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第1章
第1章 第14話「王子との衝突」
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夕食後、王子に呼ばれて私室を訪ねた。
いつもと違って、王子の表情が固い。書斎机の前に座り、じっと私を見つめている。
「座って」
促されて向かいの椅子に腰を下ろした。嫌な予感がする。
王子が口を開くまで、重い沈黙が流れた。ろうそくの炎が揺れ、影が壁に踊る。
「君に聞きたいことがある」
王子の声は、いつもの優しさを欠いていた。
「セーブとか、ボタンとか、矢印キーとか」
心臓が跳ねた。
「それは一体、何なんだ?」
碧眼が真っ直ぐに私を見据えている。逃げ場がない。
「古代語でもない。どこかの方言でもない。学院で調べてもらったが、該当する言語は存在しなかった」
喉が渇いた。どう答えればいいのか。
「私にも、よく分からないんです」
苦し紛れの言い訳だった。
「分からない?」
王子が眉をひそめた。
「自分で口にしている言葉の意味が分からないと?」
黙り込むしかなかった。
王子が立ち上がり、窓際に歩いた。背を向けたまま、続ける。
「最初は、君の個性だと思っていた。むしろ愛おしいとさえ」
振り返った王子の顔に、苦悩が浮かんでいた。
「でも、帝国が動き始めた今、君が何者なのか知る必要がある」
胸が痛んだ。王子は私を疑っている。当然だ。説明できない言動を繰り返す花嫁なんて、不気味でしかない。
「君は、本当は誰なんだ?」
その問いに、答えられなかった。
三十五歳のサラリーマンだった、なんて言えるはずがない。過労死して転生した、なんて信じてもらえるはずがない。
「答えられないのか」
王子の声に、失望が滲んでいた。
「私は、あなたの味方です」
やっとそれだけ絞り出した。
「それだけは、信じてください」
王子が苦笑した。
「味方だと言いながら、正体は明かせない?」
その通りだった。矛盾している。
王子が扉に向かった。
「少し、時間をくれ」
背中が寂しそうに見えた。
「君のことを疑いたくない。でも、国を預かる身として——」
扉が閉まった。
一人残されて、膝から力が抜けた。
王子に疑われた。拒絶された。
当たり前だ。私は嘘をついている。本当の自分を隠している。
涙が溢れそうになって、必死で堪えた。
部屋に戻ると、マルタが待っていた。
「姫様、どうされました?」
表情で察したらしい。
「なんでもない」
でも、声が震えていた。
ベッドに潜り込み、枕に顔を埋めた。
初めてこの世界に来てから、一番辛い夜だった。
翌朝、朝食の席で王子と顔を合わせた。
挨拶を交わしたが、どこかぎこちない。いつもの温かい雰囲気が、冷え切っていた。
食事を終えて立ち上がろうとした時、急に扉が開いた。
「失礼します!」
ガヴェイン卿が飛び込んできた。顔面蒼白だ。
「城下で騒動が!」
王子が立ち上がった。
「何があった」
「市場で喧嘩が。列を巡って」
え? 列?
「導きの姫式に従わない者がいて、それで」
私も立ち上がった。
「行きます」
王子が振り返った。
「危険だ」
「私が原因なら、私が解決します」
王子と目が合った。一瞬、昨夜の冷たさが和らいだ気がした。
市場は大混乱だった。
二組の商人グループが睨み合い、客たちが遠巻きに見守っている。
「列は姫様が決めたことだ!」
「商売は自由だろう!」
怒鳴り合いが続く中、私は二つのグループの間に入った。
「やめてください」
私の姿を認めて、皆が黙った。
「姫様……」
列を守ろうとしていた商人が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。でも、こいつらが」
「いいんです」
振り返って、列に反対していた商人たちを見た。
「なぜ列が嫌なんですか?」
一人の商人が、おずおずと答えた。
「その……俺たちは新参者で。良い場所が取れないんです」
なるほど。列ができたことで、古参の商人が有利になっていたのか。
「じゃあ、こうしましょう」
思いついたことを口にした。
「場所は日替わりで交代。くじ引きで決める」
商人たちがざわめいた。
「くじ引き?」
「公平じゃないか」
「それなら新参者にもチャンスが」
議論が始まったが、今度は建設的だった。
王子が隣に立った。
「見事だ」
小声で言われて、振り返った。王子が微笑んでいる。昨夜の冷たさは、もうなかった。
「ごめん」
王子が続けた。
「昨夜は、言い過ぎた」
「いえ、当然の疑問です」
「でも、今分かった」
王子が私の手を取った。大勢の前で。
「君が誰であろうと、君の行動が全てを語っている」
温かい手だった。
「君は、人々を幸せにしようとしている。それで十分だ」
涙が込み上げてきた。
受け入れてくれた。正体を知らないまま、それでも信じてくれた。
商人たちが歓声を上げた。
「姫様と王子様が仲直りだ!」
「やっぱりお似合いだ!」
恥ずかしくなって、手を離そうとしたが、王子が離してくれなかった。
「これからも、一緒に」
その言葉に、頷くしかなかった。
隠している秘密は、まだ言えない。
でも、この人となら、いつか話せる日が来るかもしれない。
いつもと違って、王子の表情が固い。書斎机の前に座り、じっと私を見つめている。
「座って」
促されて向かいの椅子に腰を下ろした。嫌な予感がする。
王子が口を開くまで、重い沈黙が流れた。ろうそくの炎が揺れ、影が壁に踊る。
「君に聞きたいことがある」
王子の声は、いつもの優しさを欠いていた。
「セーブとか、ボタンとか、矢印キーとか」
心臓が跳ねた。
「それは一体、何なんだ?」
碧眼が真っ直ぐに私を見据えている。逃げ場がない。
「古代語でもない。どこかの方言でもない。学院で調べてもらったが、該当する言語は存在しなかった」
喉が渇いた。どう答えればいいのか。
「私にも、よく分からないんです」
苦し紛れの言い訳だった。
「分からない?」
王子が眉をひそめた。
「自分で口にしている言葉の意味が分からないと?」
黙り込むしかなかった。
王子が立ち上がり、窓際に歩いた。背を向けたまま、続ける。
「最初は、君の個性だと思っていた。むしろ愛おしいとさえ」
振り返った王子の顔に、苦悩が浮かんでいた。
「でも、帝国が動き始めた今、君が何者なのか知る必要がある」
胸が痛んだ。王子は私を疑っている。当然だ。説明できない言動を繰り返す花嫁なんて、不気味でしかない。
「君は、本当は誰なんだ?」
その問いに、答えられなかった。
三十五歳のサラリーマンだった、なんて言えるはずがない。過労死して転生した、なんて信じてもらえるはずがない。
「答えられないのか」
王子の声に、失望が滲んでいた。
「私は、あなたの味方です」
やっとそれだけ絞り出した。
「それだけは、信じてください」
王子が苦笑した。
「味方だと言いながら、正体は明かせない?」
その通りだった。矛盾している。
王子が扉に向かった。
「少し、時間をくれ」
背中が寂しそうに見えた。
「君のことを疑いたくない。でも、国を預かる身として——」
扉が閉まった。
一人残されて、膝から力が抜けた。
王子に疑われた。拒絶された。
当たり前だ。私は嘘をついている。本当の自分を隠している。
涙が溢れそうになって、必死で堪えた。
部屋に戻ると、マルタが待っていた。
「姫様、どうされました?」
表情で察したらしい。
「なんでもない」
でも、声が震えていた。
ベッドに潜り込み、枕に顔を埋めた。
初めてこの世界に来てから、一番辛い夜だった。
翌朝、朝食の席で王子と顔を合わせた。
挨拶を交わしたが、どこかぎこちない。いつもの温かい雰囲気が、冷え切っていた。
食事を終えて立ち上がろうとした時、急に扉が開いた。
「失礼します!」
ガヴェイン卿が飛び込んできた。顔面蒼白だ。
「城下で騒動が!」
王子が立ち上がった。
「何があった」
「市場で喧嘩が。列を巡って」
え? 列?
「導きの姫式に従わない者がいて、それで」
私も立ち上がった。
「行きます」
王子が振り返った。
「危険だ」
「私が原因なら、私が解決します」
王子と目が合った。一瞬、昨夜の冷たさが和らいだ気がした。
市場は大混乱だった。
二組の商人グループが睨み合い、客たちが遠巻きに見守っている。
「列は姫様が決めたことだ!」
「商売は自由だろう!」
怒鳴り合いが続く中、私は二つのグループの間に入った。
「やめてください」
私の姿を認めて、皆が黙った。
「姫様……」
列を守ろうとしていた商人が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。でも、こいつらが」
「いいんです」
振り返って、列に反対していた商人たちを見た。
「なぜ列が嫌なんですか?」
一人の商人が、おずおずと答えた。
「その……俺たちは新参者で。良い場所が取れないんです」
なるほど。列ができたことで、古参の商人が有利になっていたのか。
「じゃあ、こうしましょう」
思いついたことを口にした。
「場所は日替わりで交代。くじ引きで決める」
商人たちがざわめいた。
「くじ引き?」
「公平じゃないか」
「それなら新参者にもチャンスが」
議論が始まったが、今度は建設的だった。
王子が隣に立った。
「見事だ」
小声で言われて、振り返った。王子が微笑んでいる。昨夜の冷たさは、もうなかった。
「ごめん」
王子が続けた。
「昨夜は、言い過ぎた」
「いえ、当然の疑問です」
「でも、今分かった」
王子が私の手を取った。大勢の前で。
「君が誰であろうと、君の行動が全てを語っている」
温かい手だった。
「君は、人々を幸せにしようとしている。それで十分だ」
涙が込み上げてきた。
受け入れてくれた。正体を知らないまま、それでも信じてくれた。
商人たちが歓声を上げた。
「姫様と王子様が仲直りだ!」
「やっぱりお似合いだ!」
恥ずかしくなって、手を離そうとしたが、王子が離してくれなかった。
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