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北方の冬は、容赦という言葉を知らない。
窓の外では地吹雪が荒れ狂い、視界を真っ白に染め上げている。だが、石造りの別荘の中は、暖炉の火と新しく運び込ませた厚手の絨毯のおかげで、春のような暖かさに包まれていた。
ヴェラは、新しく雇い入れた織り子のエナが持ってきた試作品に袖を通した。
「……素晴らしいわ、エナ。この裏地の起毛、肌触りが最高だわ。王都の、あの無駄にレースばかりついて重たいだけのドレスとは大違いね」
エナは、感情の読めない瞳でヴェラの姿を確認し、短く頷いた。
「……機能性を重視しました。王都の服は、動くことを想定していませんから。ここでの生活には、こちらの『鎧』の方が適しています」
ヴェラがその「暖かい鎧」に身を包み、安楽椅子で温かいココアを楽しもうとした、まさにその時。
玄関の方で、重厚な扉を叩く鈍い音が響いた。
ゾラが持ってきたのは、一通の赤い封筒だった。
そこには王家の緊急連絡用である「緋色の印」が押されており、それは本来、受け取った者がその場で跪き、即座に命令に従わねばならない性質のものだ。
「ヴェラ様。王宮の最高評議会より、国王陛下の親書が届きました。……内容は、『神託の乙女が不在であるため、国境付近の魔力溜まりが暴走し始めている。公爵令嬢としての義務を思い出し、直ちに帰還して祈りを捧げよ』とのことでございます」
ゾラの声には、隠しきれない不快感が混じっていた。
ヴェラはココアを一口飲み、その赤い封筒を指先で弄んだ。
「義務、ですか。おかしな話ですわね。わたくし、先月の手続きで、すでにその『義務』を発生させる公的立場を返上したはずですのに。彼らは一度提出された受理書を、都合よく忘れてしまうのかしら?」
「『国家の危機は、個人の権利に優先する』とも書かれておりますわ」
「ふふっ。その『国家』とやらを支えるための生贄に、またわたくしを選んだだけでしょう? あいにく、配役は辞退いたしました。国を救うために祈り、身を削る『聖なる乙女』という役も、あの方……ルミ様にお願いすればよろしいのに」
ヴェラは立ち上がり、机の上に置いてあったハサミを手に取った。
ヴェラは迷うことなく、王の親書を細長く切り裂き始めた。
それを見ていた職人のエナが、わずかに眉を動かす。
「……ヴェラ様、それは……」
「ちょうどいいわ、エナ。この紙、最高級の羊皮紙を使っているようですもの。厚みもあって、丈夫そうだわ。これに糊をつけて、窓の隙間風を防ぐための目張りに使いましょう。陛下のお言葉で家が温まるのなら、これ以上の『愛国心』はございませんでしょう?」
ゾラは心得た様子で、ヴェラから切り裂かれた「王命」を受け取り、窓辺へと向かった。
「畏まりました。この箇所には、ちょうど『速やかに帰還せよ』という文字がございます。ここを隙間に貼れば、外からの冷たい言葉……いえ、風も入ってこないでしょう」
ヴェラは再び椅子に座り、膝に毛布をかけ直した。
王都では今頃、魔力の暴走を抑えられないテオ王子や神殿が、自分たちの無能さを棚に上げて「消えた婚約者」の不忠を嘆いていることだろう。
だが、その騒乱は、窓一枚を隔てたこちら側には届かない。
ヴェラにとって、世界の終わりよりも、今夜の夕食に添えられる「アイラの家特製の薫製肉」の焼き加減の方が、よほど重大な関心事だった。
物語の主役たちがどれほど劇的なピンチを演じようとも、脇役がその台本を窓の目張りにしてしまった時点で、その劇が完結することはないのだ。
ヴェラは満足げに目を閉じ、静寂という名の贅沢に身を浸した。
窓の外では地吹雪が荒れ狂い、視界を真っ白に染め上げている。だが、石造りの別荘の中は、暖炉の火と新しく運び込ませた厚手の絨毯のおかげで、春のような暖かさに包まれていた。
ヴェラは、新しく雇い入れた織り子のエナが持ってきた試作品に袖を通した。
「……素晴らしいわ、エナ。この裏地の起毛、肌触りが最高だわ。王都の、あの無駄にレースばかりついて重たいだけのドレスとは大違いね」
エナは、感情の読めない瞳でヴェラの姿を確認し、短く頷いた。
「……機能性を重視しました。王都の服は、動くことを想定していませんから。ここでの生活には、こちらの『鎧』の方が適しています」
ヴェラがその「暖かい鎧」に身を包み、安楽椅子で温かいココアを楽しもうとした、まさにその時。
玄関の方で、重厚な扉を叩く鈍い音が響いた。
ゾラが持ってきたのは、一通の赤い封筒だった。
そこには王家の緊急連絡用である「緋色の印」が押されており、それは本来、受け取った者がその場で跪き、即座に命令に従わねばならない性質のものだ。
「ヴェラ様。王宮の最高評議会より、国王陛下の親書が届きました。……内容は、『神託の乙女が不在であるため、国境付近の魔力溜まりが暴走し始めている。公爵令嬢としての義務を思い出し、直ちに帰還して祈りを捧げよ』とのことでございます」
ゾラの声には、隠しきれない不快感が混じっていた。
ヴェラはココアを一口飲み、その赤い封筒を指先で弄んだ。
「義務、ですか。おかしな話ですわね。わたくし、先月の手続きで、すでにその『義務』を発生させる公的立場を返上したはずですのに。彼らは一度提出された受理書を、都合よく忘れてしまうのかしら?」
「『国家の危機は、個人の権利に優先する』とも書かれておりますわ」
「ふふっ。その『国家』とやらを支えるための生贄に、またわたくしを選んだだけでしょう? あいにく、配役は辞退いたしました。国を救うために祈り、身を削る『聖なる乙女』という役も、あの方……ルミ様にお願いすればよろしいのに」
ヴェラは立ち上がり、机の上に置いてあったハサミを手に取った。
ヴェラは迷うことなく、王の親書を細長く切り裂き始めた。
それを見ていた職人のエナが、わずかに眉を動かす。
「……ヴェラ様、それは……」
「ちょうどいいわ、エナ。この紙、最高級の羊皮紙を使っているようですもの。厚みもあって、丈夫そうだわ。これに糊をつけて、窓の隙間風を防ぐための目張りに使いましょう。陛下のお言葉で家が温まるのなら、これ以上の『愛国心』はございませんでしょう?」
ゾラは心得た様子で、ヴェラから切り裂かれた「王命」を受け取り、窓辺へと向かった。
「畏まりました。この箇所には、ちょうど『速やかに帰還せよ』という文字がございます。ここを隙間に貼れば、外からの冷たい言葉……いえ、風も入ってこないでしょう」
ヴェラは再び椅子に座り、膝に毛布をかけ直した。
王都では今頃、魔力の暴走を抑えられないテオ王子や神殿が、自分たちの無能さを棚に上げて「消えた婚約者」の不忠を嘆いていることだろう。
だが、その騒乱は、窓一枚を隔てたこちら側には届かない。
ヴェラにとって、世界の終わりよりも、今夜の夕食に添えられる「アイラの家特製の薫製肉」の焼き加減の方が、よほど重大な関心事だった。
物語の主役たちがどれほど劇的なピンチを演じようとも、脇役がその台本を窓の目張りにしてしまった時点で、その劇が完結することはないのだ。
ヴェラは満足げに目を閉じ、静寂という名の贅沢に身を浸した。
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