あいにく、配役は辞退いたしました

チャビューヘ

文字の大きさ
20 / 35

20

しおりを挟む
 夜の帳が降りると、北方の冷気は石造りの壁さえも凍てつかせる。
 
 ヴェラは暖炉の前で、アイラが用意したばかりの生地をこねていた。今日は、この地方で冬の盛りに食べられるという揚げ菓子を作る予定だ。
 
 「……ヴェラ様、あまり力を入れすぎると、せっかくの気泡が潰れてしまいます」
 
 隣で薪を整理していたカノが、静かな声で助言を口にする。
 
 「あら、難しいわね。でも、この生地を黄金色に揚げて、たっぷりの砂糖をまぶしたところを想像すると、どうしても手が止まらないの」
 
 ヴェラが微笑むと、カノの瞳がわずかに揺れた。
 火の粉が爆ぜる音だけが響く沈黙の中、二人の距離は、防寒着が触れ合うほどに近かった。王都の舞踏会で交わされる形式的な抱擁よりも、この静寂の方が、ヴェラの心には温かく染み渡る。
 
 
 
 そこへ、吹雪を突いてナタリエラが訪ねてきた。
 彼女はこの一帯の野草や古い知恵に精通した薬草師だ。
 
 「……お嬢様、また王都から『厄介なもの』が届いているようだね。門の外に、王家の封印がなされた大きな箱が置かれていたよ」
 
 ナタリエラが指差した先。ゾラが困り果てた様子で、その箱を広間へと運び込んできた。
 
 中に入っていたのは、拳ほどもある巨大な深紅の魔導石だった。添えられた手紙には、テオ王子の傲慢な独白が綴られている。
 
 『ヴェラ。国境の魔力異常は日ごとに増している。この魔導石は、聖女の祈りを増幅させるための王家の至宝だ。これを受け取ったのなら、君が果たすべき配役を思い出し、速やかに力を注ぎ込むがいい。君の慈愛だけが、この国を救うのだ』
 
 ヴェラは一読すると、その魔導石を無造作に手に取った。
 
 「……聖女の祈り、ですか。殿下は相変わらず、わたくしに『無償の労働』を強いるのがお上手ね」
 
 ナタリエラが、深紅の石を覗き込んで鼻で笑った。
 
 「あんなもの、王都の連中が勝手に意味を持たせているだけだよ。北方の人間からすれば、ただの『熱を出す石』だ」
 
 「良いことをおっしゃるわ、ナタリエラ。カノ、これの出力を調整して、調理場の大鍋の底に固定できるかしら? 油の温度を一定に保つには、薪よりも魔導石の方が効率が良いでしょう?」
 
 
 
 カノは一瞬だけ絶句したが、すぐにヴェラの意図を汲み取った。
 
 「……王家の至宝を、揚げ物の熱源にするのですか。ヴェラ様、貴女という方は」
 
 「あいにく、配役は辞退いたしました。国を救うために祈る役なんて、もう一秒も演じるつもりはございません。ですが、美味しいお菓子を揚げるための『火の番』なら、この石も喜んで務めてくれるはずですわ」
 
 カノは迷いなく魔導石を受け取り、自らの魔力で術式を上書きし始めた。国家を支えるための聖なる術式が、ヴェラの食欲を満たすための「一定温度維持」という卑近な命令へと書き換えられていく。
 
 数分後。厨房からは、じゅわっという心地よい音が聞こえ始めた。
 
 
 
 出来上がった揚げ菓子は、魔導石の完璧な温度管理のおかげで、外は驚くほど軽く、中はしっとりとした最高の仕上がりだった。
 
 ヴェラは揚げたての一つをカノの口元へ差し出した。
 
 「……あ、熱いですわよ。カノ」
 
 カノは戸惑いながらも、ヴェラの指先からそれを受け取った。
 
 「……美味しいです。王都のどんな繊細なデザートよりも、力強く、体を温めてくれます」
 
 「そうでしょう? 誰かのために祈って心を削るより、こうして二人で熱いお菓子を分け合う方が、ずっと人間らしい生活ですわ」
 
 ヴェラは自分も一口頬張り、甘美な熱に瞳を細めた。
 
 王都では今頃、魔導石を送ったことでヴェラが改心すると信じているテオ王子が、期待に胸を膨らませていることだろう。
 
 だが、彼が望んだ「聖女の帰還」という物語は、今この瞬間、油の泡と共に消え去った。
 
 窓の外、吹き荒れる吹雪を見つめながら、ヴェラは確信していた。
 
 どれほど劇的な運命が追いかけてこようとも、彼女がそれを「生活の資材」に変えてしまう限り、その物語の幕が上がることは、永久にないのである。

----
20話まで読んで頂きありがとうございます!途中で離脱せずここまでついてきてくれて嬉しいです!皆様のしおりが次の話に次の話に動くたびに頑張ろうと思えます。本日は0:10までに25話までリリース予定です!

いいね、お気に入り登録頂けると励みになります。
目指せHOTランキング入り!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄から50年後

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。 そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。

【完結】陛下、花園のために私と離縁なさるのですね?

ファンタジー
ルスダン王国の王、ギルバートは今日も執務を妻である王妃に押し付け後宮へと足繁く通う。ご自慢の後宮には3人の側室がいてギルバートは美しくて愛らしい彼女たちにのめり込んでいった。 世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。 ざまぁ必須、微ファンタジーです。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

人生の全てを捨てた王太子妃

八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。 傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。 だけど本当は・・・ 受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。 ※※※幸せな話とは言い難いです※※※ タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。 ※本編六話+番外編六話の全十二話。 ※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした

由香
ファンタジー
追放された悪役令嬢が選んだのは復讐ではなく、母として息子を守ること。 無自覚天才に育った息子は、魔法を遊び感覚で扱い、王国を震撼させてしまう。 再び招かれたのは、かつて母を追放した国。 礼儀正しく圧倒する息子と、静かに完全勝利する母。 これは、親子が選ぶ“最も美しいざまぁ”。

別に要りませんけど?

ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」 そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。 「……別に要りませんけど?」 ※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。 ※なろうでも掲載中

妹は私の婚約者と駆け落ちしました

今川幸乃
恋愛
貧乏貴族ブレンダ男爵家の姉妹、カトリナとジェニーにはラインハルトとレオルという婚約者がいた。 姉カトリナの婚約者ラインハルトはイケメンで女性に優しく、レオルは醜く陰気な性格と評判だった。 そんな姉の婚約者をうらやんだジェニーはラインハルトと駆け落ちすることを選んでしまう。 が、レオルは陰気で不器用ではあるが真面目で有能な人物であった。 彼との協力によりブレンダ男爵家は次第に繁栄していく。 一方ラインハルトと結ばれたことを喜ぶジェニーだったが、彼は好みの女性には節操なく手を出す軽薄な男であることが分かっていくのだった。

処理中です...