや、そこじゃねぇ、なんか俺が面食いみたいになってんの、やめてくれねぇかな? 単にあつ子とあんたが顔整ってるだけだろうが。
「正解?」
「ま、まあ、大体合ってますね。いやぁ、勝てる気がしないなぁ」
こんなん真面目にやってられっか。もうそれで合ってるってことで良いよ。というか、ちょっと当てに来てんのが怖ぇな。さすがサイコパスだぜ。
「イケメンが好きなんだね」
――ぐふっ!! 俺の心臓に矢が!! 誰彼構わず顔の整った男が好きみたいになってるじゃんかよ!!
「い、嫌だな、美女もあり得ますよ?」
可能性、そう可能性の話だ。たまたま気になったのが男なだけで、俺は別に……だよな?
「美女……か」
後輩が俯いてぼそりと言ったのが聞こえた。
な、なんか怪しんでないか? もしかして、後輩はあつ子の秘密を知ってるから、あいつが女装したら美女の類に入るよね? とか思ってないよな? 間違っちゃいないが。
「つまらないな、このゲームやめよう」
「え?」
ゲームの終焉は突然だった。なんだ、俺には解答権くれないのかよ、と思ったが後輩の真顔が怖い。
「正直に自分から言うよ。もう分かってると思うけど、俺……」
は? そ、そそ、そんな急に自分の好きなもの自分から打ち明けちまうのかよ? まだ俺の心の準備が……!
「先輩のことが好きなんだ」
「え……」
――俺……じゃねぇの?
俺たちの会話なんて自分には全く関係無いみたいに、部屋の隅でアツコ・テサインクロスが玩具に戯れて遊んでいる。
「先輩カッコいいし、なんでも完璧だし、厳しいところもあるけど基本優しいし、たまに何かを隠してる感じがするのも好きなんだよね」
キラキラと輝く笑みを浮かべた後輩があつ子について語っている。それが本当のことだって言ってるみたいだ。
後輩が好きだったのって、あつ子だったのか。じゃあ、あつ子と後輩、両想いじゃねぇか……。
あれ? あつ子に対してショック受けるのは分かるが、なんで、俺、後輩に対して、ちょっと虚しい気持ちになってるんだ? この人のこと、す、きになる要素なんて一個も無ぇのに。
「君は本当に顔に出るねぇ」
「はい?」
後輩が俺にグイッと近付いてきた。その顔はもうキラキラしてなくて……
「今、どんな気持ち?」
少しずつ表情が変わってくる。キラキラがまた真顔になった。
「どん、な?」
また後輩の言っている言葉の意味が分からなかった。どんな気持ちってなんだ?
「俺が先輩のこと好きだって言った時、君はどんな気持ちになった?」
真顔が今度はニヤリと笑う。
「あんた悪い人だな」
この人は本当に悪い人だ。俺の心を掻き回したくて、嘘を吐いたのか? あつ子のことは好きじゃねぇのか?
「俺は君のことも好きだよ?」
分かんねぇよ、どっちが好きなんだ? 選べねぇってか? でも、最初からあんたにあつ子を渡す気はねぇよ。だから、あんたはずっと俺を好きでいれば良いんだ。あんたの気持ちが本当のものなのか確かめてやる。
「はあ、どんなところが?」
イライラを隠せなくて、口調に出てしまっているかもしれない。俺を揶揄うなら、それくらい言えるよな? 言えなかったら、ぶっ飛ばしてやる。
「たくさんあるから、何個かに絞るね。まずは、この犯罪者みたいな目付き」
スッと伸びてきた右手に顎を固定されて、間近でジッと瞳を見つめられる。
「見てるとゾクゾクするし、泣かせたら面白いだろうなって思うんだ」
ーーやっぱり、ただの変態じゃねぇかぁぁあああ! Mか!? ドMなのか!?
「俺、ドSだからさ」
息するみたいに心を読むな、サイコパス!
「離せ」
後輩の腕を掴んで外そうとしたが、馬鹿力で剥がれない。もう、こんな人に敬語なんて勿体ねぇからタメ口で良いやと思った。
「良いから、このまま聞いててよ」
刃物を持たせたら完全なるサイコパスの完成みたいな顔してやがる。言われなくても、あんたの手が外れないのは分かったから何も出来ねぇよ。
「……」
黙って睨み付けることしか出来ないが、そんなことをしたら後輩を喜ばせるだけだ。頑張って真顔になろうとしたが、失敗して困っている顔になっちまった。結果、後輩が嬉しそうに笑った。そんで、奴が満足そうに続ける。
「君の性格も好きだな。特に猫みたいに素直じゃなくて、犬みたいに先輩に従順なところ。先輩は君のこと、可愛くて仕方がないんだろうなぁ。一度に二種類の動物の癒しが体験できるなんて羨ましいよ」
動物だ? ふざけんな、おめぇが動物からやり直しやがれ。
「俺は動物じゃねぇ。目腐ってんのか、あんた」
「そんなに怒らないでよ。君が可愛いっていう話をしているんじゃないか」
「俺に可愛さを求めんな。もう終わりか? 少ねぇな」
イライラを前面に出して反論すると、今度は後輩が困ったような顔をした。よしよし、押されてるぞ。これは勝てるかもしれねぇ。(※いつの間にか、何かの戦いになっている)
あれ? でも、なんか俺、愛に貪欲な奴みてぇになってねぇか?
そういえば、多いから絞るって言ってたじゃねぇか! 自分からさらに求めてどうする! 俺!
「そうだね、あとは……」
「いや、もう良――」
「俺みたいな人間にも普通で居てくれるところ」
いつもの爽やかな顔で後輩がニコッと笑った。何故か、その顔が少し寂しそうに見えて……。
「俺の本性を知ってるのは君だけなんだよね」
「俺……だけ……」
ふと、あつ子のことが脳裏を過った。“普通”という言葉が何度も頭の中で再生される。この人もあいつと一緒なのか……?(※『なんか分かんねぇけど、あつ子と同じ』に弱いやこ)
「さっき言った通り、急に襲ったりはしないから、俺と一緒に居てよ、やこくん」
「一緒って?」
「ゲームしよう」
「また?」
「いや、今度は普通にゲーム」
呆れてたら、後輩が急にローテーブルの下から最新のテレビゲームの本体を取り出して来て、なんか拍子抜けした。
マジで遊びかよ? 今までの何だったんだ? なんか本気で戦って損したな、疲れたから休憩しよう。後輩の手から顎も解放されたしな。
「トイレ行って良いですか?」
クーラーがよく効いてるからか、さっきからずっと便所に行きたかったんだよ。
「良いよ。その敬語とタメ語が混ざるとこも好きだな」
また新たに好きなところを見つけてしまったみたいな言い方すな。もう無視だ、無視。
後輩の言葉に何の反応もせず、俺は便所へと向かった。マジで変に疲れて大きな欠伸が出た。便所の水を流す時に、なんか玄関の鍵がガチャリと解錠される音が聞こえた気がした。
見てねぇから、多分だが、宅配とかか?
「これ協力プレイ系のゲームなんだよね。一人と機械じゃ、どうも上手く行かなくて」
俺がリビングに戻ると後輩がテレビとゲームを接続しているところだった。
「銃撃ちまくってモンスター倒すやつ?」
テレビが見えるように席を移動して胡座をかくとアツコ・テサインクロスが俺の膝に乗ってきた。くっそ可愛い、と思って動けなくなる。そっと触れたら、ふっわふわで俺の周りに花が咲いた。
「そう。壊れたハシゴを登るところが機械じゃ呼んでも来てくれないんだ」
コンピューターでよくあるやつだな。仕方なく、やる気を見せて黒いコントローラーを手に持ってやる。
「俺、サポートしかしねぇから」
あと、自分で頑張れよ? ……って、え?
「ちょ、は? あんた、何してんだよ?」
こっち来たな、と思ったら、なに俺の真後ろに座ってんだよ? う、後ろからハグされてるみてぇじゃんか。
「そのまま、そのまま、アツコが逃げちゃうよ?」
「……っ」
ふわっふわの猫が逃げてしまう。そう言われて、俺は当然のように動けなくなった。まあ、さっきから動けていないが。
「で、なんすか? これ」
コントローラーを持った俺の両手の下に後輩の両手がある。俺の肩に奴の顎が乗っていて、距離が近い。ま、まるで、彼氏彼女みてぇじゃんか! な、んか、ドキドキする。
「弟とさ、こうやって仲良くゲームしたかったんだよね」
「あー、小さい頃の願望? 的な?」
お互いがまだ小学生と高校生の時に本当は仲良くしたかったけど、歳が離れ過ぎてて可愛がってあげられなかった、とかか?
まあ、高校生って餓鬼とどう接したら良いか分からないような感じするもんな。俺は誰とでもそんな感じだけどな。
「ううん、最近の話」
「それは無理」
そりゃ、無理だ、もっと反抗されるわ。多分、この人、弟が小さい頃も弟の方に拒否られてたタイプのお兄ちゃんだ。
「なんか……」
そのままの状態でゲームをスタートさせながら後輩がぼそりと呟いた。
「やっぱり癒されるなぁ」
心の底から落ち着く、みたいな声が耳元で聞こえた。この人の声、意外と好……いやいや、一瞬、何か良くないことを考えたな、俺! ゲームに現実逃避、現実逃避!
「問題の場所ってスタート地点じゃないっすか!」
思わず大声を出してしまった。スタートしてから数分で、その問題の赤く錆びたハシゴが見えてきたのだ。
「そうなんだよね」
あはは、と後輩が笑っている間に協力プレイでその地点は突破出来た。つまり、別に躓く場所でも無かったわけだ。後輩と機械の相性、悪過ぎだろ?
「一個質問しても良い?」
「何ですか?」
画面に集中して銃で敵を倒しながら答える。
「外に何しに行こうと思ってたの?」
「ん? あー、部屋でスマホが無くなっちゃって、公衆電話から電話したら場所分かるかなって思って」
そういえば、スマホ探してたんだよな。まあ、ゲームが楽しいからいっか。
「ねえ、やこくん」
「はい?」
「それ、部屋の中で着信音確認する人が居ないと意味無いんじゃないかな?」
「はっ……」
――俺の馬鹿ぁぁあああ! す、すげぇ恥ずかしいじゃねぇか! なんで今まで気が付かなかったんだ? 誤魔化せ、俺!
「そ、そういえば、知ったって言ってた、うちのおじさんの秘密って何なんですか?」
後輩にサラッと正論を言われて、俺は必死に話を変えようとした。
あー、聞いちまった。知りたいような知りたくないような……。果たして、後輩はあつ子がオネエだということに気が付いているのか?
「ああ、それね……」
なんで直ぐに言わねぇんだ? 大人の配慮ってやつか?
「何?」
またタメ口が出た。タメ口なのか敬語なのか、というのに俺の脳味噌が上手く適応出来ていない。
ピンポーン
突然のインターホンの音、後輩の言葉は俺への返事ではなく、「開いてます、どうぞ」という外への大きめな返事だった。
「え?」
コントローラーを持ちながら狼狽える俺。ガチャリと扉が開く音がする。アツコが音に反応して俺の膝から軽やかに去って行ってしまった。
「あ……」
伸ばした俺の手はふわふわに届かず。俺の耳元で後輩が静かに口を開く。
「俺が知った秘密は、先輩が君のことを好きだってことだよ。それも恋愛対象としてね」
「は?」
耳を疑って、後輩の顔を見ようと左を向いた。すると「お邪魔します」と言って玄関に入って来たあつ子の姿が視界に飛び込んできた。
「な、んで……?」
「やこくんがここに居ること、俺が言っておいたんだ、君が一瞬席を外した時に」
俺からしか見えない後輩の顔が、この後の展開を期待しているのが分かる。
「おい、高校生に何してんだ?」
何気なく玄関で靴を脱いで顔を上げたあつ子が、顔色を変えてこっちに歩いて来た。そのまま俺の腕を掴んで立ち上がらせて、自分の方に引き寄せる。あまりに突然過ぎてバランスを崩した俺は奴に抱き着くみてぇな格好になっちまった。
「先輩、なに勘違いしてるんですか? 一緒にゲームをしていただけですよ?」
見えないが、この言い方、後輩はまた爽やかに笑ってるんだろうな。
「へ?」
近くから呆気に取られたあつ子の声が聞こえた。
「もしかして、俺とやこくんがいけないことしてると思いました?」
ほんとに悪い人だな。カタカタという音は後輩があつ子に見せるためにゲームのコントローラーを横に振っている音だろう。
「い、いや、すまない……」
パッと俺から手が離れていく。身体を離して奴の顔を見たら、見たことないくらいに目が泳いでいた。あつ子をこんなに戸惑わせるなんて、やっぱり後輩は恐ろしい。
「いえ」
後輩は「許しましょう」って顔で立ち上がってニコって笑ったけど、話終わっちまって変な間が出来ちまってるじゃねぇか。ここは俺が話題を変えねぇと。
「あ、敦彦さん、俺のスマホ知らない?」
今日一番のミステリーだ。そもそも、俺はこの謎を解明したかっただけなんだよ。なんでこうなった?
「ん? あー、俺が間違って持って行ってたんだ。ごめんな」
随分、照れ臭そうにあつ子が仕事用の鞄からスッと俺のスマホを取り出した。
「良いけどさ」
手渡された瞬間に何かメールが来てないか確認する。残念ながら他人からは何も来ていなかった。そう“他人”からは。
「これ……」
新着メール、時間はちょうど俺が部屋を出た時、あつ子から『やこのスマホ持ってます』ってメール来てたけど、おめぇが持ってたら意味無ぇじゃんか。
「あんたからのメールだけど、あんたが持ってたら意味無くね?」
スマホの画面を見せながら俺が言うと
「やこくん、なんか似てるね」
と後輩がクスクスと笑い出した。
自分のスマホを見つけるために公衆電話作戦を思い付いた俺と、俺のスマホを持って来てしまったことを伝えようとしてそのスマホにメールを送ってしまったあつ子、確かに抜けているとこは似ている。だが、俺のミスのことは言うな後輩。
「そのことは言わないでください。おじが来たので、もう帰ります。ありがとうございました」
コントローラーをそっとテーブルに置いて、後輩に礼を言った。
「もう帰っちゃうの?」
「っ、帰ります」
後輩の言葉と同時にアツコがスリスリと俺の足にすり寄って来て、危うく心ごと引き留められそうになった。
「ねえ、やこくん、俺に何か言いたいことはないかな?」
俺と後輩の会話を静かにあつ子が聞いている。奴が何も言わないのは、今日、ヘマばかりしているからか? これ以上、下手にミスを増やさないためか?
そんで後輩は何を言ってやがるんだ? あんたに礼は言っただろう? じゃあ、後は……
「……今度、さっきの話、詳しく聞かせてください」
おずおずと後輩の前に立って言う。これだ。これしかない。あつ子のことに違いない。
「うん、またお話ししようね」
キラキラの笑顔が「正解」とでも言っているようだ。そんな顔して、腹の中ではどんな感情が渦巻いてるか分からねぇ。中身、マジでサイコパスだな。あんたはドSじゃなくて、ドサイコパスだ。
「またいつでも遊びにきてね」
玄関でアツコを抱っこしながら後輩が俺とあつ子を見送る。
「お邪魔しました」
誰よりも早く扉を開けると、扉の隙間から蒸し暑い空気が流れ込んできた。もう夏も終わるのか、と思う。
「連絡ありがとうな」
「いえ、先輩の顔が見られて良かったです」
「俺もだよ」
ーーああああああ!! イチャイチャすな!! あつ子、その人、天然なんかじゃなくてサイコパスなんだよ!!
ここはあつ子の腕を掴んで無理矢理にでも引き離すべきか? いや、冷気逃げるし、蚊が入るから俺は帰ることにする。そうだ、それが理由だ。別に他に深く考えてたりはしねぇ。
暑い空気の中を数歩歩いて、俺は部屋に帰った。暫く放置していた空間には熱が溜まっていて、すぐに冷房を点けた。生温い空気が部屋の中で動いていくのが分かる。
――分かんねぇな。俺はあつ子と後輩の仲を応援してぇのか、引き裂きてぇのか……。
床に直に座ると頭の中に色んなことが溢れてきた。
「ただいま」
ガチャリと玄関の扉が開いて、あつ子が帰って来ても俺は「おかえり」なんて言ってやらねぇ。ただ只管に頭の中で考え事を繰り返す。
「なんか、いつの間にか後輩くんと凄く仲良くなってない?」
「……」
俺が、どれだけ……
「ねぇ」
「……」
どれだけ、あんたのことを……
「後輩くんと何話してたの?」
「うっせぇ!!」
あんたのことを大事にしてるか、あんたは分かってない!
「もー、スマホのことはさっき謝ったじゃないのよぅ」
――俺の頭は今、パンク寸前なんだ、話掛けるんじゃねぇ!
心の中で叫んだ。そんで、ぶつぶつ言うオネおじの横を通り過ぎて俺は風呂場に逃げ込んだ。
「やこ? ねぇ、やこ、大丈夫?」
脱衣所の扉がコンコンと叩かれる。俺の異変に気付くなよ、くそったれ。
「頭冷やすんだよ! 邪魔すんな!」
そう言って出したシャワーの水は夏の暑さの所為でやけに温かった。
――後輩の馬鹿、あつ子の顔が見れなくなるじゃねぇか……。ぜってぇ嘘のくせに。
この後、あつ子に素直に謝った。俺のことを心配したのか、夜は一人で寝かしてくれなかった。構ってほしいやつみてぇだったなって自分でも思った。
結局、後輩はあつ子と俺、どっちが好きなんだ? 俺はあつ子と後輩、どっちが好きなんだ? あつ子は……後輩と俺、どっちが好きなんだ?
全世界の悩める子羊と俺が泣いた。
応援ありがとうございます!
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