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選ぶのは私
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朝靄のなか、村の畑にはすでに人々の声が響いていた。
開墾されたばかりの土は黒く柔らかく、若い芽がまっすぐに空を目指して伸びている。
私は、この村で暮らしている。
皇城で暮らすより、平民として毎日忙しくしている方が自分らしいと思えた。
病に苦しむ人たちに祈りを捧げ、土地の浄化に力を貸し、村の再建を支えてきた。
帝国に来てからも何かを失ったように感じていた私に、ここは新しい居場所をくれた。
村人たちは、最初は遠巻きだったけど、ただ祈るだけじゃなくて、畑を耕し、薬草を育て、できることを一緒に続けていくうちに、少しずつ受け入れてくれた。今では朝になると、子どもたちが「紗月さま」と呼んで駆け寄ってきてくれる。おじいさんがくれる籠いっぱいの芋やおばあさんの作った薬湯の味にも慣れた。
……私はここで、ちゃんと生きている。
そんな穏やかな午後、マティアスがやってきた。村では彼のことを領主様としか知らない人もいるが、誰もが自然と頭を垂れる。その背筋と目の奥には、誰も逆らえない静かな威厳があるから。
彼は村を見渡しながら、短く言った。
「リュミナス王国から使者が来ている。王が、お前に会いたいそうだ」
土の匂いと、風の音のなかでその言葉だけが強く響いた。
アレクの顔が脳裏に浮かぶ。あの冷たく感情の読めない目。
何の説明もなく、ただ私を切り捨てた人。今になって、どうして私に会いにくるの?
「あの、会うのはちょっと……嫌というか。迷っています。でも、逃げてはいけない気がするんです」
そう言うと、マティアスは静かに頷いた。
「断ってもいい。俺の判断で断ることもできる」
その言葉に、ほんの少し救われた。誰かに守られている、そんな感覚。でも、私はもう誰かの背中に隠れてばかりではいたくなかった。
「これは私の問題です。自分で選ばないと、きっと後悔すると思います」
私がそう言うと、マティアスの口元がわずかに緩んだ。
「なら、準備をしよう」
彼の声は、どこまでも優しかった。強くて、柔らかくて、一言の中に全てを委ねたくなるような温度があった。
私は、振り返らないと決めた過去に、今からもう一度向き合う。
でも今度は、誰のためでもなく、自分の意思で。
夕方になると、村の小道に薄明かりが差し込んでいく。小さなランタンの灯りと、土の香りが混ざり合うこの時間帯が、私は一番好きだった。
マティアスは、いつの間にか私の隣に立っていた。
「……最近は慣れたようだな。ここでの暮らしに」
彼は視線を畑に向けたまま、ぽつりと呟いた。
「はい。朝は鶏の声で起きて、昼は土をいじって、夜はみんなでごはんを食べて……こんな生活が、自分にもできるなんて思ってませんでした」
「贅沢はないが、無駄もない。それに、お前はここで信頼されている。自分で積み重ねたものだ」
「……ありがとう、ございます」
言葉に詰まる私に、彼はふっと笑った。
「謝辞ではなく、もっと胸を張っていい。お前のしたことは、俺の軍でも噂になっている。兵士の妻が病から回復したとか、村の穀物が増えたとか」
「そ、それは皆さんの努力があってこそです」
思わず慌てて否定したけれど、マティアスは肩をすくめて、
「真面目だな。もう少し、褒められることに慣れろ」
「……慣れてないんです。褒められることに」
それを聞いた彼は少し黙ってから、少しだけトーンを落として言った。
「じゃあ、これからは俺が慣れさせてやる」
どきん、と胸が跳ねた。視線をそらした私に、マティアスはからかうように小さく笑う。
「顔、赤いな」
「赤くないです」
むきになって言い返すと、彼はほんの少しだけ歩を進め、風を受けながら背中越しに言った。
「明日、宮殿で使者と正式に会談する。付き添いは俺に任せておけ」
「……はい」
返事をしながら、私はマティアスとの距離が少しずつ縮まっているのを感じていた。
リュミナス王国での私は、ただの代役だった。でも、ここでは少し違う。少なくとも、彼の前では。
開墾されたばかりの土は黒く柔らかく、若い芽がまっすぐに空を目指して伸びている。
私は、この村で暮らしている。
皇城で暮らすより、平民として毎日忙しくしている方が自分らしいと思えた。
病に苦しむ人たちに祈りを捧げ、土地の浄化に力を貸し、村の再建を支えてきた。
帝国に来てからも何かを失ったように感じていた私に、ここは新しい居場所をくれた。
村人たちは、最初は遠巻きだったけど、ただ祈るだけじゃなくて、畑を耕し、薬草を育て、できることを一緒に続けていくうちに、少しずつ受け入れてくれた。今では朝になると、子どもたちが「紗月さま」と呼んで駆け寄ってきてくれる。おじいさんがくれる籠いっぱいの芋やおばあさんの作った薬湯の味にも慣れた。
……私はここで、ちゃんと生きている。
そんな穏やかな午後、マティアスがやってきた。村では彼のことを領主様としか知らない人もいるが、誰もが自然と頭を垂れる。その背筋と目の奥には、誰も逆らえない静かな威厳があるから。
彼は村を見渡しながら、短く言った。
「リュミナス王国から使者が来ている。王が、お前に会いたいそうだ」
土の匂いと、風の音のなかでその言葉だけが強く響いた。
アレクの顔が脳裏に浮かぶ。あの冷たく感情の読めない目。
何の説明もなく、ただ私を切り捨てた人。今になって、どうして私に会いにくるの?
「あの、会うのはちょっと……嫌というか。迷っています。でも、逃げてはいけない気がするんです」
そう言うと、マティアスは静かに頷いた。
「断ってもいい。俺の判断で断ることもできる」
その言葉に、ほんの少し救われた。誰かに守られている、そんな感覚。でも、私はもう誰かの背中に隠れてばかりではいたくなかった。
「これは私の問題です。自分で選ばないと、きっと後悔すると思います」
私がそう言うと、マティアスの口元がわずかに緩んだ。
「なら、準備をしよう」
彼の声は、どこまでも優しかった。強くて、柔らかくて、一言の中に全てを委ねたくなるような温度があった。
私は、振り返らないと決めた過去に、今からもう一度向き合う。
でも今度は、誰のためでもなく、自分の意思で。
夕方になると、村の小道に薄明かりが差し込んでいく。小さなランタンの灯りと、土の香りが混ざり合うこの時間帯が、私は一番好きだった。
マティアスは、いつの間にか私の隣に立っていた。
「……最近は慣れたようだな。ここでの暮らしに」
彼は視線を畑に向けたまま、ぽつりと呟いた。
「はい。朝は鶏の声で起きて、昼は土をいじって、夜はみんなでごはんを食べて……こんな生活が、自分にもできるなんて思ってませんでした」
「贅沢はないが、無駄もない。それに、お前はここで信頼されている。自分で積み重ねたものだ」
「……ありがとう、ございます」
言葉に詰まる私に、彼はふっと笑った。
「謝辞ではなく、もっと胸を張っていい。お前のしたことは、俺の軍でも噂になっている。兵士の妻が病から回復したとか、村の穀物が増えたとか」
「そ、それは皆さんの努力があってこそです」
思わず慌てて否定したけれど、マティアスは肩をすくめて、
「真面目だな。もう少し、褒められることに慣れろ」
「……慣れてないんです。褒められることに」
それを聞いた彼は少し黙ってから、少しだけトーンを落として言った。
「じゃあ、これからは俺が慣れさせてやる」
どきん、と胸が跳ねた。視線をそらした私に、マティアスはからかうように小さく笑う。
「顔、赤いな」
「赤くないです」
むきになって言い返すと、彼はほんの少しだけ歩を進め、風を受けながら背中越しに言った。
「明日、宮殿で使者と正式に会談する。付き添いは俺に任せておけ」
「……はい」
返事をしながら、私はマティアスとの距離が少しずつ縮まっているのを感じていた。
リュミナス王国での私は、ただの代役だった。でも、ここでは少し違う。少なくとも、彼の前では。
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