オネおじと俺の華麗なる日常

純鈍

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50.かの日『先輩と俺』※後輩視点

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 ある寒い平日、俺は先輩と一緒に社員旅行に参加した。ゲレンデに行ったり、色々と楽しんでいたが、夜に問題が起こった。

 先輩が課長にお酒をたくさん飲まされて潰れてしまったのだ。

「先輩、大丈夫ですか?」

 肩を貸して、彼の身体を支える。

 意地だったのか、課長の隣から立つまではちゃんと意識を保っていた先輩だったが、席を離れてトイレに行ってから、そこでダウンしていた。それを救出して、今、俺の部屋まで連れて行っている途中だ。

 元々お酒に強くないということは知っていたが、もっと早くに助けられれば……と俺は後悔している。

「……」

 俺の問いに答えないところを見ると、かなり気分が悪そうだ。

「先輩、俺の部屋に着いたのでゆっくり座って、水飲んでください」

 部屋の戸を開けて、先輩の身体を支えながら入り、敷かれていた布団の上に座らせる。そして、すぐにポットに入っていた水をコップに入れて手渡した。

「……な、……」

 水を飲んで少し意識が戻ってきたのか、ぼそりと呟く声が聞こえた。

 何を言っているかは聞こえなかったが、コップを落として眠ってしまいそうで、慌ててそれを回収して、先輩を布団に寝かせることにした。

「先輩、ちょっと失礼しますよ?」

 羽毛布団を一旦退かすために先輩の身体を抱き上げた時だった。

「あ、すみませ……」

 はらりと先輩の浴衣の裾が横に開いてしまった。思わず、そちらに目が行く。

 ――先輩、足綺麗過ぎないか? というか、それより、俺がプレゼントしたヒョウ柄悪寒パンツ履いてくれてる……!

 心が少々乱れたが、彼が俺のあげた下着を履いているからといって、どうということはない。ただ見なかったことにするだけだ。

 既に目を閉じてしまっている先輩を布団の中にすっぽりと収めて、さて、俺はどうしようか、と考える。

「……んん」

 このもぞもぞと寝返りを打っている先輩と一緒の布団で眠っても良いものなのだろうか?

「あれ?」

 真剣に考えていた時に気が付いてしまった。

「先輩、微妙に起きてます?」

 こちらを向いた先輩の瞳が薄らと開いているように見えたのだ。酔いに負けて眠ってしまえば少し楽になるはずなのに、どうしてそうしないのか。

 その答えはすぐに出た。

「……すまない、な、……やこ……」

 掠れた声が聞こえた。先輩は酔っ払って、俺のことをやこくんだと思っているようだ。だから、先輩は簡単に眠らない。

「せん……敦彦さん」

 先輩が俺のことをやこくんだと思っているなら、俺は彼にならなければ。

「……ん?」

 焦点の合っていない瞳がこちらを見つめていて、少し罪悪感があるけれど、確認したいことがある。こんな機会は中々ない。今しかない。

「――俺のこと、好き?」
「ん……好き。……大好き」
「……っ」

 にへっと笑う先輩の顔を見て、何故か心が苦しくなって、俺は無意識に歯を噛みしめていた。ずっと、分かってはいた。先輩の態度を見ていたら分かる。それが今、確信に変わった。

 ――先輩のこともやこくんのことも好きだけど、何故だろう、なんだかジェラシー感じちゃうな。

「なら、俺のために眠ってよ」

 出来るだけ優しい声で言ったつもりだ。やこくんはこういう時、どんな顔でどんなことを言うんだろう? そして、どんな風に先輩に触れるんだろう?

「……こ……」
「おやすみ」

 俺がジッと見つめていると先輩は完全に目を閉じて、静かに寝息を立て始めた。

「どうして俺たちは好きな人を一人に絞らないといけないんだろうね」

 ここには居ないやこくんに向かってぼそりと呟いてみる。そして、彼にテレビ電話を掛けようと決めた。もうあのメモは見つけただろうか?

「おっ、出てくれたんだね、やこくん」

 部屋の窓から見える露天風呂をバックにテレビ電話を掛けると、やこくんはすぐに出てくれた。片腕でアツコを抱っこしていて、そのツーショットは破壊力が抜群だった。思わずスクショを撮り、バレていないだろうか? とドキドキする。

『なんすか?』

 怠そうに、本当に怠そうに画面越しのやこくんが言う。

「良い子にしてる?」
『してますけど』

 君が良い子なのは知っているけど、俺が本当に知りたいのはそこじゃない。

「その部屋、開けたりしてない?」

 画面の向こう側、やこくんが前に立っている扉の奥、そこを開けていないかどうか。その中にあるメモを見ていないか、どうか。十代の子って、駄目だと言われたことをしたくなるお年頃だ。だから、きっと彼も……

『してませんよ』

 意外とさらりと言われてしまった。これは、本当に見てないな。

「そっか、偉いね」

 君がメモを見れば、今日で、君との曖昧な関係は終わるはずだったのに。

『それだけっすか?』

 そんなに面倒臭そうに、早く切ってほしそうに言わなくても良いのになぁ。やっぱり、やこくんは意地悪だ。

 だから

「いいや、それだけじゃないよ。先輩がね、俺の部屋で眠ってしまったんだ」

 俺も意地悪しよう。

 スマホを持ったまま、窓から離れて、今度は俺の布団で眠ってしまっている先輩の顔を映す。

「凄く綺麗な顔してるよね。好きだな」

 先輩の整った寝顔に触れながら、意地悪く言う。自分でも分かってる。本当に凄く捻くれてる。

『おい、変なことするつもりじゃないよな?』

 苛立った声が画面の向こうから俺に問う。

「変なことって? ああ……、襲っちゃうかもね、君の大好きな敦彦さんのこと」

 ――君“を”大好きな敦彦さんのこと。

『おい、ふざけんな! その人に変なことしたら、あんたのこと大嫌いになるからな!』

 ――君のこと、大好きだけど、大嫌いだよ。

「良いよ、その方が“楽になれる”」

 ――君に嫌われた方が俺は楽になれる。

 一方的に俺は電話を切って、先輩のものと一緒にスマホの電源も落とした。

 高校生相手に俺は何をやっているんだか……。いいや、大好きなものを大嫌いになろうと努力しているつもりだ。やこくんに嫌われたら連鎖的に先輩にも嫌われることになるに決まってる。そうしたら、俺は、どこか遠くでまた好きになれる誰かを探す。

 これで良い。これで良いんだ。

 俺が悪いのか、やこくんが悪いのか、先輩が悪いのか、どうして人は――

「ほんと、綺麗で好きな顔してるな……。――おやすみなさい、先輩」

 何もする気が起きなくて、ただ先輩の隣に潜り込んで眠った。

 ◆ ◆ ◆

「……あれ? 先輩、早いですね」
「ごめんな、迷惑掛けて」

 朝になって目覚めると、隣で眠っていた先輩はすでに起きていた。わざわざ布団から出て謝る姿に、きっと何も覚えていないんだろうな、と思う。

「昨日の先輩、可愛かったですよ?」

 虚しくなるから、少しだけ笑顔で意地悪をしてみた。

「へ?」

 この反応……、先輩が何も覚えていないのだと、自分で証明してしまったようなものだ。

「なんてね、冗談です」

 ――本当は冗談ではないんですけどね。

「こら、先輩を揶揄うもんじゃないぞ?」

 あなたに俺を叱る資格なんてないのに、何故か、その顔が見たいと思ってしまう。笑っているだけの先輩は好きじゃない。

「すみません。――あ、そういえば、先輩」
「なんだ?」
「履いてくれたんですね、俺のパンツ」
「いつ見たんだ!」

 戸惑う先輩の顔が見たくて、わざと言葉にした。俺の予想通り、先輩は慌てている。年上を揶揄う趣味なんて無かったんだけどなぁ。

「すみません、先輩を寝かせる時にちらっと見えてしまって。でも、嬉しかったですよ?」

 そう言いながら俺が自分の両目を両手で隠すのは、わざとだ。先輩が照れると思ったから。

「いや、それはすまなかった」

 先輩が照れているような、困ったような、そんな複雑な表情をしている。それを見て喜んでいる俺は、別におかしくはない。

 それより、もっとそんな顔が見たいと思う。

「なら先輩、外に行きませんか? まだ朝食には時間がありますし」
「外?」

 俺に迷惑を掛けたのだから、先輩は俺の提案を飲んでくれるだろう。俺は先輩との思い出もたくさん作りたい。

「雪が降っているんです。きっと、今年は俺たちの地域で雪は降らない」

 立ち上がって、先輩の腕を掴み、引き上げる。

「そう、かもな……」
「じゃあ、十分後、フロントで」

 完全に乗り気という感じではなかったが、先輩は俺の提案を受け入れてくれた。さて、どうやって先輩を困らせよう……。

 十分後、寒さの中に出られる服装になって、先輩と真っ白な世界に出掛けた。雪で遊んだ記憶は、そんなに無い。だから、少し楽しくなって、俺は先輩に向かって雪玉を投げた。

「おい! 冷たいぞ!」

 運良く、それは先輩の首辺りに当たった。彼の負けず嫌いなところが垣間見えた気がした。だから、

「これでも食らえ!」

 そう言って俺に向かって雪玉を投げてくるのだ。でも、当たりはしない。

「先輩! 下手くそですね!」

 そんなことを言って、笑って、先輩の闘志を燃やして、そこで急に降参する。立ち止まって、先輩の攻撃に当たって、弾ける雪の粉が綺麗だった。

「先輩!」

 今、告白すれば、先輩は俺のことを受け入れてくれるだろうか? やこくんとの曖昧な関係を消して、先輩との始まってもいない恋に足を踏み入れて、俺は……

「先輩! 俺! 先輩の……」

 そこで俺の言葉は消えた。

 ちょうど除雪車が通って掻き消されたが、元々俺は途中から何も言っていない。先輩は、俺の空白の言葉をどう受け取っただろうか?

 俺の心の中の言葉は「先輩のことが好きです」だったが、先輩は鈍感だから、きっと気が付いていない。

「なんだ? 今、何て言ったんだ?」

 深く積もった雪の上を踏みながら、先輩が俺の前にやって来た。俺の言ったことがとても気になっているようで、少し嬉しく思う。そして、少し、悲しく思う。

「内緒です」
「わざとか?」
「さあ? どうでしょうね」

 笑顔で答えれば、先輩は何も言えなくなるってことを俺は知っている。だって、先輩は優しいから。

 俺が何を言おうとしたのか、ずっと悩んでくれていれば良いのに、と思う。

「戻るぞ。冷えただろう? 風呂に入れ」

 ほら、やっぱり先輩は優しい。それに過保護だ。ここで「一緒に入りますか?」と俺が言ったら、先輩はどんな顔をして、何て言うだろうか?

 考えはしたものの、何故か、彼の背中に直接言うことは出来なかった。

 ◆ ◆ ◆

「はい、先輩、これお土産です」
「え? 俺もこれお土産」

 先輩と一緒に自宅マンションに帰ってきて、部屋と部屋の間でお土産を渡し合うと偶然にも完全に被っていた。

 これは本当に偶然だ。

 先輩は「っ、同じじゃないか」とビックリしていたが、俺もそれは一緒だった。

「やこくんも同じなんで、俺たち、二個ずつお揃いで持ってますね」

 ――先輩と俺、こんなにも考えることが同じなのに、気持ちは全然伝わらないものだな……。

「渡しておく。ありがとうな」
「こちらこそ。おやすみなさい、先輩」
「ああ、おやすみ」

 まだ陽は沈んでいない。それでも、俺は先輩にそんな挨拶をして、自分の部屋に入った。

 部屋に入って、ほっと一息ついて、旅行鞄の中身を片付けている時だった。

「おい! あんた! あの人に何もしてねぇよな!?」

 渡しておいた合鍵を使って、やこくんが部屋に入ってきた。

 ――ああ……、怒ってるなぁ……。怒ってる顔も可愛い……。

「やこくん、アツコの世話、ありがとうね」

 君が怒っていることは分かっているけど、すぐに素直な反応なんてしてあげられないよ。

「答えろよ!」

 うるさく吠えて、やこくんは虚勢を張る子犬みたいだ。

「どうかな? キスくらいはしたかもしれないね」

 彼のことを虐めたい気持ちと彼に嫌われる決心をした気持ちが、俺に意地の悪い言葉を吐かせる。

「あんたなんか大嫌いだ!」

 吐き捨てて、やこくんは部屋から飛び出していった。全部、俺の思った通りだ。

 これで、俺は楽になれる。きっと、やこくんは、もう俺に会いに来ない。二度と。

 片付けを中断して、部屋を移動する。部屋の真ん中には俺が置いておいた白い紙切れが一枚……、何も変わらずそこに横たわっていた。

 ――やこくんは、本当にここに入らなかったんだな……。

 そろりと紙を拾い上げて、もう何もかもがどうでも良くなってきて、俺は床に寝転がった。顔の上でひろげる紙切れには、やこくんへの謝罪文。

 これを読んだって、読まなくたって、俺たちの曖昧な関係は終わった。

 そう思っていたのに……

「未散さん」

 扉を開けて、やけに冷静な顔でやこくんが立っていた。

「やこくん……?」

 思わず身体を起こして彼のことを見る。どうして、戻って来たのだろうか?

「すみませんした」

 隣に腰を下ろして、小さな声が俺に謝罪の言葉を呟いた。

「どうして君が謝りに来るの?」

 もし謝る必要があるとすれば、それは俺の方だ。やこくんは何も悪いことはしていない。こんなに良い子は、他に居ない。

「あんたが卑怯だから」

 複雑な表情をした瞳が俺をジッと見た。

「ごめんね、俺、意地悪だから」

 癖に近い表情を向けてしまう。儚さを持った笑み、この顔をすれば、いつもは上手く誤魔化せるのに

「そうじゃねぇよ。あんたは馬鹿なだけだ」

 やこくんには通用しない。

「寄越せ」

 容赦無く、こちらに手が差し出される。俺にはもう彼に紙を手渡すという選択肢以外なかった。

「ふざけんなよ。なに一人で勝手に引き下がってんだ」

 控え目に紙を手渡すと、やこくんは苛立ったようにそれをくしゃっと握り潰した。

「先輩には適わないからね」

 いつも通りの顔で笑おうと思った。でも、無理だった。

 先輩がやこくんのことを好きなのは知っているし、やこくんが先輩のことを好きだってことも知っている。長く一緒に居る二人の絆の中に俺の居場所は見つからない。だから、俺は先輩には適わない。

 ――俺はやこくんも先輩のことも諦めるよ。

 全部決心したはずだった。でも

「別にどっちも好きで良いじゃねぇか。それの何が悪いんだよ?」

 やこくんにそう言われて、心が揺らいでしまった。逃げ道なんて用意してくれなくて良かったのに。俺に優しさなんて与えたらいけないのに。

「やこくん」

 急に触れたくなって、彼の両頬を両手で包む。

 駄目だな、俺は。高校生の君にどうしようもなく頼りたくなってしまう。無茶なことも、我儘なことも言いたくなってしまう。

「じゃあ、俺のことも好きになってくれる?」

 そう言ってジッと見つめれば、やこくんが必死に頭の中で俺のことを考えてくれているのが分かった。

 君が困ることは分かっているけど、俺の気持ちは止まらないよ。君が優しさを見せるから、我儘な俺の言葉も止まらない。

「先輩のことも、俺のことも好きでいてくれる?」

 どんな返事が来るかなんてまったく予想も出来なくて、不安で、心配で、それでもやっぱり止めることが出来なくて、君の言葉を欲してしまう。

「い……てやる」

 精一杯絞り出したような小さな答えでも、俺にはそれで十分。これがやこくんなんだ。はっきり答えるやこくんなんて、彼らしくないから。

「君らしいね、好きだよ」

 ――ごめんね、やっぱり好きなんだ。諦められない。

「……んっ」

 触れるだけのキスをして、それだけで真っ赤になって「また、来る」だなんて、何故か喧嘩腰で吐き捨てて、そのまま部屋から逃げていく君は本当に……可愛い。

「どうしよう……」

 閉まった玄関の扉を見つめながら、ぼそりと呟く。

 ――これから俺はどんな風に接すれば良いのだろう? 先輩にも、やこくんにも。

 全世界の恋の病に罹った俺が悩んだ。
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