あいにく、配役は辞退いたしました

チャビューヘ

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 天を裂くような咆哮が、凍てつく北方の森に響き渡った。
 
 窓の外、白銀の視界を侵食するのは、王都での魔力管理の失敗が産み落とした異形の怪物「氷晶の獣」だ。それはかつてヴェラが一度目の人生で、国を救うために命を削って浄化したものと同じ、不吉な輝きを放っていた。
 
「……しつこいわね。祈れと言って拒絶されたら、今度は物理的にわたくしの安眠を妨害しに来るなんて」
 
 ヴェラは、エナが仕立てた丈夫な外套を羽織り、地下の貯蔵庫を確認した。そこには冬を越すための大切な食料が詰まっている。獣の冷気がここを直撃すれば、すべてが台無しになる。
 
「ヴェラ様、外へ出てはいけません! ここは私が食い止めます」
 
 カノが鋭い目をして斧を握りしめ、ヴェラの前に立ちふさがった。
 
「いいえ、カノ。貴方一人の力では、あの獣の外殻は砕けないわ。……わたくしの指示に従って。あいつの左足の付け根、そこに魔力の『澱み』が集中しているわ。そこを叩けば、一撃で沈むわよ」
 
「……なぜ、それを?」
 
「あいにく、配役は辞退いたしました。聖女として慈愛の光を振りまく役はもう捨てましたが、敵の弱点を突いて効率的に排除する『合理主義者』の役なら、喜んで引き受けますわ」
 
 ヴェラは迷わずカノの手を取り、吹雪の中へと踏み出した。
 
 
 
 獣の放つ凍結の息吹が、ヴェラの頬をかすめる。
 
 その瞬間、カノが背後からヴェラを抱き寄せ、自らの厚手の防寒着で彼女を包み込むようにして地面に伏せた。耳元で、カノの荒い呼吸と、彼の心臓が激しく刻む鼓動が伝わってくる。
 
「……ヴェラ様、無茶だ。貴女に傷一つ付けさせたくないと言ったはずだ!」
 
 カノの声は、これまでの事務的な敬語を忘れ、一人の男としての切実な響きを帯びていた。
 
 ヴェラは、至近距離で見つめ合うカノの瞳の中に、揺るぎない献身と、それ以上の深い情熱を見出した。冷めきっていた彼女の心臓が、北方の寒さを忘れるほど、ドクリと大きく跳ねる。
 
「……でしたら、さっさと終わらせてちょうだい、カノ。今なら、あの隙を突けるわ」
 
 ヴェラの指先が、カノの首元に触れる。
 その体温を糧にするように、カノは弾かれたように立ち上がると、銀光を放つ斧を獣の急所へと一閃させた。
 
 轟音と共に、巨大な獣が結晶の破片となって霧散していく。
 王都の魔術師たちが数人がかりで手こずっていた災厄を、二人はたった数分で、ただの「日常の障害物」として処理してしまったのだ。
 
 
 
 静寂が戻った広場に、新たな馬の蹄の音が近づいてきた。
 
 現れたのは、豪奢な白銀の鎧を纏った一団。先頭に立つのは、王宮騎士団副団長のカスティエラだった。彼は惨状を確認し、そして泥と雪にまみれながらも、カノの腕の中に守られているヴェラの姿を見て絶句した。
 
「ヴェラ様……! ご無事で……。今すぐ王都へお戻りください! 殿下が、聖女の力がなければ国が滅びると嘆いておられます。この魔物の出現こそ、貴女が必要だという神の啓示です!」
 
 カスティエラが跪き、仰々しく手を差し出す。
 だが、ヴェラはカノの腕からゆっくりと離れると、冷ややかな一瞥をくれた。
 
「カスティエラ様。貴方の目は節穴かしら? 神の啓示などではなく、これは単なる管理不足による事故ですわ。それに、わたくしの助けなどなくても、ここにいる管理人一人の力で解決できましたもの」
 
「そ、そんなはずは……! これは聖なる祈りでなければ……」
 
「あいにく、配役は辞退いたしました。国のために祈って倒れる薄幸のヒロインという役は、もう在庫切れですの。わたくしにとって、王都の存亡よりも、今夜カノと一緒に食べる温かいシチューの具材が無事であることの方が、よほど重大な関心事ですわ」
 
 ヴェラはカノに向き直り、柔らかく微笑んだ。
 
「カノ。片付けをしましょう。それから、少し冷えたから、わたくしを暖炉まで運んでくださらない? ……さっきのように、強く抱きしめて」
 
 カノは耳まで赤くしながらも、力強く頷き、ヴェラを軽々と抱き上げた。
 
 背後でカスティエラが何かを叫んでいたが、その声は北方の冷たい風にかき消された。
 
 物語の主役たちがどれほど悲劇を演出しようとも、ヴェラの新しい人生には、確かな熱量を持つ一人の男と、美味しい食事さえあれば、それで十分だったのである。
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