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北方の冬は、ただ厳しいだけではない。
雪に閉ざされた沈黙の中で、人々が寄り添い、分け合う熱量がある。
今日は村の「冬至祭」だ。広場の中央では巨大な焚き火が赤々と燃え、その上では三つの大鍋が湯気を上げている。中にはマギが提供した塩漬けの肉、カノが仕留めた冬の獲物、そしてヴェラの菜園から掘り出されたジャガイモが、アイラの指揮の下で渾然一体となって煮込まれていた。
「……素晴らしい匂いだわ。アイラ、隠し味に何を入れたの?」
ヴェラは、エナが織り上げた厚手の毛織物に身を包み、木製のカップを片手に鍋を覗き込んだ。
「この地特有の、雪の下で熟成させた岩塩と、少しの香草です。ヴェラ様、一口いかがですか。熱いのでお気をつけて」
差し出された匙から、琥珀色のスープを啜る。
口の中に広がるのは、王都の澄ましスープのような繊細さではなく、大地そのものを飲み込むような濃厚な滋味だ。一度目の人生で、豪華な銀食器を並べ、テオ王子の食事のペースを気にしながら食べていたあの時間は、一体何だったのか。
「……美味しい。これこそが、生きるための味ね」
ヴェラが満足げに目を細めた、その時だった。
雪を蹴散らすような、無作法な馬の蹄の音が広場に響いた。
現れたのは、王都の紋章が刻まれた防寒着を纏った一団。その先頭に立つ小太りの男、ニノルドが、嫌悪感を隠そうともせず村を見回した。
「……下品な匂いだ。おい、ここの責任者は誰だ。王都の中央神殿が魔力暴走の儀式を行うにあたり、北方の余剰食料をすべて供出せよとの王命だ」
ニノルドは仰々しく羊皮紙を広げた。
「ついでに、ここに逃げ込んでいるという公爵家の『病める令嬢』も、王都へ連れ戻すよう仰せつかっている。……いたな。ヴェラ様、そのような汚らしい格好はやめて、速やかに我らと共に来られよ」
祭りの賑わいが一瞬で凍りつく。村人たちが怯えたように身を寄せ合う中、ヴェラはゆっくりと役人の前へ歩み出た。
「……余剰食料、ですか。ニノルド様とおっしゃいましたか。貴方の目は節穴かしら?」
「何だと!?」
「この雪に閉ざされた地で、命を繋ぐために蓄えられた食料に『余剰』などという言葉は存在しません。これは村人たちの血であり、肉です。それを奪うということは、この村を全滅させろという宣戦布告と受け取ってよろしいのかしら?」
「国家の危急なのだ! 殿下が国を救うために祈っておられるというのに、地方の平民が食を惜しんでどうする!」
ヴェラは、背後に控えるカノに目配せをした。カノが肩に担いだ斧を雪の上に突き立てると、重い振動がニノルドの足元に伝わる。
「殿下の祈りでお腹が膨れるのなら、今すぐこの広場をその『祈り』で満たしてくださらない? それができないのであれば、貴方が持ち込もうとしているのは、ただの理不尽な略奪ですわ」
ヴェラは、袖口からネフに用意させていた、国王の印章入りの「療養地域不可侵令」を取り出した。
「……陛下からは、わたくしの滞在期間中、この地域における一切の徴発、および人員の移動を禁じるという許可をいただいておりますの。これに背くということは、貴方は国王陛下の署名よりも、自分の功績の方が大事だと言い張るおつもり?」
「そ、それは……だが、中央神殿の要請が……」
「神殿に伝えてちょうだい。あいにく、配役は辞退いたしました。国を救うための供物にされる役も、あの方……ルミ様にでも押しつければよろしい。……カノ。この不快な雑音を、わたくしの視界から排除してちょうだい。スープが冷めてしまうわ」
カノが無言で一歩前へ出ると、ニノルドは悲鳴を上げて落馬しそうになりながら、慌てて馬の首を返した。
「覚えていろ! 不敬な女だ!」
負け惜しみの叫びと共に、王都の使いが雪の中へと消えていく。
広場に再び、静寂と、それから安堵の溜息が戻った。
「お嬢様、本当に大丈夫かい? あんな奴らを追い返して……」
マギが心配そうにヴェラの手を取ったが、ヴェラは柔らかく微笑んで答えた。
「構いませんわ。わたくしたちが守るべきは、王都の虚飾ではなく、今夜の大鍋の温かさですもの。マギ、早く食べましょう。一番美味しいところを、わたくしにくださる約束でしょう?」
焚き火の光に照らされたヴェラの横顔には、公爵令嬢としての誇りではなく、自分の生活を自分で守る強固な意志が宿っていた。
王都では今頃、魔力の暴走に翻弄され、誰も彼もが「身代わりにされる生贄」を探して狂奔していることだろう。
だが、その不毛な争いは、この北方の森を越えてくることはない。
ヴェラは熱いスープを一口飲み、その確かな熱に身を委ねながら、自分だけの自由な夜を謳歌し続けるのだった。
雪に閉ざされた沈黙の中で、人々が寄り添い、分け合う熱量がある。
今日は村の「冬至祭」だ。広場の中央では巨大な焚き火が赤々と燃え、その上では三つの大鍋が湯気を上げている。中にはマギが提供した塩漬けの肉、カノが仕留めた冬の獲物、そしてヴェラの菜園から掘り出されたジャガイモが、アイラの指揮の下で渾然一体となって煮込まれていた。
「……素晴らしい匂いだわ。アイラ、隠し味に何を入れたの?」
ヴェラは、エナが織り上げた厚手の毛織物に身を包み、木製のカップを片手に鍋を覗き込んだ。
「この地特有の、雪の下で熟成させた岩塩と、少しの香草です。ヴェラ様、一口いかがですか。熱いのでお気をつけて」
差し出された匙から、琥珀色のスープを啜る。
口の中に広がるのは、王都の澄ましスープのような繊細さではなく、大地そのものを飲み込むような濃厚な滋味だ。一度目の人生で、豪華な銀食器を並べ、テオ王子の食事のペースを気にしながら食べていたあの時間は、一体何だったのか。
「……美味しい。これこそが、生きるための味ね」
ヴェラが満足げに目を細めた、その時だった。
雪を蹴散らすような、無作法な馬の蹄の音が広場に響いた。
現れたのは、王都の紋章が刻まれた防寒着を纏った一団。その先頭に立つ小太りの男、ニノルドが、嫌悪感を隠そうともせず村を見回した。
「……下品な匂いだ。おい、ここの責任者は誰だ。王都の中央神殿が魔力暴走の儀式を行うにあたり、北方の余剰食料をすべて供出せよとの王命だ」
ニノルドは仰々しく羊皮紙を広げた。
「ついでに、ここに逃げ込んでいるという公爵家の『病める令嬢』も、王都へ連れ戻すよう仰せつかっている。……いたな。ヴェラ様、そのような汚らしい格好はやめて、速やかに我らと共に来られよ」
祭りの賑わいが一瞬で凍りつく。村人たちが怯えたように身を寄せ合う中、ヴェラはゆっくりと役人の前へ歩み出た。
「……余剰食料、ですか。ニノルド様とおっしゃいましたか。貴方の目は節穴かしら?」
「何だと!?」
「この雪に閉ざされた地で、命を繋ぐために蓄えられた食料に『余剰』などという言葉は存在しません。これは村人たちの血であり、肉です。それを奪うということは、この村を全滅させろという宣戦布告と受け取ってよろしいのかしら?」
「国家の危急なのだ! 殿下が国を救うために祈っておられるというのに、地方の平民が食を惜しんでどうする!」
ヴェラは、背後に控えるカノに目配せをした。カノが肩に担いだ斧を雪の上に突き立てると、重い振動がニノルドの足元に伝わる。
「殿下の祈りでお腹が膨れるのなら、今すぐこの広場をその『祈り』で満たしてくださらない? それができないのであれば、貴方が持ち込もうとしているのは、ただの理不尽な略奪ですわ」
ヴェラは、袖口からネフに用意させていた、国王の印章入りの「療養地域不可侵令」を取り出した。
「……陛下からは、わたくしの滞在期間中、この地域における一切の徴発、および人員の移動を禁じるという許可をいただいておりますの。これに背くということは、貴方は国王陛下の署名よりも、自分の功績の方が大事だと言い張るおつもり?」
「そ、それは……だが、中央神殿の要請が……」
「神殿に伝えてちょうだい。あいにく、配役は辞退いたしました。国を救うための供物にされる役も、あの方……ルミ様にでも押しつければよろしい。……カノ。この不快な雑音を、わたくしの視界から排除してちょうだい。スープが冷めてしまうわ」
カノが無言で一歩前へ出ると、ニノルドは悲鳴を上げて落馬しそうになりながら、慌てて馬の首を返した。
「覚えていろ! 不敬な女だ!」
負け惜しみの叫びと共に、王都の使いが雪の中へと消えていく。
広場に再び、静寂と、それから安堵の溜息が戻った。
「お嬢様、本当に大丈夫かい? あんな奴らを追い返して……」
マギが心配そうにヴェラの手を取ったが、ヴェラは柔らかく微笑んで答えた。
「構いませんわ。わたくしたちが守るべきは、王都の虚飾ではなく、今夜の大鍋の温かさですもの。マギ、早く食べましょう。一番美味しいところを、わたくしにくださる約束でしょう?」
焚き火の光に照らされたヴェラの横顔には、公爵令嬢としての誇りではなく、自分の生活を自分で守る強固な意志が宿っていた。
王都では今頃、魔力の暴走に翻弄され、誰も彼もが「身代わりにされる生贄」を探して狂奔していることだろう。
だが、その不毛な争いは、この北方の森を越えてくることはない。
ヴェラは熱いスープを一口飲み、その確かな熱に身を委ねながら、自分だけの自由な夜を謳歌し続けるのだった。
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