あいにく、配役は辞退いたしました

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 北方の冬が深まるにつれ、屋敷を囲む針葉樹の枝は雪の重みで低く垂れ、沈黙はいっそう色濃くなった。
 
 ヴェラは暖炉のそばで、エナが織り上げた厚手の毛織物を肩まで引き上げた。手元には、アイラが切り分けたばかりの干し肉と、たっぷりの黒胡椒。そして、今日の主役となる「塩漬けの獣脂」が置かれている。
 
「……カノ、準備はいいかしら。今日はこの脂をじっくりと煮出して、冬の万能ソースを作るわよ。これがあれば、どんなに固い干し肉もご馳走に変わるわ」
 
 ヴェラが呼びかけると、薪を運んでいたカノが、少しだけ口角を上げて歩み寄ってきた。
 
「畏まりました。……ですが、ヴェラ様。公爵令嬢が自ら脂の煮出しをなさるとは、王都の方々が聞けば卒倒されるでしょうな」
 
「あら、卒倒させておけばよろしいわ。わたくしの健康を支えるのは、誰かのお世辞ではなく、この温かな脂ですもの。……カノ、そこ、もう少し火を強くしてちょうだい」
 
 ヴェラは、指示を出しながら自らも大鍋の前に立った。
 立ち上る湯気がヴェラの頬を紅潮させる。その様子を、カノは無言で見つめていた。王都の淑女たちが気にする「美しさ」とは違う、生きるための力強さが宿ったその横顔に、彼は知らず知らずのうちに目を奪われていた。
 
 
 
 作業が一段落した頃、屋敷の重い扉を叩く音がした。
 
 現れたのは、村の若き猟師、テニレインだった。彼は雪を払いながら、背負っていた大きな籠を床に下ろした。
 
「ヴェラ様、カノさん! 今年もいい『銀兎』が獲れました! 一番脂の乗ったやつを、お嬢様に食べていただきたくて持ってきましたよ」
 
 テニレインの屈託のない笑顔に、ヴェラの瞳が輝いた。
 
「銀兎! 王都の市場でも、数年に一度しか出回らないという希少な獲物ね。……素晴らしいわ、テニレイン。すぐにアイラに調理させましょう。今夜は、貴方も一緒に食べていくといいわ」
 
「いいんですか!? やったあ、お嬢様の屋敷のご飯は最高だって、村のみんなが言ってるんですよ!」
 
 テニレインがヴェラの手を取ろうと一歩踏み出した瞬間。
 その間に、カノが音もなく割り込んだ。彼はテニレインの手を、事務的な動作でそっと押し戻す。
 
「……獲物の受け取りは、私の役目だ、テニレイン。ヴェラ様は現在、療養中だ。あまり近づいて、外の寒気を移さないでほしい」
 
 カノの声は、いつもの冷静さを保っていたが、その瞳の奥には冷ややかな光が宿っていた。
 テニレインは首を傾げながらも、「カノさん、厳しいなあ」と笑って籠を預けた。
 
 
 
 テニレインが帰った後、ゾラが一通の封筒をトレイに乗せて持ってきた。
 
「ヴェラ様。王都のテオ殿下より、またしても文が。……今度は、殿下自らが選ばれたという『春を待つ宝石』のカタログだそうでございます」
 
 ヴェラはトレイを一瞥することもなく、大鍋の中で黄金色に輝き始めた脂のソースに視線を戻した。
 
「宝石のカタログ? ゾラ、あいにくですが、その紙は脂を拭き取るのには少々質が良すぎますわね。暖炉の火を絶やさないための、一番良い薪として使いなさい」
 
「畏まりました。殿下は、『君が戻るのなら、北方領地の半分を君の自由にして良い』ともおっしゃっておりますが……」
 
「ふふっ。殿下はまだ、わたくしが権利や地位に飢えていると思っていらっしゃるのね。あいにく、配役は辞退いたしました。殿下の隣で、贅沢な籠の中の鳥を演じる役は、もう終幕したのです。わたくしにとって、領地の半分よりも、この一鍋のソースの方がずっと、わたくしの尊厳を支えてくれますの」
 
 ヴェラは、傍らで黙って作業を続けるカノに目を向けた。
 
「……カノ、ソースの味見をしてみて。貴方の舌を信頼しているわ」
 
 ヴェラが差し出した匙を、カノはためらいながらも受け取った。
 指先が微かに触れ合い、北方の冷たい空気の中で、そこだけが確かな熱を帯びる。
 
「……美味しいですな。これほどまでに心を温める味は、他に知りません」
 
 カノの言葉は、単なる料理への賞賛ではなく、ヴェラという存在そのものへの深い敬意と、芽生え始めた特別な感情が混じり合っていた。
 
 王都では今頃、宝石を並べ、空虚な約束を叫ぶ主役たちが、いかに自分たちが孤独であるかに気づき始めているだろう。
 
 だが、その不毛なドラマは、この屋敷の厚い壁を越えてくることはない。
 
 ヴェラは、暖炉の火に照らされたカノの逞しい背中を見つめながら、静かに、そして幸福に、明日への計画を練り続けるのだった。
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