義姉の身代わりだった私

雨雲レーダー

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薔薇園での内緒話

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 王宮の奥庭にある薔薇の庭園は、貴族ですら立ち入りを制限される場所だった。

 夏の昼下がり、咲き誇る薔薇の香りが風に乗って甘く漂う。
 エレナはヴィクトルに手招かれ、静かな石畳を歩いていた。遠くに聞こえる音楽と笑い声が、ここだけ時間の流れを緩めているようだった。

「こんな静かな場所が、王宮の中にあったなんて」

「誰かと歩くのは、これが初めてだ」

 その意外な言葉に、少しの間を置いて、エレナは問いかけた。

「……どうして私を?」

 エレナの問いに、ヴィクトルは足を止めた。けれど距離は保ったまま、決して無遠慮に踏み込もうとはしない。

「君は他の誰とも違う。騒がしい場所より、静かな時間を選びそうに思えた。それに」

 そこまで言って、彼は視線だけをそっと向ける。

「この庭を誰かと歩くなら、君がいいと自然に思った。ただ、それだけだ」

 エレナは困ったように笑って目をふせた。

 静かに咲き誇る薔薇の小道を進む中、ヴィクトルがふと足を緩めて、横に並ぶエレナをちらりと見やる。

「……なぜ、言い返さなかった?」

 その問いに、エレナは少しだけ目を見開いた。

「セシリア嬢のあの態度に、君が何も言わずに耐えているのを見て……正直、理解に苦しんだよ」

 エレナは視線を足元に落としたまま、淡く笑う。

「言い返したところで、無駄です。信じたい人しか信じませんから。どれだけ正しいことを言っても、最初から聞く気のない人には届かないんです」

 ヴィクトルはしばし沈黙し、それから低く呟いた。

「君の沈黙は武器にもなるが、時には自分を傷つけることもある」

 エレナは小さく瞬きをした。
 そんなふうに言われるとは思っていなかった。心のどこかが、そっと掬い上げられたような感触。
 けれど、どう返していいのかわからなくて、視線を落としたまま、ほんの少しだけ唇が動いた。

「……そうかもしれません。でも、声にした瞬間に、全部壊れてしまいそうで」

 そうは言っても、壊れてしまいそうで心配なのは自分のことじゃない。
 これまで積み上げてきた計画、綿密に張り巡らせてきた糸、それが自分の感情ひとつで揺らぐのが怖いのだ。

「守りたいものがある時こそ、言葉は使うべきだ。沈黙では守れない場面もある」

「殿下は……いつもそうしてこられたんですか?」

 エレナが問いかけると、ヴィクトルは一瞬だけ笑った。

「できると思っていた。だが、最近は迷うことも増えたな。君と話すようになって、なおさら」

「私と……?」

「君が何かを始めようとしているのは、見ていればわかる。それは……あの夜の件か?」

 エレナはわずかに口元を引き結び、目を伏せたまま頷いた。

 二人はしばらく黙って歩いた。深紅の薔薇の前で、ヴィクトルがふと立ち止まる。

「俺も協力しようか?」

 予想していなかったその言葉に、エレナは一瞬だけまばたきをして、それから静かに首を振った。

「……お気持ちだけで、十分です。ありがとうございます」

 声に棘はなく、むしろ柔らかだった。
 関わってほしくないのではない。ただ、これから自分が手を染めることに、第一王子である彼を巻き込むわけにはいかない。その思いが、言葉よりも強く滲んでいた。

 ヴィクトルはそっと微笑んで、一瞬だけエレナの顔を見た。

「わかった。だが、俺がいるということを、忘れないでくれ」

 その言葉に、エレナは応えられなかった。

「……それでも、ありがとうございます」

 そう口にしたエレナの声は、どこか遠くを見つめていた。

 そして、わずかに頬を撫でる風に気づいて視線を上げた。

「……少し、風が強くなってきましたね」

 その変化を合図にするように、エレナはゆっくりと歩き出す。
 ヴィクトルは何も言わずにその隣を歩き、薔薇の庭に静けさだけが残った。

「戻ろう。あまり注目を集めすぎるのは好ましくないのだろう?」

 そう言って、ヴィクトルは口元だけでわずかに笑った。穏やかでありながら、何かを見透かしているような微笑みだった。

 エレナはその意味を問わず、ただ静かに視線を返すと、背筋を伸ばして石畳の道を歩き出す。
 彼女の後ろを、変わらぬ歩幅でヴィクトルが並んで歩き出した。

 その様子を、薔薇たちは静かに風に揺れながら見守っていた。
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