俺のダンジョン配信がバズった理由は、ダンジョンそのものが俺に恋してるからだった

チャビューヘ

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3章 顕現編

第18話「S級の審判者」

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 書類の文字は簡潔だった。

『対象:ダンジョンコア顕現体(通称ノア)。観察期間:14日間。判定結果に基づき、排除を含む対応を許可する』

 氷室要はファイルを閉じた。探索者協会本部の廊下を歩いている。すれ違う職員が道を空けた。S級の腕章。全国で12人。廊下を歩くだけで空気が変わる。

 統括局長室。ノック2回。返事を待たずに開ける。

 鷲尾源一郎が座っていた。白髪交じり。目元に深い皺。

「氷室。来たか」

「任務書を読んだ。質問がある。排除不要と判断した場合、協会はそれを受け入れるか」

 鷲尾の目が一瞬だけ細くなった。笑っていないのに、笑顔に近い表情だった。

「当然だ。お前の判断を信頼している」

「わかった。俺は自分の判断で動く」

「ああ。頼んだぞ」

 氷室はドアを閉めた。鷲尾の目が細くなった理由を、感情ではなく事実として記録した。


 翌日。午後。

 想はダンジョンの入口でノアの投影体と並んでいた。2日目の地上。千歳が少し離れた場所でスマホを触っている。

 ノアは想の右腕にしがみついたまま公園の方を見ている。今日は鳩を見た。缶コーヒーのプルタブを開ける音に驚いて、想の腕を締め上げた。

「痛い痛い。力加減」

「すみません。音が、予想と違いました」

 想がベンチに座ろうとしたとき、足音が聞こえた。

 砂利を踏む音ではない。硬い靴底がコンクリートを叩く、均一な歩幅の足音だ。想が振り向いた。

 男がひとり、ダンジョン入口に向かって歩いてきた。黒のジャケット。短く刈った髪。左腕にS級の銀色の腕章。体の線が服の上からでもわかる。鍛え続けた結果がそのまま残っている体だった。

 千歳が顔を上げた。体が硬くなった。

 男が想の前で止まった。2メートルの距離。近すぎず、遠すぎない。戦闘距離でもなく、会話の距離でもなかった。観察の距離だ。

「柊想か」

 声は低い。抑揚が少ない。想の「俺」と同じ一人称を使うはずの男だが、言葉の温度がまるで違う。刃物を布で包んだような声だった。

「そうだけど。あんた誰だ」

「俺は氷室要。S級探索者。氷壁班の隊長だ」

 想の肩が上がった。昨日、梶原が言っていた名前だ。

「ノアの観察と、必要であれば排除が任務だ。隠す気はない」

 排除。

 2度目だ。梶原の電話で聞いたのが1度目。今、本人の口から聞いたのが2度目。1度目より重い。声に嘘がないから。

「排除って、どういう意味だ」

「言葉の通りだ。ノアが人類にとって脅威であると俺が判断した場合、コアを破壊する」

 想の歯が噛み合った。顎に力が入る。

「ノアは脅威じゃない」

「それを確認しに来た」

「確認って、お前が勝手に決めるのかよ」

「俺の判断だ。だが勝手ではない。2週間かけて観察する。結論を急ぐ気はない」

 千歳が想とノアの前に出た。両腕を広げて、氷室との間に壁を作る。

「想さんに近づかないでください」

 氷室の視線が千歳に移った。上から下まで一度だけ見て、目が止まった。

「B級の白峰千歳。戦闘データは読んだ。探索者歴1ヶ月でB級認定。身体強化スキルのマナ変換効率が規格外だ。筋はいい」

 千歳が一瞬だけ面食らった。褒められるとは思わなかったのだ。だがすぐに表情を戻した。

「褒めても退きませんよ」

「退けとは言っていない。お前がどう動こうと、俺の観察には影響しない」

 氷室の視線が千歳を通り越して、想の背後に向いた。ダンジョンの入口。壁面が青白く光っている。

 声が響いた。壁面から。低い反響を伴って、空気そのものが震える声。

「あなたは、わたしを殺しに来たんですか」

 ノアだった。投影体ではなく、ダンジョンの壁面を通じた声。甘さも柔らかさもない。想以外の人間に向ける、事務的な声だ。

 氷室がダンジョンの入口に向き直った。

「観察に来た。殺すかどうかは、これから決める」

 沈黙が落ちた。壁面の光が揺れている。ノアが何かを考えている証拠だ。

 数秒後、ノアが言った。

「嘘をついていませんね」

「ああ。つかない」

「そうですか」

 それだけだった。ノアの声が消えた。壁面の光が元に戻る。

 想は氷室を見た。この男はノアに「殺すかもしれない」と正面から告げて、ノアはそれに怒らなかった。御影なら嘘を嗅ぎつけて敵視した。千歳なら善意で押し切った。氷室には、どちらの反応も起きなかった。

 嘘がないから。正直に殺意を告げる人間を、ノアは処理できなかった。

「柊」

 氷室が想に向き直った。

「明日から、お前たちの日常を観察する。邪魔はしない。だが、嘘はつくな。嘘をついた時点で、観察は終了する」

「嘘なんかつかねえよ」

「ならいい」

 氷室は踵を返した。来たときと同じ均一な歩幅で、駐車場の方に歩いていく。背中を見せることに躊躇がない。攻撃されるとは思っていないのか、されても対処できるのか。おそらく後者だ。

 想は氷室の背中が見えなくなるまで動けなかった。怒りはある。だがそれ以上に、噛み合わない感覚があった。御影のような嘘がない。財前のような悪意がない。あるのは信念だけで、その信念が間違っているとは言い切れなかった。

「想さん。あの人、本気ですね」

「ああ」

「私、負けませんから。想さんとノアさんは、私が守ります」

「お前は自分の体を先に守れ」

「それは二番目です」

 想は額に手を当てた。味方が全員命知らずだ。


 夕方。梶原が小型の計測器を持ってやってきた。

「ノアさんの地上顕現データを取らせてください。投影体の安定性を数値化しておけば、万が一のときに対処が早くなります」

 想は頷いた。梶原はいつも先回りして動いてくれる。

「ノア。梶原さんがデータ取りたいって。いいか」

「はい。想さんがいいなら」

 梶原がタブレットを開いた。計測項目の一覧が並んでいる。投影体維持時間。マナ消費レート。活動半径。コア演算負荷率。

 その下に、もう一行。最大マナ出力。

 想の目はタブレットの画面を見たが、その項目に注意は向かなかった。安全のためのデータだ。項目が多いのは当然だろう。

 計測は10分で終わった。

「氷室さんのこと、心配ですよね」

「心配っていうか、ムカつくっていうか」

「あの方は実直な人です。私も全力でサポートしますから」

「ありがとな」

 梶原が帰っていった。

 想はダンジョンの入口に座り込んだ。壁面に背中を預ける。冷たい石の感触が背骨に伝わった。

「ノア」

「はい」

「あいつ、どう思った。氷室」

 壁面の光苔が、色を変えずにゆっくりと明滅した。ノアが考えている。

「嘘をつかない人間は、初めてです」

「千歳もつかないだろ」

「白峰さんは嘘をつけない人です。氷室さんは嘘をつかないと決めている人です。違います」

 想は黙った。その区別は正しかった。

「氷室さんは危険です。でも、嫌いとは言えません」

「嫌いじゃないのか」

「御影さんにはすぐに嫌悪がありました。氷室さんには、それがない。殺されるかもしれないのに」

 想は壁面を見上げた。ノアが混乱している。殺意を持った人間を嫌えないという矛盾に、ノア自身が戸惑っている。

「それは、わたしがやっていることと同じだからかもしれません」

 ノアも見てから決める。千歳を見て、排除しないと決めた。御影を見て、排除すると決めた。氷室は同じことをしている。

 鏡だ。

 ダンジョンを出て、自宅に向かって歩いた。スマホが振動した。

 ノアからのメッセージ。DunCast経由ではない。スマホ本体への直接通信。

「想さん。氷室要。28歳。S級認定は24歳。歴代最年少記録。実戦経歴87件。判定後の排除執行率100%。脅威と判定した対象を、一度も見逃していません」

 経歴データだ。探索者協会のデータベースから引き抜いたのだろう。ノアにとっては造作もない作業だ。

 続けてもう一通。

「この人は、本当に殺します」

 8文字。句読点を入れても9文字。それだけの文面が、スマホの画面に表示されている。

 想はスマホをしまった。夜道を歩きながら、氷室の顔を思い出した。あの男は嘘をつかない。そしてノアも嘘をつかない。

 嘘つき同士の戦いなら、嘘を暴けば勝てる。だが正直者同士の対立は、どちらかが折れるか、どちらかが消えるまで終わらない。

 ───────────────────
 草:ソウの配信にS級映ってなかった?
 †漆黒の剣†:氷室要だろ。氷壁班の隊長だぞ
 しろくま_22:なんでS級がソウの配信にいるの
 DJケンタ_B級:コアの地上顕現が問題になったんだろ。協会が調査に動いたとしか
 深層好き_A:氷壁班はコア関連事案の専門部隊。つまりノアの調査
 推しが重い:ノアちゃんが殺されるかもってこと?
 草:まてまてまて
 しろくま_22:ソウ大丈夫なの
 †漆黒の剣†:氷室って排除執行率100%の人じゃなかったか
 DJケンタ_B級:S級vsダンジョンの少女。これはやばいぞ
 N_o_a:想さんは、わたしが守ります。
 推しが重い:ノアちゃん……
 草:今日のノアちゃんのコメント重いな
 ───────────────────

 登録者数の通知が画面の隅に小さく表示されていた。30万人。S級の出現が新しい燃料を投下した形だ。

 だが今の想には、数字はどうでもよかった。

 部屋に帰って、ベッドに倒れ込んだ。天井を見つめる。

 排除執行率100パーセント。脅威と判定した対象を、一度も見逃していない。

 あの男がノアを脅威だと判断したら。

 想は目を閉じた。明日から氷室が日常を観察する。嘘はつくなと言った。つかない。ノアとの日常をそのまま見せる。

 それで足りるのか。答えは氷室が持っている。

 スマホが光った。ノアからの3通目。

「おやすみなさい、想さん。明日も隣にいます」

 「おやすみ」と返した。スマホを枕元に置く。

 ノアは想のスマホの中にいる。氷室の経歴を調べ、通話記録を引き出し、報告する。便利だ。心強い。だがノアのやっていることを正確に言えば、探索者協会のデータベースへの不正アクセスだ。

 想はそのことを、まだ深く考えていなかった。
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