22 / 62
疑念の花
しおりを挟む
サロンでの談笑は、いつもより静かだった。
「ねえ、カーラって最近見ないわよね?」
ふと漏れた令嬢の問いに、周囲の空気が少し揺れた。
「お加減が悪いんですって。……療養のために退出されたそうよ」
誰かが、ひどく表面的な笑顔でそう答える。
それきり、誰もカーラの名前を口にしなかった。話題は滑るように別の令嬢のドレスや舞踏会の噂へと移っていく。
私は何も言わずに、カップに口をつけた。
けれど、頭の中ではずっと、あの女のことを思い返していた。
カーラ・スネイグ。セシリアの親しい取り巻きの一人であり、ヴィクトルの婚約者候補の中で最も有力視されていた令嬢。
けれど私は、彼女がただのおしゃべり令嬢ではないと、ずっと前から気づいていた。
気配が違う。
視線の運び方、立ち位置の選び方、言葉を発さずに周囲を動かす沈黙。
どれも、ただの貴族令嬢が自然に身につけられる所作ではなかった。
最初に不審に思ったのは、仲良くなっておいた侍女からの報告だった。カーラ様は、よく文官の部屋の前で待機しているのだと。しかも数日に一度、同じ時間帯に、決まった文官とだけ小声で会話していたという。
次に気づいたのは、軍の視察予定に関する写しだった。正式な配布前に、一部だけ内容が修正された写しが、なぜかカーラの部屋の暖炉に燃え残っていた。公的な資料を勝手に持ち出せる立場ではないはずの彼女が、なぜそんなものを?
エレナは、その細かな違和感のひとつひとつを集めていった。
侍女の話、文官の足取り、書類の所在。
偶然と済ませるには、積み重ねが多すぎた。
そして決定的だったのは、夜会での出来事だった。
カーラが誰かと話しているのを、私はたまたま廊下の陰で耳にした。軽く笑いながら囁いたその言葉は、この国のものではなかった。隣国オルファリウスの言葉だった。
「南門の見張りは日暮れ前に交代するって、伝えておいて」
たったそれだけ。でも、内容ははっきりしていた。
王宮の警備の情報を、誰かに伝えている。しかも、伝えておいてという言い方だったから、カーラが誰かのために動いているのは明らかだった。
王宮の中で、そんな情報を外に出す理由はただひとつ。
彼女がこの国の人間ではない、ということ。
それを裏付ける証拠も、時間をかけて集めた。
王族の私的な日程や軍の視察情報。カーラはセシリアとレオナルドの名を盾に、貴族の間で堂々と情報を収集し、何気ない手紙に偽装して送っていた。
最後の一押しは、王妃陛下に差し出した書簡だった。
「どなたから?」
「匿名です。ただ、内容には信憑性がございます」
文官の手を通して渡した封筒の中には、証拠の抜粋と私の観察記録がまとめられていた。
表立って名乗る必要はなかった。信頼を得るには、真実だけで十分だったから。
それから数日後、カーラは姿を消した。
処罰は極秘裏に進められたと聞いている。公には「療養のため退出」と発表され、関係者にも詳細は伏せられた。
けれど、その退出の意味を、本当に理解している者は少ない。
「エレナ様、おかわりをお持ちいたしますか?」
侍女が小さな声で問いかけてくる。私は軽く頷いた。
「ありがとう。少し濃いめでお願い」
侍女が頭を下げて離れていったあと、私はふとグラス越しにセシリアの姿を見つけた。
ドレスの裾を華やかに揺らして笑ってはいるが、目元にあの頃の自信はない。取り巻きたちの数も減っていた。
主役の座から、一歩ずつ遠ざかっていく。
私がそのきっかけのひとつを握っていたとしても、誰にも証明はできない。
それでいい。
「さて、次はどこに水をまきましょうか」
独り言のように呟いた声は、紅茶の湯気に紛れてすぐに消えていった。
「ねえ、カーラって最近見ないわよね?」
ふと漏れた令嬢の問いに、周囲の空気が少し揺れた。
「お加減が悪いんですって。……療養のために退出されたそうよ」
誰かが、ひどく表面的な笑顔でそう答える。
それきり、誰もカーラの名前を口にしなかった。話題は滑るように別の令嬢のドレスや舞踏会の噂へと移っていく。
私は何も言わずに、カップに口をつけた。
けれど、頭の中ではずっと、あの女のことを思い返していた。
カーラ・スネイグ。セシリアの親しい取り巻きの一人であり、ヴィクトルの婚約者候補の中で最も有力視されていた令嬢。
けれど私は、彼女がただのおしゃべり令嬢ではないと、ずっと前から気づいていた。
気配が違う。
視線の運び方、立ち位置の選び方、言葉を発さずに周囲を動かす沈黙。
どれも、ただの貴族令嬢が自然に身につけられる所作ではなかった。
最初に不審に思ったのは、仲良くなっておいた侍女からの報告だった。カーラ様は、よく文官の部屋の前で待機しているのだと。しかも数日に一度、同じ時間帯に、決まった文官とだけ小声で会話していたという。
次に気づいたのは、軍の視察予定に関する写しだった。正式な配布前に、一部だけ内容が修正された写しが、なぜかカーラの部屋の暖炉に燃え残っていた。公的な資料を勝手に持ち出せる立場ではないはずの彼女が、なぜそんなものを?
エレナは、その細かな違和感のひとつひとつを集めていった。
侍女の話、文官の足取り、書類の所在。
偶然と済ませるには、積み重ねが多すぎた。
そして決定的だったのは、夜会での出来事だった。
カーラが誰かと話しているのを、私はたまたま廊下の陰で耳にした。軽く笑いながら囁いたその言葉は、この国のものではなかった。隣国オルファリウスの言葉だった。
「南門の見張りは日暮れ前に交代するって、伝えておいて」
たったそれだけ。でも、内容ははっきりしていた。
王宮の警備の情報を、誰かに伝えている。しかも、伝えておいてという言い方だったから、カーラが誰かのために動いているのは明らかだった。
王宮の中で、そんな情報を外に出す理由はただひとつ。
彼女がこの国の人間ではない、ということ。
それを裏付ける証拠も、時間をかけて集めた。
王族の私的な日程や軍の視察情報。カーラはセシリアとレオナルドの名を盾に、貴族の間で堂々と情報を収集し、何気ない手紙に偽装して送っていた。
最後の一押しは、王妃陛下に差し出した書簡だった。
「どなたから?」
「匿名です。ただ、内容には信憑性がございます」
文官の手を通して渡した封筒の中には、証拠の抜粋と私の観察記録がまとめられていた。
表立って名乗る必要はなかった。信頼を得るには、真実だけで十分だったから。
それから数日後、カーラは姿を消した。
処罰は極秘裏に進められたと聞いている。公には「療養のため退出」と発表され、関係者にも詳細は伏せられた。
けれど、その退出の意味を、本当に理解している者は少ない。
「エレナ様、おかわりをお持ちいたしますか?」
侍女が小さな声で問いかけてくる。私は軽く頷いた。
「ありがとう。少し濃いめでお願い」
侍女が頭を下げて離れていったあと、私はふとグラス越しにセシリアの姿を見つけた。
ドレスの裾を華やかに揺らして笑ってはいるが、目元にあの頃の自信はない。取り巻きたちの数も減っていた。
主役の座から、一歩ずつ遠ざかっていく。
私がそのきっかけのひとつを握っていたとしても、誰にも証明はできない。
それでいい。
「さて、次はどこに水をまきましょうか」
独り言のように呟いた声は、紅茶の湯気に紛れてすぐに消えていった。
1,956
あなたにおすすめの小説
結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。
しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。
友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。
『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。
取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。
彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
王子様への置き手紙
あおた卵
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯
婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています
ゆっこ
恋愛
「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」
王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。
「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」
本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。
王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。
「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」
私の婚約者とキスする妹を見た時、婚約破棄されるのだと分かっていました
あねもね
恋愛
妹は私と違って美貌の持ち主で、親の愛情をふんだんに受けて育った結果、傲慢になりました。
自分には手に入らないものは何もないくせに、私のものを欲しがり、果てには私の婚約者まで奪いました。
その時分かりました。婚約破棄されるのだと……。
【完結済】25年目の厄災
紫
恋愛
生まれてこの方、ずっと陽もささない地下牢に繋がれて、魔力を吸い出されている。どうやら生まれながらの罪人らしいが、自分に罪の記憶はない。
だが、明日……25歳の誕生日の朝には斬首されるのだそうだ。もう何もかもに疲れ果てた彼女に届いたのは……
25周年記念に、サクッと思い付きで書いた短編なので、これまで以上に拙いものですが、お暇潰しにでも読んで頂けたら嬉しいです。
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。
※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。
※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。
※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。
※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。
※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。
※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。
【完結】私が誰だか、分かってますか?
美麗
恋愛
アスターテ皇国
時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった
出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。
皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。
そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。
以降の子は妾妃との娘のみであった。
表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。
ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。
残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。
また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。
そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか…
17話完結予定です。
完結まで書き終わっております。
よろしくお願いいたします。
私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです
風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。
婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。
そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!?
え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!?
※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。
※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。
※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる