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周囲の変化
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最近になって、王宮の空気が少しずつ変わっているのをエレナは肌で感じていた。
誰も直接は聞いてこない。ただ、視線の質や笑みの種類が違う。声をかけてくる侍女たちの距離感さえも、どこか急に柔らかくなっていた。
ひとつ確かなのは、それはあの晩餐会のあとからだということだ。
王族席に並んだあの一夜は、もう誰の耳にも届いている。
公式な発表はなかったが、それゆえに想像が想像を呼び、余計に人々の関心を煽っているのだろう。
その日も、エレナは静かに王宮の廊下を歩いていた。
普段着の控えめなドレスに、ハーフアップにしただけの簡素な髪型。それでも、すれ違う者の視線は以前とはまるで違っていた。
「エレナ様、そのお召し物、とてもよくお似合いですわ」
「先日の晩餐会では、本当にお美しかった……殿下の隣に並ばれる姿、皆が見惚れておりました」
声をかけてきたのは、以前まで挨拶すらまともに返さなかった侍女たちだった。
彼女たちは王宮に長く仕える、そこそこの家柄の娘たち。
いずれ他の貴族家と婚姻を結ぶ可能性もあり、その動きには計算がある。
「お庭の花、入れ替えをご希望でしたら、どうかお申しつけくださいませ。お手伝いできることがあれば、なんでも」
「こちらのお茶はエレナ様のお好みに合わせて調合したものをご用意いたしました」
次々と差し出される言葉と笑顔は、媚びと下心が織り混ざったようなものだった。
王宮に来た頃のような冷淡な態度は跡形もない。
空気が変われば、態度も変わる。それが彼女たちの処世術であり、家のため、自分の未来のために選んだ行動なのだろう。
エレナは穏やかに微笑んだ。「ええ、ありがとう」と返す声に棘はなかったが、どこかに冷静な距離がある。
近づくのは構わない。でも、踏み込ませるつもりはない。
そんな意思をにじませながら、エレナは庭の草花に視線を戻した。
「あの、今朝の献立はエレナ様の体調を考えて変えました」
「第一王子殿下のご予定も、私たちに分かる範囲でお知らせできますから……」
どうにかして気に入られたいという言葉が透けて見える。
その背景には、エレナが王族に認められたという事実がある。一歩間違えれば、将来の王妃。その可能性が、周囲の人間の価値観を一変させていた。
エレナは丁寧に応じながらも、心の奥には一線を引いたままだった。
愛想を振りまいても、信頼はしない。
与えられた立場にすがれば、またそれを奪われるだけだと知っているから。
欲しいのは、本当の意味での居場所。誰かの意思に左右されない、自分自身の価値だ。
ようやく侍女たちの足音が遠ざかり、エレナがひと息ついた時だった。
「ごきげんよう、エレナ」
背後から聞き慣れた声がかかった。振り返ると、淡いピンクのドレスに身を包んだセシリアが立っていた。笑っていたが、目の奥に光がなく、不気味なほど静かだ。
「話があるの。少しだけだし、いいわよね?」
断る理由もない。エレナは足を止めて、視線だけをセシリアに向けた。
セシリアはエレナの警戒を感じ取っているに、笑みを浮かべたままためらいなく一歩踏み込んでくる。
「先日の晩餐会のことよ。王族席に座っていたわね……最初見間違いかと思ったわ」
「殿下にお誘いいただいたので」
エレナは動じることなく答えた。何も隠す必要はない。
「そう。でも……エレナ、自分の立場わかってる?」
「わかっているつもりです」
セシリアの声のトーンがわずかに下がる。エレナは表情を変えなかったが、それを見たセシリアがすっと目を細めた。作った笑みがわずかに引きつっている。
「だったら、出しゃばるのはやめた方がいいわ。気に入られてるうちが一番危ないの。王族の気まぐれほど信用できないものはないのよ」
その言葉に、エレナはようやく口元を緩めた。小さく笑みを見せただけで、何も言わない。
その沈黙が、セシリアには気に食わなかったのだろう。さらに一歩踏み込み、息がかかるほどの距離まで迫ってくる。
「私は、あなたのことを思って言ってるの。……家族だから」
その言葉に、エレナは目を伏せて一礼した。
家族だなんて、思ったこともないくせに。
「ご忠告、感謝します」
それだけを返すと、そっと視線を外した。あとは黙って立っているだけで、十分だった。
「いつまでそんな態度でいられるかしらね……あまり調子に乗るとここにいられなくなるわよ」
セシリアは数秒その場に留まり、嫌な笑みを浮かべたあと踵を返した。高ぶった足音が廊下に響き、遠ざかっていく。
エレナは黙ったままそれを見送りながら、自分の胸にわずかなざわつきを覚えていた。
何か嫌な予感がする……。
その場に残ったのはセシリアが残していった冷たい空気だけだった。
誰も直接は聞いてこない。ただ、視線の質や笑みの種類が違う。声をかけてくる侍女たちの距離感さえも、どこか急に柔らかくなっていた。
ひとつ確かなのは、それはあの晩餐会のあとからだということだ。
王族席に並んだあの一夜は、もう誰の耳にも届いている。
公式な発表はなかったが、それゆえに想像が想像を呼び、余計に人々の関心を煽っているのだろう。
その日も、エレナは静かに王宮の廊下を歩いていた。
普段着の控えめなドレスに、ハーフアップにしただけの簡素な髪型。それでも、すれ違う者の視線は以前とはまるで違っていた。
「エレナ様、そのお召し物、とてもよくお似合いですわ」
「先日の晩餐会では、本当にお美しかった……殿下の隣に並ばれる姿、皆が見惚れておりました」
声をかけてきたのは、以前まで挨拶すらまともに返さなかった侍女たちだった。
彼女たちは王宮に長く仕える、そこそこの家柄の娘たち。
いずれ他の貴族家と婚姻を結ぶ可能性もあり、その動きには計算がある。
「お庭の花、入れ替えをご希望でしたら、どうかお申しつけくださいませ。お手伝いできることがあれば、なんでも」
「こちらのお茶はエレナ様のお好みに合わせて調合したものをご用意いたしました」
次々と差し出される言葉と笑顔は、媚びと下心が織り混ざったようなものだった。
王宮に来た頃のような冷淡な態度は跡形もない。
空気が変われば、態度も変わる。それが彼女たちの処世術であり、家のため、自分の未来のために選んだ行動なのだろう。
エレナは穏やかに微笑んだ。「ええ、ありがとう」と返す声に棘はなかったが、どこかに冷静な距離がある。
近づくのは構わない。でも、踏み込ませるつもりはない。
そんな意思をにじませながら、エレナは庭の草花に視線を戻した。
「あの、今朝の献立はエレナ様の体調を考えて変えました」
「第一王子殿下のご予定も、私たちに分かる範囲でお知らせできますから……」
どうにかして気に入られたいという言葉が透けて見える。
その背景には、エレナが王族に認められたという事実がある。一歩間違えれば、将来の王妃。その可能性が、周囲の人間の価値観を一変させていた。
エレナは丁寧に応じながらも、心の奥には一線を引いたままだった。
愛想を振りまいても、信頼はしない。
与えられた立場にすがれば、またそれを奪われるだけだと知っているから。
欲しいのは、本当の意味での居場所。誰かの意思に左右されない、自分自身の価値だ。
ようやく侍女たちの足音が遠ざかり、エレナがひと息ついた時だった。
「ごきげんよう、エレナ」
背後から聞き慣れた声がかかった。振り返ると、淡いピンクのドレスに身を包んだセシリアが立っていた。笑っていたが、目の奥に光がなく、不気味なほど静かだ。
「話があるの。少しだけだし、いいわよね?」
断る理由もない。エレナは足を止めて、視線だけをセシリアに向けた。
セシリアはエレナの警戒を感じ取っているに、笑みを浮かべたままためらいなく一歩踏み込んでくる。
「先日の晩餐会のことよ。王族席に座っていたわね……最初見間違いかと思ったわ」
「殿下にお誘いいただいたので」
エレナは動じることなく答えた。何も隠す必要はない。
「そう。でも……エレナ、自分の立場わかってる?」
「わかっているつもりです」
セシリアの声のトーンがわずかに下がる。エレナは表情を変えなかったが、それを見たセシリアがすっと目を細めた。作った笑みがわずかに引きつっている。
「だったら、出しゃばるのはやめた方がいいわ。気に入られてるうちが一番危ないの。王族の気まぐれほど信用できないものはないのよ」
その言葉に、エレナはようやく口元を緩めた。小さく笑みを見せただけで、何も言わない。
その沈黙が、セシリアには気に食わなかったのだろう。さらに一歩踏み込み、息がかかるほどの距離まで迫ってくる。
「私は、あなたのことを思って言ってるの。……家族だから」
その言葉に、エレナは目を伏せて一礼した。
家族だなんて、思ったこともないくせに。
「ご忠告、感謝します」
それだけを返すと、そっと視線を外した。あとは黙って立っているだけで、十分だった。
「いつまでそんな態度でいられるかしらね……あまり調子に乗るとここにいられなくなるわよ」
セシリアは数秒その場に留まり、嫌な笑みを浮かべたあと踵を返した。高ぶった足音が廊下に響き、遠ざかっていく。
エレナは黙ったままそれを見送りながら、自分の胸にわずかなざわつきを覚えていた。
何か嫌な予感がする……。
その場に残ったのはセシリアが残していった冷たい空気だけだった。
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