【完結】財務大臣が『経済の話だけ』と毎日訪ねてきます。婚約破棄後、前世の経営知識で辺境を改革したら、こんな溺愛が始まりました

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第17章「二度目の視察」

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「お嬢様、馬車が見えます」

 マリアの声に、私は執務室の窓へと視線を向けた。街道の向こうから、黒塗りの馬車が近づいてくる。先月と同じ、財務省の紋章が描かれた馬車だ。

 だが、何かが違う。

 護衛の数が、明らかに少ない。前回は騎士が八人いたはずだが、今回は四人しか見えない。馬車そのものも、装飾が控えめだ。

「予定通りですね」

 私は書類から目を上げ、マリアに微笑んだ。

 約束通り、一ヶ月後の今日。カイル・ヴェルナー財務大臣が再び訪れる。前回の視察で、彼は「一ヶ月後にまた来る」

 と告げていた。

 正確に、その言葉を守っている。

「オスカー、お茶の準備を」

「かしこまりました」

 執事は静かに一礼し、部屋を出て行った。私は窓際に立ち、馬車が領主館の前に停まるのを見守った。

 扉が開く。

 黒い外套を纏った男性が降りてきた。銀灰色の瞳が、まっすぐに私の部屋の窓を見上げる。

 視線が、一瞬だけ交わった。

 彼の表情が、僅かに緩んだ。

 前回は、終始冷たい仮面のような顔だった。だが今は——

「マリア、お客様をこちらへ」

「はい、お嬢様」

 侍女が階段を駆け下りていく。私は深呼吸をした。

 前回の視察では、彼は領地のすべてをチェックした。帳簿、農地、住居、倉庫。一つも見逃さず、鋭い質問を投げかけてきた。

 今回も、同じだろう。

 だが、私には見せるものがある。この一ヶ月の成果を。

 ――――

「失礼します」

 応接室のドアが開き、カイルが入ってきた。前回と同じ黒い服だが、今日は剣を帯びていない。

「お待ちしておりました、閣下」

 私は立ち上がり、優雅に一礼した。カイルも軽く頷く。

「……ああ」

 彼の声は、やはり低く静かだ。だが、前回のような冷たさはない。むしろ、少しだけ柔らかい響きがある。

「どうぞ、おかけください」

 私が促すと、カイルはソファに腰を下ろした。オスカーが運んできた紅茶を、彼の前に置く。

「砂糖は?」

「不要だ」

 そう言って、カイルはカップを手に取った。一口飲み、目を閉じる。

「……良い香りだ」

「ありがとうございます」

 私も向かい側に座った。カイルは紅茶を置き、私を見つめる。

「早速だが、視察を始めたい」

「かしこまりました」

 私は立ち上がり、彼を案内した。まずは帳簿室へ。

 オスカーが用意していた最新の記録を、カイルに手渡す。彼はページをめくり始めた。

 指が、ある数字で止まる。

「……人口が、五千人?」

「はい」

 私は頷いた。カイルの目が僅かに見開かれる。

「前回は四千八百だった」

「ええ。この一ヶ月で、二百人増えました」

「移住者か」

「はい。近隣の村から、若い家族が移ってきています」

 カイルはページをめくる。その指が、また止まった。

「農地面積も……増えている」

「はい。現在は二百ヘクタールです」

「前回は百五十だった」

「ええ。新規開墾を進めました」

 カイルは顔を上げた。銀灰色の瞳が、私を見つめる。

「この速度は……異常だ」

 彼の声に、驚きが滲んでいた。

「どうやって、これほど早く」

「住民の協力です」

 私は微笑んだ。カイルは首を傾げる。

「住民が……自ら?」

「ええ。皆、この土地を良くしたいと願っています」

 私は窓の外を指さした。農地が広がり、人々が働いている。

「グレンが中心となって、作業を組織化しました。効率的な人員配置と、適切な報酬体系です」

「報酬体系……」

 カイルは呟いた。彼の視線が、帳簿に戻る。

「労働者への支払いが、計画的だ」

「はい。成果に応じた報酬制度を導入しました」

「成果に応じた……」

 カイルの指が、数字を追う。

「通常の領地は、固定給だが」

「固定給では、労働意欲が高まりません」

 私は答えた。カイルが私を見る。

「あなたは……どこでそれを学んだ」

「独学です」

 私は微笑んだ。嘘ではない。前世の知識は、ある意味で独学だ。

 カイルは何も言わなかった。ただ、じっと私を見つめている。

 その視線に、前回とは違う何かがあった。

 探るような、興味深そうな、そして——

「……外を見たい」

「かしこまりました」

 ――――

 農地へ向かう道中、カイルは無言だった。だが、その視線は常に周囲を観察している。

 道路の舗装状態。家屋の修繕具合。住民の表情。

 すべてを、見逃さない。

「あ、お嬢様!」

 畑で作業していた若い女性が、私たちに気づいて手を振った。隣にいた男性も、鍬を置いて頭を下げる。

「ご苦労様です」

 私が声をかけると、二人は嬉しそうに笑った。

 カイルが、その様子を見ている。

「閣下も、どうぞ」

 私は彼を促した。カイルは少し躊躇したが、住民に近づく。

「……作業は順調か」

「はい! お嬢様の指導のおかげで、とても」

 女性が答えた。男性も頷く。

「三圃制は素晴らしい。収穫が増えました」

「そうか」

 カイルは短く答えた。だが、その表情が僅かに緩んでいる。

 私は驚いた。彼が、こんな表情を見せるなんて。

「グレンはどこだ」

 カイルが尋ねた。住民が東の畑を指さす。

「あちらで、新しい区画の測量をしています」

「案内してくれ」

 私たちは東へ向かった。途中、何人もの住民が挨拶してくる。

 カイルは、そのたびに小さく頷いていた。

 やがて、測量用の杭を打っているグレンの姿が見えた。

「グレン」

「お嬢様! それに、閣下も」

 グレンは慌てて道具を置き、駆け寄ってきた。

「三圃制の成果を、聞きたい」

 カイルが言った。グレンは目を輝かせる。

「はい! 前年比で三割増です」

「三割……」

 カイルが呟く。グレンは興奮した様子で続けた。

「それだけじゃありません。土壌の質も改善されています」

「土壌の質?」

「はい。休耕地に家畜の糞を入れることで、栄養が戻るんです」

 グレンは熱心に説明し始めた。カイルは黙って聞いている。

 だが、その目は真剣だ。

「それに、二毛作も始めました」

「二毛作?」

 カイルの声に、明らかな驚きがあった。

「年に二回、作物を育てるんです」

「そんなことが……可能なのか」

「試験的にですが、成功しています」

 グレンが誇らしげに言った。カイルは私を見た。

「あなたの発案か」

「ええ」

 私は頷いた。カイルの視線が、私から離れない。

「この令嬢は……」

 彼が小さく呟いた。

「本当に、何者なのか」

 ――――

 夕食は、領主館の食堂で取った。オスカーが腕を振るった料理が、次々と運ばれてくる。

 カイルは黙々と食べていた。だが、時折私を見る。

 その視線に、何か言いたそうなものがある。

 やがて、食事が終わった。

 オスカーとマリアが下がり、私たちだけになる。

 静寂が降りた。

「……エリナ・フォン・アルトハイム」

 カイルが口を開いた。私は顔を上げる。

「はい」

「次回の視察は、二週間後にしたい」

 私は目を瞬いた。

「二週間……ですか?」

「ああ」

 カイルは私から目を逸らした。

「成長速度が速すぎる。綿密な追跡調査が必要だ」

 彼の声は、やや早口だった。まるで、言い訳をしているような。

「かしこまりました」

 私は頷いた。カイルは僅かに肩の力を抜く。

「では、そのように」

 彼は立ち上がった。私も立ち上がる。

「お見送りします」

「……ああ」

 私たちは玄関へ向かった。

 馬車の前で、カイルが振り返った。

「エリナ」

「はい」

 彼は一瞬、何か言いかけた。だが、言葉を飲み込む。

「……あなたの改革を、王国も注目している」

「ありがとうございます」

 私は一礼した。カイルは馬車に乗り込もうとして、また振り返る。

「私も……」

「はい?」

「私も……注目している」

 その言葉を残し、カイルは馬車に乗り込んだ。

 扉が閉まる。馬車が動き出す。

 私は、その後ろ姿を見送った。

 マリアが隣に来て、小さく囁く。

「お嬢様……あれは……」

「仕事の関心でしょう」

 私は平静を装って答えた。だが、胸の奥に妙な温かさがある。

 馬車が街道の向こうへ消えていく。

 私は、自分の頬が少し熱いことに気づいた。

 ――――

 馬車の中で、カイルは窓の外を見ていた。

 フェルゼン領が、遠ざかっていく。

 彼は目を閉じた。

 なぜ、彼女のことばかり考える。

 なぜ、また会いたいと思う。

 財務大臣として、優秀な領主を視察するのは当然だ。

 そう、仕事だ。

 だが——

 エリナの微笑みが、脳裏に浮かぶ。

 彼女の聡明な瞳が、心に残る。

 カイルは深く息を吐いた。

「……二週間後か」

 呟いて、彼は唇を噛んだ。

 待ち遠しい。

 その感情を、彼は認めたくなかった。
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