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北方の空が、鉛色に厚く垂れ込めるようになってきた。
風の冷たさは王都の比ではなく、針のように肌を刺す。屋敷の窓という窓に目張りをし、薪の備蓄を確認するのがヴェラの今一番の優先事項だった。
「ヴェラ様、また王都から荷物が届きました。今度はかなり大型の木箱です」
ゾラが困り果てた顔で報告に来た。玄関には、テオ王子の署名が入った豪華な木箱が三つ、鎮座している。
ヴェラは手元の刺繍の手を止めず、淡々と答えた。
「開けてちょうだい。どうせまた、食べられないものが入っているのでしょうけれど」
釘を抜く乾いた音が響き、中から現れたのは、息を呑むほど美しい白狐の毛皮で作られたロングコートだった。王都の夜会で羽織れば、すべての女性の羨望を一身に集めるであろう至宝だ。
添えられた手紙には、テオの端正な文字でこうあった。
『北方の寒さは厳しいと聞いた。これを着て、俺の温もりを思い出してほしい。君が帰ってくる場所は、いつでも開けて待っている』
ヴェラは手紙を一読し、そのまま暖炉の種火の中へ放り込んだ。
「……ゾラ。このコート、裏地を全部剥がしてちょうだい」
「えっ!? 剥がすのですか? これほど見事な毛皮を……」
「ええ。こんな真っ白な服、この泥と雪の地で着たら一瞬で台無しだわ。それに、この毛皮一枚あれば、村の猟師たちが持っている干し肉と塩、それから越冬用のジャガイモ三ヶ月分と交換できるはずよ」
ヴェラは立ち上がり、コートの襟元に触れた。指先に触れる柔らかな感触。かつての自分なら、これを抱きしめて王子の愛を信じようとしただろう。だが今の彼女にとって、この毛皮は「愛の証」ではなく「カロリー」に見えていた。
翌日、ヴェラはカノを伴い、近くの村の集会場を訪れた。
そこにいたのは、深い皺が刻まれた顔に鋭い眼光を宿した老女、マギだった。彼女はこの一帯の物流を取り仕切る、村の知恵袋だ。
「……公爵家のお嬢様が、村のばあさんに何の用だい? 施しならお断りだよ。雪が降れば、あんた方の綺麗な服なんて腹の足しにもなりゃしない」
マギの言葉には、貴族への隠しきれない敵意が混じっていた。
ヴェラは微笑み、カノに命じて持ってきた包みを広げさせた。
「施しではありませんわ、マギ。取引に来ましたの。この白狐の毛皮……王都の最高級品です。これを貴女たちに差し上げますわ。その代わり、わたくしの屋敷に、最高の保存食と、隙間風を防ぐための獣脂を提供してちょうだい」
マギは、差し出された毛皮を見て目を見開いた。その価値が、村一つを一年養えるほどのものであることを、彼女の老練な目は瞬時に見抜いた。
「……正気かい、お嬢様。これはあんたの男が贈った、愛の贈り物じゃないのかい?」
「愛、ですか。ふふっ、そんなものでお腹は膨れませんもの。わたくし、愛よりも冬の朝に啜る温かいスープの方がずっと信頼できますの。それに……」
ヴェラは冷ややかに言い放った。
「あいにく、配役は辞退いたしました。王子の贈り物に涙して、いつまでも待ち続ける『健気な婚約者』という役は、もう捨てたのです。これからは、この毛皮の代わりに届けられる干し肉が、わたくしの新しい主役ですわ」
マギは数秒間、ヴェラを凝視していたが、やがてカカカ、と枯れた声を上げて笑い出した。
「気に入ったよ、お嬢様。あんた、王都の飾り物にしておくには惜しい女だ。……いいだろう。この冬一番の、脂の乗った肉と野菜を屋敷まで運ばせよう。あんたを飢えさせはしないよ」
数日後、ヴェラの屋敷の地下貯蔵庫には、見事なまでの食料が積み上げられていた。
一方、王都のテオ王子の元には、ヴェラからの「返礼品」が届いていた。
期待に満ちた顔で箱を開けたテオが目にしたのは、丁寧な手紙ではなく、北方の村で作られた、無骨で匂いの強い「最高級の牛脂」の塊だった。
『殿下、贈り物をありがとうございます。おかげさまで、屋敷の窓の建付けが良くなり、冬を越す準備が整いました。この脂は、そちらの華やかな暖炉の火をより強く燃やすための燃料にでもお使いくださいませ』
テオは、その手紙と脂の塊を前に、言葉を失った。
ヴェラが自分の愛を物理的な「油」として処理したという事実は、彼が誇っていた王族としてのプライドを、どんな罵倒よりも深く抉った。
主役が豪華な衣装を贈ろうとも、脇役がそれを燃料や食料に変えてしまう限り、そこにはもう、劇的な余韻など一欠片も残らないのだ。
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15話まで読んで頂きありがとうございます!いよいよ北方定住編スタートです!
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風の冷たさは王都の比ではなく、針のように肌を刺す。屋敷の窓という窓に目張りをし、薪の備蓄を確認するのがヴェラの今一番の優先事項だった。
「ヴェラ様、また王都から荷物が届きました。今度はかなり大型の木箱です」
ゾラが困り果てた顔で報告に来た。玄関には、テオ王子の署名が入った豪華な木箱が三つ、鎮座している。
ヴェラは手元の刺繍の手を止めず、淡々と答えた。
「開けてちょうだい。どうせまた、食べられないものが入っているのでしょうけれど」
釘を抜く乾いた音が響き、中から現れたのは、息を呑むほど美しい白狐の毛皮で作られたロングコートだった。王都の夜会で羽織れば、すべての女性の羨望を一身に集めるであろう至宝だ。
添えられた手紙には、テオの端正な文字でこうあった。
『北方の寒さは厳しいと聞いた。これを着て、俺の温もりを思い出してほしい。君が帰ってくる場所は、いつでも開けて待っている』
ヴェラは手紙を一読し、そのまま暖炉の種火の中へ放り込んだ。
「……ゾラ。このコート、裏地を全部剥がしてちょうだい」
「えっ!? 剥がすのですか? これほど見事な毛皮を……」
「ええ。こんな真っ白な服、この泥と雪の地で着たら一瞬で台無しだわ。それに、この毛皮一枚あれば、村の猟師たちが持っている干し肉と塩、それから越冬用のジャガイモ三ヶ月分と交換できるはずよ」
ヴェラは立ち上がり、コートの襟元に触れた。指先に触れる柔らかな感触。かつての自分なら、これを抱きしめて王子の愛を信じようとしただろう。だが今の彼女にとって、この毛皮は「愛の証」ではなく「カロリー」に見えていた。
翌日、ヴェラはカノを伴い、近くの村の集会場を訪れた。
そこにいたのは、深い皺が刻まれた顔に鋭い眼光を宿した老女、マギだった。彼女はこの一帯の物流を取り仕切る、村の知恵袋だ。
「……公爵家のお嬢様が、村のばあさんに何の用だい? 施しならお断りだよ。雪が降れば、あんた方の綺麗な服なんて腹の足しにもなりゃしない」
マギの言葉には、貴族への隠しきれない敵意が混じっていた。
ヴェラは微笑み、カノに命じて持ってきた包みを広げさせた。
「施しではありませんわ、マギ。取引に来ましたの。この白狐の毛皮……王都の最高級品です。これを貴女たちに差し上げますわ。その代わり、わたくしの屋敷に、最高の保存食と、隙間風を防ぐための獣脂を提供してちょうだい」
マギは、差し出された毛皮を見て目を見開いた。その価値が、村一つを一年養えるほどのものであることを、彼女の老練な目は瞬時に見抜いた。
「……正気かい、お嬢様。これはあんたの男が贈った、愛の贈り物じゃないのかい?」
「愛、ですか。ふふっ、そんなものでお腹は膨れませんもの。わたくし、愛よりも冬の朝に啜る温かいスープの方がずっと信頼できますの。それに……」
ヴェラは冷ややかに言い放った。
「あいにく、配役は辞退いたしました。王子の贈り物に涙して、いつまでも待ち続ける『健気な婚約者』という役は、もう捨てたのです。これからは、この毛皮の代わりに届けられる干し肉が、わたくしの新しい主役ですわ」
マギは数秒間、ヴェラを凝視していたが、やがてカカカ、と枯れた声を上げて笑い出した。
「気に入ったよ、お嬢様。あんた、王都の飾り物にしておくには惜しい女だ。……いいだろう。この冬一番の、脂の乗った肉と野菜を屋敷まで運ばせよう。あんたを飢えさせはしないよ」
数日後、ヴェラの屋敷の地下貯蔵庫には、見事なまでの食料が積み上げられていた。
一方、王都のテオ王子の元には、ヴェラからの「返礼品」が届いていた。
期待に満ちた顔で箱を開けたテオが目にしたのは、丁寧な手紙ではなく、北方の村で作られた、無骨で匂いの強い「最高級の牛脂」の塊だった。
『殿下、贈り物をありがとうございます。おかげさまで、屋敷の窓の建付けが良くなり、冬を越す準備が整いました。この脂は、そちらの華やかな暖炉の火をより強く燃やすための燃料にでもお使いくださいませ』
テオは、その手紙と脂の塊を前に、言葉を失った。
ヴェラが自分の愛を物理的な「油」として処理したという事実は、彼が誇っていた王族としてのプライドを、どんな罵倒よりも深く抉った。
主役が豪華な衣装を贈ろうとも、脇役がそれを燃料や食料に変えてしまう限り、そこにはもう、劇的な余韻など一欠片も残らないのだ。
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