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温室から放り出されたはずのヴォルフラムが、再び屋敷の重い扉を叩いたのは、太陽が完全に没し、世界が猛烈な白銀の嵐に飲み込まれた頃だった。
「……ヴェラ様、申し訳ございません。この視界では、村までの道さえ判別できず……っ」
玄関ホールに崩れ落ちたヴォルフラムは、甲冑の隙間にまで雪を詰まらせ、唇を紫に変えて震えていた。
ヴェラは、階段の上からその無様な姿を冷ややかに見下ろした。
一度目の人生。
王子の不貞を訴え、逆に反逆の罪を着せられて牢獄に繋がれたヴェラに、唯一、差し入れのパンと温かい毛布を届けてくれたのが、騎士だったヴォルフラムだった。処刑台に向かう彼女に、彼は声を殺して「申し訳ありません」と泣いてくれた。
彼だけは、わたくしを悪役としてではなく、一人の女として見ていてくれた。
「……カノ、彼を客間に。ゾラ、ヴァレリアナに頼んで、彼が凍傷にならないよう魔導式の暖房を最大にさせなさい」
「……よろしいのですか、ヴェラ様。王都の騎士を招き入れれば、また厄介な種を蒔くことになりますが」
カノがヴォルフラムの襟首を掴み上げながら、射抜くような視線をヴェラに向けた。
「遭難者を放置して死なせては、寝覚めが悪いですもの。わたくし、安眠は何物にも代えがたい贅沢だと思っておりますから。……それに、ヴォルフラム様」
ヴェラはゆっくりと階段を降り、震える騎士の目の前で止まった。
「宿代は高くつきますわよ。王都の物語をここに持ち込まないこと。それが条件ですわ」
一時間後、食堂にはアイラが急ぎ用意した、根菜たっぷりのポトフが並んでいた。
ヴォルフラムは、カノに貸し出された無骨な毛織物を羽織り、場違いな騎士の矜持を保とうと背筋を伸ばして座っていた。だが、その隣ではカノが、ヴェラのスープに黒胡椒を振るという、あまりに親密で自然な「日常の動作」を披露している。
「……ヴェラ様、このカブは今朝、私が裏山で掘り出してきたものです。一番甘い芯の部分を多めに入れておきました」
「ありがとう、カノ。貴方の選ぶ野菜に間違いはないわね」
ヴェラが微笑み、匙を口に運ぶ。
その光景を見たヴォルフラムの手が、微かに震えた。
「……ヴェラ様。その男との距離感は、公爵令嬢として、あまりに不用心ではありませんか。王都では、貴女の気高さを称える声が……」
「ヴォルフラム様」
ヴェラは、ぴしゃりと言葉を遮った。
「気高さ? ふふっ、そんなものは、あの冷たい石壁の牢獄には届きませんでしたわ。……貴方が一度だけ届けてくださったあの温かいスープ。わたくし、その恩義だけは忘れておりませんの。ですから、今夜はこうして食事を提供しております。ですが、それ以上は踏み込まないで」
ヴォルフラムは、目を見開いた。彼女が「牢獄」という言葉を口にしたことに、説明のつかない衝撃を受けたようだ。
「あいにく、配役は辞退いたしました。貴方が守ろうとしているのは『かつての公爵令嬢』であって、今の『北方の農婦』であるわたくしではありませんわ」
沈黙が流れる中、カノが静かに口を開いた。
「騎士殿。この地では、肩書きは何の役にも立たない。彼女に必要なのは、空虚な称賛ではなく、明日を生きるための薪と、胃を満たす糧だ。……それを与えられるのは、王都の剣ではなく、私の斧だということを忘れないでいただきたい」
カノの声には、管理人の一線を越えた、明確な独占欲が滲んでいた。
ヴォルフラムは歯噛みし、ヴェラの横顔を見つめる。
「……私は、諦めませんよ。貴女を本当の場所へお連れするまで」
「本当の場所? ふふっ……それは、この屋敷のベッドの中ですわ。わたくし、もう眠たいのです」
ヴェラは立ち上がり、背を向けた。
かつての恩人と、今の守護者。
二人の男が放つ熱い視線が背中に刺さるのを感じながらも、ヴェラはただ、窓の外で荒れ狂う吹雪の音を子守唄にして、深い眠りにつくことだけを考えていた。
劇的な恋の鞘当てなど、今の彼女には、冷めたスープを温め直す手間よりも退屈なことでしかなかった。
----
リリースから2日連続で大量更新。
25話までお読みいただき、本当にありがとうございます。
ここまで物語を追い続けてくださったこと自体が、作者にとって何よりの励みです。山あり谷ありの展開が続きましたが、ここまで読んでいただけたことに、心から感謝しています。
おかげさまで本作はHOTランキング入りを果たすことができました。これは間違いなく、読んでくださった皆様一人ひとりのお力です。本当にありがとうございます。
いいねやお気に入り登録も、日々の執筆の大きな原動力になっています。もし「続きを読んでもいいかな」と感じていただけたら、そっと押していただけると嬉しいです。
また、感想送って頂いてる皆様本当に嬉しいお言葉ありがとうございます。
あらすじ欄にも記載してますが、感想の公開を現在行なっていません。ですが一通一通目を通しています。ありがとうございます。
この先も物語は続いていきます。
また次話でお会いできたら幸いです。
「……ヴェラ様、申し訳ございません。この視界では、村までの道さえ判別できず……っ」
玄関ホールに崩れ落ちたヴォルフラムは、甲冑の隙間にまで雪を詰まらせ、唇を紫に変えて震えていた。
ヴェラは、階段の上からその無様な姿を冷ややかに見下ろした。
一度目の人生。
王子の不貞を訴え、逆に反逆の罪を着せられて牢獄に繋がれたヴェラに、唯一、差し入れのパンと温かい毛布を届けてくれたのが、騎士だったヴォルフラムだった。処刑台に向かう彼女に、彼は声を殺して「申し訳ありません」と泣いてくれた。
彼だけは、わたくしを悪役としてではなく、一人の女として見ていてくれた。
「……カノ、彼を客間に。ゾラ、ヴァレリアナに頼んで、彼が凍傷にならないよう魔導式の暖房を最大にさせなさい」
「……よろしいのですか、ヴェラ様。王都の騎士を招き入れれば、また厄介な種を蒔くことになりますが」
カノがヴォルフラムの襟首を掴み上げながら、射抜くような視線をヴェラに向けた。
「遭難者を放置して死なせては、寝覚めが悪いですもの。わたくし、安眠は何物にも代えがたい贅沢だと思っておりますから。……それに、ヴォルフラム様」
ヴェラはゆっくりと階段を降り、震える騎士の目の前で止まった。
「宿代は高くつきますわよ。王都の物語をここに持ち込まないこと。それが条件ですわ」
一時間後、食堂にはアイラが急ぎ用意した、根菜たっぷりのポトフが並んでいた。
ヴォルフラムは、カノに貸し出された無骨な毛織物を羽織り、場違いな騎士の矜持を保とうと背筋を伸ばして座っていた。だが、その隣ではカノが、ヴェラのスープに黒胡椒を振るという、あまりに親密で自然な「日常の動作」を披露している。
「……ヴェラ様、このカブは今朝、私が裏山で掘り出してきたものです。一番甘い芯の部分を多めに入れておきました」
「ありがとう、カノ。貴方の選ぶ野菜に間違いはないわね」
ヴェラが微笑み、匙を口に運ぶ。
その光景を見たヴォルフラムの手が、微かに震えた。
「……ヴェラ様。その男との距離感は、公爵令嬢として、あまりに不用心ではありませんか。王都では、貴女の気高さを称える声が……」
「ヴォルフラム様」
ヴェラは、ぴしゃりと言葉を遮った。
「気高さ? ふふっ、そんなものは、あの冷たい石壁の牢獄には届きませんでしたわ。……貴方が一度だけ届けてくださったあの温かいスープ。わたくし、その恩義だけは忘れておりませんの。ですから、今夜はこうして食事を提供しております。ですが、それ以上は踏み込まないで」
ヴォルフラムは、目を見開いた。彼女が「牢獄」という言葉を口にしたことに、説明のつかない衝撃を受けたようだ。
「あいにく、配役は辞退いたしました。貴方が守ろうとしているのは『かつての公爵令嬢』であって、今の『北方の農婦』であるわたくしではありませんわ」
沈黙が流れる中、カノが静かに口を開いた。
「騎士殿。この地では、肩書きは何の役にも立たない。彼女に必要なのは、空虚な称賛ではなく、明日を生きるための薪と、胃を満たす糧だ。……それを与えられるのは、王都の剣ではなく、私の斧だということを忘れないでいただきたい」
カノの声には、管理人の一線を越えた、明確な独占欲が滲んでいた。
ヴォルフラムは歯噛みし、ヴェラの横顔を見つめる。
「……私は、諦めませんよ。貴女を本当の場所へお連れするまで」
「本当の場所? ふふっ……それは、この屋敷のベッドの中ですわ。わたくし、もう眠たいのです」
ヴェラは立ち上がり、背を向けた。
かつての恩人と、今の守護者。
二人の男が放つ熱い視線が背中に刺さるのを感じながらも、ヴェラはただ、窓の外で荒れ狂う吹雪の音を子守唄にして、深い眠りにつくことだけを考えていた。
劇的な恋の鞘当てなど、今の彼女には、冷めたスープを温め直す手間よりも退屈なことでしかなかった。
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リリースから2日連続で大量更新。
25話までお読みいただき、本当にありがとうございます。
ここまで物語を追い続けてくださったこと自体が、作者にとって何よりの励みです。山あり谷ありの展開が続きましたが、ここまで読んでいただけたことに、心から感謝しています。
おかげさまで本作はHOTランキング入りを果たすことができました。これは間違いなく、読んでくださった皆様一人ひとりのお力です。本当にありがとうございます。
いいねやお気に入り登録も、日々の執筆の大きな原動力になっています。もし「続きを読んでもいいかな」と感じていただけたら、そっと押していただけると嬉しいです。
また、感想送って頂いてる皆様本当に嬉しいお言葉ありがとうございます。
あらすじ欄にも記載してますが、感想の公開を現在行なっていません。ですが一通一通目を通しています。ありがとうございます。
この先も物語は続いていきます。
また次話でお会いできたら幸いです。
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