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私が選んだ未来
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グランツ帝国に戻った日、私は正式に帝国の聖女として迎えられた。
花々に彩られた城門、笑顔を向ける人々、子どもたちの小さな手が私の袖を引いた。
あの頃の私は、居場所がほしくて、誰かに必要とされたくて、ただがむしゃらに祈っていたけど今は違う。ここにいることが、少しだけ誇らしく思えた。
その夜、マティアスが私の部屋をノックした。
「少し、付き合ってほしい」
そう言われて、私は羽織を手に廊下へ出た。夜の宮殿はひっそりとしていて、遠くに灯る燭台の明かりだけが私たちの足元を照らしていた。
彼に連れられて着いたのは、宮殿の裏手にある小さな丘だった。
はじめて来る場所だ。
門を抜け、緩やかな坂を登ると、そこにはひとつの風景が広がっていた。
まるで、宝石をちりばめたような帝都の夜景。いくつもの家々に灯る明かりがきらめき、川面には月の光が揺れていた。少し冷たい風が髪を撫で、夜の静けさが胸に沁みた。
「……こんな場所があったなんて」
私がそう言うと、マティアスは少し微笑んで隣に立った。
「俺も昔、ここで帝都を見下ろしながら考えていた。この国はどこへ向かうのかってな。でも今は、違う」
「どう違うの?」
私の問いに、彼はまっすぐ前を見つめたまま答えた。
「今は、誰と生きていくのかを考えている」
その言葉が、風の音と一緒に胸の奥へ届いた。
しばらく無言のまま夜景を見つめていたけれど、マティアスはやがて、静かに告げた。
「……準備が整った。元の世界へ戻るための儀式だ。神殿も条件も、全部整えてある」
彼の声は淡々としていたけれど、その瞳には苦しみがにじんでいた。
「……ありがとう」
そう返すだけで精一杯だった。彼がどれほど葛藤したか、わかっていたから。
そして数日後。儀式の場に立った私は、白い光に包まれていた。魔法陣の中心に立つと、世界の境が少しずつ開かれていくのが肌でわかった。
戻れる。家族のいる世界へ。
ずっと願ってきた未来が、手の届くところにある。けれど、足は一歩も動かなかった。
神官の背後に立つマティアスと目が合った。
その顔には、どこか張り詰めた静けさがあった。
きっと「行け」と言ってくれる。マティアスがあれからもずっと夜中に書庫へ通い、儀式の記録を探してくれていたのを知ってるから。
だけど……私は戻りたいのだろうか。それとも、戻らなければいけないと思っていただけなのか。
ふいに、光の向こうのマティアスの顔が今にも泣きだしそうに歪む。
その顔を見て、わかった。無理だ。私は、もう帰れない。
この世界で過ごした日々が、たくさんの温もりが、彼の存在が、あまりにも私の中に深く根付いていた。
だから、私は一歩、魔法陣の外へと足を踏み出した。
マティアスが、目を見開いたまま私を見つめていた。私は彼に向かって歩み寄り、迷いなく、まっすぐにその胸に飛び込んだ。
「……無理だよ、マティアス。私は……ここにいたい」
何も言わずに抱きしめてくれたその腕が、優しくて、温かくて、懐かしかった。
どれくらいそうしていたかわからない。やがて彼が、ぽつりと呟いた。
「ああ、お前は俺のものだ。役割としてじゃない……俺は紗月が欲しい」
その言葉は、どこまでも強く揺るぎなかった。
私は顔を上げた。目の前の人が、すべてを賭けて差し出してくれたこの国で、私も生きていきたい。そう強く思った。
「……私も、あなたが欲しい」
そう言うと、マティアスは小さく目を細めて笑った。
それから数日後、私たちは帝国の伝統に則った正式な儀式を経て、皇帝と皇后として迎えられた。
当日、大広間には朝の陽光が差し込み、彩り豊かな花々が壁を飾っていた。高窓から降りそそぐ光が床の大理石に反射し、まるで祝福の光に包まれているようだった。
遠くから鐘の音が響いてくる。柔らかく、静かに、けれど確かに帝国中にこの日の訪れを告げていた。
人々の祝福に囲まれながら、私はマティアスの隣に立つ。
彼の腕にそっと手を添えた瞬間、視線が合った。いつも通りの落ち着いた瞳の奥に、今日だけは隠しきれない柔らかな喜びが揺れていた。
私は小さく微笑む。
これが、私の選んだ未来。
遠い場所から呼ばれた私が辿り着いたのは、この手のぬくもりだった。
冷たそうに見えて、誰よりも強く、あたたかく支えてくれる手。
私はもう、迷わない。選ぶのは、このぬくもり。
花々に彩られた城門、笑顔を向ける人々、子どもたちの小さな手が私の袖を引いた。
あの頃の私は、居場所がほしくて、誰かに必要とされたくて、ただがむしゃらに祈っていたけど今は違う。ここにいることが、少しだけ誇らしく思えた。
その夜、マティアスが私の部屋をノックした。
「少し、付き合ってほしい」
そう言われて、私は羽織を手に廊下へ出た。夜の宮殿はひっそりとしていて、遠くに灯る燭台の明かりだけが私たちの足元を照らしていた。
彼に連れられて着いたのは、宮殿の裏手にある小さな丘だった。
はじめて来る場所だ。
門を抜け、緩やかな坂を登ると、そこにはひとつの風景が広がっていた。
まるで、宝石をちりばめたような帝都の夜景。いくつもの家々に灯る明かりがきらめき、川面には月の光が揺れていた。少し冷たい風が髪を撫で、夜の静けさが胸に沁みた。
「……こんな場所があったなんて」
私がそう言うと、マティアスは少し微笑んで隣に立った。
「俺も昔、ここで帝都を見下ろしながら考えていた。この国はどこへ向かうのかってな。でも今は、違う」
「どう違うの?」
私の問いに、彼はまっすぐ前を見つめたまま答えた。
「今は、誰と生きていくのかを考えている」
その言葉が、風の音と一緒に胸の奥へ届いた。
しばらく無言のまま夜景を見つめていたけれど、マティアスはやがて、静かに告げた。
「……準備が整った。元の世界へ戻るための儀式だ。神殿も条件も、全部整えてある」
彼の声は淡々としていたけれど、その瞳には苦しみがにじんでいた。
「……ありがとう」
そう返すだけで精一杯だった。彼がどれほど葛藤したか、わかっていたから。
そして数日後。儀式の場に立った私は、白い光に包まれていた。魔法陣の中心に立つと、世界の境が少しずつ開かれていくのが肌でわかった。
戻れる。家族のいる世界へ。
ずっと願ってきた未来が、手の届くところにある。けれど、足は一歩も動かなかった。
神官の背後に立つマティアスと目が合った。
その顔には、どこか張り詰めた静けさがあった。
きっと「行け」と言ってくれる。マティアスがあれからもずっと夜中に書庫へ通い、儀式の記録を探してくれていたのを知ってるから。
だけど……私は戻りたいのだろうか。それとも、戻らなければいけないと思っていただけなのか。
ふいに、光の向こうのマティアスの顔が今にも泣きだしそうに歪む。
その顔を見て、わかった。無理だ。私は、もう帰れない。
この世界で過ごした日々が、たくさんの温もりが、彼の存在が、あまりにも私の中に深く根付いていた。
だから、私は一歩、魔法陣の外へと足を踏み出した。
マティアスが、目を見開いたまま私を見つめていた。私は彼に向かって歩み寄り、迷いなく、まっすぐにその胸に飛び込んだ。
「……無理だよ、マティアス。私は……ここにいたい」
何も言わずに抱きしめてくれたその腕が、優しくて、温かくて、懐かしかった。
どれくらいそうしていたかわからない。やがて彼が、ぽつりと呟いた。
「ああ、お前は俺のものだ。役割としてじゃない……俺は紗月が欲しい」
その言葉は、どこまでも強く揺るぎなかった。
私は顔を上げた。目の前の人が、すべてを賭けて差し出してくれたこの国で、私も生きていきたい。そう強く思った。
「……私も、あなたが欲しい」
そう言うと、マティアスは小さく目を細めて笑った。
それから数日後、私たちは帝国の伝統に則った正式な儀式を経て、皇帝と皇后として迎えられた。
当日、大広間には朝の陽光が差し込み、彩り豊かな花々が壁を飾っていた。高窓から降りそそぐ光が床の大理石に反射し、まるで祝福の光に包まれているようだった。
遠くから鐘の音が響いてくる。柔らかく、静かに、けれど確かに帝国中にこの日の訪れを告げていた。
人々の祝福に囲まれながら、私はマティアスの隣に立つ。
彼の腕にそっと手を添えた瞬間、視線が合った。いつも通りの落ち着いた瞳の奥に、今日だけは隠しきれない柔らかな喜びが揺れていた。
私は小さく微笑む。
これが、私の選んだ未来。
遠い場所から呼ばれた私が辿り着いたのは、この手のぬくもりだった。
冷たそうに見えて、誰よりも強く、あたたかく支えてくれる手。
私はもう、迷わない。選ぶのは、このぬくもり。
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