悪役令嬢を救うためモブが婚約を申し込んだら、破滅フラグが全部俺に向いてきた

チャビューヘ

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「彼女の価値を知らないのは」

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 あの夜会から五日後。
 再びランベール伯爵家から招待状が届いた。

 その夜のパーティーは、罠だった。
 カイルは会場に足を踏み入れた瞬間、それを確信した。

 主催は同じランベール伯爵家。
 だが会場の配置が前回と違う。
 広間の中央にぽっかりと空間が空けてある。
 まるで舞台のように。

 貴族たちの視線が一点に集まっている。
 その先に、王太子エドワード・レイフォードが立っていた。
 金髪。青い瞳。完璧な笑顔。
 広間の隅には、ハルバート侯爵の姿もあった。
 先日の夜会で醜態を晒したばかりだというのに、平然と出席している。
 あの男の厚顔さか。それとも、今夜こそ決着をつける算段か。
 そして、王太子の隣にリゼットが立たされていた。

 カイルの足が速まった。

 ゲームの記憶が叫んでいる。
 この構図を知っている。
 ゲームでは、王太子がリゼットとの婚約を公の場で破棄する。
 プレイヤーの間で「断罪イベント」と呼ばれた有名なシーンだ。
 だが今、リゼットの婚約者は俺だ。
 同じ構図で、別の刃が振り下ろされようとしている。

 ゲームでは、リゼットに味方する者は誰もいなかった。

「皆に聞いてほしいことがある」

 王太子の声が広間に響いた。
 弦楽の演奏が止まる。
 グラスを置く音。衣擦れの音。
 そして、沈黙。

「クロムウェル公爵令嬢リゼットの婚姻について、私の意向を明らかにする」

 リゼットは王太子の隣に立っていた。
 表情は消えている。
 白い仮面のように、何も映していない。
 だがカイルには見えた。
 スカートの布地を掴む指が、関節まで白くなっていることが。

「クロムウェル公爵家は、この国の五大公爵家の一つだ。その令嬢の婚姻は、国政に関わる問題である」

 王太子の声は穏やかだった。
 だがその穏やかさの下に、鋼の意志がある。

「にもかかわらず、辺境伯家の次男が名乗りを上げた。格において、家柄において、釣り合いが取れているとは言い難い」

 広間がざわめいた。
 王太子が公の場で特定の家の格を否定する。
 それは社交界において、事実上の宣告だった。

「クロムウェル公爵令嬢にふさわしい婚姻は、王室が責任をもって整える。よって、現在の婚約を解消するよう勧告する」

 勧告。命令ではなく勧告。
 だが王太子の口から出た以上、実質的な強制力を持つ。
 拒否すれば、クロムウェル公爵家への圧力に変わるだけだ。

 リゼットは動かなかった。
 一言も発しなかった。
 ただ立っていた。
 一人で。広間の中央で。

 ゲームと同じだ。
 あのとき、画面の中のリゼットも同じだった。
 誰にも助けられず、一人で断罪を受け入れた。

 カイルの足が動いた。

 考える前に、身体が先に動いていた。
 貴族たちの間を割って、広間の中央へ。
 王太子の前へ。
 リゼットの、前へ。

 背中で、リゼットの呼吸が止まるのが聞こえた。

「殿下」

 カイルの声は震えていなかった。
 不思議なほど、落ち着いていた。
 膝は震えている。手も震えている。
 だが声だけは、真っ直ぐに出た。

「お言葉ですが、一つだけ申し上げてよろしいでしょうか」

 王太子の目が、カイルを捉えた。
 あの日と同じ。虫眼鏡で蟻を覗く目だ。

「辺境伯家の次男。また君か」

「はい。また俺です」

 またも「俺」だ。
 王宮に続いて、また。
 もう構わない。
 取り繕う余裕は最初からなかった。

「殿下は、辺境伯家では釣り合いが取れないとおっしゃった」

「そうだ」

「そして王室が婚姻を整えると。つまり殿下ご自身が、リゼット・クロムウェルの婚約者になると」

 王太子の眉が動いた。
 カイルは間を空けずに続けた。

「では殿下に伺います。この婚約の強制を画策したのは、本当に殿下ご自身のお考えですか」

 広間のざわめきが大きくなった。

「ハルバート侯爵は法務院の判事と非公式に接触し、建国王の勅令を骨抜きにしようとしていました」

 カイルは一歩、前に出た。

「殿下のお名前を使って、法を捻じ曲げようとしていたのです」

 王太子の笑顔が、初めて揺らいだ。

「格が釣り合わないのは認めます。辺境伯家に、公爵家に並ぶ権威はない」

 カイルの声が、一段低くなった。

「ですが殿下。家柄で人の価値は測れません」

 沈黙が広がった。
 貴族たちの視線が、王太子とカイルの間を行き来する。

「殿下」

 カイルは真っ直ぐに、王太子の目を見た。

「彼女の価値を知らないのは、あなただけだ」

 広間が凍った。
 王太子に向かって「あなた」と言い放った。
 敬称も、敬語も、吹き飛んでいた。

 王太子の目から、好奇心の色が消えた。
 代わりに浮かんだのは、冷たい怒りだった。

「辺境伯の次男が、私に説教をするのか」

「説教ではありません。事実を申し上げています」

 王太子が口を開きかけたとき、広間の入口が開いた。

 ランベール伯爵が入ってきた。
 その手に、束ねた書類を持っている。
 伯爵の後ろに、二人の法務官が続く。

「殿下。お話の最中に失礼いたします」

 ランベール伯爵の声は穏やかだった。
 だが書類を掲げる手は、迷いがなかった。

「ハルバート侯爵の財務記録の写しです。王室予算の流用に関わる不正の証拠が含まれております」

 広間の空気が、根こそぎ変わった。

 カイルの視界が広がった。
 これはゲームの知識にない。
 リゼットか。ランベール伯爵か。
 誰かが、カイルの知らないところで動いていた。

 ハルバート侯爵の顔が、蝋のように白くなった。
 王太子の視線が、ハルバートに向いた。
 一瞬だった。
 だがその一瞬で、この場の力学が完全にひっくり返った。

 王太子は側近の不正を知らなかったのか。
 それとも知っていて黙認していたのか。
 どちらにせよ、王太子の面目は砕けた。
 公の場で、側近の犯罪が暴露されたのだ。

「……今夜はここまでにしよう」

 王太子は短く言った。
 笑顔はなかった。声に感情もなかった。
 踵を返し、広間を出ていく。
 ハルバートが青い顔のまま後を追った。

 残された広間に、嵐の後のような静寂が降りた。

 カイルは振り返った。
 リゼットが立っていた。
 白い仮面は、もうなかった。

 紫水晶の瞳が、カイルを見ていた。
 怒りでも、冷淡さでもない。
 名前のつけられない何かが、その目に揺れていた。

「……馬鹿」

 リゼットの声は小さかった。

「王太子の前で、また『俺』って言った」

「癖だ。許してくれ」

「許すも何も」

 リゼットの唇が震えた。
 笑おうとしているのか。
 泣きそうなのか。
 どちらか、わからなかった。

「あなたは本当に、どうしようもない人ですわ」

 リゼットは踵を返した。
 三歩ほど歩いて、足が止まった。
 振り返らなかった。

「……ありがとう」

 その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。
 だがカイルの耳には届いた。

 リゼットが歩き去った。
 カイルは広間に立ったまま、天井を見上げた。
 こめかみの痛みは、今夜はなかった。

 補正が、一瞬だけ黙ったのかもしれない。
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