悪役令嬢を救うためモブが婚約を申し込んだら、破滅フラグが全部俺に向いてきた

チャビューヘ

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「嘘の数」

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 学院の医務室で肩の手当てを受けた後、カイルは宿舎に戻された。
 来客用の個室だ。
 石壁に小さな窓が一つ。簡素な寝台と机。
 魔導灯の青白い光が、部屋を冷たく照らしていた。

 右肩は湿布と包帯で固定されている。
 骨には異常がないと医務官は言った。
 打撲と裂傷。二週間で治る程度の怪我だ。

 問題は、肩ではない。

 カイルは寝台に座り、右腕の袖をまくった。
 紋様は肩まで達していた。
 幾何学的な線が皮膚の下を走り、鎖骨の手前で止まっている。
 触れると熱い。
 光は収まったが、脈動は続いていた。

 扉を叩く音がした。
 三回。間隔が均等だ。

 カイルは袖を下ろした。

「開いてる」

 リゼットが入ってきた。
 扉を閉め、鍵をかけた。
 振り返り、カイルの前に立った。

 沈黙。

 リゼットの紫水晶の瞳は、カイルの右腕を見ていた。
 袖の上からでも、もう意味がない。
 昼間、見られている。光っているところを。

「見せて」

 命令だった。
 疑問符はついていない。

 カイルは数秒、動かなかった。
 それから袖をまくった。

 紋様が露わになった。
 手首から肩まで。幾何学的な線が、腕全体を覆っている。
 青白い光はもう発していないが、皮膚の下で微かに脈打っているのが見えた。

 リゼットは一歩近づいた。
 紋様を見つめている。
 表情が読めなかった。
 冷淡でも、動揺でもない。
 何かを理解しようとしている顔だった。

「いつから」

「ハルバートの件が片づいた日だ」

「それまでは?」

「こめかみが痛んだ。運命を変えようとするたびに。それが消えて、代わりにこれが出た」

「運命を変えるたびに、増える?」

「ああ」

 リゼットの視線が紋様の末端を追った。
 手首から肘、肘から肩へ。
 拡大の軌跡を読み取っている。

「今日の実験棟で、また増えた」

「ああ」

「私の運命を変えるたびに、あなたの身体に溜まっていく」

 カイルは答えなかった。
 答えなくても、リゼットはわかっている。

 リゼットの右手が持ち上がった。
 カイルの右腕に伸びる。
 指先が紋様に触れた。

 冷たい指だった。
 紋様の上をなぞるように、手首から肘へ。
 カイルは動けなかった。

「熱い」

 リゼットが呟いた。
 指先で紋様の温度を確かめている。

「あなたは、これを隠していた」

「大したものじゃないと思っていた」

 左手が右手首に伸びかけた。
 リゼットの目がその動きを捉えた。

「嘘」

 カイルは手を下ろした。

「何回目?」

「何が」

「あなたが私についた嘘の数。数えているの」

 リゼットの声は冷たかった。
 だが冷淡さとは違う。
 怒りだ。
 静かな、深い怒りだった。

「紋様のことは隠していた。庭で見せなかった。今日も、私が見ていなければ黙っていた」

 リゼットの指がカイルの腕から離れた。

「『大したものじゃない』。嘘。『ゲーム』と言いかけて誤魔化した。二回。知識の出所を聞かれて『うまく説明できない』。これも嘘に近い」

 一つ一つ、数えている。

「合計で、四つ。私が気づいているものだけで」

 カイルは後頭部を掻いた。
 反論できなかった。
 全部、その通りだ。

「なぜ言わなかったの」

「言えば、君が気に病む」

「気に病む?」

 リゼットの声が低くなった。

「私の運命を変えた代償が、あなたの身体に溜まっている。それを知れば私が苦しむから、黙っていた。そう言いたいの」

「ああ」

「馬鹿じゃないの」

 声が震えた。
 怒りだけではない。
 何か別のものが混じっていた。

「あなたが一人で抱えて、一人で壊れていくのを、知らずに隣にいろと? それが私のためだと?」

 リゼットは一歩退いた。
 腕を組んだ。
 自分を抱え込むように。

「勝手に決めないで。何を見せて、何を隠すか。私はあなたの守る対象じゃない」

 カイルは寝台の上で拳を握った。
 リゼットの言葉は正しかった。
 隠していたのは、リゼットのためじゃない。
 自分が怖かっただけだ。
 紋様の意味を認めるのが。限界があるかもしれないと向き合うのが。

「すまなかった」

「謝らなくていい。二度としなければ」

 リゼットは窓際に歩いた。
 冬の夜空を見上げている。
 背中を向けたまま、声が変わった。
 怒りが引いていた。

「私も、一人で戦ってきた」

 声が静かだった。

「公爵家の闘い。宮廷での生き残り。全部、一人で。誰にも見せなかった。見せたら終わりだと思っていたから」

 リゼットは振り返った。

「あなたがそれをやるのを見て、初めてわかった。一人で抱えている人間が隣にいるのが、どれだけ腹が立つか」

 カイルは小さく笑った。
 笑うつもりはなかったのに、口の端が持ち上がっていた。

「同じことをしていたのか。俺たちは」

「似ているとは言っていません。利害が一致しているだけ」

 リゼットの声に、怒りはもうなかった。
 代わりにあったのは、決意だった。

「これからは、全部見せなさい。紋様が増えたら言いなさい。痛んだら言いなさい。隠したら、わかるわ。あなたの嘘は下手だから」

「厳しいな」

「当然でしょう。共犯者に嘘をつかれたら、計画が狂うの」

 共犯者。
 リゼットが選んだ言葉だった。
 利害の一致ではなく、共犯。

 カイルは右腕を見た。
 紋様は変わらずそこにある。
 だが、一人で見ていたときとは違う重さだった。

「わかった。全部見せる」

「よろしい」

 リゼットは扉に向かった。
 鍵を開け、廊下に出る。

 振り返りかけて、止まった。
 何かを言いかけて、飲み込んだ。
 それから、背中を向けたまま言った。

「これ以上、増やさないで」

 声が小さかった。
 命令ではなかった。

 扉が閉まった。

 カイルは寝台に倒れ込んだ。
 天井の石材を見上げた。

 嘘を四つ、数えられていた。
 全部見抜かれていた。

 右腕の紋様が、かすかに脈打っている。
 肩まで広がった線は、もう袖を下ろしても収まりきらない。

 だが今は、一人で見ていない。
 それだけで、紋様の熱が少し和らいだ気がした。

 気のせいかもしれない。
 だが今は、気のせいでいい。

 明日、エリスが潜入経路を確保すると言っていた。
 三人で禁書庫に入る。
 運命補正の正体に、一歩近づく。

 カイルは目を閉じた。
 右腕の上に、リゼットの指先の冷たさがまだ残っていた。
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