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王都の王宮は、かつての華やかさを失い、淀んだ空気と焦燥感に支配されていた。
第一王子テオの寝室。豪華な天蓋付きのベッドに横たわる彼は、頬が削げ、かつての傲慢な美貌は影を潜めていた。魔力の暴走を抑えるための無理な儀式が、彼の生命力を確実に削り取っているのだ。
「……ヴォルフラムは、まだ戻らぬのか。ヴェラを……俺のヴェラを、早く連れてこいと言ったはずだ」
テオの掠れた声に、傍らで跪いていたルミが、震える声で答える。
「殿下、あまり無理をなさらないでください。わたくしが、わたくしがもっと頑張って祈りますから……。ヴェラ様がいなくても、わたくしたちの愛があれば……っ」
「黙れ! 貴様の祈りなど、砂を噛むようなものだ! ヴェラのあの温かな魔力がなければ、俺の体は凍りついてしまう!」
その時、重厚な扉が開き、ボロボロの鎧を纏ったヴォルフラムが入室してきた。
「殿下、ただいま戻りました」
「ヴォルフラム! おお、よくやった。ヴェラはどうした? 外に待たせているのか? すぐに中へ……」
ヴォルフラムは、期待に満ちたテオの視線を避けるように、深く首を垂れた。
「……あいにくですが、ヴェラ様はここにはおられません。それどころか、今後二度と、王都の土を踏むつもりはないと仰せでした」
「何だと……!? あの女、俺がこれほど求めているというのに、まだ意地を張っているというのか!」
ヴォルフラムは無言で、手元に持っていた小さな木箱を差し出した。
「ヴェラ様からの『返礼品』でございます」
テオが震える手で蓋を開けると、中から現れたのは、部屋の淀んだ空気を一変させるような、瑞々しく、芳醇な香りを放つ三粒の真っ赤なイチゴだった。
「これは……イチゴ……? まさか。今は冬の盛りだぞ。王家の温室でさえ、今年は燃料不足で一粒も実っていないというのに!」
「ヴェラ様は、北方の別荘に独自の魔導温室を築き、管理人や料理人、さらには亡命した研究者と共に、このような贅沢を日常として楽しんでおられました。殿下……彼女は救われる必要などなかったのです。彼女が望んでいたのは、王妃の座ではなく、誰にも邪魔されない『美味しい食事』だったのですから」
ルミが、信じられないものを見る目でイチゴを凝視し、それから叫んだ。
「嘘よ! そんなの、魔力を使ったインチキに決まっていますわ! 殿下がこんなに苦しんでいるのに、一人でそんな贅沢をするなんて……なんて悪趣味な女なの!」
ヴォルフラムは、冷ややかな一瞥をルミにくれた。
「悪趣味、ですか。……ルミ様。ヴェラ様は仰っていました。『貴方の愛する聖女様は、このような一粒の果実さえ、ご自身の力では生み出せないのでしょうね』と。このイチゴこそが、貴女と彼女の、決定的な『器の差』の証なのです」
テオは、一粒のイチゴを口に運んだ。
口いっぱいに広がる、暴力的なまでの甘みと生命の輝き。
それは、ヴェラがテオに与えていた「無償の慈愛」がいかに尊く、そして自分がそれをいかに無残に踏みにじったかを、言葉以上に雄弁に物語っていた。
「……ああ、あああああ!」
テオは、咽び泣きながら残りのイチゴを貪るように食べた。だが、その甘みが消えた後には、ただ冷たい後悔と、取り返しのつかない喪失感だけが残った。
物語の主役たちがどれほど絶叫し、偽りの愛を誓い合おうとも。
その舞台に、もう最高の脇役が戻ることはない。
彼女はすでに、極寒の北の地で、信頼する仲間と一人の男に守られながら、新しい世界の「主役」として、幸福な晩餐を続けているのだから。
第一王子テオの寝室。豪華な天蓋付きのベッドに横たわる彼は、頬が削げ、かつての傲慢な美貌は影を潜めていた。魔力の暴走を抑えるための無理な儀式が、彼の生命力を確実に削り取っているのだ。
「……ヴォルフラムは、まだ戻らぬのか。ヴェラを……俺のヴェラを、早く連れてこいと言ったはずだ」
テオの掠れた声に、傍らで跪いていたルミが、震える声で答える。
「殿下、あまり無理をなさらないでください。わたくしが、わたくしがもっと頑張って祈りますから……。ヴェラ様がいなくても、わたくしたちの愛があれば……っ」
「黙れ! 貴様の祈りなど、砂を噛むようなものだ! ヴェラのあの温かな魔力がなければ、俺の体は凍りついてしまう!」
その時、重厚な扉が開き、ボロボロの鎧を纏ったヴォルフラムが入室してきた。
「殿下、ただいま戻りました」
「ヴォルフラム! おお、よくやった。ヴェラはどうした? 外に待たせているのか? すぐに中へ……」
ヴォルフラムは、期待に満ちたテオの視線を避けるように、深く首を垂れた。
「……あいにくですが、ヴェラ様はここにはおられません。それどころか、今後二度と、王都の土を踏むつもりはないと仰せでした」
「何だと……!? あの女、俺がこれほど求めているというのに、まだ意地を張っているというのか!」
ヴォルフラムは無言で、手元に持っていた小さな木箱を差し出した。
「ヴェラ様からの『返礼品』でございます」
テオが震える手で蓋を開けると、中から現れたのは、部屋の淀んだ空気を一変させるような、瑞々しく、芳醇な香りを放つ三粒の真っ赤なイチゴだった。
「これは……イチゴ……? まさか。今は冬の盛りだぞ。王家の温室でさえ、今年は燃料不足で一粒も実っていないというのに!」
「ヴェラ様は、北方の別荘に独自の魔導温室を築き、管理人や料理人、さらには亡命した研究者と共に、このような贅沢を日常として楽しんでおられました。殿下……彼女は救われる必要などなかったのです。彼女が望んでいたのは、王妃の座ではなく、誰にも邪魔されない『美味しい食事』だったのですから」
ルミが、信じられないものを見る目でイチゴを凝視し、それから叫んだ。
「嘘よ! そんなの、魔力を使ったインチキに決まっていますわ! 殿下がこんなに苦しんでいるのに、一人でそんな贅沢をするなんて……なんて悪趣味な女なの!」
ヴォルフラムは、冷ややかな一瞥をルミにくれた。
「悪趣味、ですか。……ルミ様。ヴェラ様は仰っていました。『貴方の愛する聖女様は、このような一粒の果実さえ、ご自身の力では生み出せないのでしょうね』と。このイチゴこそが、貴女と彼女の、決定的な『器の差』の証なのです」
テオは、一粒のイチゴを口に運んだ。
口いっぱいに広がる、暴力的なまでの甘みと生命の輝き。
それは、ヴェラがテオに与えていた「無償の慈愛」がいかに尊く、そして自分がそれをいかに無残に踏みにじったかを、言葉以上に雄弁に物語っていた。
「……ああ、あああああ!」
テオは、咽び泣きながら残りのイチゴを貪るように食べた。だが、その甘みが消えた後には、ただ冷たい後悔と、取り返しのつかない喪失感だけが残った。
物語の主役たちがどれほど絶叫し、偽りの愛を誓い合おうとも。
その舞台に、もう最高の脇役が戻ることはない。
彼女はすでに、極寒の北の地で、信頼する仲間と一人の男に守られながら、新しい世界の「主役」として、幸福な晩餐を続けているのだから。
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