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前夜祭と密談は、記録されていた
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【帝国宮廷官報 帝国歴四〇三年 冬 第二の月 7日】
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皇帝陛下・皇后殿下、婚礼式典まで残り1日
本日は最終リハーサル、および前夜祭が執り行われます。
各国代表の皆様におかれましては、前夜祭より「愛の防御具」の着用をお願いいたします。
これは明日の式典に向けた予行演習であり、陛下の威光に慣れていただくための措置です。
なお、リハーサル中に発生した凍結現象は、全て設備の問題です。
帝国宮廷府
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【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 同日 早朝】
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結婚式まで、あと1日。
リハーサルが始まった。
私は、祭壇の傍らで記録を取っていた。
神官が、式次第を読み上げる。
「では、陛下。祭壇へお進みください」
ジークハルト陛下が、一歩を踏み出した。
その瞬間。
パキン、と小さな音がした。
足元に、霜が広がっていた。
「陛下」
神官の声が、わずかに震えた。
「足元が」
「問題ない」
陛下は、もう一歩を踏み出した。
パキン。
パキン。
パキン。
陛下の足跡を追うように、白い結晶が階段を這い上がっていく。
まるで、陛下の心臓の鼓動を刻むかのように。
「陛下!」
財務大臣が、悲鳴を上げた。
「祭壇がスケートリンクになっております!」
「余は緊張などしておらぬ」
陛下の声は、いつも通り冷静だった。
しかし、足元の氷は嘘をつかない。
一歩ごとに、霜が厚くなっていく。
「あなた」
皇后殿下の声が、響いた。
陛下が、振り返る。
「深呼吸ですわ」
殿下は、穏やかに微笑んでいた。
「敵を凍らせる時と、同じ顔をしていますわよ」
「……そうか」
陛下は、目を閉じた。
深く、息を吸う。
ゆっくりと、吐き出す。
足元の霜が、少しずつ溶けていった。
「ティアラ」
「はい」
「お前が隣にいれば、大丈夫だ」
殿下は、静かに頷いた。
「いつでも、お傍におりますわ」
リハーサルは、その後も続いた。
陛下は、誓いの言葉の練習で三回噛んだ。
指輪を落としそうになった。
誓いの口づけの角度を、十七回やり直した。
世界最強の皇帝が、結婚式には勝てないらしい。
私は、胃薬を飲んだ。
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【映像ログ014-A 帝国宮殿 大広間 同日 午後7:00】
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送信元:帝国記録局 第一班
映像品質:良好(ただし画面が暗い)
配信範囲:帝国内限定
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(映像開始)
大広間。
前夜祭の会場だ。
シャンデリアが煌めき、楽団が優雅な音楽を奏でている。
しかし、何かがおかしい。
招待客の全員が、黒い眼鏡をかけていた。
ネルヴァス商業連合の代表、マルクス。
闇国の使節団。
周辺諸国の大使たち。
一人残らず、黒眼鏡だ。
「……異様だ」
ハインリヒの声が、小さく漏れた。
「ここは、どこの裏組織ですか」
しかし、誰も気にしていなかった。
全員が、大真面目に談笑している。
「いい取引ができそうですな」
マルクスが、黒眼鏡越しに笑った。
「明日の式典が、楽しみでなりません」
「こちらこそ」
闇国の使節が、グラスを掲げた。
「歴史的瞬間に立ち会えることを、光栄に思います」
完全に、怪しい組織の会合だった。
しかし、全員が「愛の防御具」を着用しているのには、理由がある。
明日への予行演習だ。
そして、陛下の「愛の威光」に、少しでも慣れておくため。
正気を保つための、予防措置である。
「殿下」
マルクスが、皇后殿下に近づいた。
「素晴らしい前夜祭ですな」
「ありがとうございます」
殿下は、柔らかく笑った。
彼女だけが、黒眼鏡をかけていなかった。
当然だ。
彼女は、「愛の威光」の発生源なのだから。
「明日は、さらに素晴らしい日になりますわ」
「期待しております」
マルクスは、深々と頭を下げた。
その時。
会場の入り口に、一人の男が現れた。
金色の髪。
碧い瞳。
整った顔立ち。
フェリックス。
彼だけが、黒眼鏡をかけていなかった。
そして、素顔のまま、真っ直ぐに殿下へ向かってきた。
(画面隅に小窓が現れる:記録官が「嫌な予感がする」と囁いている)
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【映像ログ014-B 大広間 会場の片隅 同日 午後7:30】
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送信元:帝国記録局 第一班
映像品質:良好
配信範囲:帝国内限定
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(映像開始)
会場の片隅。
皇后殿下とフェリックスが、向かい合っていた。
「殿下」
フェリックスは、穏やかに微笑んだ。
「明日の式典に、特別なゲストをお呼びしました」
殿下の表情は、変わらなかった。
「招待客リストには、ない方ですわね」
「ええ」
フェリックスは、グラスを傾けた。
「アルベルト兄上の……元・婚約者候補だった女性です」
間が生まれた。
「彼女は、兄に捨てられました」
フェリックスの声は、どこか憂いを帯びていた。
「身を持ち崩し、帝都の片隅で惨めに暮らしていた。私が、偶然見つけて保護したのです」
「それは、ご立派なことですわ」
「彼女は、明日の式典を見届けたいと願っています」
フェリックスは、殿下を見た。
「悪役令嬢と呼ばれた貴女が、どれほど幸せになったか。自分の目で確かめたいと」
「なるほど」
殿下は、紅茶を一口飲んだ。
「それで、私に何を望まれますの?」
「彼女に、席を用意していただきたい」
フェリックスの口元が、わずかに緩んだ。
「式典の最中に、彼女を紹介させてください。アルベルト兄上の犠牲者として。そして、貴女の慈悲を乞わせてください」
沈黙が、二人の間に落ちた。
「もし、貴女が彼女を冷たくあしらえば」
フェリックスの目が、わずかに細くなった。
「各国の代表は、貴女の『冷酷さ』を目撃することになる。かつての悪役令嬢は、やはり悪女だったと」
「ええ」
「しかし、もし受け入れれば」
「式の進行が崩れますわね」
殿下は、淡々と言った。
「どちらを選んでも、私が損をする」
「そういうことです」
フェリックスは、グラスを置いた。
「さて、どうなさいますか?」
殿下は、しばらく沈黙していた。
そして。
くすりと、笑った。
「楽しい方ですわね、フェリックス殿下」
「は?」
「その女性、ぜひお連れくださいませ」
フェリックスの目が、かすかに見開かれた。
「……よろしいのですか?」
「もちろんですわ」
殿下は、唇の端を持ち上げた。
「彼女には、最高の席をご用意いたしますわ」
「しかし、式の進行が」
「問題ありませんわ」
殿下は、グラスを傾けた。
「むしろ、感謝いたしますわ。素敵なサプライズになりそうですもの」
フェリックスは、言葉を失った。
その表情に、初めて戸惑いが浮かんだ。
「……何を、考えていらっしゃるのですか」
「さあ」
殿下は、首を傾げた。
「明日のお楽しみ、ですわ」
彼女は、優雅に立ち上がった。
「では、陛下のもとへ戻りますわね。素敵な夜を」
殿下は、去っていった。
フェリックスは、その背中を見つめていた。
そして、低く笑った。
「面白い」
(映像終了)
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【ヴァルトシュタイン帝国 城下町 掲示板】
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【画像あり】前夜祭の様子が完全にマフィアの会合な件
1:名無しの帝国民
前夜祭の映像見たか
2:名無しの帝国民
見た
3:名無しの帝国民
全員黒眼鏡で草
4:名無しの帝国民
怖すぎる
5:名無しの帝国民
裏社会の集まりかよ
6:名無しの帝国民
>>5
各国の要人だぞ
7:名無しの帝国民
要人(黒眼鏡)
8:名無しの帝国民
シュールすぎる
9:名無しの帝国民
でもあれがないと失明するからな
10:名無しの帝国民
陛下の愛が眩しすぎて
11:名無しの帝国民
物理的に眩しい
12:名無しの帝国民
皇后様だけ素顔だった
13:名無しの帝国民
>>12
そりゃそうだ
14:名無しの帝国民
愛の発生源だからな
15:名無しの帝国民
なるほど
16:名無しの帝国民
フェリックス王子も素顔だったぞ
17:名無しの帝国民
>>16
マジ?
18:名無しの帝国民
見たわ
19:名無しの帝国民
何考えてんだあいつ
20:名無しの帝国民
失明覚悟か?
21:名無しの帝国民
それとも何か仕掛けてくる気か
22:名無しの帝国民
>>21
絶対後者だろ
23:名無しの帝国民
皇后様と話してたらしい
24:名無しの帝国民
何話したんだ
25:名無しの帝国民
>>24
分からん
26:名無しの帝国民
でも皇后様、笑ってたって
27:名無しの帝国民
笑ってた?
28:名無しの帝国民
余裕の笑みってやつか
29:名無しの帝国民
怖い
30:名無しの帝国民
でも好き
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【陛下、リハーサルで祭壇をスケートリンクにする】
31:名無しの帝国民
リハーサル見た奴いる?
32:名無しの帝国民
いる
33:名無しの帝国民
どうだった
34:名無しの帝国民
>>33
陛下が緊張しすぎて氷出しまくってた
35:名無しの帝国民
草
36:名無しの帝国民
世界最強の皇帝が?
37:名無しの帝国民
緊張してんのかよ
38:名無しの帝国民
可愛いな
39:名無しの帝国民
一歩歩くたびに霜が広がってたって
40:名無しの帝国民
雪の精霊かよ
41:名無しの帝国民
誓いの言葉も三回噛んだらしい
42:名無しの帝国民
マジかよ
43:名無しの帝国民
指輪も落としそうになったって
44:名無しの帝国民
陛下ーーーーーー
45:名無しの帝国民
皇后様が「深呼吸ですわ」って言ったら落ち着いたらしい
46:名無しの帝国民
尊い
47:名無しの帝国民
明日大丈夫なのか
48:名無しの帝国民
>>47
皇后様がいれば大丈夫だろ
49:名無しの帝国民
それな
50:名無しの帝国民
最強夫婦だからな
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【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 続き】
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前夜祭の後、私は殿下に呼び出された。
「ハインリヒ様」
殿下は、いつもの穏やかな笑顔だった。
「少し、お手伝いをお願いしたいのですが」
「何なりと」
「フェリックス殿下が、明日の式典に『ゲスト』をお連れになるそうですの」
私は、眉をひそめた。
「ゲスト、ですか」
「ええ。アルベルトの元・婚約者候補だった女性ですわ」
殿下は、窓の外を見た。
「彼女を使って、式の進行を乱そうとしているのでしょう」
「殿下、それは」
「大丈夫ですわ」
殿下は、振り返った。
「むしろ、チャンスですもの」
「チャンス、ですか」
「ええ」
殿下は、小さな笑みを浮かべた。
「彼女は、きっと借金か何かで縛られているのでしょう。フェリックス殿下に逆らえない状況に置かれている」
「では」
「解放して差し上げますわ」
殿下の目が、冷たく輝いた。
「フェリックス殿下が用意した『被害者』を、私たちの味方に変えるのです」
私は、息を飲んだ。
「どのように」
「明日、式典の最中に彼女が現れたら」
殿下は、指を一本立てた。
「私が、彼女を抱きしめます」
「は?」
「そして、こう言いますの。『よく来てくださいました。貴女は私の大切な客人ですわ』と」
私は、言葉を失った。
「彼女が何を言おうとしても、私が先に『歓迎』してしまえば、フェリックス殿下の筋書きは崩れますわ」
「しかし、殿下」
「それだけではありませんの」
殿下は、二本目の指を立てた。
「彼女の借金を、帝国が肩代わりします」
「借金を?」
「ええ。その場で、陛下に宣言していただきますの。『この女性は、帝国の賓客である。その負債は、余が引き受ける』と」
私の頭が、追いつかなかった。
「そうすれば、彼女はフェリックス殿下の駒ではなくなりますわ」
殿下は、微笑んだ。
「むしろ、帝国に恩義を感じる存在になる。そして、アルベルトの悪行を証言する『味方』に変わるのです」
「殿下」
「敵が用意した武器を、そのまま奪い取る。それが、一番効率的ですわ」
私は、震えを覚えた。
この方は、本当に恐ろしい。
しかし、同時に。
美しかった。
「ハインリヒ様」
「はい」
「陛下には、まだ内緒にしておいてくださいませ」
「なぜでしょうか」
「陛下が知れば、今夜中にフェリックス殿下を凍らせてしまいますもの」
殿下は、困ったように笑った。
「明日の式典が、台無になりますわ」
私は、深く頷いた。
「……承知いたしました」
「ありがとうございます」
殿下は、立ち上がった。
「では、私は陛下のもとへ戻りますわね」
「殿下」
「はい?」
「……明日は、きっと素晴らしい日になります」
殿下の目が、ふっと和らいだ。
「ええ。そうなるように、いたしますわ」
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【音声ログ014-C 帝国宮殿 客室棟 同日 午後9:00】
-----
送信元:不明
音声品質:良好
配信範囲:極秘
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(音声開始)
扉が閉まる音。
結界が張られる気配。
「殿下、お戻りですか」
側近の声。
「ああ」
フェリックスの声には、複雑な響きがあった。
「前夜祭は、いかがでしたか」
「興味深かった」
足音が、窓際へ移動する。
「彼女は、僕の提案を受け入れた」
「それは、良かったです」
「いや」
窓を開ける音。
冷たい夜風が入り込む気配。
「良くない」
「殿下?」
「あの女は、笑っていた」
フェリックスの声が、低くなった。
「僕の提案を聞いて、むしろ喜んでいた。『素敵なサプライズになりそう』と」
「それは」
「つまり、僕の策は既に読まれている」
間が生まれた。
「彼女は、僕が用意した駒を、そのまま奪い取るつもりだ」
「どのようにでしょうか」
「分からない。だが、分かっていることが一つある」
窓を閉める音。
「僕は、彼女に勝てない」
側近が、息を飲む気配。
「殿下」
「いや、違うな」
フェリックスの声に、笑いが混じった。
「勝てないのではない。勝つ気がないのかもしれない」
「殿下、何を」
「僕は、何のためにこんなことをしているんだろう」
足音が、部屋を横切る。
「最初は、帝国との交渉材料を得るためだった。彼女の弱みを握り、有利な条件を引き出す」
「はい」
「しかし、今は違う」
椅子に座る音。
「彼女と戦うこと自体が、楽しくなってしまった」
「殿下」
「おかしな話だ。僕は、負けると分かっている戦いを、わざわざ仕掛けている」
低い笑い声。
「まるで、蛾が火に向かうようだな」
「殿下、危険です」
「分かっている」
グラスを置く音。
「だから、明日で終わりにする」
「終わり、ですか」
「ああ。明日の策が失敗したら、僕は潔く負けを認める」
「しかし」
「そして、彼女に正式に謝罪する」
側近が、驚く気配。
「殿下、それは」
「フローレンスの王位継承者として、帝国皇后に謝罪する。これまでの非礼を詫び、友好関係を築くことを誓う」
「国王陛下は」
「兄を支持していたのは、父上の取り巻きだ。彼らは、既に力を失っている」
フェリックスの声が、冷静になった。
「フローレンスには、帝国との対立を続ける余力がない。賢い選択をするなら、今だ」
「殿下」
「僕は、最後に一つだけ試したいことがある」
「何でしょうか」
「彼女の『本気』を見たい」
グラスを傾ける音。
「僕の策を、彼女がどう潰すか。その瞬間を、この目で見届けたい」
「殿下」
「それで満足だ。負けても、悔いはない」
窓を開ける音。
「さて、明日に備えて休むか」
「おやすみなさいませ、殿下」
「ああ。おやすみ」
(音声終了)
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【映像ログ014-D 帝国宮殿 皇帝寝室 同日 午後11:00】
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送信元:帝国記録局 第一班
映像品質:暗い
配信範囲:極秘
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(映像開始)
皇帝寝室。
暖炉の火が、揺らめいている。
大きな寝台に、二つの影があった。
「本来なら、別々に過ごすべきなのでしょうね」
ティアラの声が、響いた。
「結婚式の前夜は」
「知らぬ」
ジークハルトの声は、素っ気なかった。
「余は、お前と離れたくない」
「陛下」
「明日は、世界中が余たちを見る」
彼の腕が、ティアラを抱き寄せた。
「だから、今夜くらいは二人きりでいたい」
「……はい」
ティアラは、彼の胸に顔を埋めた。
「陛下」
「何だ」
「緊張なさっていますか」
「……少し」
ジークハルトの声が、珍しく正直だった。
「誓いの言葉を、噛まないか心配だ」
「リハーサルでは、三回噛みましたわね」
「うるさい」
ティアラが、くすくすと笑った。
「大丈夫ですわ」
「なぜ分かる」
「私がいますもの」
彼女は、彼を見上げた。
「私の顔だけを見ていてください。そうすれば、きっと大丈夫」
「……そうか」
ジークハルトは、彼女の髪を撫でた。
「ティアラ」
「はい」
「明日、何か起きるのか」
ティアラの身体が、わずかに硬くなった。
「なぜ、そう思われますの」
「お前が、ハインリヒと話していたからだ」
「見ていらしたのですか」
「余の目は、お前しか見ておらぬ」
ジークハルトは、彼女の頬に触れた。
「何か隠しているな」
「……はい」
「教えてくれぬか」
「陛下が知れば、フェリックスを凍らせてしまいますわ」
「当然だ」
「ですから、内緒ですの」
ティアラは、穏やかに目を細めた。
「でも、一つだけお約束いたしますわ」
「何を」
「明日、何が起きても、私たちは幸せになります」
彼女は、彼の手を握った。
「フェリックス殿下が何を仕掛けてきても、私が対処いたしますわ。陛下は、私を信じてくださいませ」
「……信じている」
ジークハルトは、深く息を吐いた。
「お前のことなら、何でも信じる」
「ありがとうございます」
「しかし」
彼の目が、鋭くなった。
「もし、お前が傷つけられそうになったら」
「はい」
「余は、何があっても守る」
彼女は、静かに頷いた。
「分かっておりますわ」
「共に戦うのだろう?」
「ええ」
ティアラは、彼の胸に顔を戻した。
「共に戦い、共に勝ちましょう」
暖炉の火が、パチリと音を立てた。
「おやすみなさいませ、私の陛下」
「ああ。おやすみ、余の妻」
窓の外では、雪が降り始めていた。
ダイヤモンドダストのように、細かく、美しく。
まるで、明日を祝福するかのように。
(映像終了)
-----
【極秘ログ──送信者不明】
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記録日時:帝国歴四〇三年 冬 第二の月 7日 深夜11:59
ファイル名:[解析不能]
送信元:[解析不能]
送信先:[解析不能]
-----
(音声のみ)
香を焚く音。
甘い煙が、立ち上る気配。
「明日ですわね」
女の声。
夜に溶けるような呟き。
「ついに、この日が来ました」
衣擦れの音。
窓辺に立つ気配。
「フェリックス殿下の策は、もう見えています」
小さな笑い声。
「『被害者』を連れてきて、私の冷酷さを暴こうとしている。でも」
香が、パチリと弾ける音。
「私は、その『被害者』を救い出しますわ」
足音が、ゆっくりと移動する。
「アルベルトに捨てられた女性。借金で縛られ、フェリックス殿下の駒にされた哀れな方」
窓を開ける音。
冷たい夜風と共に、雪の匂いが入り込む気配。
「彼女を解放し、私の味方にする。フェリックス殿下の武器を、そのまま奪い取りますわ」
息をつく音。
「そして、世界中の人々に見せてあげますの」
女の声が、冷たくなった。
「私が、どれほど『慈悲深い』皇后か」
喉の奥で笑いを漏らす気配。
「フェリックス殿下。明日は、楽しみましょうね」
窓を閉める音。
「私の舞台に、ようこそ」
別の部屋に入る気配。
「陛下」
女の声が、柔らかくなった。
「まだ起きていらっしゃいましたか」
「待っておった」
低い男の声。
穏やかな響き。
「お前がいないと、眠れぬ」
「まあ」
布団に潜り込む気配。
「陛下、明日は大事な日ですわよ。早くお休みにならないと」
「分かっている」
衣擦れの音。
抱き寄せる気配。
「しかし、まだ言っておくことがある」
「何ですか」
「明日、世界中がお前を見る」
男の声が、低くなった。
「しかし、余だけがお前を抱きしめられる」
「陛下」
「それが、余の誇りだ」
女の唇が、弧を描く気配。
「私も、同じですわ」
「うむ」
「明日は、最高の日になります」
「ああ」
静かな笑い声。
「おやすみなさいませ、私の陛下」
「ああ。おやすみ、余の妻」
(ログ終了)
(このファイルは自動消去されました)
-----
【次回予告】
ついに、運命の結婚式。
「皇帝陛下、皇后殿下。ご入場です」
世界中が見守る中、二人は祭壇へと歩み出す。
しかし、式の最中に「招かれざる客」が現れる。
「お、お願いです……! 私の話を聞いてください……!」
泣き崩れる女性。
困惑する招待客たち。
そして、勝利を確信するフェリックスの微笑み。
だが。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
ティアラは、その女性を抱きしめた。
「貴女は、私の大切な客人ですわ」
フェリックス「……何を」
ジークハルト「この女性の負債は、余が引き受ける」
招待客たち「おおおお!」
フェリックスの策が、完全に裏目に出る。
ティアラ「敵の武器は、奪うものですわ」
フェリックス「……完敗だ」
ジークハルト「余の妻を侮ったな」
そして、誓いのくちづけ。
第15話「結婚式と逆転は、記録されていた」
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【おまけ:帝国宮殿 大厨房 同日 深夜】
-----
深夜の大厨房。
5メートルのケーキが、月明かりの中で鎮座していた。
その前に、二つの影があった。
財務大臣と、料理長だ。
「……明日、これを運ぶのですね」
財務大臣が、呟いた。
「はい」
料理長が、頷いた。
「壁を透過させて」
「はい」
「陛下の魔力で」
「はい」
二人は、ケーキを見上げた。
「……成功すると思いますか」
「分かりません」
「ですよね」
財務大臣は、溜息をついた。
「しかし、一つだけ確かなことがあります」
「何ですか」
「このケーキが無事に会場に届いたら」
財務大臣は、懐から瓶を取り出した。
「私は、この胃薬を飲み干します」
「それは、お祝いですか」
「安堵です」
料理長は、ゆっくりと頷いた。
「私もいただけますか」
「もちろん」
二人は、ケーキを見上げた。
「……明日が、無事に終わりますように」
「ええ」
ケーキは、沈黙を守っていた。
当然だ。
まだ凍っているのだから。
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皇帝陛下・皇后殿下、婚礼式典まで残り1日
本日は最終リハーサル、および前夜祭が執り行われます。
各国代表の皆様におかれましては、前夜祭より「愛の防御具」の着用をお願いいたします。
これは明日の式典に向けた予行演習であり、陛下の威光に慣れていただくための措置です。
なお、リハーサル中に発生した凍結現象は、全て設備の問題です。
帝国宮廷府
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【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 同日 早朝】
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結婚式まで、あと1日。
リハーサルが始まった。
私は、祭壇の傍らで記録を取っていた。
神官が、式次第を読み上げる。
「では、陛下。祭壇へお進みください」
ジークハルト陛下が、一歩を踏み出した。
その瞬間。
パキン、と小さな音がした。
足元に、霜が広がっていた。
「陛下」
神官の声が、わずかに震えた。
「足元が」
「問題ない」
陛下は、もう一歩を踏み出した。
パキン。
パキン。
パキン。
陛下の足跡を追うように、白い結晶が階段を這い上がっていく。
まるで、陛下の心臓の鼓動を刻むかのように。
「陛下!」
財務大臣が、悲鳴を上げた。
「祭壇がスケートリンクになっております!」
「余は緊張などしておらぬ」
陛下の声は、いつも通り冷静だった。
しかし、足元の氷は嘘をつかない。
一歩ごとに、霜が厚くなっていく。
「あなた」
皇后殿下の声が、響いた。
陛下が、振り返る。
「深呼吸ですわ」
殿下は、穏やかに微笑んでいた。
「敵を凍らせる時と、同じ顔をしていますわよ」
「……そうか」
陛下は、目を閉じた。
深く、息を吸う。
ゆっくりと、吐き出す。
足元の霜が、少しずつ溶けていった。
「ティアラ」
「はい」
「お前が隣にいれば、大丈夫だ」
殿下は、静かに頷いた。
「いつでも、お傍におりますわ」
リハーサルは、その後も続いた。
陛下は、誓いの言葉の練習で三回噛んだ。
指輪を落としそうになった。
誓いの口づけの角度を、十七回やり直した。
世界最強の皇帝が、結婚式には勝てないらしい。
私は、胃薬を飲んだ。
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【映像ログ014-A 帝国宮殿 大広間 同日 午後7:00】
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送信元:帝国記録局 第一班
映像品質:良好(ただし画面が暗い)
配信範囲:帝国内限定
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(映像開始)
大広間。
前夜祭の会場だ。
シャンデリアが煌めき、楽団が優雅な音楽を奏でている。
しかし、何かがおかしい。
招待客の全員が、黒い眼鏡をかけていた。
ネルヴァス商業連合の代表、マルクス。
闇国の使節団。
周辺諸国の大使たち。
一人残らず、黒眼鏡だ。
「……異様だ」
ハインリヒの声が、小さく漏れた。
「ここは、どこの裏組織ですか」
しかし、誰も気にしていなかった。
全員が、大真面目に談笑している。
「いい取引ができそうですな」
マルクスが、黒眼鏡越しに笑った。
「明日の式典が、楽しみでなりません」
「こちらこそ」
闇国の使節が、グラスを掲げた。
「歴史的瞬間に立ち会えることを、光栄に思います」
完全に、怪しい組織の会合だった。
しかし、全員が「愛の防御具」を着用しているのには、理由がある。
明日への予行演習だ。
そして、陛下の「愛の威光」に、少しでも慣れておくため。
正気を保つための、予防措置である。
「殿下」
マルクスが、皇后殿下に近づいた。
「素晴らしい前夜祭ですな」
「ありがとうございます」
殿下は、柔らかく笑った。
彼女だけが、黒眼鏡をかけていなかった。
当然だ。
彼女は、「愛の威光」の発生源なのだから。
「明日は、さらに素晴らしい日になりますわ」
「期待しております」
マルクスは、深々と頭を下げた。
その時。
会場の入り口に、一人の男が現れた。
金色の髪。
碧い瞳。
整った顔立ち。
フェリックス。
彼だけが、黒眼鏡をかけていなかった。
そして、素顔のまま、真っ直ぐに殿下へ向かってきた。
(画面隅に小窓が現れる:記録官が「嫌な予感がする」と囁いている)
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【映像ログ014-B 大広間 会場の片隅 同日 午後7:30】
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送信元:帝国記録局 第一班
映像品質:良好
配信範囲:帝国内限定
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(映像開始)
会場の片隅。
皇后殿下とフェリックスが、向かい合っていた。
「殿下」
フェリックスは、穏やかに微笑んだ。
「明日の式典に、特別なゲストをお呼びしました」
殿下の表情は、変わらなかった。
「招待客リストには、ない方ですわね」
「ええ」
フェリックスは、グラスを傾けた。
「アルベルト兄上の……元・婚約者候補だった女性です」
間が生まれた。
「彼女は、兄に捨てられました」
フェリックスの声は、どこか憂いを帯びていた。
「身を持ち崩し、帝都の片隅で惨めに暮らしていた。私が、偶然見つけて保護したのです」
「それは、ご立派なことですわ」
「彼女は、明日の式典を見届けたいと願っています」
フェリックスは、殿下を見た。
「悪役令嬢と呼ばれた貴女が、どれほど幸せになったか。自分の目で確かめたいと」
「なるほど」
殿下は、紅茶を一口飲んだ。
「それで、私に何を望まれますの?」
「彼女に、席を用意していただきたい」
フェリックスの口元が、わずかに緩んだ。
「式典の最中に、彼女を紹介させてください。アルベルト兄上の犠牲者として。そして、貴女の慈悲を乞わせてください」
沈黙が、二人の間に落ちた。
「もし、貴女が彼女を冷たくあしらえば」
フェリックスの目が、わずかに細くなった。
「各国の代表は、貴女の『冷酷さ』を目撃することになる。かつての悪役令嬢は、やはり悪女だったと」
「ええ」
「しかし、もし受け入れれば」
「式の進行が崩れますわね」
殿下は、淡々と言った。
「どちらを選んでも、私が損をする」
「そういうことです」
フェリックスは、グラスを置いた。
「さて、どうなさいますか?」
殿下は、しばらく沈黙していた。
そして。
くすりと、笑った。
「楽しい方ですわね、フェリックス殿下」
「は?」
「その女性、ぜひお連れくださいませ」
フェリックスの目が、かすかに見開かれた。
「……よろしいのですか?」
「もちろんですわ」
殿下は、唇の端を持ち上げた。
「彼女には、最高の席をご用意いたしますわ」
「しかし、式の進行が」
「問題ありませんわ」
殿下は、グラスを傾けた。
「むしろ、感謝いたしますわ。素敵なサプライズになりそうですもの」
フェリックスは、言葉を失った。
その表情に、初めて戸惑いが浮かんだ。
「……何を、考えていらっしゃるのですか」
「さあ」
殿下は、首を傾げた。
「明日のお楽しみ、ですわ」
彼女は、優雅に立ち上がった。
「では、陛下のもとへ戻りますわね。素敵な夜を」
殿下は、去っていった。
フェリックスは、その背中を見つめていた。
そして、低く笑った。
「面白い」
(映像終了)
-----
【ヴァルトシュタイン帝国 城下町 掲示板】
-----
【画像あり】前夜祭の様子が完全にマフィアの会合な件
1:名無しの帝国民
前夜祭の映像見たか
2:名無しの帝国民
見た
3:名無しの帝国民
全員黒眼鏡で草
4:名無しの帝国民
怖すぎる
5:名無しの帝国民
裏社会の集まりかよ
6:名無しの帝国民
>>5
各国の要人だぞ
7:名無しの帝国民
要人(黒眼鏡)
8:名無しの帝国民
シュールすぎる
9:名無しの帝国民
でもあれがないと失明するからな
10:名無しの帝国民
陛下の愛が眩しすぎて
11:名無しの帝国民
物理的に眩しい
12:名無しの帝国民
皇后様だけ素顔だった
13:名無しの帝国民
>>12
そりゃそうだ
14:名無しの帝国民
愛の発生源だからな
15:名無しの帝国民
なるほど
16:名無しの帝国民
フェリックス王子も素顔だったぞ
17:名無しの帝国民
>>16
マジ?
18:名無しの帝国民
見たわ
19:名無しの帝国民
何考えてんだあいつ
20:名無しの帝国民
失明覚悟か?
21:名無しの帝国民
それとも何か仕掛けてくる気か
22:名無しの帝国民
>>21
絶対後者だろ
23:名無しの帝国民
皇后様と話してたらしい
24:名無しの帝国民
何話したんだ
25:名無しの帝国民
>>24
分からん
26:名無しの帝国民
でも皇后様、笑ってたって
27:名無しの帝国民
笑ってた?
28:名無しの帝国民
余裕の笑みってやつか
29:名無しの帝国民
怖い
30:名無しの帝国民
でも好き
-----
【陛下、リハーサルで祭壇をスケートリンクにする】
31:名無しの帝国民
リハーサル見た奴いる?
32:名無しの帝国民
いる
33:名無しの帝国民
どうだった
34:名無しの帝国民
>>33
陛下が緊張しすぎて氷出しまくってた
35:名無しの帝国民
草
36:名無しの帝国民
世界最強の皇帝が?
37:名無しの帝国民
緊張してんのかよ
38:名無しの帝国民
可愛いな
39:名無しの帝国民
一歩歩くたびに霜が広がってたって
40:名無しの帝国民
雪の精霊かよ
41:名無しの帝国民
誓いの言葉も三回噛んだらしい
42:名無しの帝国民
マジかよ
43:名無しの帝国民
指輪も落としそうになったって
44:名無しの帝国民
陛下ーーーーーー
45:名無しの帝国民
皇后様が「深呼吸ですわ」って言ったら落ち着いたらしい
46:名無しの帝国民
尊い
47:名無しの帝国民
明日大丈夫なのか
48:名無しの帝国民
>>47
皇后様がいれば大丈夫だろ
49:名無しの帝国民
それな
50:名無しの帝国民
最強夫婦だからな
-----
【帝国記録官 ハインリヒの私的メモ 続き】
-----
前夜祭の後、私は殿下に呼び出された。
「ハインリヒ様」
殿下は、いつもの穏やかな笑顔だった。
「少し、お手伝いをお願いしたいのですが」
「何なりと」
「フェリックス殿下が、明日の式典に『ゲスト』をお連れになるそうですの」
私は、眉をひそめた。
「ゲスト、ですか」
「ええ。アルベルトの元・婚約者候補だった女性ですわ」
殿下は、窓の外を見た。
「彼女を使って、式の進行を乱そうとしているのでしょう」
「殿下、それは」
「大丈夫ですわ」
殿下は、振り返った。
「むしろ、チャンスですもの」
「チャンス、ですか」
「ええ」
殿下は、小さな笑みを浮かべた。
「彼女は、きっと借金か何かで縛られているのでしょう。フェリックス殿下に逆らえない状況に置かれている」
「では」
「解放して差し上げますわ」
殿下の目が、冷たく輝いた。
「フェリックス殿下が用意した『被害者』を、私たちの味方に変えるのです」
私は、息を飲んだ。
「どのように」
「明日、式典の最中に彼女が現れたら」
殿下は、指を一本立てた。
「私が、彼女を抱きしめます」
「は?」
「そして、こう言いますの。『よく来てくださいました。貴女は私の大切な客人ですわ』と」
私は、言葉を失った。
「彼女が何を言おうとしても、私が先に『歓迎』してしまえば、フェリックス殿下の筋書きは崩れますわ」
「しかし、殿下」
「それだけではありませんの」
殿下は、二本目の指を立てた。
「彼女の借金を、帝国が肩代わりします」
「借金を?」
「ええ。その場で、陛下に宣言していただきますの。『この女性は、帝国の賓客である。その負債は、余が引き受ける』と」
私の頭が、追いつかなかった。
「そうすれば、彼女はフェリックス殿下の駒ではなくなりますわ」
殿下は、微笑んだ。
「むしろ、帝国に恩義を感じる存在になる。そして、アルベルトの悪行を証言する『味方』に変わるのです」
「殿下」
「敵が用意した武器を、そのまま奪い取る。それが、一番効率的ですわ」
私は、震えを覚えた。
この方は、本当に恐ろしい。
しかし、同時に。
美しかった。
「ハインリヒ様」
「はい」
「陛下には、まだ内緒にしておいてくださいませ」
「なぜでしょうか」
「陛下が知れば、今夜中にフェリックス殿下を凍らせてしまいますもの」
殿下は、困ったように笑った。
「明日の式典が、台無になりますわ」
私は、深く頷いた。
「……承知いたしました」
「ありがとうございます」
殿下は、立ち上がった。
「では、私は陛下のもとへ戻りますわね」
「殿下」
「はい?」
「……明日は、きっと素晴らしい日になります」
殿下の目が、ふっと和らいだ。
「ええ。そうなるように、いたしますわ」
-----
【音声ログ014-C 帝国宮殿 客室棟 同日 午後9:00】
-----
送信元:不明
音声品質:良好
配信範囲:極秘
-----
(音声開始)
扉が閉まる音。
結界が張られる気配。
「殿下、お戻りですか」
側近の声。
「ああ」
フェリックスの声には、複雑な響きがあった。
「前夜祭は、いかがでしたか」
「興味深かった」
足音が、窓際へ移動する。
「彼女は、僕の提案を受け入れた」
「それは、良かったです」
「いや」
窓を開ける音。
冷たい夜風が入り込む気配。
「良くない」
「殿下?」
「あの女は、笑っていた」
フェリックスの声が、低くなった。
「僕の提案を聞いて、むしろ喜んでいた。『素敵なサプライズになりそう』と」
「それは」
「つまり、僕の策は既に読まれている」
間が生まれた。
「彼女は、僕が用意した駒を、そのまま奪い取るつもりだ」
「どのようにでしょうか」
「分からない。だが、分かっていることが一つある」
窓を閉める音。
「僕は、彼女に勝てない」
側近が、息を飲む気配。
「殿下」
「いや、違うな」
フェリックスの声に、笑いが混じった。
「勝てないのではない。勝つ気がないのかもしれない」
「殿下、何を」
「僕は、何のためにこんなことをしているんだろう」
足音が、部屋を横切る。
「最初は、帝国との交渉材料を得るためだった。彼女の弱みを握り、有利な条件を引き出す」
「はい」
「しかし、今は違う」
椅子に座る音。
「彼女と戦うこと自体が、楽しくなってしまった」
「殿下」
「おかしな話だ。僕は、負けると分かっている戦いを、わざわざ仕掛けている」
低い笑い声。
「まるで、蛾が火に向かうようだな」
「殿下、危険です」
「分かっている」
グラスを置く音。
「だから、明日で終わりにする」
「終わり、ですか」
「ああ。明日の策が失敗したら、僕は潔く負けを認める」
「しかし」
「そして、彼女に正式に謝罪する」
側近が、驚く気配。
「殿下、それは」
「フローレンスの王位継承者として、帝国皇后に謝罪する。これまでの非礼を詫び、友好関係を築くことを誓う」
「国王陛下は」
「兄を支持していたのは、父上の取り巻きだ。彼らは、既に力を失っている」
フェリックスの声が、冷静になった。
「フローレンスには、帝国との対立を続ける余力がない。賢い選択をするなら、今だ」
「殿下」
「僕は、最後に一つだけ試したいことがある」
「何でしょうか」
「彼女の『本気』を見たい」
グラスを傾ける音。
「僕の策を、彼女がどう潰すか。その瞬間を、この目で見届けたい」
「殿下」
「それで満足だ。負けても、悔いはない」
窓を開ける音。
「さて、明日に備えて休むか」
「おやすみなさいませ、殿下」
「ああ。おやすみ」
(音声終了)
-----
【映像ログ014-D 帝国宮殿 皇帝寝室 同日 午後11:00】
-----
送信元:帝国記録局 第一班
映像品質:暗い
配信範囲:極秘
-----
(映像開始)
皇帝寝室。
暖炉の火が、揺らめいている。
大きな寝台に、二つの影があった。
「本来なら、別々に過ごすべきなのでしょうね」
ティアラの声が、響いた。
「結婚式の前夜は」
「知らぬ」
ジークハルトの声は、素っ気なかった。
「余は、お前と離れたくない」
「陛下」
「明日は、世界中が余たちを見る」
彼の腕が、ティアラを抱き寄せた。
「だから、今夜くらいは二人きりでいたい」
「……はい」
ティアラは、彼の胸に顔を埋めた。
「陛下」
「何だ」
「緊張なさっていますか」
「……少し」
ジークハルトの声が、珍しく正直だった。
「誓いの言葉を、噛まないか心配だ」
「リハーサルでは、三回噛みましたわね」
「うるさい」
ティアラが、くすくすと笑った。
「大丈夫ですわ」
「なぜ分かる」
「私がいますもの」
彼女は、彼を見上げた。
「私の顔だけを見ていてください。そうすれば、きっと大丈夫」
「……そうか」
ジークハルトは、彼女の髪を撫でた。
「ティアラ」
「はい」
「明日、何か起きるのか」
ティアラの身体が、わずかに硬くなった。
「なぜ、そう思われますの」
「お前が、ハインリヒと話していたからだ」
「見ていらしたのですか」
「余の目は、お前しか見ておらぬ」
ジークハルトは、彼女の頬に触れた。
「何か隠しているな」
「……はい」
「教えてくれぬか」
「陛下が知れば、フェリックスを凍らせてしまいますわ」
「当然だ」
「ですから、内緒ですの」
ティアラは、穏やかに目を細めた。
「でも、一つだけお約束いたしますわ」
「何を」
「明日、何が起きても、私たちは幸せになります」
彼女は、彼の手を握った。
「フェリックス殿下が何を仕掛けてきても、私が対処いたしますわ。陛下は、私を信じてくださいませ」
「……信じている」
ジークハルトは、深く息を吐いた。
「お前のことなら、何でも信じる」
「ありがとうございます」
「しかし」
彼の目が、鋭くなった。
「もし、お前が傷つけられそうになったら」
「はい」
「余は、何があっても守る」
彼女は、静かに頷いた。
「分かっておりますわ」
「共に戦うのだろう?」
「ええ」
ティアラは、彼の胸に顔を戻した。
「共に戦い、共に勝ちましょう」
暖炉の火が、パチリと音を立てた。
「おやすみなさいませ、私の陛下」
「ああ。おやすみ、余の妻」
窓の外では、雪が降り始めていた。
ダイヤモンドダストのように、細かく、美しく。
まるで、明日を祝福するかのように。
(映像終了)
-----
【極秘ログ──送信者不明】
-----
記録日時:帝国歴四〇三年 冬 第二の月 7日 深夜11:59
ファイル名:[解析不能]
送信元:[解析不能]
送信先:[解析不能]
-----
(音声のみ)
香を焚く音。
甘い煙が、立ち上る気配。
「明日ですわね」
女の声。
夜に溶けるような呟き。
「ついに、この日が来ました」
衣擦れの音。
窓辺に立つ気配。
「フェリックス殿下の策は、もう見えています」
小さな笑い声。
「『被害者』を連れてきて、私の冷酷さを暴こうとしている。でも」
香が、パチリと弾ける音。
「私は、その『被害者』を救い出しますわ」
足音が、ゆっくりと移動する。
「アルベルトに捨てられた女性。借金で縛られ、フェリックス殿下の駒にされた哀れな方」
窓を開ける音。
冷たい夜風と共に、雪の匂いが入り込む気配。
「彼女を解放し、私の味方にする。フェリックス殿下の武器を、そのまま奪い取りますわ」
息をつく音。
「そして、世界中の人々に見せてあげますの」
女の声が、冷たくなった。
「私が、どれほど『慈悲深い』皇后か」
喉の奥で笑いを漏らす気配。
「フェリックス殿下。明日は、楽しみましょうね」
窓を閉める音。
「私の舞台に、ようこそ」
別の部屋に入る気配。
「陛下」
女の声が、柔らかくなった。
「まだ起きていらっしゃいましたか」
「待っておった」
低い男の声。
穏やかな響き。
「お前がいないと、眠れぬ」
「まあ」
布団に潜り込む気配。
「陛下、明日は大事な日ですわよ。早くお休みにならないと」
「分かっている」
衣擦れの音。
抱き寄せる気配。
「しかし、まだ言っておくことがある」
「何ですか」
「明日、世界中がお前を見る」
男の声が、低くなった。
「しかし、余だけがお前を抱きしめられる」
「陛下」
「それが、余の誇りだ」
女の唇が、弧を描く気配。
「私も、同じですわ」
「うむ」
「明日は、最高の日になります」
「ああ」
静かな笑い声。
「おやすみなさいませ、私の陛下」
「ああ。おやすみ、余の妻」
(ログ終了)
(このファイルは自動消去されました)
-----
【次回予告】
ついに、運命の結婚式。
「皇帝陛下、皇后殿下。ご入場です」
世界中が見守る中、二人は祭壇へと歩み出す。
しかし、式の最中に「招かれざる客」が現れる。
「お、お願いです……! 私の話を聞いてください……!」
泣き崩れる女性。
困惑する招待客たち。
そして、勝利を確信するフェリックスの微笑み。
だが。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
ティアラは、その女性を抱きしめた。
「貴女は、私の大切な客人ですわ」
フェリックス「……何を」
ジークハルト「この女性の負債は、余が引き受ける」
招待客たち「おおおお!」
フェリックスの策が、完全に裏目に出る。
ティアラ「敵の武器は、奪うものですわ」
フェリックス「……完敗だ」
ジークハルト「余の妻を侮ったな」
そして、誓いのくちづけ。
第15話「結婚式と逆転は、記録されていた」
-----
【おまけ:帝国宮殿 大厨房 同日 深夜】
-----
深夜の大厨房。
5メートルのケーキが、月明かりの中で鎮座していた。
その前に、二つの影があった。
財務大臣と、料理長だ。
「……明日、これを運ぶのですね」
財務大臣が、呟いた。
「はい」
料理長が、頷いた。
「壁を透過させて」
「はい」
「陛下の魔力で」
「はい」
二人は、ケーキを見上げた。
「……成功すると思いますか」
「分かりません」
「ですよね」
財務大臣は、溜息をついた。
「しかし、一つだけ確かなことがあります」
「何ですか」
「このケーキが無事に会場に届いたら」
財務大臣は、懐から瓶を取り出した。
「私は、この胃薬を飲み干します」
「それは、お祝いですか」
「安堵です」
料理長は、ゆっくりと頷いた。
「私もいただけますか」
「もちろん」
二人は、ケーキを見上げた。
「……明日が、無事に終わりますように」
「ええ」
ケーキは、沈黙を守っていた。
当然だ。
まだ凍っているのだから。
13
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