あいにく、配役は辞退いたしました

チャビューヘ

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 北方の冬は、色彩を奪い去る。
 
 窓の外はどこまでも白く、凍てついた空気が肺を刺す。だが、ヴェラの別荘の地下室には、王都の最高機密であるはずの「黄金の輝き」が満ちていた。
 
「……ヴェラ様、これをご覧ください。魔導省が三十年の歳月をかけて開発した『全知の天球』です。本来は千里先を監視するためのものですが……」
 
 ヴァレリアナが、震える手で布を剥いだ。そこには、複雑な術式が刻まれた透き通るような宝珠が鎮座している。
 
「千里先の監視? そんなもの、他人の生活を覗き見して愉悦に浸る悪趣味な方々にしか必要ありませんわね。……ヴァレリアナ、これ、光の波長を調整して、一定の温かさを保つことはできるかしら?」
 
 ヴェラの問いに、ヴァレリアナは目を丸くした。
 
「調整、ですか? この天球は国家防衛のための……」
 
「あいにく、配役は辞退いたしました。国を守るために瞳を凝らす聖女の役も、もう辞めたのです。今のわたくしに必要なのは、冬の間でも摘みたてのミントで淹れるお茶と、瑞々しいイチゴ。……つまり、これを屋敷の温室の『太陽』にするのですわ」
 
 ヴェラの冷徹かつ合理的な提案に、ヴァレリアナは一瞬絶句したが、すぐにその瞳に狂気じみた情熱を宿した。
 
「……面白いです。国家の瞳を、イチゴの養分にする。さっそく術式の書き換えに入りますわ!」
 
 
 
 温室での設置作業は、カノの協力なしには進まなかった。
 
 重厚な石造りの枠組みに魔導具を固定するため、カノは上着を脱ぎ捨て、ヴェラの指示に従って重い機材を持ち上げる。剥き出しになった彼の腕の筋肉が、魔導具の放つ淡い光に照らされ、力強く躍動していた。
 
「……ヴェラ様、もう少し左でしょうか」
 
「ええ、その位置よ。……あら、カノ。額に汗が」
 
 ヴェラは無意識に手を伸ばし、持っていた柔らかな布でカノの額を拭った。
 
 その瞬間、カノの動きが止まる。
 
 二人の距離は、吐息が触れ合うほどに近かった。北方の冷気に晒されているはずの肌が、お互いの体温を求めて微かに熱を帯びる。カノの射抜くような眼差しがヴェラを捉え、彼女の心臓は、王都のどんな舞踏会の音楽よりも激しく、速く、鐘の音のように鳴り響いた。
 
「……ヴェラ様。あまり近づかないでください。……貴女に触れてしまいそうで、自分が怖い」
 
 カノの低く、掠れた声がヴェラの耳を掠める。
 それは忠誠誓う管理人の言葉ではなく、一人の男としての、抑えきれない情動の吐露だった。
 
 
 
 数時間後。
 
 かつては冷え切っていた別荘のサンルームは、奇跡のような常春の空間へと変貌していた。
 
 中央に鎮座する『全知の天球』は、今や「美味しい果実を育てるための照明器具」として、柔らかな光を葉の一枚一枚に注いでいる。
 
「……完璧だわ。ゾラ、アイラを呼んできて。今夜は、この温室で育った冬のハーブをたっぷり使った、お肉の香草焼きが食べたいわ」
 
「畏まりました。……それにしてもヴェラ様、王都の魔術師たちが、この光景を見たら腰を抜かすでしょうね」
 
 ゾラが愉快そうに微笑む。
 
 王都では今頃、消えた魔導遺物を巡って、神殿と王家が互いに疑心暗鬼に陥り、泥沼の責任転嫁を始めていることだろう。テオ王子は、ヴェラを連れ戻すための「強力な力」が失われたことに、今度こそ絶望しているに違いない。
 
 だが、その不毛な混乱は、この温室のガラス一枚を隔てたこちら側には届かない。
 
 ヴェラは、傍らで黙って作業の後片付けをするカノを見つめた。
 
 どれほど劇的な運命が追いかけてこようとも、ヴェラがそれを「美味しい食事と、愛しい誰かとの時間」に変えてしまう限り、その物語の幕が上がることは、二度とないのである。
 
 ヴェラは摘み取ったばかりのミントを一葉、口に含んだ。
 
 清涼な香りが、自由の味と共に、彼女の全身を満たしていった。
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