【完結】パパ、私は犯人じゃないよ ~処刑予定の私、冷徹公爵(パパ)に溺愛されるまで~

チャビューヘ

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琥珀色の罠と信じたい嘘

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 朝食の席で、私は義兄様の顔を盗み見た。
 頬の肉が落ち、目の下の隈が青黒い。
 いつからだろう。

「義兄様、お顔の色が」

「うるせえ」

 短く遮られた。
 でも、声に棘はなかった。
 ただ、疲れている。
 それだけだった。

 マルタさんが、にこやかに近づいてきた。
 手には、湯気の立つカップ。
 琥珀色の液体が、朝日を受けて輝いている。

「若様、本日もお持ちしましたわ」

 義兄様が、露骨に顔をしかめた。

「また、これか」

「お体にいいお茶ですもの。王都から取り寄せた、特別なものですわ」

 王都。
 その言葉に、首筋が冷たくなった。
 「あの方」がいる場所。
 王家の紋章が刻まれた手紙の、送り主がいる場所。

「頭がよくなるお茶ですのよ」

 マルタさんの声は、甘い。
 蜜を塗った刃物のように、甘い。

「泥水みたいな味だ」

「苦いものほど、お体に効くものですわ」

 義兄様は、渋々カップを受け取った。
 一口、口に含む。
 眉間の皺が、深くなった。

 私は、じっとその様子を見つめていた。
 あのお茶。
 毎朝、義兄様だけに出される。
 誰も、それを不思議に思わない。

 いつから飲んでいるのだろう。
 いつから、顔色が悪くなったのだろう。

 考えたくない可能性が、頭をよぎる。



 昼前。
 私は中庭で、義兄様の訓練を眺めていた。
 木剣を振る動きは、鋭い。
 でも、どこか重たい。
 踏み込んだ足が、一瞬だけ揺れた。
 木剣を振り抜く腕が、途中で止まりかける。

 訓練が終わると、義兄様が木陰に座り込んだ。
 息が荒い。
 額に、汗が光っている。

 侍女がすぐに駆け寄り、カップを差し出した。
 また、あの茶だ。

 義兄様が一口飲んで、顔を歪めた。
 不味そうに、でも律儀に飲んでいる。
 強くなるために。
 認められるために。

 私は、そっと近づいた。

「義兄様」

「なんだ、チビ」

「それ、なあに?」

 無邪気な声を作る。
 五歳児らしく、首を傾げる。

「体にいいとか言う、まずい茶だ」

 義兄様は、カップを見下ろした。
 液体が、ゆらゆらと揺れている。

「……飲むか?」

 予想外の言葉だった。
 義兄様が、私にカップを差し出している。
 自分のものを、分けようとしている。

 喉の奥が、熱くなった。
 嬉しいのに、怖い。
 この優しさの裏に、何があるのか、知りたくない。

「い、いいの?」

「苦いぞ。まずいぞ。でも、強くなれるらしい」

 義兄様の口元が、わずかに緩んだ。
 不器用な、優しさ。
 自分が我慢して飲んでいるものを、妹にも分けてやろうという気持ち。

 私が手を伸ばしかけた、その時。

「いけません!」

 鋭い声が、空気を切り裂いた。
 マルタさんだった。
 いつの間にか、すぐ後ろに立っていた。

「お、お嬢様には差し上げられませんわ!」

 声が裏返っている。
 笑顔の仮面が、一瞬だけ剥がれた。
 その下にある焦りが、剥き出しになっている。
 まるで宝物を奪われまいとするような、必死な手つき。

 マルタさんは、素早くカップを義兄様から奪い取った。

「これは若様専用のお茶ですの。お嬢様のお体には、刺激が強すぎますわ」

 言い訳の言葉が、早口で紡がれる。
 でも、その目は私を見ていない。
 カップの中身を、守るように見つめている。

 ああ、やっぱり。
 あれは、ただのお茶じゃない。

「なんだよ、ケチくせえな」

 義兄様が、不満そうに言った。
 でも、すぐに私を見て、目で合図をくれた。
 「こんな不味いもの、飲まなくて正解だ」と。

 彼は気づいていない。
 自分が毎日、何を飲まされているのか。

 私は小さく頷いた。
 胸の奥で、決意が固まっていく。

 この不器用で優しい義兄を、私が守る。



 訓練場から戻る途中、執事さんとすれ違った。

「お嬢様、お一人で」

「うん。義兄様の訓練を見てたの」

 執事さんは、小さく頷いた。
 いつもの穏やかな表情。でも、目の奥に、何か疲れたような光があった。

「執事さん、どうしたの?」

「いえ、少々、立て込んでおりまして」

 執事さんは、眉を寄せた。

「三日後に、王都からお客様がお見えになるのです。その準備で」

 王都から。
 お客様。
 心臓が、跳ねた。

「……どなた?」

「それは……」

 執事さんは、言葉を濁した。
 でも、その目が、一瞬だけ暗くなった。

「お嬢様は、お気になさらず」

 嘘だ。
 この人は、何かを隠している。
 でも、今は追及できない。

「……うん」

 私は、笑顔を作って頷いた。
 肩が、きゅっと縮んだ。

 三日後。
 「あの方」が、来る。



 自室に戻った。
 ベッドに座って、今日のことを思い返す。

 あのお茶。
 マルタさんの過剰な反応。
 「若様専用」という言葉。
 「お嬢様には刺激が強い」という嘘。

 もし本当に体にいいお茶なら、一口くらい構わないはず。
 むしろ、分け与えることを喜ぶだろう。
 「お優しい若様ですわね」とでも言いながら。

 でも、マルタさんは血相を変えた。
 カップを奪い取った。
 私に飲ませることを、全力で阻止した。

 つまり、これは「義兄様だけ」に効かせたい何か。
 体にいいものではなく、悪いもの。
 毎日、少しずつ、蝕んでいくもの。

 義兄様の隈。
 顔色の悪さ。
 訓練での動きの鈍さ。

 全部、繋がる。

 でも、証拠がない。
 私の推測だけでは、誰も信じない。
 義兄様も、お父様も。

 どうすれば、この罠を暴けるだろう。
 どうすれば、義兄様を守れるだろう。

 考えれば考えるほど、手が震えてくる。
 でも、焦ってはいけない。
 普通の五歳児は、こんなことを考えない。
 何も知らないふりを、続けなければ。



 夕方。
 お父様の書斎。
 文字の授業、十二日目。

 今日も、お父様の膝に座る。
 大きな手。温かい背中。
 この重みが、少しだけ心を落ち着けてくれる。

「今日は四つ」

 お父様が本を開いた。
 指が、最初の文字をなぞる。

「因」

 いん。
 原因。物事の始まり。

「いん」

 私は小さく繰り返した。
 義兄様の顔色が悪い。それには、原因がある。

「果」

 か。
 結果。原因から生まれるもの。

「か」

 毎朝のあのお茶。それが原因なら、結果は何だろう。

「生」

 せい。
 生きること。命。

「せい」

「死」

 し。
 死ぬこと。命の終わり。

「し」

 私の声が、わずかに震えた。
 死という文字が、重くのしかかる。

 お父様が本を閉じた。
 灰色の瞳が、静かに私を見下ろしている。

「全ての果には、因がある」

 短い言葉。
 でも、その一言が、私の考えを言い当てていた。

 結果には、必ず原因がある。
 義兄様の不調という結果には、何かの原因がある。
 私は、それを見つけなければならない。

「因を知れ。果を変えろ」

 お父様の声は、低く、静かだった。
 まるで、私の心を読んでいるかのように。

「は、はい」

「死を、恐れるか」

 突然の問い。
 私は、息を呑んだ。

 死を恐れるか。
 前世で、私は死んだ。
 この世界でも、死ぬ運命だと知っている。
 冤罪で、処刑される運命。

「はい」

 正直に答えた。
 怖い。死ぬのは、怖い。

「でも」

 私は顔を上げた。
 お父様の灰色の瞳を、真っ直ぐに見つめる。

「無駄には、しません」

 死を恐れる。
 でも、恐れるだけでは何も変わらない。
 生き延びるために、動かなければ。
 大切な人を守るために、考えなければ。

 お父様が、深く頷いた。
 その目に、何かが宿っていた。
 承認。あるいは、信頼。

「いい」

 短い言葉。
 でも、その一言が、私の胸に染み込んだ。

「復習しろ」

「は、はい」

 私は机に向かった。
 紙に文字を書く。
 因。果。生。死。

 四つの文字が、並んでいる。
 原因と結果。生と死。
 この四つの文字が、これからの私の道標になる。

 義兄様を蝕む「因」を突き止める。
 その「果」を変える。
 「生」を守るために。
 「死」を遠ざけるために。

「終わったか」

「は、はい」

 私は紙を差し出した。
 お父様は無言でそれを見た。
 小さく、頷いた。

「また明日」

「は、はい」
「ありがとう、ございました」



 部屋に戻った。
 窓の外は、もう暗くなっている。

 誰かに伝えなければ。
 でも、誰に?

 お父様?
 でも、お父様に直接言えば、マルタさんに警戒される。
 証拠もなしに騒げば、私が「おかしな子供」だと思われる。
 それは、生き延びる道に反する。

 執事さん?
 執事さんは味方だ。でも、侍女頭のマルタさんの領分には口を出しにくいだろう。

 バルバロスさん?
 騎士団長は、料理や飲み物のことなど専門外だ。

 どこにも道がない。

 窓辺に立った。
 月明かりの下、自分の手を見つめる。
 小さな手。何もできない手。

 でも。
 この手で、何かを掴まなければ。
 義兄様を蝕む「因」を。
 それを止める「術」を。

 遠くで、足音が聞こえた。
 重く、少しだけ、ふらついている。
 あの人は、自分の体が蝕まれていることに気づいていない。
 私を守ろうとして、自分を削っている。

 窓ガラスに、私の顔が映った。
 五歳の、無力な顔。
 でも、目だけは違う。
 諦めていない目。

 この目で、見つけてみせる。
 あの琥珀色の中に、何が隠されているのか。

 三日。
 たった三日しかない。

 冤罪の日まで、あと十日。
 でも、その前に。
 義兄様が、倒れるかもしれない。
 「あの方」が、来てしまう。



 眠れなかった。

 ベッドの中で、何度も寝返りを打つ。
 焦燥が、胸の奥で暴れている。

 因を知れ。果を変えろ。
 お父様の言葉が、頭の中で繰り返される。

 今すぐ動かなければ。
 でも、どうやって?

 夜中に執事さんの部屋を訪ねる?
 五歳児が、深夜に使用人の居住区をうろつけば、それこそ「おかしな子供」だ。
 マルタさんの耳にも入るだろう。

 お父様の部屋に行く?
 証拠もなしに「お茶が怪しい」と訴えて、信じてもらえるだろうか。
 いや、それ以前に。
 夜中に大公の私室を訪ねる五歳児など、異常すぎる。

 義兄様を起こして、明日から飲まないように頼む?
 「なぜ」と聞かれたら、答えられない。
 「毒かもしれない」と言えば、私がどうやってそれを知ったのかという話になる。

 どの道も、塞がっている。

 窓の外で、夜警の足音が遠ざかっていく。
 規則正しい巡回の音。
 この屋敷は、夜も厳重に管理されている。

 私は、拳を握りしめた。

 朝だ。
 朝になれば、執事さんに会える。
 朝食の前に、なんとか時間を作って。
 「お茶を調べてほしい」と頼もう。
 それしか、今の私にできることはない。

 でも、間に合うだろうか。
 義兄様は、明日の朝も、あの茶を飲む。
 また一杯、毒を重ねる。

 小さな拳を、握りしめた。
 震えが止まらない。

 私は無力だ。
 五歳の体。五歳の立場。五歳の言葉。
 どれも、この状況を打破するには足りない。

 それでも。
 朝が来たら、動く。
 それだけは、決めた。

 因を知るために。
 果を変えるために。

 窓の向こうで、星が一つ、流れた。
 願いを込める暇もなく、消えていく。

 私の命も、あんなふうに消えるのだろうか。
 それとも。

 目を閉じた。
 明日が来るのを、待つしかない。
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