【完結】前世の推しのために悪女を演じます、聖女として転生しましたが

チャビューヘ

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第6話「疑念の目」

 目を覚ますと、昼過ぎだった。

 窓から差し込む光が、まぶしい。

 身体が重い。

 全身が痛む。

 昨夜の疲労が、まだ残っている。

 ベッドから起き上がる。

 鏡を見ると、顔色が悪い。

 でも、後悔はない。

 人々を救えた。

 それだけで十分だ。

「お嬢様」

 侍女がノックする。

「起きていらっしゃいますか」

「ええ」

 扉が開く。

 侍女が心配そうな顔で入ってくる。

「顔色が優れませんが」

「大丈夫です」

 私は笑顔を作る。

「少し疲れているだけです」

 侍女が水差しを持ってくる。

 冷たい水を飲む。

 喉が潤う。

「お嬢様、王都で噂になっています」

 侍女が小声で言う。

「噂?」

「はい。貧民街の疫病が、一晩で治ったそうです」

 心臓が跳ねる。

「治った?」

「奇跡的に、と」

「誰がやったのか分からないそうですが」

 侍女が不思議そうに首を傾げる。

「でも、聖女様は行っていないのに」

「不思議ですね」

 私は窓の外を見る。

 貧民街の方角。

 あそこで、人々は元気になっているだろうか。

 でも、私がやったことは誰も知らない。

 それでいい。

 昨日、冷たく言い放った言葉。

「貧民街など、私の関心事ではありません」

 その言葉が、王都中に広まっているはず。

 冷血な聖女として。

 悪女として。

 これでいい。

「お嬢様」

 侍女が続ける。

「王宮から使者が」

「会議に出席を求められています」

 心臓が速くなる。

 会議。

 何の会議だろう。

「分かりました」

 私は身支度を整える。

 鏡の前で、髪を結う。

 表情を冷たくする。

 悪女の仮面を被る。

 深呼吸。

 行こう。

 ---

 王宮の小会議室は、昨日より狭かった。

 長いテーブル。

 窓から差し込む光。

 既に多くの貴族が席についている。

 第一王子派閥の重鎮たち。

 マーカス伯爵が、中央の席に座っている。

 その鋭い目が、私を見た。

 敵意が、ひしひしと伝わってくる。

 私は末席に座る。

 誰も声をかけてこない。

 冷たい視線だけが、突き刺さる。

 扉が開く。

 アルセインが入ってくる。

 黒い軍服。

 銀色の瞳。

 相変わらず、冷たい雰囲気。

 彼がテーブルの反対側に座る。

 第二王子派閥の席。

 視線が、一瞬だけ私に向けられた。

 そして、すぐに逸らされる。

 心臓がドキドキする。

 推しが、同じ部屋にいる。

 でも、今は集中しないと。

「では、始めましょう」

 マーカス伯爵の声が響く。

「昨日、聖女殿は我々の要請を拒否されました」

 私を睨む。

「貧民街の疫病を、見捨てると」

 周囲の貴族たちが頷く。

「冷血だ」

「聖女の資格なし」

 非難の声が飛ぶ。

 私は表情を変えない。

 冷たい目で見つめ返す。

「しかし」

 マーカスが続ける。

「貧民街の疫病は、奇跡的に治癒しました」

 会議室が静まる。

「一晩で、全ての病人が回復した」

「治癒魔法の痕跡が、明確に残っていました」

 マーカスの目が、鋭くなる。

「聖女殿」

 私を指す。

「あなたではありませんか?」

 沈黙。

 全員の視線が、私に集中する。

 アルセインも、私を見ている。

 銀色の瞳が、冷たく観察している。

 心臓が、バクバクする。

 でも、表情は崩さない。

「私は行っていません」

 嘘をつく。

 冷静に。

 迷いなく。

 マーカスの眉が、ひそめられる。

「本当ですか?」

「はい」

「では、誰が?」

「存じません」

 短く答える。

 マーカスが立ち上がる。

「聖女殿」

「貧民街には、あなたのような治癒魔法を使える者はいません」

「あなた以外に、誰が?」

「憶測です」

 私は冷たく返す。

「証拠はありますか?」

 マーカスが言葉に詰まる。

 証拠はない。

 変装していたし、フードを被っていた。

 顔は見られていないはず。

 その時──

「待ってください」

 アルセインの声が響いた。

 全員が振り向く。

 アルセインが立ち上がる。

「マーカス伯爵」

 冷たい声。

「証拠がない以上、憶測での糾弾は不適切です」

 マーカスの顔が、怒りに染まる。

「公爵は、聖女を庇うのですか?」

「いいえ」

 アルセインは淡々と答える。

「ただ、証拠なき告発は認められないと言っているだけです」

 彼が書類を取り出す。

「貧民街の治癒記録を確認しましたが」

「誰が行ったかは不明です」

「目撃者もいません」

 アルセインの銀色の瞳が、マーカスを見る。

「伯爵の主張は、推測の域を出ません」

 マーカスが拳を握る。

 怒りを堪えている。

 でも、反論できない。

 証拠がないのだから。

「……分かりました」

 マーカスが座る。

「しかし、この件は引き続き調査します」

 会議が終わる。

 貴族たちが、不満そうに退室していく。

 マーカスが最後に、私を睨んで去った。

 怒りと憎しみが、その目に宿っている。

 危険だ。

 彼は、私を陥れようとしている。

 一人になる。

 私も立ち上がろうとした時──

「聖女殿」

 低い声。

 振り返ると、アルセインが立っていた。

 至近距離。

 銀色の瞳が、私を見つめる。

 冷たい。

 でも、何かを探るような。

「少しお話を」

「はい」

 二人、人気のない回廊へ移動する。

 壁際に立つアルセイン。

 その隣に立つ私。

 沈黙が流れる。

 緊張する。

 推しと二人きり。

 でも、その雰囲気は冷たい。

「あなたは嘘をついていますね」

 アルセインが静かに言った。

 心臓が止まる。

 見抜かれた?

「……何の話ですか?」

 平静を装う。

「貧民街の治癒」

 アルセインが私を見る。

「あなたがやったのでしょう」

「証拠は?」

「証拠はありません」

 彼が答える。

「だが、あなたの目は嘘をついています」

 私の目を、じっと見つめる。

 逃げられない。

 その視線から。

「なぜそう思うのですか?」

「なぜ隠すのです?」

 アルセインが問い返す。

「善行を認めれば、あなたの評判は上がる」

「なのになぜ否定する?」

 答えられない。

 理由を言えば、全てがバレる。

 悪女を演じている理由。

 第一王子派閥から嫌われる理由。

 全て、彼を救うため。

 でも、それは言えない。

「……私には私の理由があります」

 曖昧に答える。

 アルセインの目が、わずかに揺れる。

 困惑しているのだろうか。

 理解できないのだろうか。

「あなたは謎だ」

 彼が小さく呟く。

「表の顔と裏の顔」

「どちらが本当なのか」

 その言葉に、ドキリとする。

 謎の観察者と同じ言葉。

 昨夜、屋根の上にいた影。

 まさか──

「それを知りたいですか?」

 私は勇気を出して聞いた。

 アルセインの目が、私を見る。

 長い沈黙の後──

「……ええ」

 小さく頷く。

「では」

 私は微笑む。

 初めて、彼の前で本当の笑顔を見せた。

「もう少し私を見ていてください」

 アルセインの目が、わずかに見開かれる。

 驚いているのだろうか。

 私の笑顔に。

 言葉に。

「……分かりました」

 彼が答える。

 それ以上は何も言わない。

 私も何も言わない。

 沈黙が、優しく流れる。

 少しだけ、距離が縮まった気がする。

 ほんの少しだけ。

「では、失礼します」

 アルセインが一礼して去る。

 その後ろ姿を見送る。

 黒い軍服が、廊下の向こうに消える。

 私は壁に寄りかかった。

 緊張が解ける。

 推しと話した。

 嘘を見抜かれた。

 でも──

 彼は告発しなかった。

 マーカスから庇ってくれた。

 なぜ?

 私を信用しているわけではない。

 警戒している。

 疑っている。

 でも──

 何かが変わった気がする。

 ほんの少しだけ。

 窓の外を見ると、夕日が沈んでいく。

 美しい。

 今日は、一歩前進した。

 推しが、私に興味を持ち始めた。

「もう少し私を見ていてください」

 そう言った。

 彼は、見ていてくれるだろうか。

 私の本当の姿を。

 いつか、全てを打ち明ける日が来るだろうか。

 その時まで。

 悪女を演じ続ける。

 推しを救うために。

 館に戻る途中、リリアナとすれ違った。

 彼女が微笑む。

 優しそうな笑顔。

 でも──

 その目が、一瞬だけ冷たく光った。

 気のせい?

 いや、確かに今──

 でも、すぐに元の優しい顔に戻っている。

「聖女様」

 リリアナが挨拶する。

「こんにちは」

 私も短く返す。

 すれ違う。

 背中に、視線を感じる。

 振り返ると──

 リリアナは、まだこちらを見ていた。

 その顔には、笑顔がない。

 冷たい表情。

 鋭い目。

 まばたきをすると、また優しい顔に戻っていた。

 そして、去っていく。

 胸に、不安が残る。

 彼女は──

 何かを隠している。

 でも、今は考えられない。

 疲れた。

 館に戻って、休もう。

 部屋に入ると、机の上に日記がある。

 羽根ペンを取る。

『今日、アルセインと話した』

『嘘を見抜かれた』

『でも、告発されなかった』

『彼は私に興味を持ち始めている』

『少しずつ、近づいている』

『でも、まだ警戒されている』

『それでいい』

『時間をかけて、信頼を得る』

 羽根ペンを置く。

 ベッドに入る。

 目を閉じる。

 今日も、一日が終わる。

 また明日。

 推しに近づくために。

 戦い続ける。

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