義姉の身代わりだった私

雨雲レーダー

文字の大きさ
26 / 62

代役との決別

しおりを挟む
 控えの間に足を踏み入れた瞬間、空気がひやりと肌を刺した。

「控えの間にて、ご当主様が文書の件で少し話したいと仰っています」

 そう侍女に声をかけられたのは、ほんの数分前のことだった。
 だが、それが建前であることは、扉を開けた瞬間に理解できた。

「……来たか」

 父の声は低く、張り詰めていた。その隣に立つ義母は、扇子を閉じる仕草ひとつすら芝居がかっている。

「エレナ、遅かったわね!」

 アリシアの冷笑に、エレナは何も言わず、静かに一礼した。

「何のご用件でしょうか」

 淡々と尋ねると、父が机を叩いた。

「貴様、何をしているつもりだ。代役の分際で、王子に取り入って何を企んでいる!」

 廊下まで声が反響するほどだった。外で控えていた侍女たちが身をすくめるのが見える。

「お父様、私は……」

「お前がセシリアを差し置いて王子妃の座につこうなど、正気の沙汰じゃない。グリセリア家に泥を塗る気か!」

 その言葉に、エレナは表情を変えなかった。ただ、ほんのわずかに目を伏せた。

「殿下に選ばれたのは、私ではありません。私は王家の求めに応じて、必要とされる務めを……」

「嘘をつくな!」

 父の怒鳴り声が、頭の奥で反響する。
 何を言っても無駄。そう悟ったエレナは、それ以上、口を開かなかった。

 義母がピシャリと声を重ねる。

「王子に色目を使っていると、セシリアがはっきり証言しているのよ。毎晩遅くまで密会しているとか。ああ、なんてはしたない娘!」

 その声が控えの間に響いた瞬間、エレナの背筋がぴんと張る。

「お母様、少し声を落としてください。……ここは、王宮です」

 そう口にしたのは、義母の隣にいたセシリアだった。目元には控えめな涙の膜、唇はかすかに震えている。

「ごめんなさい、エレナ。でも私……もう、耐えられなかったの」

 ソファの端に腰かけたまま、セシリアは両手を組んで俯く。その姿は誰が見ても妹を思いやる健気な姉そのものだった。

「私、エレナがここで頑張ってるって思ってたの。だから、代わりに残ってくれて嬉しかった……本当に。でも、最近は……皆が言うの。王子様に媚びているって。遅くまで二人きりだったって、噂まで立って」

 ちらりとエレナを見上げたその目は、涙ぐんでいながらも、しっかりと狙いを定めた猛禽のそれだった。

「私、信じたかった。ずっと。でも、だんだん……わからなくなって」

 絞り出すように震える声。何かの劇を見ているかのような芝居がかった所作に、エレナはただ黙っていた。

 セシリアの涙は、嘘で固められた仮面だった。それでも、父と義母の視線は、完全に彼女に向いていた。

 その瞬間、扉の外がざわりと揺れた。控えの間の静けさを破るように、慌ただしい足音と、ひそやかな声が交錯する。
 戸口に控えていた侍女が慌てて飛び込んできた。

「失礼いたします、第一王子殿下が」

 言葉の続きを聞くより早く、空気が凍った。
 父の表情が引きつり、義母はハンカチを握る手に力を込める。

「……なぜ、今ここに?」

 誰がとは言わなかったが、その問いは全員の胸中に浮かんでいた。
 そして、次の瞬間。扉が音もなく開かれ、ヴィクトルが静かに足を踏み入れた。

 その場の空気が、一気に変わる。

「……はしたないのは、どちらだろうか」

 ヴィクトルの低く落ち着いた声が響いた。

「第一王子殿下……!」

 両親が慌てて頭を下げる。

「その場にいない者の証言を鵜呑みにし、王宮内で大声をあげるとは、見苦しいな」

「し、しかし殿下、私どもはただ、家の名誉のため……」

「王家の名に泥を塗っているのは君たちだ。エレナ嬢は、王家が正当に招いた客人だ。彼女の立場を冒すなら、それは王への侮辱とみなす」

 冷たい視線が、父を射抜いた。

「……ヴィクトル様」

 そのとき、泣き声混じりの声が響いた。

「エレナが……!私の努力を全部台無しにして……!」

 セシリアだった。目元に涙を浮かべ、ハンカチでぬぐう演技は相変わらず完璧だった。

「私、ただ家族のために頑張ってほしかっただけなのに……なのに、男に媚びるなんて……」

「お姉様」

 エレナが初めて声を出した。静かで、凛とした声だった。

「私は、媚びた覚えはありません。あなたのように、嘘を重ねて王子の隣に立とうとも思わなかった」

「な……!」

「王家の方々に選ばれるかどうかは、振る舞いと中身の問題です。家の名ではありません」

 エレナが一歩、はっきりと前に出た。

「私は、ここに残ります。王宮での務めを放棄するつもりはありません」

 それだけを、しっかりと言葉にした。

 両親が、息を飲んだように動きを止める。まるで見知らぬ者を見るように、エレナを見つめていた。これまで一度として逆らうことのなかった娘が、初めて自らの意志を口にした。その顔は、もう家の中で黙って従っていた代役ではなかった。

 ヴィクトルは静かにその肩に手を添える。

「エレナ嬢は、王宮に必要な人物だ。これ以上、私的な事情で干渉されるのは好ましくない」

 その言葉に、空気が一気に引き締まった。

 父の頬がわずかに引きつった。義母は口元を押さえて、明らかに動揺を隠しきれない様子だった。

「そ、そんな……殿下、どうかお考え直しを。娘は、ただ……」

「すでに決めたことだ。彼女は、王家の保護下にある。以後は不用意な呼び出しや干渉を控えていただきたい」

 厳しくはないが、明確な拒絶だった。

 セシリアはその場に立ち尽くし、震える手でドレスの裾を握りしめていた。

 エレナは、まだ少し震える指先を押さえながら、深く一礼する。

「ありがとうございます、殿下」

 ヴィクトルは何も言わず、ただその背をそっと押すと、エレナを伴い控えの間を後にした。

 残された三人は、言葉もなくその背中を見送るしかなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

王子様への置き手紙

あおた卵
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯

婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています

ゆっこ
恋愛
 「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」  王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。  「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」  本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。  王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。  「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」

私の婚約者とキスする妹を見た時、婚約破棄されるのだと分かっていました

あねもね
恋愛
妹は私と違って美貌の持ち主で、親の愛情をふんだんに受けて育った結果、傲慢になりました。 自分には手に入らないものは何もないくせに、私のものを欲しがり、果てには私の婚約者まで奪いました。 その時分かりました。婚約破棄されるのだと……。

【完結済】25年目の厄災

恋愛
生まれてこの方、ずっと陽もささない地下牢に繋がれて、魔力を吸い出されている。どうやら生まれながらの罪人らしいが、自分に罪の記憶はない。 だが、明日……25歳の誕生日の朝には斬首されるのだそうだ。もう何もかもに疲れ果てた彼女に届いたのは…… 25周年記念に、サクッと思い付きで書いた短編なので、これまで以上に拙いものですが、お暇潰しにでも読んで頂けたら嬉しいです。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。 ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。 ※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。 ※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。 ※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。 ※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。 ※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。 ※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。

【完結】私が誰だか、分かってますか?

美麗
恋愛
アスターテ皇国 時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった 出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。 皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。 そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。 以降の子は妾妃との娘のみであった。 表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。 ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。 残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。 また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。 そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか… 17話完結予定です。 完結まで書き終わっております。 よろしくお願いいたします。

私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです

風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。 婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。 そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!? え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!? ※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。 ※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。 ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。

処理中です...